12話 いざ、魔物の森の調査へ
誤字脱字報告ありがとうございます……!
サヴォイド邸にやって来てから、早二十日。
今日の午後は、以前ノアから帯同を許された魔物の森の調査に出向く予定になっている。
──コンコン。
「テティス、準備は出来たかい?」
「ノア様! はい、準備万端です!」
魔術師専用のローブを身に纏い、自室に訪れてくれたノアに、テティスもノアが用意してくれたローブを羽織り、軽く頭を下げる。
ノアが用意してくれたローブは、どうやら彼のお古らしい。
というのも、決してノアが新品のローブを準備するのを渋ったのではなく、魔法省から支給されるローブがこの国では一番頑丈に作られているからである。
通常、魔法省に勤める者しかこのローブは着られないのだが、今回はごく少人数での調査であることと、テティスのいざというときの身の安全を考慮して、筆頭魔術師になりたての頃に着ていたものを用意してくれたのだ。
「ノア様、着てから言うのもなんですが、本当にお借りしてもよろしいんですか? 私、結界魔術師でも、魔術師でもないですし……」
「構わないよ。テティスの安全の確保が一番大切だからね。それにしても……自分が着ていたものを君が着ていると思うと……クるな……」
「来る? 何が来ます?」
噛み合わない会話をしていると、執事のヴァンサンがノックをして部屋に入ってくる。
「馬の準備が整いました」との報告を受けたテティスとノアは、一瞬互いに顔を見合ってから、部屋の外に出たのだった。
乗馬の経験がないと事前に伝えてあったため、テティスはノアの前に座って相乗りさせてもらうこととなっていた。
馬に対して横座りになると、手綱を掴むノアの腕に包み込まれたような体勢になり、一瞬胸がドキリとする。
「テティス、危ないからもう少し俺にもたれ掛かって。出来ればもう少ししがみつくというか、抱きついてもらえると尚安定して有り難いんだが、良いか?」
「は、はい! では失礼しますね……!」
ここで変に遠慮して落馬するほうが、後々ノアに迷惑をかけてしまうことは想像に容易かった。
テティスはガバっとノアの上半身にしがみつくと、ピタリと体を密着させる。
慣れない乗馬での恐怖もあってか、自身の想定以上に抱きつかれたノアは、表情には出さなかったがドクドクと心臓が音を立てた。
その音は彼の上半身にしがみつくテティスの耳にも届いていたけれど、テティスがそれを指摘することはなかった。
(ノア様……私のことをお姉様として接してくださってるから、こんなに密着したら、そりゃあ緊張もするわよね……それに、私も……)
自身の心臓の音はノアに聞こえていないだろうか。不安になり、少し距離を取ろうとするが、そんなテティスにノアは「離れちゃだめだよ」と優しく制してくるので、身動きは取れなかった。
(こんなときお姉様なら、きっと自分の心臓の高鳴りが聞こえていないか心配せずに、ノア様に甘えて、楽しく会話をするのでしょうね)
馬に揺られながら、暫く会っていない姉──ヒルダのことを思い出したテティスは、それなら実践しようかと一瞬思うものの、それは叶わなかった。
(何故かノア様と二人きりのお茶会が終わってから、お姉様に似せることが出来なくなって──ううん、やりたくないって、思ってしまったのよね……)
テティスは不遇な人生を送ってきたため、たとえヒルダの代わりとしてでも大切にしてくれるノアに恩を感じていた。
だから、せめて彼の心の傷を癒そうと、お茶会の後もときおり言動をヒルダに似せてみたりもした。けれど。
(その度に胸が苦しくなるんだもの。ただの胸焼けならば、良かったのに……)
──胸が苦しくなる原因に、テティスは気付いていない。
気付いていないから対処のしようもなく、ノアが優しく話しかけてくれる度に、気遣ってくれる度に、原因である『とある感情』はどんどん膨れ上がっていくことも、また無自覚だった。
(……なんにせよ、ノア様はお姉様のことが好き! それが事実で、私はそんなノア様の心を、お慰めするだけ)
テティスは、そうやって自身の心に反芻させる。
「テティス? さっきから黙ってどうかした? 怖い?」
とはいえ、今だって、ヒルダに寄せる努力をせずとも、ノアは労りの言葉をかけてくれる。それなら、ノア自らが望むまでは自分のままでいよう。
テティスはそう胸に刻んで、小さく口を開いた。
「いえ、ご心配ありがとうございます。大丈夫です」
「そう? 絶対無理はしないようにね」
ノアの言葉に小さく首を縦に振ったテティスは、しがみついた体勢のまま、ほんの少しだけ彼の背中あたりのローブをギュッと握り締めた。
(もう集中よ。しゅ、う、ちゅ、う! こんな機会滅多にないんだもの。しっかりしなさい私!)
魔物の森に到着するまで、後三十分程度。
弾むように揺れる馬上でそう誓ったものの、「仕事中なのにこんなに幸せで満たされているのは初めてだ」だなんて言ってくるノアの言葉に、テティスは頬を赤らませ「ありがとうございます?」と返すのが精一杯だった。
その瞬間、ノアの背後に回されたテティスの手首に嵌められているブレスレットが、今までよりも強く輝いていることに、テティスもノアも気が付かなかった。




