7話 可憐な令嬢の願い
夕食を終えたテティスはノアやセドリックと別れ、クロエと二人で屋敷の南側に来ていた。
ノアたち男性陣は屋敷の西側に部屋が用意されているらしく、執事のトルネルが案内をしている。
「テティス様のお部屋は私の隣になりますわ」
「あっ、はい!」
大階段を登ると大きな窓がいくつもある廊下が続いている。
クロエの後に続いて廊下を歩きながら、外に視線を向ければ、湖が見えた。
(あれがヴァイゼル湖。本当に近いのね)
水面の揺れまでは確認することはできないが、この距離ならば水龍が現れたらすぐに分かるだろう。もしも水龍が暴れても、屋敷に待機していれば迅速な対応が可能なはずだ。
「もしも足りないものなどがありましたら、すぐに使用人に仰ってくださいね。可能な限り準備いたしますから」
「お気遣いありがとうございます! 本当に何から何まで申し訳ありません」
「いいえ。むしろ大変お忙しいはずですのに、この地に来てくださったことに感謝していますわ。あ、テティス様のお部屋はこちらです」
角部屋の一つ手前で足を止めたクロエがドアノブを回して扉を開ける。
クロエに「どうぞ」と誘われたテティスは、ゆっくりと入室した。
「素敵なお部屋……」
サヴォイド邸ほどの華やかさはないけれど、白を貴重としたシンプルな部屋だ。
ベッドやソファにテーブル、ドレッサーなどの必需品もしっかりと揃っているのはもちろんのこと、壁にかけられたドライフラワーの装飾がとても可愛らしい。
「クロエ様、このような素敵なお部屋を用意してくださり、ありがとうございます。あのドライフラワーは、使用人の方々が作ったものなのですか?」
「いえ、私が作りました。趣味……のようなものです」
「素晴らしい趣味ですね……!」
テティスも花は好きだが、それよりも食を好むところがある。
クロエのような可憐な女性は、趣味さえも可愛らしいのねとテティスは思った。
「お部屋に飾ってくださってありがとうございます! とても癒やされます」
「お気になさらないでください。……余っていただけですから」
「え……?」
「い、いいえ、何も」
最後のほうがあまり聞こえなかったけれど、クロエが何もと言うのならば聞き返す必要はないか。
テティスがそんなふうに考えていると、クロエの探るような視線に気が付いた。
「あの、どうかされましたか?」
「実はテティス様に、一つお願いがございます。個人的なものなのですけれど……」
「私で力になれるのでしたら、何でも仰ってください!」
クロエは領主の娘であり、何よりノアの幼い頃の友人だ。
テティスの中の、クロエの力になりたいという思いはかなり強かった。
クロエはパァッと弾けんばかりの笑顔を見せてから、口を開いた。
「私とノア様の仲を取り持ってほしいのです」
「え……?」
固まるテティスに、クロエは慌ててこう告げた。
「勘違いなさらないでくださいね! 恋愛的な意味で仲を取り持ってほしいとお願いしているわけではないのです」
クロエの弁明に、テティスはホッと胸を撫で下ろした。
(よ、良かった……)
筆頭魔術師であり公爵の地位にあり、更に端正な顔立ちをしているノアは、異性から大変に人気がある。
クロエがノアに好意を抱くのもおかしな話ではないと思っていたが、どうやら違うようだ。
「分かりました。それでは、どういうことでしょう? ノア様もクロエ様も久しぶりの再会を喜んでいるように見えましたが……」
「もちろん私は、久々に昔の友に会えて嬉しかったです。……しかし、ノア様は違います。一見、十年ぶりの再会を喜んでいるように見えましたが、本心は私への複雑な感情で苦しんでいるのだと思いますの」
複雑な感情とはなんだろう。テティスは思案する。
しかし、これと言ったことは思いつかなかった。
というか、テティスにはノアがクロエとの再会に喜び以外の感情を抱いているようには見えなかったのだ。
「私には、あまりそのようには見えませんでしたが……」
「……テティス様には分からないかもしれませんが、私には分かるのです。私とノア様のことですもの」
「!」
ノアとともに暮らすようになってまだ数カ月後。
彼のことはそれなりに分かっているつもりだった。
しかし、クロエの言葉に、自分は思い上がりをしていたのかもしれないとテティスは恥ずかしくなった。
「そう、ですよね。申し訳ありません……。あの、クロエ様がそう思われた原因があるのでしたら、お教えいただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ。先程の食事の最中、ノア様が『社交界シーズンが終わりに近付くと、不思議とあまり話さないようになってしまっていた』と話されていたのを覚えていますか?」
「はい」
ノアにそう言われた時、クロエが顔を強張らせたことにテティスは気付いていたので、その発言は印象によく残っていた。
「あの時は、はぐらかしましたが……実は私が途中からノア様のことを避けて、あまり話さないようにしていたのですわ」
「! 何故そんなことを……」
「不吉とされているオッドアイをお持ちのノア様に関わるなと、両親に言われたからです」
クロエの両親は、貴族として人脈を作るのに必死で、社交の最中は娘であるクロエをほとんど放置していたそうだ。クロエは社交性が高く、見目も美しかったため、すぐに友人ができて、寂しい思いもしないだろうと両親は考えていたのだろうと、クロエは話す。
しかし実際は、社交に参加している同世代の子どもたちはそれほど多くなく、いたとしても、既に友人同士のグループができあがっていた。
すっかり壁の花になっていたクロエだったが、そんな時、一人で寂しそうにしているノアを見つけた。
ノアの両親は公爵という地位のせいで挨拶を求める貴族がひっきりなしに集まり、息子であるノアに手が回っていないようだった。
とにかく話し相手が欲しかったクロエは、ノアに話しかけた。
オッドアイが不吉と呼ばれているなんて、その時のクロエは知らなかったから──。
「両親は初め、私がノア様とよく話をしていることに気付いていませんでした。しかし、偶然私がノア様と話しているところを見たのでしょう。その日のパーティー終わり、両親は私に言いました。ノア様のオッドアイは不吉だと言われていて、深く関われば不幸なことが起きるかもしれないから、もう話さないように、と」
「…………」
「幼かった私は大好きな両親の言葉を信じました。少しずつ彼とは話す時間を短くして、最終的にはノア様のことを避けるようになったのです」
申し訳なさげに話すクロエに、テティスの胸はキュウッと締め付けられた。
誰に、幼いクロエを責められるというのだろう。
テティスだって、もしも両親に大事にされていたら、そんな両親にノアには近付くなと言われていたら、従っていたかもしれない。
「私はノア様を傷付けてしまいました。ノア様は何事もなかったように振る舞ってくださいましたが、私のせいで心に傷を負っているはずなのです……っ」
両手で顔を覆い、嘆くクロエの背中にテティスはそっと伸ばす。そして、励ますように優しく撫でた。
「クロエ様、お気持はわかりますが、あまりご自分を責めないでください。当時クロエ様はまだ幼く、ご両親にそのように言われたのですから、仕方がなかったのです」
「テティス様は、お優しいのですね……」
クロエはそう呟くと、顔から手を離し、テティスを見つめる。
縋るような瞳から、テティスは目を離せなかった。
「けれど私は、きちんとノア様に謝罪をしたい……。皆様がこの地にいる間、私とノア様が二人きりで話ができるよう、協力してくださいませんか……? テティス様にしか頼めないのです」
ノアの本心はテティスには分からない。
けれど、クロエの話を聞いて彼の心が傷付いている可能性があることを知ってしまった。
クロエがノアに謝罪することで、彼がどう感じるかまでは分からないけれど、少なくともクロエは謝罪することで救われるのならば──。
「分かりました。ぜひ協力させてください」
「本当ですか……!?」
「はい! 微力ではありますが……」
「ありがとうございます、テティス様っ!」
喜び溢れる笑顔でで両手をぎゅっと握り締めてくるクロエの手を、テティスは優しく握り返す。
どうか、クロエの謝罪によって彼女自身が、そしてノアが救われますようにと、願わずにはいられなかった。




