3話 わ、か、ら、な、い!
話は少し遡る。
それはテティスがノアの下へ輿入れする当日の、出発直前のことだった。
二台の馬車が目の前に止まり、テティスは大きく目を見開く。
「わ、わあ〜なんて立派な馬車なんでしょう……! 流石公爵家が用意してくれた馬車……!」
事前に連絡が来ていた馬車の到着時間になったので、正門の前で待っていたテティスだったが、現れた立派な馬車に驚いて、つい後退りしてしまう。
馬車の外観はもとより、馬の毛並みもよく、馭者の身なりも整っていることから、おそらく公爵家お抱えの者なのだろう。
すると、後方の馬車の扉がゆっくりと開く。現れた赤髪の青年は、ゆっくりと紳士の挨拶をした。
「テティス・アルデンツィ伯爵令嬢様、お迎えに上がりました。私は侯爵家嫡男、リュダン・ライトリーと申します。サヴォイド公爵閣下の側近をしております。以後、お見知りおきを」
「は、初めまして、ライトリー侯爵令息様。私はテティス・アルデンツィと申します。馬車の手配をありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします。それと、リュダンで結構ですよ」
「では、私もテティス、と。話し方も楽にしてくださって構いませんので」
テティスもカーテシーで挨拶を返せば、肩の力を抜いて「そりゃあ助かる」と笑うリュダン。
燃えるような赤い髪に、ブラウンの瞳。きりりとした眉毛が特徴的な、端正な顔立ちの青年である。どうやら、普段の話し方はかなりフランクらしい。
(リュダン様って、確か、かなり有名な魔術師よね……)
筆頭魔術師であるノアと比べれば多少劣るが、リュダンもとても優秀な魔術師だと聞く。テティスは彼も雲の上の上の存在だわ……と思いつつ、事前にノアから届いた手紙を思い出して頬が引き攣った。
(道中危険がないように部下を護衛につけるとは書いてあったけれど、まさかそれがリュダン様なんて……大物過ぎでは?)
しかしそれを口にできるはずもなく、嫌な顔ひとつせずにテティスが持っている荷物を積み込んでいくリュダンに、テティスは慌てて頭を下げた。
「荷物は……これだけか?」
「あ、はい……! リュダン様にものを運ばせるなんて……申し訳ありません……」
「いや、気にしなくて良い。ノアから、テティスにはできる限り快適な馬車の旅をと言われてるからな。むしろあんたに荷物を運ばせたりなんてしたら後で雷を落とされちまう。比喩じゃなくて物理的に」
「物理的」
おそらく魔法のことを言っているのだろうが、ノアはわりと手が、いや魔法が出やすい質なのだろうか。
(いや、そこじゃないわ!! そ、こ、じゃ、な、い! なんでこんなに丁重な扱いなの……!?)
立派な馬車はもちろん、側近のリュダンを寄越すのも、まるで本物のヒルダを妻に迎え入れるかのようだ。リュダンの口調や顔色からもノアがヒルダの代わりに、妹のテティスと婚約することに対して、それほど不満を持っていないように見える。
信頼している主が決めたこととはいえ、その相手が想い人の妹で、無能と呼ばれている女だなんて、側近からすればあまり良い気はしないだろうに。
(側近の方にくらいは、公爵様が本当はお姉様のことが好きということを伝えているのかと思ったけれど……もしかして知らない……?)
ノアが寡黙なのか。それともリュダンが知っていても態度に出さない出来た人間なのか、必死に取り繕っているのか。
(分からない!! けれど、とりあえず側近のリュダン様が好意的なんだから、喜ぶべき、よね!?)
内心で色々と考えたテティスだったが、とりあえず自身を落ち着けるように深呼吸を繰り返す。
すると、馬車の前でどうぞと差し出したリュダンの手に、テティスは慣れない手付きでそっと手を添えた。
馬車に乗り込もうとした寸前、リュダンが思い出したように口を開く。
「そういえば、見送りは……」
「……両親も姉も使用人たちも、皆忙しいので……はい。そういう、ことです」
「……。立ち入ったこと聞いたな、悪かった。じゃあ、行くか」
「はい」
リュダンに気を使わせてしまったことに申し訳ないと思いつつ、テティスは十七年暮らしたアルデンツィ邸をあとにした。
誰にも見送られず、家族の顔を最後に見たのも昨日の午前中だっただろうか。なんともあっけない別れだった。
──ガタンゴトン。
穏やかに揺れる馬車で、馬車内の装飾の豪華さやお尻が痛くならないよう柔らかな作りになっている席にテティスが驚いていると、並列して走っている隣の馬車の窓から、顔をひょっこりと出したリュダンが話しかけてきた。
「気分は大丈夫か? 馬車だと六時間くらいかかるから、何かあったら直ぐに言ってくれな」
「はい! ありがとうございます!」
本来令嬢が嫁ぐ際は、侍女やメイドを数名連れて行く。しかし、無能なテティスのために人も金も手放したくない父は、それを良しとしなかった。
(こういう気遣いも、本来ならば伯爵家から連れてきた者がしてくれるのよね……)
気を使わせてしまって本当に申し訳ない……とリュダンに思いつつ、テティスは項垂れながら、到着の時を待った。
ときおり休憩を入れ、一度食事を挟み、公爵邸に着いたのは空が茜色に染まる頃だった。
「な、なんて大きなお屋敷……!」
窓から見える景色に、テティスは目も口も大きく開く。
おそらく実家の三倍は大きいだろうか。結界魔術師の名門の伯爵家もわりと裕福で、屋敷自体は大きかったが、流石に公爵家で筆頭魔術師ともなると、格が違うらしい。
「俺も初めてこの屋敷を見たときは驚いた。……テティス、手をどうぞ。気をつけて下りろよ」
「あ、はいっ」
先に下りたらしいリュダンが、テティスが乗っていた馬車の扉を開けて、手を差し出して待ってくれているので、テティスは慌てて立ち上がった。
──すると、その時だった。
「リュダン待て。俺がテティスを支えるから、お前は下がっていろ」
まるで弦楽器のように響く、重低音の声。屋敷の正門から歩いて来たその声の主を視界に収めたテティスは、彼の美しい容貌にひゅんっと喉が鳴った。
グレーアッシュのつやつやの髪に、少し長めの前髪から覗く、淡い菫色の瞳は、まるでアイオライトが埋め込まれているかのような神秘的な美しさがある。
(私の髪の毛と似た色なのに……この方の瞳は本当に綺麗……)
ヒルダと比べて地味だと言われ、自身もその自覚があったテティスには、こんなに美しい菫色があるのかと驚くばかりだ。
鼻や口、輪郭も整っており、体躯もすらりとしていて、男らしい見た目のリュダンとは違った端正な顔立ちの青年から、テティスは目が離せなくなる。
その青年は、テティスの目の前まで歩くと、優雅な所作で手を差し出した。
「初めましてテティス。俺の名前はノア・サヴォイド。君がこの屋敷に来てくれる日を、今か今かと待っていたよ。ああ、君が俺の婚約者だなんて、まるで夢みたいだ」
「えっ」
ふわりふわりと、目の前のノアと名乗る青年から花が飛んでいるように見えるのは、見間違いだろうか。
(いや待って……この方、名前をなんて言った? ノア……? 私が来るのを待ってたって言った……? お姉様のことが好きなのに……? 何で……?)
「……テティス?」
「…………」
「テティス、どうしたんだい?」
「…………」
ぼんやりと顔を眺めているテティスに、ノアは一瞬にして顔を青ざめさせた。
「もしかして、馬車で気分が悪くなったのか!? おいリュダン、直ぐに医者を──」
「……ち、ち、ち、違います!! ただ吃驚して仰天して動転して固まってしまっただけですので……!!」
「……それなら良かった。固まる君も可愛いな」
「かわいい……!?」
何をもってして可愛いかは分からないが、それはさておき。
「屋敷の大きさには皆驚くんだよ」とテティスの動揺が屋敷の大きさを見たからだと勘違いしたノアに訂正することなく、テティスは内心あわあわと慌てふためいていた。
(どうしましょう! まさか公爵様にこんなふうに歓迎してもらえるなんて思わなかったわ……! 一体どういう心境で……!? お姉様のことが好きすぎて私にお姉様の幻覚を見ているとか!? いやでもテティスって呼んでくれたし……んん〜!?)
未だにふわりふわりとした花が見えるほどに満面の笑みを浮かべているノアの心境が理解出来ないテティスだったが、「とりあえず屋敷に入ろうか」というノアに、こくこくと頷く。
馬車を下りるときに繋いだ手をそのままに幸せそうに歩くノアの横顔を横目に見ながら、テティスは、これは喜ぶべき!? 何か裏があるのかしら!? と動揺を膨らませて、屋敷へと足を踏み入れた。
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