20話 吐き出す感情
まるで確信めいた問いかけに、テティスは一瞬身体が硬直した。
ノアの声色に恐怖は感じなかったけれど、絶対に逃してやるまいという強い意志だけはしっかりと感じ取れたことが、一番の原因かもしれない。
「行きの馬車のときからテティスの様子がおかしいことには気付いていたが、周りの貴族からの目を怖がっているのかと思っていた。それなら俺が支えれば良いからと思って、敢えて何も言わなかったが──。まさか、ヒルダ嬢のあの言葉と、テティスの様子がおかしかったことに何か関係があるのか?」
「………………」
「テティス、無言は肯定と取るよ」
ノアの指に触れられた唇が熱い。離れていってほしくないと、強く願ってしまう。けれど。
(──もう、やだ…………)
ヒルダのことが好きなのに、こんなことしないでほしい。ヒルダの代わりなんてもう嫌だ。こんなに苦しいのは、もう、嫌だ。
──それならいっそのこと、冷たくされたほうが諦めがつくのに。
「テティス、君に一人で抱え込んでほしくないんだ。俺にとって君は、世界で一番大切な人だから」
だというのに、この期に及んでノアから吐き出される言葉は、テティスを期待させるようなものばかりだ。
──もう無理だ。
そのとき、テティスの中でぐるぐると渦巻いていた我慢や切なさ、醜い感情の枷がガチャンと音を立てて外れた。
テティスは口元にあるノアの手をそっと退けてから、意を決したように口を開いた。
「なんでですか……っ」
「テティス……?」
「世界で一番大切って……なんで、なんでそんな思ってもないこと言うんですか……!! なんでいつも優しくて、私のことなんか大切にしてくれるんですか……!!」
「……そんなの、決まっているだろう」
ギュッと目を瞑る。ヒルダの代わりだと思っているから、大切にしているだけだと言われるのだと、覚悟を決めていたというのに。
「──テティスのことを、愛しているからだよ」
「えっ」
理解が追いつかず目を開けると、隣からぐぐと覗き込んだノアの顔が視界に入る。
その表情は到底冗談を言っているものとは思えず、テティスはごくりと息を呑んでから、掠れた声で問いかけた。
「ノア様は、私のお姉様──ヒルダのことを好いていらっしゃるのではないのですか……?」
「………………!」
突然のことで驚いたのだろう。
数秒ピシャリと固まって、無言だったノアが放った声は、聞いたことがないくらい低いものだった。
「それ、誰かに何か言われたのかい?」
「それは……その……」
「それとも、俺の態度がテティスにそんな考えをさせた? そんなに俺の思い伝わってなかった? この屋敷に来てから、テティスはずっとそんなことを考えながら、過ごしていたのか?」
「…………っ」
責めるというよりは、それは嘆いているように聞こえた。
確かに、テティスだってヒルダから話を聞かされていなければ、ノアの愛情をそのまま受け取っていただろう。
もしくは、自分に自信があれば、ヒルダの言っていたことなど気にもとめなかったのかもしれない。
けれど、テティスは生まれ育った環境のせいで、どうしても楽天的には考えられなかったのだ。
けれど、そんなテティスでも、ノアの顔を見れば分かる。
「酷いことを聞いて、申し訳ありません……申し訳ありません……ノア様っ」
「……ッ、済まないテティス。泣かせるつもりはなかったんだ。ごめんね、泣かないで、泣かないでテティス」
それからノアは、テティスに寄り添うように、ずっと背中を擦ってくれていた。
しばらく泣き止まないテティスに、優しく「大丈夫だから」と何度も声をかけながら。
テティスが落ち着くのには、それから半刻ほどかかった。
このまま休ませたいとは思うものの、流石に有耶無耶にできる話ではないからと、ヒルダの件について洗いざらい話すようにと頼んだ。
そして、テティスから聞かされたヒルダの発言に、ノアは頭を抱えたのだった。
「俺がヒルダ嬢のことをよく見ていて、それでヒルダ嬢は俺に好かれていると思っていると。そのことを聞かされて、この婚約は俺がテティス自身を求めたものではなくて、ヒルダ嬢の代わりにテティスを選んだと思っていたと。そういうことで合っているかい?」
「はい。まさしくそのとおりです」
「ああ、なるほど。だからこの屋敷に来て数日間はテティスにしては濃い化粧に、やたらと大人びたドレスばかりを選んでいたわけだ。ヒルダ嬢に似せたほうが、俺が喜ぶと思ったんだね」
夜会でのヒルダの発言も、ここまでくればノアには理解できたようで、「なるほどね」と呟いている。
察しが良くて助かる。テティスがコクコクと頷くと、ノアはそんなテティスの頭にぽんと手をやった。
「テティスありがとう、きちんと教えてくれて」
「…………っ」
「だが、もう分かっているとは思うけど、俺は君の姉のことを一切好いていないよ。……むしろ、身内の君に言うのはあれだが、かなり嫌っている。もしも俺が無意識に君の姉を見ていたのだとしたら、それは憎悪からだ」
「えっ!?」
好いていないならまだしも、あの才色兼備のヒルダを嫌っているとは予想外だったテティス。
「理由を伺っても?」と恐る恐る尋ねると、ノアはテティスの頭にやっていた手を下ろして彼女の手に絡ませて、口を開いた。
「この世に、好きな人を無能呼ばわりしたり、敢えて傷つけるような人間を好きになる人間なんていないさ」
「…………っ」
「もう一度、きちんと伝えておくね。……俺はテティスが好きだ。テティスが好きだから、妻になってほしくて婚約を申し出た」
「…………っ、なっ、何故私に……」
きょろきょろと目が泳ぐ。もちろん、隣にいるノアを凝視することなんて恥ずかしくて出来るはずもない。
しかし、テティスは両手放しで喜べなかった。
今まで会ったことがないはずなのに、どうして好意を持たれたのか分からなかったからだ。
「その様子だと、やっぱり覚えていない?」
「……はい。もしかして、過去に会っているのですか? 以前、私がいちごのケーキが好きなことも知っていましたし……確か、いちごを最後に食べることまで……」
「ああ。まだ幼かったし、忘れていても不思議はないんだが──」
あれは、約十年前。ヒルダと比べてテティスは無能だということが、貴族たちの間で広がり始めたころだった。




