16話 自意識過剰な姉
「ねーえ、リーチ様。そろそろお仕事は止めて私とお茶しましょうよぉ! することがなくて暇になってしまいましたわ!」
「……。ああ、うん、今終わるから少しだけ待っていて」
「もう! 仕方ありませんわね!」
ここは王宮の一室。リーチ・アノルト──アノルト王国の第二王子であり、ヒルダの婚約者である彼の部屋である。
今日、魔法省への出勤がなかったヒルダは、婚約者だから構わないだろうと、なんの先触れもなくリーチの部屋に入った。そして居座ると、仕事ばかりにかまけている彼に駄々をこねていた。
(せっかく婚約者の私が来てあげてるんだから、仕事なんて直ぐにやめてほしいものだわ。まあ、それを怒らずに、こんなふうに可愛く言えるから、私は凄いのだけれど)
まるで淑女の鑑だわ、と言いたげな瞳を、ようやく向かいの席のソファに腰を下ろしたリーチに向けるヒルダ。
侍女が手早くリーチの分の紅茶と、ヒルダの分のおかわり用の紅茶を準備する中、「そういえば」と口を開いたのはリーチだった。
「かなり前、私が君に一読するよう貸した魔力のコントロールについての本だが、そろそろ読んだかい?」
「いえ? 読んでいませんわ」
「…………。それは何故か聞いても?」
(その本を借りたのは、もう三ヶ月前だったかしら。読んだか聞くの、もう何回目よ。そろそろ察してほしいわ。突き返さないだけ優しいってことにも、気づいていないのね)
半年ほど前から婚約者になったリーチは、ヒルダに魔力のコントロールについて、もしくは魔法の基礎や結界魔術の必要性についてつらつら述べた本を定期的に貸してきた。
会うときは必ず、以前貸した本は読んだか確認され、その度にヒルダの答えは変わらなかった。
(ほんと、リーチ様って、真面目で勤勉といえば聞こえは良いけれど、それを私にも求めてくるのはどうかと思うわ)
元からリーチは勤勉で、ドがつく真面目な人間だ。
将来国を背負う第一王子を支えるのが私の使命、だと思っているようで、公務以外の時間は勉強に割くことが多かったが、いかんせんヒルダには理解ができなかった。
「リーチ様、私は結界魔術師ですのよ? 忙しいのは分かっているでしょう? 私が居なくては現場が困ってしまいますの。ですから、大して為にならない読書をして、体調を崩すわけにはいきませんでしょう?」
「結界魔術師が多忙だというのは分かっている。しかし君は週の半分を休暇に当てているだろう。あと二人の結界魔術師は、月に三日も休みがないと聞くが」
「それは…………」
ヒルダは一瞬言い淀んだが、すぐさま反論を口にした。
「その二人が私より劣るから、仕事が長引くのではないですか? もしくは、私のように優秀な結界魔術師になるために、自ら多くの仕事を引き受けているとか。ほら、凡人でも数をこなせばそれなりになりますでしょう?」
「………………。そうか」
会えば仕事の話。本を読んだかの確認。今日だって、忙しいからしばらく待ってくれと一時間放置された。
酷いときは、「私のところに来るくらいなら結界魔術の練習でもしたほうが有意義ではないか?」と言われたことだってある。
(先触れは出していなかったけれど、私がわざわざ来たのよ? 美しくて優秀な結界魔術師の私が! 結界魔術の練習? 天才の私にそんなもの必要ないに決まってるじゃない。……全く)
リーチが自分よりも勉強を優先することも然り。両親に天才だと言われて育てられてきたヒルダからすれば、リーチの発言自体が理解に苦しかったのだ。
自身のプライドもあることから、社交界ではリーチとは仲睦まじい関係であることを披露しているヒルダだったが、そういうこともあって、ヒルダは今の状況に不満を持っていた。
そもそも、この婚約は王家側からの打診だ。
アノルト王国での結界魔術師の重要さをより民に知らしめるため、というのが一番の理由らしく、その結界魔術師である自身が、何故こんな思いをしなければならないのか。ヒルダの不満はふつふつと湧いてくる。
(私が婚約してあげたんだから、私を一番大切にしなさいよ。天才だって褒め称えなさいよ。勉強? 練習? 努力? そんなの、テティスみたいな無能がすることよ)
しかし第二王子との婚約は捨てがたい。自身の経歴にも傷を付けたくない。
奥歯をぎりと噛んでから、ヒルダはすぐさま麗しい笑みへと切り替えた。
「ねぇリーチ様。一旦仕事の話はよしましょう? せっかく婚約者の私が目の前にいるのですから」
「…………。そうだな」
「そもそも、何故そんなに勉強をなさっているの? 第一王子殿下をお支えしたいというリーチ様の思いは立派だと思いますが、勉強や努力なんて、才能を持ち合わせない哀れな者のすることでしょう? リーチ様は第二王子で私の婚約者なのだから、少しは考えていただきませんと」
「………………。────だった」
「え?」
何かボソボソと呟いたリーチ。
ヒルダが聞き返すと、柔和な笑顔で何でもないと返され、ヒルダはそれならば良いやと気にすることなく、テーブルの上にある紅茶で喉を潤す。
「だが、最後に一つだけ確認したい。最近、ヒルダを出せと、魔法省の入り口まで何度もやって来る平民が居るらしいんだが、君の耳にも届いているか?」
「ええ。けれど心配いりませんわ。おそらく私のことを好く哀れな男性の一人でしょうし」
「………………それなら、良いんだがな」
何か含みのあるリーチに気づかず、ヒルダは「あっ」と何かを思い出したように声を上げた。
「そんなことよりリーチ様、今度の夜会はご一緒できるのですよね?」
「ああ。必ず出席しなければならないからね。おそらく上級貴族の殆どが来ると思うが……」
「と、いうことは、サヴォイド公爵家も当然参加されますよね?」
リーチがコクリと頷けば、ヒルダは「まあっ!」と嬉しそうに笑う。
まさに満面の笑みというに相応しいその表情の奥に、何処かどろどろしたものをリーチは感じたが、それを口にすることはなかった。
「たしかこの夜会は、可能な限り婚約者を同伴するのが決まりでしたでしょう? だから、ノア様の元へ嫁いだテティス──妹と久しぶりに会えるのかと思うと……ふふ、楽しみで」
ヒルダは社交界の花である。というのも、その整った派手な容姿と、貴重な結界魔術師であるからだ。
だが、ヒルダのことを性格の良い女性と見る人間は、貴族の中にはおそらくいないだろう。
「──そう。それは良かったね」
ヒルダは生まれ持った結界魔術師の才能に並々ならぬ自信を持っており、それを持って生まれなかった妹──テティスを馬鹿にすることを隠さないからだ。
殆どの者たちは、ヒルダに合わせてテティスを馬鹿にするが、その内心はそこまで言わなくとも、姉妹なのに、結界魔術師じゃない全ての人を馬鹿にしているのでは? というものだ。
とはいえ、貴族には長いものには巻かれろ精神の者が多いのが実情である。
「ノア様に良くして頂いているか、沢山話を聞かなくっちゃ、ふふ」
「………………」
ヒルダを知らない人からすれば、まるでテティスを心配しているようなこの発言も、リーチからすれば、彼女の性格の悪さが滲み出ている他ならない。
リーチは仕事に戻るため立ち上がると、隠しきれていない厭らしい口角の上がり方をしたヒルダに視線を寄越した。
「……あー、楽しみだわぁ」
まるで悪魔のようだ。そんな思いは胸に秘め、リーチは先程、ヒルダにうっかり言ってしまいそうだった言葉を、脳内で復唱した。
──君との婚約は、失敗だった。




