14話 八つ当りと謝罪
結界魔術師と比べ、通常の魔術師は、それなりの魔力を持っていれば誰でもなれる可能性はある。
だからアノルト王国において魔術師というのはそれ程珍しい存在ではなかったが、筆頭魔術師ともなれば話は別だった。
一年前の小国で行われた戦争では、その筆頭魔術師一人の力によって、アノルト王国は無傷で勝利を勝ち取ったのだ。
ノア・サヴォイドは、小国ならば一人で壊滅させられるほどの力を持つ、歴代でも最強と言われる魔術師なのである。
「セドリック、この数なら周りに被害を及ぼすことはないと思うが、念のために俺の周辺に結界を張っておいてくれ。テティス、君はセドリックから離れないようにね」
「はいはい。あんたはこっちね」
「は、はい!! ノア様、頑張ってください……!」
セドリックにぐいと手を取られ、テティスとセドリックはノアと五十メートルほど距離を取る。
そこでセドリックは自身の手の周りに魔力を留めると、今度は薄く薄く引き伸ばしていく。それはノアを中心にして約半径五十メートルの大きさにまで広がっていった。
つまり、魔物とノアを結界内に閉じ込めた形になる。
アノルト王国ではさほど強力な魔物が出現しないことと、ノアの場合は圧倒的な魔法の威力は周りにも被害が及ぶ可能性があるため、結界はこのように使われることが多かった。
「ノア! 範囲が狭い分、強度がある結界だから、それなりの魔法使っても良いよ!」
「ああ、助かる」
ヒルダ以外の結界魔術師を間近に見たことがなかったテティスは、セドリックのその姿を食い入るように見つめる。
ノアを中心に出来た結界は、素人目に見てもかなり質が高いものだ。魔力にむらがなく、結界に綻びがない。
(お姉様の結界と、全然違うわ……)
まるでテティスへ見せつけるように、ヒルダは必要がないときでも何度もテティスの前で結界を披露したことがある。
結界魔術自体が使えないテティスからしてみれば、使えるだけでヒルダのことは凄いと思っていたのだが、セドリックの結界魔術を見ると、その考えが変わってしまいそうだ。
「──ノア様の属性は確か、火と水。その二つの属性に対してより強化する術式を結界に加えているのに、結界が驚くほどに均一……。強度も高くて、あのノア様の魔法を完全に受けきれている。凄い……セドリック様、なんて凄いの……」
無意識なのだろうか。目をキラキラさせながら、ぶつぶつと結界魔術について語り、セドリックに対して称賛を送る斜め後ろのテティスに、セドリックは一瞬瞠目してから「あのさ」と声をかけた。
「申し訳ありません……! たまに口が止まらなくなるときがありまして……! 結界を張るには集中力が大事ですものね!? 集中力が切れて結界が乱れてしまっては大変……! 私、黙っております……!!」
「いや、そうじゃなくて」
「別にこの程度の規模の結界なら、話すくらいなら問題ない」と続けたセドリックは、気まずそうに横目でテティスを見た。
「あんた、結界魔術について詳しいんだね」
「はい! 笑われてしまうかもしれませんが、昔から結界魔術師になるのが夢で、魔法や結界魔術についての本は殆ど読み終えましたので、知識だけはあります!」
今までならば、こんなふうに自身の夢を、そして努力を堂々と語ることなんてなかっただろう。
けれど、テティスには、つい先日大きな変化があったから。
(あのときノア様が凄いって褒めてくださったから、私は自分が夢を持つことを、誇りに思えるようになった)
真っ直ぐな瞳を向けてくるテティスに、セドリックは結界魔術を発動し続けながら、ポツリと呟いた。
「……さっきは、ごめん」
「えっ? もしや、足でまといだと言ったことに関して謝ってますか……?」
「そうだよ! それ以外に何があるのさ」
察してよね! とバツ悪そうに言ってくるセドリックに、テティスは口をあんぐりと開けてしまう。
言い方はともあれ、セドリックの言っていることは間違っていなかったし、今まで数多く貶されてきたテティスは、こんなふうに謝られることなんて殆ど経験がなかったから。
「い、いえ! そんな、謝らないでくださいませ! 私は何も気にしておりませんから!」
「それじゃ僕の気がすまないから謝ってるの。分かる? で、許すの? 許さないの?」
「え、ええ!! もちろん許しますとも!! ありがとうございますセドリック様!」
「何に対する感謝?」
ノアの戦闘がもうそろそろ終わりそうな様子も視界に収めつつ、セドリックは「なんか変な女だね、あんた」とクツクツと喉を鳴らす。
「謝罪ついでに、言い訳をさせてくれない?」
「は、はい。どうぞ」
「実は昨日、あんたの姉──ヒルダ嬢と僕で、魔物が現れたっていう報告を受けた洞窟に結界を張りに行ったんだけど……」
その洞窟は、とある集落に程近い場所にあった。
魔物の強さや数などの詳細もなく、念のためにということでヒルダとセドリックの二人が、結界魔術師として招集されたのだが。
「結界魔術師ってさ、同じ任務を受け持つことってあまりないんだよね。今みたいに魔物と魔術師を囲うにしたって、守るべき人や建物を囲うにしたって、それ程大事じゃなければ一人で行うし。だから、ヒルダ嬢の社交界での華やかな噂とか第二王子殿下が婚約者ってことは知ってたけど、彼女の人となりとか結界魔術の実力については一切知らなくてさ」
同じ魔法省に勤めていても、互いに多忙ということも重なって、まともに会話したのが昨日が初めてだったと語るセドリック。
いくらずけずけ物を言うセドリックとはいえ、ほぼ初対面で、これから任務を共にする相手とは意思疎通が図れるよう、適当に雑談をと付き合ったらしいのだが。
「僕びっくりしたよ。天才だとか、選ばれた人間だとか、自分のことをそこまで褒め称える奴がいるなんて。自分で言うのも何だけど、僕も彼女も結界魔術師になれたのは、そもそもその血筋に生まれたからなのに」
テティスとヒルダの生家、アルデンツィ家。
セドリックの生家、レインバーグ家。
そしてもう一人の結界魔術師、ネム・トルダンの生家、トルダン家。
この三つの家系が、代々結界魔術師を輩出してきた名家と言われている。もちろん、ときにはテティスのように殆ど魔力を持たなかったり、魔力があっても結界魔術師の素質がないものも産まれるのだが。
「その割に、ヒルダ嬢の結界魔術のお粗末さと言ったら──しばらく、呆れて開いた口が塞がらなかったよ。あれは才能にかまけて一切修行や勉強をしていないね。正直、ああいう口だけのやつが僕は大嫌いだ。結局、彼女の結界では役に立たない局面も多くて、僕に負担がかかることも多かったからなおさらね。しかも、一言も謝らないんだよ、あの女。というか、結界魔術師として半人前の実力だって自覚してないって感じ」
それでも、誰もヒルダに苦言を呈することはなかった。
第二王子の婚約者で、希少な結界魔術師のヒルダに、わざわざ嫌われに行くものはいないからだ。
セドリックに関しては、余りに呆れてものも言えなかっただけだが。
「………………」
セドリックの発言に、テティスは申し訳無さそうに眉尻を下げる。
──セドリックの予想は当たっていた。
ヒルダは生まれ持った才能にかまけて、それを伸ばす努力は一切していなかったことは、近くで彼女を見てきたテティスが一番知っている。
セドリックの結界魔術と比べるとそれは歴然で、おそらくヒルダは全力を出しても、今のセドリックの結界の半分程度の精度の結界しか出せないだろう。
(お父様とお母様は、お姉様を褒めて甘やかすだけで、もっと精進するよう言わなかったし…………お姉様は自分と私を比べて常に自信満々だったから)
だから、自信過剰を自覚できないような人間になってしまったのかもしれない。テティスが知らないだけで、セドリックや周りの魔術師に迷惑をかけていたことが、今までにもあったのかもしれない。
そう思うと、テティスは何だか自分のことのように申し訳なく思えてきた。
「申し訳ありません……姉がご迷惑をおかけして……」
「何であんたが謝るのさ! むしろ謝るのは僕の方なんだって。言ったでしょ? 言い訳させてって。……僕は、ヒルダ嬢に腹を立てていたから、妹のあんたに八つ当りしたんだ。あんたは何も悪くないよ。……もう一度言うけど、あんたはあの女とは違う。傲慢でも自意識過剰でもなければ、夢のために努力してるっていうのが、さっきの会話だけでも分かる。魔力があろうがなかろうが、努力する人間が貶されるなんてあっちゃいけない。……だから、姉妹ってだけで八つ当たりして酷いことを言って、本当にごめん」
いつの間にやらノアは戦闘を終えたのか、セドリックも結界を解いていて、彼はテティスに向き合うと、深く腰を折った。
「分かりましたから! もう十分ですから!! 許しました! そう! もう許しましたから! 頭を上げてくださいセドリック様!」
「……ふふ、謝られる側が焦んないでよ。変な女だね、テティスって」
「……! 今、名前を……」
(ずっと、あんたって呼んでいたのに……)
これは、セドリックなりの歩み寄りなのかもしれない。
正直なところ、憧れの結界魔術師であり、ノアとも長い付き合いのセドリックと気まずいのはどうにかしたかったテティスは、なんだか嬉しくてふんわりと微笑む。
「テティスって、笑うと意外と──」
しかし、何か言いかけたセドリックの言葉の続きは、テティスの耳に届くことはなかった。
「──セドリック。もう話は終わっただろ。さっさとテティスから離れろ」
「ノア様……!」
戦闘を終えたノアが、二人の間に割って入り、セドリックのことを氷のような目で見下ろしていたからである。




