15話 覚醒する力
「悪いが、話は聞かせてもらったよ、セドリック。森に入る前、お前がバツ悪そうな顔をしているからテティスに対する態度には何か理由があるんだと分かっていたが──もう謝罪が済んだなら良いよな」
(ノア様、なんだかいつもより声が低い……?)
それに威圧的で、空気もピリ付いているように感じる。
しかしテティスからはノアの背中しか見えず、セドリックの姿も高身長のノアによってすっぽり隠れてしまっていて、窺い知ることは出来なかった。
「……あーごめんって、ノア。そんなに怒んないでよ」
「………………」
「……ハァ。パッとしないって言っても怒るし、褒めようとしても怒るし、面倒くさい男」
セドリックはそう吐き捨てると、上半身を右に逸らして顔をひょっこりと出すと、テティスに向かってニヤリと笑って見せる。
「テティス、あんまり僕と話してるとノアはヤキモチ焼いて機嫌悪くなっちゃうみたい。機嫌取ってあげてよ、婚約者のあんたの仕事でしょ?」
「っ、おい、セドリック……!」
その瞬間、セドリックは瞬く間に自身を包み込むように結界を発動させる。
避難完了と言わんばかりに口角を上げ、ノアに対してべっと舌を出したセドリックを視界に収めたテティスは、くるりと振り返ったノアの顔に直ぐ様視線を移した。
「テティス、済まない。ヤキモチは焼いたが、機嫌は悪くないから安心してくれ」
「…………っ」
──いや、ヤキモチ焼いたことは素直に言うんかい。
セドリックは内心そんなふうに思ったものの、待ち合わせ場所に来た瞬間から、ノアがテティスのことを溺愛していることは分かっていたので、おかしな話じゃないかと自身を納得させる。
そんな中、テティスはあまりに素直すぎるノアに対して、なんと答えたら良いのか分からず困り果てていた。
(な、何て返すのが正解!? ノア様可愛い〜とか? いや違う!! じゃあセドリック様とは何もありません、とか? いやそれ、なんかわざわざ言うと厭らしいところがあるみたいな……あああ、どうしましょう……!)
ヒルダのことが頭にちらついて切ない気持ちにならないわけではなかったけれど、あまり考えないようにすると決めたからか、テティスの表情に影はない。
その代わりに、ノアの真っ直ぐな言葉へのうまい返答が見当たらず挙動不審な態度で「えっと!?」「あの!?」「あら!?」なんて素っ頓狂な声を上げると、ノアがテティスの頭にぽんと手をやった。
ゴツゴツとした男らしい手でよしよしと頭を撫でられ、テティスは突然のことに息が止まりそうになる。
「本当に機嫌は悪くないよ。それと、セドリックからきちんと謝ってもらえて、良かった。まあ、謝らなかったら後であの髪の毛を燃やしてしまおうかと本気で考えていたんだが」
ノアの発言に、結界の中という安全圏にいるセドリックは「冗談に聞こえないんだけど」とボヤく。
一方で、テティスは自身の両手同士を擦り合わせながら、おずおずと口を開いた。
「申し訳ありません……機嫌が悪いのかもと疑って、変な態度を取っていたんじゃないです」
「……? 理由を聞いても?」
(代わりは務まらないと言われるまでは、私が彼の婚約者だもの! ノア様には、私の素直な気持ちをお伝えしたい)
柔らかな菫色の髪を撫でながら平然としているノアだったが、次の瞬間、まるで氷漬けにされたかのように動きを止めた。
「ノア様にやきもちを焼いてもらえたのが、嬉しくて、言葉が出なかったのです」
「…………!!」
やきもちを焼くというのには、その原因はいくつか種類があるだろう。
しかし、今回の場合は、状況的に考えればその意味を知るには容易い。
それの相手がノアなのだから、嬉しいのはなおさらだった。
「ノア様? いかがされました? ハッ! もしや怪我でも!? それか魔力の使い過ぎで気分が悪いのですか!? いやいや、ノア様ほどの方がそんなはずは……」
固まるノアに、テティスはあわあわと慌て出し、そんな二人の様子にセドリックは堪えきれずにぷっと笑ってしまう。
その破裂音がノアの耳に届いたのだろう。ノアは鋭い眼光でセドリックに一瞥をくれてから、テティスの頭にあった手を引っ込めて、自身の口を隠すように翳した。
「……あまりに可愛いことを言うから、固まってしまっただけだよ。……今日のテティスは積極的で、少し困る」
「困る!? 困らせて申し訳ありません……!! 私ったらなんてことを!!」
「いや、俺自身の問題だからテティスは悪くない。やめないでくれ、頼むから」
「そ、そうですか?」
懇願するように頼むことそれ即ち、テティスの素直な気持ちをこれからも聞きたいということだ。
(貴方にとって私がお姉様の代わりであっても、私は凄く嬉しい……)
今度はテティスが頬を真っ赤に染めて、体を強張らせる番だった。
そんな二人の様子を結界の中からじいっと見ていたセドリックは、軽く息を吐いてからぶっきらぼうな声色で声をかけた。
「ねぇ、そろそろその甘ったるい雰囲気終わってくれる?」
「!? セドリック様申し訳ありません……!」
「これは全てはセドリックが──いや、テティスの可愛いところを見れたからまあ良い。お前こそさっさと結界を解除しろ」
「誰のせいだと思って」
髪の毛を燃やされるかと思って結界を張っていたのだが、テティスのお陰でノアの機嫌が頗る良いので、もう大丈夫だろう。
セドリックは結界を解くと二人の近くまで歩いていく。ノアにこの場を任せるとテティスに甘い言葉ばかりを吐きそうなので、「それにしても」と話題を切り替えた。
「惜しいよね。テティスがヒルダ嬢くらい魔力があれば、優秀な結界魔術師になれたかもしれないのに。血筋としては素質を持ってる可能性はあるし、何より勤勉で努力家だし」
「そうだな。まあテティスの凄さについてはお前より先に俺が気づいていたんだが」
「マウント取らないでよ、ちっさいな」
「は?」
また口論を始めそうなノアとセドリックだったが、テティスは急いで二人の間に割って入ると、それを諫める。……しかし。
(ああだめ、そんなに褒められたら、顔がニヤけちゃう……!)
締まりの無い顔になってしまって、それを我慢しようとすると顔がぷるぷると震えてしまう。
そんなテティスの様子を察したノアは「可愛い」と言いながらふわふわと花を飛ばし、セドリックは「はいはい」と呆れたようにため息をついた。
(けど本当に、もっと魔力があれば……)
セドリックに言われた言葉が、テティスの脳内で復唱される。
もしも魔力が多ければ、もしも結界魔術が使えれば──。
(ノア様に、お姉様の代わりとしてではなく、少しは私自身を見てもらえるかもしれないのに)
贅沢な願いだということは分かっていても、テティスはそう願ってしまう。
すると、その瞬間だった。
「テティス、君のブレスレットが……」
「えっ……なに、これ……」
ノアに指摘されたのは、自身の手首に嵌められたブレスレットの、見たことがないほどの眩い光だ。
「……まさか、魔力が膨れ上がっているのか?」
「それ、魔力量を測るブレスレットだよね? その光り方は……もしかして後天的な魔力増加なんじゃ──」
ノアとセドリックの戸惑いの声はしっかりテティスの耳に届いていた。
しかしテティスには、気の利いたことを返す余裕はなかった。
ブレスレットの眩いほどの光と、自身の中で感じたことがないほどの魔力が湧き上がる感覚を感じる。
祈るように自身の手に魔力を留め、そしてそれを薄く引き伸ばすことに意識を集中させていたからである。
(この感じ……もしかしたら、私にも……!)
そして、そのときは訪れた。
「で、きた……?」
テティス、ノア、セドリックの三人を囲うほどの結界がテティスによって作り出されたその瞬間、その場にいるテティス以外の二人は言葉を無くして、ただただ瞠目したのだった。




