4話 テティス、理由を確信
ノアの登場の後に使用人も現れ、テティスの荷物が入ったトランクは先に用意した部屋へと持っていってくれるらしい。
テティスはノアに右手の自由を奪われながら、大きな正門が開いた直後に見えた、だだっ広いエントランスと、数え切れないほどの使用人の数に顎が外れそうになった。
「「テティス様、お待ちいたしておりました!」」
「お、お待たせして申し訳ありません……?」
こういう場合はなんて返せば良いのか分からず、ぱっと謝罪を口にしたテティスに、ノアは耳元に口を寄せるとぼそりと呟いた。
「テティス、謝る必要はないよ。皆、君が来るのを待っていたんだ」
「え!? で、では、皆さん、お出迎えありがとうございます。嬉しいです」
ノアの助言により言い直すと、使用人たちはパァッと笑顔になっていく。
(な、何でこんなに歓迎ムードなの!?)
ノア然り、リュダン然り、使用人然り。誰一人テティスのことを無能だと嘲笑わない。求めていたのはお前ではなく姉の方だったのにと、顔を歪めない。
(嬉しいけれど……これは一体……)
ヒルダから、ノアがヒルダに恋をしていると聞かされていなければ、きっとこの場で跳びはねてしまうくらいに喜んでいただろう。無能ではなく、自身も結界魔術師として周りに認められる存在だったならば、当たり前のように受け入れられたのだろう。
だが、現実はそうではなかった。今まで誰にも愛されなかったテティスは、浮かれてはいられないのだ。
「テティス様、長旅お疲れ様でございました。この屋敷の管理を任せていただいております、執事のヴァンサンと申します」
気を引き締めていると、使用人たちの中心に立っていた、燕尾服を着た初老の男性──ヴァンサンが話しかけてきた。
「初めましてヴァンサンさん。至らないところばかりかもしれませんが、色々と教えてくださいね」
「それは勿論でございます。それとテティス様、私ども使用人には敬語は不要です。呼び方もヴァンサン、と」
「わ、分かったわ、ヴァンサン!」
ヴァンサンの朗らかな笑顔に、テティスもつられて微笑むと、掴まれた右手に力が込められたことで、テティスはそういえばと気が付いた。
「テティス、今の笑顔最高に可愛かった。今度は俺に笑いかけてほしい」
「おおお、お待ち下さい公爵様! その前に手! そういえばまだ手を繋いでおりました!!」
「ああ。君の小さくて柔らかな手を離すのが惜しくてね」
離してくださいという意味で言ったのだが、何故かノアには伝わらなかったらしい。
テティスがあたふたとしていると、ノアは薄っすらと目を細めるようにして微笑を浮かべた。
「公爵様じゃなくて、名前で呼んでくれたら離すよ」
「えっ」
「良いだろう? もう婚約者なんだ」
(もしや、お姉様にも名前で呼ばれているから、同じように呼ばれたいとか? それとも使用人たちの前だから?)
ノアの発言の意図はさっぱり分からないものの、減るものではないので、テティスはさらっとその名を口にした。
「えっと……ノア様?」
「………………うっ」
「!?」
すると、ノアは手を離して両手で頭を抱えると、何故か「ぐっ」やら「ぬぉっ」やら呻き声を上げている。……いや、悶えていると言ったほうが良いだろうか。
(ど、どうしてしまったのかしら!? 持病!? いやけどヴァンサンたちはニッコニコのままだし……あ、リュダン様!!)
リュダンは魔法郵便で届いた書類を受け取る用があるらしく後で行くと言っていたのだが、どうやら用事は終わったらしい。
エントランスに入ってきたリュダンに、テティスは慌てて声を掛けた。
「リュダン様……! ノア様のことを名前で呼んだら、なんだか様子が変になってしまわれたのです!!」
「ん? ああ、そりゃあ、名前で呼んだからだろ」
「………と、言いますと?」
「嬉しいから悶えてるんだ、あれは。まあ気にすんな」
「…………!?」
リュダンの言った意味が理解できず、ピシャリと固まるテティス。
そんなテティスを知ってか知らずか、リュダンはノアの近くまで歩いていくと、「戻ってこーい」と声を掛けた。
ハッとしてリュダンを見たノアは、じいっと睨みつけた。
「何でお前も名前で呼ばれてるんだ。気に食わん」
「悶えた状態でよく聞いてたな。って、それは良いから。今さっき魔法省から書類が届いた。急ぎらしいから、とりあえず執務室行くぞーー」
「は? せっかくテティスが来てくれたのに……魔法省め……間の悪い」
ノアは前髪をぐしゃりと掻き上げて苛立ちをあらわにすると、パチっとテティスと目があったことで頬を緩める。
「済まないテティス。俺は少し仕事があるから、使用人に部屋まで案内してもらってくれ。ディナーまでには終わらせるから、そのときにまた話そう」
「はい。お気遣いありがとうございます」
そうして、名残惜しそうな表情をしてから、ノアはリュダンと共に執務室へと歩いて行った。
「ではテティス様、私がお部屋に案内いたしますね」
「ええ、お願いするわね」
部屋に案内してくれたのは、メイドのルルだった。艷やかな黒髪をポニーテールにした彼女からは、大人の色気が放たれている。
主人であるノアがいなくなっても、態度が変わることはなく、部屋につくまでの間、ルルは疲れていないか、食事の好き嫌いはあるかなど、優しい言葉をかけてくれたのだった。
「テティス様、こちらのお部屋です」
通されたのは、屋敷の南側にある大きな部屋だった。伯爵邸でのテティスの部屋の、優に十倍はあると思われる大きな部屋である。
「わあっ、素敵なお部屋……! おしゃれだし、可愛いし、素敵過ぎる……! 何より全部新品!! 壊れて、ない!!」
テティスの反応に、ルルは一瞬目を細めた。
「ルル、こんなに大きなお部屋の準備、大変だったでしょう?」
「いえ、テティス様に喜んでいただきたい一心でしたので。今お茶を入れますので、どうぞゆっくりなさってくださいね」
「ルル、ありがとう……!」
家具や装飾品は、目に見てわかるほど一級品のものばかりだ。当たり前だが、ドレッサーは割れていないし、シャンデリアはチカチカと点滅していない。
おそらく、ベッドは相当なことをしない限り軋むことはないのだろう。
(有難すぎるわ……まるでお姫様になった気分……)
部屋の真ん中辺りにある大きなソファに腰を下ろすと、目の前のローテーブルに置かれている小さな花が視界に入る。
今までとは比べ物にならないほどの素敵な部屋であることは嬉しかったが、何よりも細やかな気遣いが、テティスには心の底から嬉しかった。
「テティス様、お茶が入りましたのでどうぞ」
「ありがとう、ルル! なんて良い香りなの……」
「ふふ、実は、国内でも中々手に入らない人気の茶葉なんです。旦那様が様々な伝を使って取り寄せたのですよ。……どうしてもテティス様に飲んでいただきたかったのですわね……」
「そうなの!?」
ヒルダのことが好きなはずなのに、わざわざ屋敷の外で出迎えてくれたり、今日が待ち遠しかったと言ったり、手を握ったまま離さなかったり、大きくて暮らしやすい部屋を用意してくれたり、人気の茶葉を取り寄せてくれたり。
まるで本当に好きな人に対する扱いのように思えてならない。
(まさか…………)
そこでテティスは、はたと気が付いた。ノアもリュダンも、屋敷の使用人たちも好意的だったのは──。
「旦那様は心の底からテティス様のことをあい──」
「分かったわ! そういうことだったのね!!」
「テ、テティス様いかがなさいました……!?」
ルルの言葉を遮ったテティスは、紅茶をゴクリと飲んでからおもむろに立ち上がった。
そしてルルの両手をがしりと掴むと、ギュッと包み込んだ。
「これからノア様のために、皆で力を合わせて頑張りましょうね!! 私も精一杯頑張るから……!!」
「は、はい……! テティス様に支えていただければ、旦那様も大変お喜びになると思います」
──そう、全員がテティスに対して好意的だったのは。
(おそらくノア様は、お姉様に婚約者がいることで自身の恋が叶わないと知って、気を病まれてしまったのだわ……!
だから自暴自棄になって、妹の私に婚約を申し込んだのよ! 遠くから目を細めて見れば、私とお姉様は多少似ているし! きっと傷心のノア様の目には、私の姿がお姉様の姿に映っているのね!
そしてリュダン様や使用人たちは、そんなノア様の心情を察して、私のことをお姉様として、丁重に扱ってくれているに違いないわ!
……ヒルダと呼ばずにテティスと呼んでくれているのは、ノア様なりの私への最大の配慮に違いないわね……きっと心優しいお方なのね……)
テティスはそう自己完結を済ませて、もう一度ソファへと腰を下ろす。
──ヒルダの代わりに愛されるフリをするのは少々心が痛むけれど、それでノアの心の傷が少しでも癒えるのならば、良いのかもしれない。
当初想像していた仮面夫婦になるくらいならば、ヒルダの代わりとしてでも円満な関係を築く方がよっぽど良いし、ここまで丁重に扱ってもらえるならば、少しくらいノアの役に立ちたい。
(頑張ろう……ノア様の心の傷が癒えて、前向きになれるように)
テティスはそう心に決めて、もう一度紅茶で喉を潤した。
読了ありがとうございました!
◆お願い◆
楽しかった、面白かった、続きが読みたい!!! と思っていただけたら、読了のしるしにブクマや、↓の☆☆☆☆☆から評価をいただけると嬉しいです。今後の執筆の励みになります!
なにとぞよろしくお願いします……!