19話 冷たい筆頭魔術師様
ノアの登場により、ヒルダの取り巻きたちは慌ててテティスへの道を開いた。
テティスを庇うようにして前に立ち、振り返って「一人にして済まない」と謝罪の言葉を口にするノアに、テティスはふるふると頭を振る。
「ヒルダ嬢、なぜ君と君のお友達がテティスを囲んでいたか、説明してもらっても良いかい?」
前に向き直ったノアがそう問いかけると、取り巻きの令嬢たちがやや慌てる中、ヒルダはねっとりとした微笑みを浮かべた。
「少し雑談をしていただけですわ?」
「そうは見えなかったが」
「やだノア様ったら。私は全て分かっていますから、体裁のためにテティスのことを庇わなくとも大丈夫ですのよ?」
「は?」
ズシン……と、低いノアの声。自身に向けられているわけではないというのに、テティスはびっくりして、体をぴくんと弾ませる。
同時に、ヒルダが言っていることの意味が理解できたテティスは、心臓が押し潰されるように痛みを覚えた。
(そうよね……今は私が婚約者だから庇ってくださっているけれど、ノア様の気持ちとしては、お姉様のことを大切にしたいはず……)
しかし、テティスにはノアの背中を押してあげることは出来なかった。
ヒルダにもノアにも互いに婚約者がいる身で変な噂が立つことは良くないと思ったから、というのは建前で、本当は──。
「君が何を言っているか、全く理解できないが」
テティスの思考を切り裂くようにして放たれた、威圧的なノアの言葉。
ヒルダの言葉に揺らいだ感じも、無理をしている感じも一切なく、怒りだけが含まれているようにテティスには感じられた。
「俺の婚約者を傷つける者は、何者であっても許すつもりはない。これからはこのことを念頭に置いておくんだな」
「ノ、ノア様? 何をそこまで──」
「テティス、今日はもう帰ろうか。俺たちの屋敷に」
「っ……はい……!」
大きな手にギュッと手を包み込まれ、テティスとノアは会場から去っていく。
ぽかんと口を開けて、「どうして? 今のは何?」と呆然とするヒルダに、周りの取り巻きたちは何と声をかけるのが正解なのかは、分からなかった。
◇◇◇
「ハァ……眠れない……」
屋敷に戻ってから、ノアと別れたテティスはルルに手伝ってもらって軽く湯浴みを済ませると、夜着に着替えて四肢をベッドへ投げ打った。
早々に夜会から帰ってきたとはいえ、もう夜も遅い。
いつもならばふかふかのベッドに入ればすぐに眠れるというのに、こんなに寝付けないのは、初めて結界魔術が使えた日以来だ。
「あの日は興奮で寝付けなかったけど、今はノア様のことが気になって眠れない……」
夜会でひと悶着あってから、帰りの馬車で、ノアはテティスに一人にしたことを何度も謝罪した。
テティスは謝らないでくださいと何度も伝え、その場は収まったのだが、テティスの心のモヤが晴れることはなかった。
「どうしてノア様は、あそこまでお姉様に冷たく……」
ノアは優しい、立場もある。あの場でテティスを庇うことはまだ理解できたが、それにしたってヒルダに対しての態度に微塵も好意を感じなかった。
むしろ嫌っているように見え、テティスは意味がわからないと頭を抱える。
──コンコン。
枕を抱きかかえ、まるで芋虫のように体を縮こませると、夜も更けているというのに聞こえたノックの音にテティスは飛び起きた。
「はい、どなたでしょう?」
「ノアだ。こんな時間に部屋に来るのは非常識ということは分かっているんだが、少し話せないか……?」
「は、はい! お待ち下さい……!!」
ノアがこんな時間に部屋に訪問してくるなんて、何か問題が起こったに違いない。
テティスは軽く髪の毛を整えると、パタパタと小走りをして、入口の扉を開いた。
「ノア様、どうぞ。今お茶をお入れしますから、座っていてくださいね」
「ああ、突然ごめんね。ありがとう──って、テティス、その恰好……」
「恰好?」
ノアにそう言われたテティスは、自身の服装をじいっと見つめる。
寝るつもりだったのでカチッとしたドレスではなく、生地は薄く、ウエストに絞りもないただの夜着だ。ルルが用意してくれたものなのでシンプルながら可愛らしく、胸元のリボンや所々レース調になっているところがテティスお気に入りである。
(あっ、そもそもノア様をお出迎えするならば、多少お待たせさせてしまっても、着替えるべきだったかしら? お待たせするのはいけないと焦ってしまったわ……)
そう自己完結したテティスは、「ドレスに着替えたほうが良いですよね?」とノアに確認すると、ノアはまだ正装だったので、自身のジャケットをテティスの肩に被せた。
「いや、そんなことしなくても良いが……目に毒だから、これを着ていてくれ」
「は、はあ……」
夜会での疑問が解消されていないからか、頭がよく回っていないテティスはとりあえず頷くと、お茶を入れてからソファに座るノアの隣に腰を下ろした。
「それで、お話とは何でしょうか?」
「ああ、色々考えてみたんだが、やはり分からなくてな。夜会でのヒルダ嬢の発言の意図、テティスには分かるかい?」
「それは──……」
──『私は全て分かっていますから、体裁のためにテティスのことを庇わなくとも大丈夫ですのよ?』
おそらくノアは、ヒルダのこの言葉のことを言っているのだろう。
もちろん、テティスには手に取るように理解できたのだが、どうにも隣に座るノアは本当に理解できていないように見える。
(ノア様って、もしかして鈍感なのかしら? それとも、お姉様のことが好きな気持ちは、もしかして無意識……?)
それなら、ヒルダが言っている意味が分からないことは致し方ないと言えるが、テティス自らがそれを伝えるのは心が抉られるようだ。
──お姉様は、ノア様の秘めた恋心をご存知みたいです。
そう、伝えることは、ノアに恋をしたテティスからすれば、あまりにも辛かったから。
「さぁ。私にも何のことだか」
ぐっと、涙を堪えてそう伝えるテティス。普段よりも幾分か声が低くなり、顔面の筋肉も強ばる。
膝の上に置いた拳にもこれ以上ないくらい力が込められ、口の中に鉄の味がするほど、下唇を噛み締めていると、そんなテティスの口元に伸びてきたのはノアの親指だった。
噛み締めている唇を優しく撫でられ、テティスは驚きと恥ずかしさでハッと口を開けた。
「なっ、何を……!」
「……テティスは、何を隠しているんだ?」
「…………!」




