23話 嫉妬心
危機を脱し、セドリックと別れたテティスとノアは、広場の端にいくつか設置されているベンチに腰を下ろしていた。落ち着いて話をするため、そしてテティスの休憩も兼ねてだ。
ほとんどの領民は露店を周ったり、踊りを楽しんだりしていて、ベンチの周りは比較的閑散としている。
先に話を切り出したのは、眉尻を下げたノアだった。
「さっきも言ったけど、助けるのが遅くなってごめんね。俺がテティスと離れたから……」
「謝らないでください……! むしろ、一人で勝手に露店を回ろうとした私が悪いんです。ノア様は何も悪くありません」
一緒に『水神祭』を回ろうと話していた上に、ノアは離れないよう言ってくれていた。それなのに、一人で行動したのはテティスだ。
いくら理由があったにせよ、あんなふうに男性たちに絡まれたのは自分の責任だった。
「それなら、テティスも悪くないよ。クロエ嬢に俺と二人きりになるよう協力して欲しいと頼まれたから、君はああいう行動に出たんだろう?」
「! クロエ様からお聞きになったんですか?」
「……ああ。聞いたというか、言わせたというか」
若干不穏な物言いをしたノアに、テティスは引っかかった。
(なんだか、想像していたノア様とは様子が違うような……)
二人で話をする場を設けることに協力した旨をノアが知っているならば、おそらく彼らは話し合いも済ませたはず。
つまり、クロエは謝罪と説明をしたのだろう。
ノアはそれを聞いて何かしら感情が揺れ動いただろうに、彼の様子は至って冷静だった。
「クロエ様とは、お話できたんですよね? ……その、幼少期の頃のことについて」
ノアにとって、オッドアイが原因で友人に避けられたなんて、あまりいい思い出ではないだろう。
そう考えたテティスは言葉を濁らせて確認することにした。
「ああ。両親からオッドアイである俺から距離を取るよう言われたと話してくれたよ。それに謝罪もされた。事情は理解できるから、気にしなくてもいいと伝えたんだ。俺はテティスと出会えて救われたから、別にその程度のことで傷付かないってこともね」
「そうなのですか……?」
「ああ。俺にとってテティスは天使のような、女神のような存在……いや、俺の全てだから」
(……っ、そこまで言われると恥ずかしいわ……!)
だが、ノアのいつもどおりの態度に、その言葉が嘘でないことが分かる。
(ということは、私の考え過ぎだったのね)
てっきり、クロエに避けられたことでノアが傷付いているかもしれないと思っての行動だったが、それは間違いだったらしい。
(いえ、それも違うわね。少なくともクロエ様は、ノア様が傷付いていなかったことを知って、罪悪感が晴れただろうから)
ノアの友人であるクロエの為になれたのであれば、それは本当に嬉しいことだ。
けれど、テティスはノアとクロエを二人きりにするために嘘をついてしまったため、そのことについては謝罪しなければと口を開いた。
「ノア様、理由があったにせよ、先程は嘘をついてしまって申し訳ありませんでした」
「テティス、本当に謝らないで良いんだよ。むしろ、俺こそごめんね」
「え?」
「テティスを危険な目に遭わせたこともそうだけど、さっきの俺、怖かっただろう?」
ノアは、先程絡んできた男たちへの対処の様子について言っているのだろう。
テティスはすぐに首を横に振った。
「ノア様が怖かったというより、ノア様が本当にあの人たちの息の根を止めてしまわないかにヒヤヒヤしたといいますか……。大好きなノア様に、誰かを傷付けてほしくないという気持ちでいっぱいでした」
「……テティスは、本当に優しいな」
ノアはテティスの手にそっと自身の手を伸ばし、ギュッと握り締めた。
「本当にごめんね。あの男がテティスに触れているのを見たら、頭に血が上って、怒りが抑えきれなくて。……それに、嫉妬したんだ」
「嫉妬? あの男の人たちにですか?」
きょとんと目を丸くしたテティスに、ノアは一瞬言葉を詰まらせた。
「……うん。まあ、そうかな」
「な、なるほど……!」
──ノアは怒りと嫉妬で人を殺しかける。
そのことを知ったテティスは、今後こんなことが起きないように気を付けなければと肝に銘じた。
(あ、もしかして……)
同時に、自身の胸のつっかえの正体に気が付いた。
「私も、嫉妬していたのかもしれません。……その、クロエ様に」
「……!」
驚きからか、テティスの手を握るノアの指がピクリと動いた。
「お二人が話せる時間を作るのを協力しようと決めていたのに、実際クロエ様に『水神祭』でノア様と二人きりにしてほしいと言われた時、私、心がもやもやしたんです。ノア様と二人で、『水神祭』を回りたかったのにって」
「テティス……」
「それに、初めてお屋敷にお邪魔した時の晩餐の際、私が知らないノア様のお話をクロエ様がしていた時も、水龍との交戦の後、クロエ様がノア様の腕に抱き着いた時も……。今思えば、全部嫉妬だったのかなって」
実の姉、ヒルダに向けていた羨望とは違う感情──嫉妬。
口にすることで、よりはっきりと自身の感情を自覚したテティスは、少し不安になった。ノアの友であるクロエに嫉妬してしまうなんて、どれほど自分は醜いのだろう、と。
「……っ、ごめん。テティス。今はちょっと顔を見ないでほしい」
けれど、空いている方の手で自身の目の辺りを隠しながら、そう口にするノアに、テティスは目を見開いた。
「ノア様、お顔が真っ赤です……。それにお耳まで……」
「……そうだと思うよ。だから、あんまり見ないでくれ。格好悪いから。テティスを不安にさせてしまったことは申し訳ないんだけど、今はそれよりも嫉妬してくれた嬉しさが優って、変な顔になってると思う」
「……っ」
熟したいちごのように顔全体を赤く染めたまま、ノアは何かに堪えるように下唇を噛み締める。
見ないでと言われても、そんなノアの姿にテティスは釘付けになってしまう。
(照れたお顔を見るのは初めてじゃないのに、何だろう……この気持ち。ノア様が、可愛い……)
不安を打ち消すほど、ふつふつと湧き上がってくるノアへの愛おしさ。
ノアの要望を無視して顔をじっと見つめれば、彼の手からちらりと見える菫色の瞳がテティスを射抜いた。
「テティスの意地悪。見ないでって言ってるのに」
「だ、だってその、ノア様が可愛くて……ずっと見ていたいと思ってしまって……」
「可愛い、ね──」
その瞬間、ノアは体をテティスの方に拗らせると、自分の目を覆っていた手を下ろした。そして、テティスの後頭部に手を回し、ぐいと引き寄せた。
「んっ──!?」
突然触れ合う唇に、テティスの心臓は激しく音を立てる。
ノアが着ている衣の広い袖のおかげで、今二人が座っているベンチと祭りを楽しむ領民たちの間には些細な隔たりができているが、それは気休め程度にしかならなかった。
「ぷはっ……! ノア様、こんな人前で何を……!」
数秒後、唇を離してもらえたテティスは、顔を真っ赤にしてノアに苦言を呈した。
ノアは赤い舌をチラリと覗かせてから、ふっと微笑んだ。
「まだ可愛い?」
「〜〜っ、可愛く、ありません……!」
時折入る、ノアの意地悪スイッチを押してしまったのだと気付いた時にはもう遅い。
今度は顔を真っ赤にするテティスを、ノアが可愛い可愛いと言う番だった。




