5話 久々の再会
小さな丘を上がると、屋敷が見えてきた。
門番たちは事前に話が通っていたようで、スムーズに屋敷の敷地内に入ることができたテティスたちの前に現れたのは、皺一つない燕尾服に身を包んだ男性だった。
「魔術師の皆様、ようこそお越しくださいました。私はこの屋敷の執事のトルネルと申します。まずは馬をお預かりいたします」
声や見た目から、歳の頃は六十前後だろうか。年齢に反して黒黒とした髪の毛を後ろに流している髪型はよく似合っている。
そんなトルネルの後ろには、数人の執事たちがいる。彼らが屋敷の裏の厩舎に馬を繋いでくれるようなので、テティスたちは好意に甘えることにした。
「すまないね。ありがとう」
「ありがとうございます」
ノアとテティスが感謝の言葉を伝えれば、トルネルは柔和な笑顔を浮かべた。
「とんでもございません。お疲れでしょうから、お屋敷の中へどうぞ」
「ああ。テティス、行こうか」
ノアはそっとテティスに手を差し出す。
見知らぬ土地、初めて立ち入る屋敷でノアに触れるのは多少恥ずかしかったけれど、ここで時間を取っては、セドリックたちにもトルネルにも申し訳ない。
そう考えたテティスは迷いながらも彼の手に自身の手を重ね、皆とエントランスに足を踏み入れた。
(あれは……水龍かしら)
正面に見える大階段の踊り場の壁。そこに飾られている絵画に描かれた龍。
水の中で静かに眠っているところだろうか。とても繊細に描かれていて、つい見惚れてしまう。
その絵画に、目を奪われたのはテティスだけではなかったようで、セドリックたちも感嘆の声を漏らしている。
(領主様は、いざとなれば水龍の討伐もやむなしとのお考えだと聞いているけれど、本当は嫌なんでしょうね……)
屋敷に入れば必ず目に付くような位置に水龍の絵画を飾っているくらいなのだ。水龍のことを大切に思っていてることは明白だった。
「トルネル、だったな。まずは領主であるマーレリア子爵に挨拶をしたいのだが」
ノアの言葉をきっかけに、テティスは絵画から彼に視線を移した。
「そのことなのですが……」
「どうした?」
先程まで歯切れよく話していたトルネルが申し訳無さそうに視線を下げる。
どうしたのだろうかとテティスが疑問に思っていると、大階段からコツコツと下りてくる足音が聞こえたので、皆がそちらに意識を向けた。
「皆様、出迎えが遅くなってしまって申し訳ありません……!」
「お嬢様!」
そこには、亜麻色の上品なドレスに身を包んだ女性の姿があった。
急いできたのか、やや息が上がっている。その後ろには、数名のメイドの姿だ。
(トルネルさんがお嬢様と呼び、メイドさんたちを連れているということは、領主様のご息女かしら?)
彼女はふわりとしたストロベリーブロンドの髪の毛を靡かせながら、階段の最後の一段を踏み終える。
そして、トルネルに「私から話すわ」とだけ言うと、皆に一瞥をくれてから、ノアに向けて美しいカーテシーを披露した。
「筆頭魔術師様並びに魔術師の皆様、マーレリア領までご足労いただき、まことにありがとうございます。私はマーレリア領主の娘──クロエ・マーレリアと申します。以後お見知り置きを」
「……!」
隣で目を見開くノアに、テティスはどうしたのだろうと目を瞬かせる。
すると、クロエは顔を上げて、女性も惚れ惚れしてしまいそうなほどに美しい笑みを浮かべた。
「お久しぶりですね、ノア様。大体十年ぶりでしょうか?」
「ああ。そんなところかな。クロエ嬢は息災だったか?」
どうやら、二人は過去に会ったことがあるらしい。
貴族同士となれば社交場で顔を合わせる機会があっても何らおかしくはないため、テティスはあまり気にすることなく二人の会話に耳を傾けた。
「ええ。見ての通りですわ。ノア様も元気そうで安心しました。ああ、つい昔のクセでお名前で呼んでしまいましたが、公爵様とお呼びしたほうがよろしいですか?」
「いや、構わないよ。それで、早速だがマーレリア子爵はどうしたんだ? 君が出迎えるということは、子爵に何かあったのか? それと夫人は?」
「……実は、昨夜お父様は階段から足を踏み外して転倒し、病院に入院することになってしまいましたの。母は数年前に他界してしまって……」
クロエ曰く、子爵は昨夜転倒し、足を骨折してしまったらしい。しばらくは病院で絶対安静なのだそうだ。
子爵が退院するまでの間は、領地の仕事は屋敷の文官たちが、屋敷のことはこれまでも執事が中心になっていたため、引き続き行うことになっているらしい。
「それに伴い、ノア様たちが水龍様を調査する際のサポート役を父の代わりに私が担当することになったのです。これでも領主の娘ですから、何かと力になれるかと思いますわ」
クロエの言う通り、領主の娘であれば、水龍についてもある程度詳しいことは間違いないだろう。
領民に聞き取り調査をするにしても、何か行動を起こすにしても、クロエがいてくれればすんなり行くことも多いはずだ。
「そうか。夫人のことは残念でならないが、そういうことなら分かった。よろしく頼むよ、クロエ嬢。子爵には俺たちのことは気にせずとも構わないから、しっかりと養生するよう伝えてくれ」
「お気遣いありがとうございます。精一杯務めさせていただきますわ」
ひとしきり皆がこの状況を理解したところで、クロエはノアとテティスの繋がれた手にちらりと視線を送った。
「それにしても──」
その視線は先程までノアに向けていたものに比べ、かなり冷ややかなものに思えた。
テティスは挨拶中に失礼だったのだと思い、ノアに「手を離してください」と伝えた、のだけれど。
「あら、構いませんことよ? ノア様と結界魔術師のテティス様がご婚約されていて、大変仲睦まじいことは、私の耳にも届いていますから」
「い、いえ、しかし」
「テティス、クロエ嬢がこう言ってくれてるんだから甘えよう。何より俺がまだ離したくない」
「なっ、なっ、なっ……!?」
砂糖菓子よりも甘い言葉を吐いてくるノアに、テティスは全身が沸騰するのではないかというくらいに熱くなる。
(ノア様ったら、クロエ様もいるのに……!)
ある程度聞き慣れたはずのセドリックや他の魔術師たちならいざ知らず、こんなやり取りを目の前で突然見せられたクロエは困惑しているはず……。
「ふふ、本当に仲がよろしいんですのね。羨ましいですわぁ」
そう思ったテティスだったが、クロエは困惑を見せるどころか、笑みを絶やしていなかった。
もしかして、気を遣ってくれているのだろうか。
(さっきは一瞬冷たい視線のように感じたけれど、この状況でも笑顔でいてくださるんだもの。クロエ様って、とても良い方なのね。それにしてもお二人は親しいようだけれど、どういう関係なんだろう)
テティスは疑問を抱きながらも、クロエにつられるように笑顔を浮かべた。




