第9話
翌日は土曜で、学校は休み。昼間で寝て過ごしても良いし、マンガを読んでグダグダ過ごしても良い。
「今日も張り切って行こうー」
例により窓から侵入してきた瞳さんは、ベッドの上で寝転んでいた俺を真上から見下ろしてきた。
今日の服装は紺のスーツにパンツ姿で、髪を後ろに束ねている。こうしていると普通にOLで、ただスーツは例によりボディラインにフィット。自然と俺の気も迷う。
本当、こればかりは許して欲しい。
「今日は営業回りですか?」
「そんなところ。スーツ持ってる?」
「いえ」
ジャケットならあるが、高校生にスーツはさすがに必要ない。また大抵の行事やイベントは学生服で事足りるため、余計に縁遠い存在だ。
「高校生なら、そんなものか。だったら、ジャージで良いよ」
「はぁ」
一転、作業着的な要請。とはいえ彼女の言う事成す事に疑問を挟んでいては始まらないので、大人しくジャージに着替える。
もう見られてるとか凝視されてるなんて事を気にしても負け。何が負けかは知らないし、鼻先で笑われるのもご愛敬だ。
今日もナスが自宅前に鎮座し、俺はそれへ乗り込む宙を舞う。どうしてか分からないが、世の無常なんて考えが一瞬脳裏をよぎった。
そんなナスに乗る事しばし、瞳さんが到着したと告げドアを開ける。
「うわっ」
目が眩むような眩い光。思わずひれ伏したくなる程の神々しさで、何故か涙が出そうになってきた。
「汚れてるね、君は」
「何がです」
「天国に来てそんな有様ではって意味」
雲のような地面とどこまでも高い空。羽の生えた美男美女がそんな空を優雅に舞い、細かな光が散華している。
地獄同様、天国も結構一般的なイメージ通りなんだな。
「私は偉い人に挨拶してくるから、流君は掃除をお願い」
「天国に掃除なんて必要あるんですか?」
「アイドルだってトイレに行くでしょ。つまりはそういう事」
俺の鼻を軽く指で弾き、瞳さんは大きな門をくぐった。そして俺はといえば、いつの間にかホウキとちりとりを手にしていると来たものだ。
取りあえず門の回りをホウキで掃いていると、ケタケタした笑い声が聞こえてきた。
「にいちゃん、何をしとるんや」
俺に声を掛けてきたのは例の子鬼で、その頭を命様が撫でている。
「良く分からんけど、掃除を仰せつかりました。自分こそ、何してるんです」
「天国と地獄は表裏一体。こっちに来る用事もあるってこっちゃ」
「パフェが食べたいと言うのでな」
そう言って命様は、改めて子鬼の頭を撫でた。
子鬼は見た目だけなら子供だが、結構な年齢らしいので何ともコメントがしづらいな。
「にいちゃんもパフェ食べるか、パフェ。まさに昇天するような極上の味やで」
だから、そう言うあの世ジョークは良いんだよ。
「俺は掃除があるので」
「案外真面目やな。命ちん、行くで」
「ああ。まあ、励む事だ」
「はい」
大きな門をくぐる2人を見送り、俺は掃除に戻る。
どうして掃除をしているのかとか、これに何の意味があるかとか。疑問を抱き始めればきりがない。
何よりそれを言い出せば、どうして俺は天国にいるのかという話になってくる。
掃いても掃いてもゴミらしいゴミは出ず、さすがに天国だな感心をする。もしここに子鬼がいたら、「お前自身がゴミなんやっ」くらいは言ってきそうだが。
それでも掃除するように言われたからには、その通りにホウキで門の回りを掃いていく。俺を気に留めてる人は誰もおらず、たまに挨拶をされるくらい。
そもそもゴミがないので掃除をする理由が無いし、何もしなくとも咎められはしないだろう。
ただやれと言われたのだから、その通りに従うだけ。意味は俺が気付いていないだけで、今はそれを考える時ではない。
「お待たせ。掃除は順調?」
ようやく戻ってきた瞳さんは軽く俺の肩に触れ、何も入ってないちりとりに視線を向けた。
「結構溜まってるね」
「何も落ちてませんよ。それこそ、チリ1つ」
「それはどうかな」
俺の頬を指で押す瞳さん。それに促されて顔を動かすと、ちりとりに小さな山が出来ていた。
「……なんですか、これ」
「君の善意だよ」
「はぁ」
良く分かったような分からないような話。つまりは全然分かってない。
「誰も見ていなくても、何も言われなくても掃除をする。それって結構立派な事だと思わない?」
「そうでしょうか」
「神様はどこにいるか。心の中にいる、なんて問答もあるしね」
やはり良く分かったような、分からないような答え。それでも無理矢理推測するなら、人知れずに善行を積んだという事か。
「つまり、いつでもどこでも見られてるって事」
「はぁ」
「鍵を掛けてこっそりベッドの下から取り出したって、そんな事は全部見られてるんだよ」
そういう、今後に支障が出るような発言は止めて頂きたい。
「仕事も終わったし、パフェでも食べに行く?」
「命様達もさっき、パフェを食べに行くって言ってましたよ」
「案外暇だな、あの人は。まあ、神様が忙しいよりは良いけど」
そう言って笑う瞳さん。
確かに神様が右往左往するともなれば、尋常ならざる事態が起きているはず。それならのんきにパフェを食べてもらっていた方が、こちらとしても安心出来る。
「地獄も行ったし天国にも来たし、波瀾万丈な人生を送ってるね」
「俺は平々凡々たる日々を過ごしたいんですか」
「本当、とかくこの世はままらない」
しみじみとした呟き。いつもの冗談めいた表情は影を潜め、しかし俺の視線に気付くとすぐに破顔して背中を叩いてきた。
「大丈夫。その内良い事あるよ」
やっぱり今は、不幸前提なのか。