17話 期待と懇願
アーシャたちと別れたテティスとノアはヴァイゼル湖へ来ていた。
警備に当たってくれていた魔術師たちの話からすると、水龍に目立った動きはなかったようだ。思いの外、ノアの魔法攻撃が効いているのかもしれない。
「セドリック様、独立式の結界の様子はいかがでしたか?」
ノアが魔術師たちと話している一方で、テティスは近くにいたセドリックに問いかけた。
「結界にこれと言った乱れはなかったよ。この感じなら、数ヶ月、うまくいけば数年……結界を維持できるかもしれないね」
「良かった……! セドリック様にそう言っていただけると心強いです」
テティスが安堵の笑顔を浮かべると、セドリックは少し気恥ずかしそうに彼女から目を逸らす。
「ふぅん……」と愛想のない相槌を打ったセドリックの頬はほんのりと赤いが、辺りが薄暗いおかげで誰にも気付かれることはなかった。
「そういえば、もう聞いた?」
照れ隠しのためにセドリックが話を切り替える。
テティスは「何をでしょう?」と小首を傾げた。
「明日の夜、この辺りで祭りが行われるんだって」
「あっ、その話なら領民の方々から聞きました! 水龍への感謝の気持ちを忘れないため、年に一度行われるんですよね? 確か、『水神祭』だと言っていた気がします」
『水神祭』は、街の広場で行われる。
皆が水龍の鱗によく似た深い青色の衣を纏い、水龍への感謝を胸に手を取り合って踊るようだ。
広間には多くの露店も並び、毎年賑わうそう。
昔は、皆がヴァイゼル湖へ足を運び、祈りや花を捧げていたようだが、月日の流れにより変化していったらしい。
「テティスは気になるの? 『水神祭』」
「それはもちろんです! 皆さんが同じ色の衣を纏う姿なんてなかなか見られるものではないでしょうし、それに珍しい露店も出ると聞きました! 一体どんな露店があるんだろうと考えるだけでワクワクしてしまいます……!」
楽しげに話していたテティスだったが、背後からそっと肩に手を置かれたので、振り向いた。
「テティス、『水神祭』に興味があるのかい?」
「ノア様……! お話はもうよろしいのですか?」
「ああ、大丈夫だよ。それで、テティスは『水神祭』に行ってみたい?」
優しげな声で問いかけられたテティスは、ふるふると首を横に振った。
「……任務がありますから、『水神祭』というものがあると知れただけで十分です」
テティスは笑顔を作り、そう言ってみせた。
(……本当は、行ってみたいけれど)
領民の不安を取り除くため、水龍が暴れる原因を探るため、テティスたちはこの場を訪れている。
美味しい食事に、何不自由のない借宿、美しい花畑まで見られたのだ。これ以上、求めることなんてできなかった。
「……じゃあ、俺が一緒に行ってほしいと言ったら、頷いてくれるかい?」
「えっ」
だというのに、ノアがこんなことを言うものだから、テティスからは上擦った声が漏れた。
「でも、任務が……」
「任務ももちろん大事だが、せっかくマーレリア領まで来たんだ。少しくらい『水神祭』に参加しても大丈夫さ。何より、テティスが生み出してくれた独立式の結界があるし、それに街の広場からここまで馬を走らせれば直ぐだ」
ノアはテティスにそう告げると、次に周りにいる魔術師たちに『水神祭』に行きたい者はいないかと尋ねる。
セドリックを含めた皆が挙手をして是を表すと、ノアは再びテティスに向き直った。
「皆も行きたいようだから、明日の夜はここの警備と祭りに行く者で適当に半数くらいで分かれようか。ある程度時間を決めておいて、途中で交代すればいい。水龍に少しでも異変があったら、すぐにこの場に集まること。これだけ守ればなんの問題もないよ」
「ノア様……」
「ね? だからテティス、明日の夜は『水神祭』に参加しよう。一緒に行ってくれるかい?」
なんて、甘い問いかけなのだろう。
テティスは大きく頷いて、真っ直ぐにノアを見つめた。
「はい! 是非ご一緒したいです……!」
「くっ……! テティスの笑顔が可愛い過ぎて困る。ああ……だが、テティスのこんな笑顔を他の奴らに見られているのかと思うと腹が立つ」
胸を押さえて、ニヤニヤしたり、睨みつけたりと表情をコロコロと変えるノアに、セドリックはポツリとつ呟いた。
「こわ……。情緒が不安定過ぎない?」
「黙れセドリック。やっぱりお前のその馬みたいな尻尾、燃やしてやる」
「横暴じゃない!?」
「ふふっ」
ノアとセドリックのやり取りに、つい笑い声が漏れてしまう。
そんなテティスにつられて、周りにいた魔術師たちも笑顔を浮かべたり、和やかな雰囲気でいると、屋敷へと続く小道の方から女性の声が聞こえてきた。
「こんばんは、皆様」
「……! クロエ様?」
全員がクロエに注目する。
もうすぐ完全に陽が落ちてしまうというのに、一人でどうしたのだろう。
心配から、テティスは彼女に駆け寄った。
「どうされたのですか? 何かあったのですか?」
「いえ、急に来てしまって申し訳ありません。先程、アーシャがノア様とテティス様にお世話になったようですので、お礼を伝えにまいりましたの。ありがとうございました」
おそらくクロエは、ノアとテティスが花畑から屋敷までアーシャを送ったことを言っているのだろう。
「そんな……お礼を言われるようなことでは……!」
「そうだよクロエ嬢。ほとんどついでだったからね」
ノアが後ろから助け舟を出してくれたので、テティスは同意を示すためにコクコクと頷いた。
「それに、アーシャ嬢には少し刺激が強いものを見せてしまうところだったから、むしろ申し訳ないことをした」
「ノア様! それは本当にそうですけど、これ以上は言わないでください……!」
『キスをしようとしているところを幼い女の子に見られました』
なんてことを、クロエやセドリックたちの前で話されたら、それこそ恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
テティスの懇願に、ノアは口元を押さえて楽しそうに微笑んだ。
「それで、クロエ嬢はわざわざその礼を言うためだねにここへ?」
「それもありますが、実は、急ぎテティス様にお話がありますの」
「私に話って……。あ、もしかして……」
テティスが探るような眼差しをクロエに向ければ、彼女は微笑みながら首を縦に振った。
(やっぱり! あのことなのね)
それならば、まずはノアに了承を得なければと、彼の方を振り向いた。
「ノア様、任務中に申し訳ありませんが、少しだけクロエ様と二人で話をしてきても良いでしょうか?」
「テティスが良いなら、構わないが……。あまりここから離れすぎないようにね。心配だから」
「分かりました。ではクロエ様、行きましょう」
「ええ。皆様、失礼いたします。任務、頑張ってくださいね」
その後、テティスはクロエと二人で、屋敷へと続く小道を進んだ。
ノアたちの姿が完全に見えなくなるくらいの距離を離れると、先に口を開いたのはクロエだった。
「テティス様は、明日の夜『水神祭』に行かれますか?」
「そのことでしたら、さっき皆さんで話していたところです。皆を半数に分けて、全員が『水神祭』に参加できるようにしようという結論に至りました」
「まあ! それは良かったですわね。今年は特に珍しい露店も多いみたいですから、楽しんでいただけると思いますわ」
何度も『水神祭』に参加しているのだろうクロエがこう言うのだから、期待がどんどん膨らんでいく。
(明日の夜が楽しみだなぁ)
顔を綻ばせていると、突然クロエに手をギュッと握り締められる。
テティスが驚きのあまり目を見開けば、クロエが真剣な表情でこちらを見ていた。
「因みに、テティス様はノア様とご一緒に行かれるご予定ですか? それでしたら、一つお願いがあるのですが……」
その瞬間、テティスはハッとした。
クロエが何故話。したいと言ったのかは分かっているつもりだったのに、どうしてこのことに気づかなかったのだろう。
「明日の夜、私とノア様を二人きりにしていただけませんか? 『水神祭』の時なら、勇気を出せそうな気がするのです」




