第3話
河原と川に、少し薄暗い空。そんな場所で、青白い顔の亡者とマンガで見かけるような鬼が行き来している。つまりはここが、地獄の一丁目という奴か。
ただ殺伐さや荒涼した感じは無く、近所の川原に夕暮れへ訪れたくらいの光景。
少し違和感を覚えるのは信号とゲートがあり、鬼が警備員みたいに蛍光色の誘導棒を振る舞っている事。彼らはたまに笛を吹いたり声を掛けたりして、亡者を三途の川へと誘導している。
ただ亡者といっても、見た目や服装は普通の人と全く同じ。顔色が悪くて全体的に色褪せて見え、足元がかすれ気味なだけで。
「ようきたな、われ」
胸元の当たりから聞こえる、インチキな関西弁。
視線を下げると、虎柄の布を斜め掛けにした子鬼が俺を見上げていた。見た目は小学校高学年くらいの少女で、ただ頭には可愛らしい角が二本生えている。
「きりきりと働きや」
「いや。俺、こういう所来るの初めてなので」
「構へん、構へん。その辺ふらふらしとる亡者を、川の方へ誘導するだけや。棒と笛貸したるさかい」
蛍光色の誘導棒と笛を渡され、それを俺も装備。よく分からないが、取りあえず言われた事をやってみる。
子鬼が言うには、お彼岸はあくまでも先祖供養の行事。ただ普段より多めの亡者が三途の川に来るので、彼らを誘導するのが主な仕事らしい。
「亡者にあんまり触ったらあかんで。間違って、向こうに連れてかれたら困るからな」
「あの、向こうって彼岸ですよね。つまりは、あの世ですよね」
「そうデス」
突然英語訛りでのあの世ジョーク。でもって川原へ転がって馬鹿笑い。
この子鬼、パンツ丸出しだな。しかも虎柄か。
「……エロい目してるな、われ」
のそりと起きあがり、俺の頭を掴んでくる子鬼。
小さいのにどうしてか。腕だけは、シャベルカーのようなサイズになってるからだ。
「三途の川で煩悩全開とは、良い度胸やないか。一旦沈んでみるか?」
「い、いや。俺、まだ生きてるから。たっだらむしろ、煩悩全開じゃないと困るだろ」
「全く、最近の若造ときたら。熟女萌えとは世も末やな」
子鬼はため息混じりに俺を解放し、「嘆かわしいわー」と呟いた。
見た目はどうみても少女だが、この口ぶりだと齢数百年と言ったところか。まあ、それはそれで逆にありだが。
しかし首をもがれては困るので、その後は大人しく亡者整理に勤しむ。
幸か不幸か、亡くなった身内の姿を見る事は無し。彼らはとっくの昔に、向こう側へ渡っていったようだ。
「やっぱりお盆は混みますか?」
「そうでもないな。臨時便でどんどん往復するから、全部素通りや」
「へぇ。……やっぱりこの向こうには、テンプレな地獄があったりします?」
「あるんやろか、無いんやろか。それは、死んでみてからのお楽しみや」
口元に両拳を添え、愛らしく笑う子鬼。だから、あの世ジョークはいらないんだよ。
その後もしっかり亡者整理をして、くたくたになった頃に子鬼が笑顔で声を掛けてきた。
「よーし、作業終了や。あんちゃん、お疲れ」
「いえ。こちらこそ、お疲れ様でした」
「汗かいたやろ。ちょっと泳いでくか」
笑顔で三途の川を指差す子鬼。
相変わらず、あの世ジョーク全開だな。
「いえ、結構です。それより俺、帰れるんですか。まさか、死ぬまでここで働くってオチじゃないでしょうね」
「心配せんでええで。ちゃんと家まで送ったるさかい」
「助かります」
「死んだらここへ来るんやし、無理して帰らんでも良いと思うけどな」
本当、真顔で言うのは止めて欲しい。
結局さっきと同じ順序を辿り、自室へ到着する。つまり俺を連れて行ったのはこの子鬼なんだと、今更気付いた。
「案外こざっぱりした部屋やな。もっとエロ本とかエロゲーが溢れとるかと思ったわ」
「いや。俺、ごく普通の高校生なので」
「高校生なんて、エロい盛りやろ。箸を見てもフォークを見ても、エロい事しか想像しないんちゃうか」
この人、高校生にどんな偏見を抱いてるんだ。
大体箸とエロって、どうやって結びつけるんだよ。まあ、やってやれない事はないが。
「また何かあったら、頼むさかいな」
「はぁ。俺、いつまでこういう事をやらされるんでしょうか」
「迂闊に判子押したらあかんって、昔から良く言うやろ。ここは人生経験と思って、諦めるんやな」
どこまでも関西のノリだな、この人は。
「それじゃ、あんじょうやりや」
「あ、はい。ありがとうございました」
「今度来る時は六文銭持ってくるんやで」
あんたが言うと、洒落にならないんだって。
ベッドの上で気を抜いていると、すぐに睡魔が襲ってきた。
……まさか、こいつは具現化したりしないよな。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「それ、阿弥陀仏に全てを委ねるって意味だよ。そこまで委ねて、本当に大丈夫?」
「ひっ」
目を開けると、乾さんが俺の真横に横たわっていた。
さっきの子鬼以上に鬼みたいな人だけど、この体とこの匂いは癒される。ここまで追い込まれてもこんな気持ちになるなんて、色々駄目になってきてるのかな。
「さっき働いた分は、ポイントに加算しておいたから。これ、ポイントカードね」
「ポイント? それが100万点になるまで、俺は逃げられないんですか?」
「違う違う。ポイントは、昼間のジュースやフィギュアと同じ。分かりやすく言えば、幸運をためていくような物。ジュースは100ポイントとか、その程度ね」
ジュースで100ポイントだと、レートとしては日本円とほぼ同等。多分その辺は、こちらの事情も考えて設定されてるんだろう。
「そのポイントは、上限があるんですか?」
「無いけど1億ポイント貯めようと思ったら、それ相応の対価が必要になるわね」
「デメリットはあるんですか?」
「無いけど、使いどころを間違えれば嫉妬や反感は買うわよ」
これは当然の話。出る杭は打たれると言うし、結局ジュースや景品くらいでこまめに使うのが良さそうだ。
ただ、一番肝心な質問を聞いていなかった。
「俺は、いつ解放されるんですか」
「さっき言ったように、繁忙期だけ手伝ってくれれば良いから。取りあえず、寝ようか」
「え」
「お休み」
リモコンで電気が消され、彼女の腕が俺の体に掛かってくる。
何かの冗談かと思ったが、すぐに寝息が聞こえてきた。どれだけ寝付きが良いんだよと心の中で突っ込み、そっと腕を戻してベッドから降りる。そしてタオルケットを彼女の体に掛け、俺は床へ寝転がる。
広いベッドではないし、横で寝るなど絶対無理。自制心という意味ではなく、緊張に耐えられないからだ。
それでも同じ部屋にいるというだけで、やはり寝付きは悪い。何となく彼女の様子を窺うと、口を開けて気持ちよさそうに寝入っていた。結局俺はそういう対象に見られていないのと、何もされないだけの術があるんだろう。
ただ世の中には優秀で有能な人間はいくらでもいるのに、何故俺に声を掛けたのか。この様子だと、単なる気まぐれ。どうにでも出来る子供をからかっているだけに思えてくる。
俺でなければならない、特別な理由。
そんな物は俺自身にすら思い付かず、だとすれば彼女にその理由があるのだろうか。とにかうこんな経験を出来るだけで、正直言えばラッキー。俺は、それだけで十分だ。
目が覚めると、柔らかい感触。そして目の前が良い匂い。言葉としてはおかしいが、実際良い匂いだから仕方ない。
「あれ」
どう考えても、体を抱きすくめられている。それも床ではなく、ベッドの上で。
「……おはよう」
頭の上から聞こえる、甘ったるいささやき。もぞりと顔を動かすと、乾さんが半開きの目で俺を見つめていた。
「せっかくベッドがあるんだから、ここで寝ればいいじゃない」
「いや。俺も男なので、それは色々と問題が」
「そう。でも私は、寝る時抱き枕が欲しいタイプなのよね」
俺の話を聞く気はゼロ。ただ、彼女がそう言うのならば仕方ない。俺は違うんだけど、仕方ない。
「今度から、枕持ってこようかな」
現実は、フィクションより厳しいようだ。
時計を見ると、いつもの起床時間。さすがにベッドから降り、学校へ行く準備を始める。
「あの。乾さんは、帰らなくて良いんですか?」
「瞳って呼んで」
「……瞳さんは、帰らないんですか」
「通うのも面倒だし、今日はここにいる。大丈夫、ベッドのマットの下は見ないから」
いや。もう見た後の台詞でしょ、それは。
こういう同居設定ってマンガやアニメでは良くあるけど、いざ自分の身に降りかかってくると結構きつい。自分のペースが保てないし、プライバシーはなくなるし。やりたい事も出来ないし。
本当、出来ないし。
「……着替えたいんですが」
「大丈夫、見ててあげるから」
「そういう性癖はありません」
「だったら、今から作れば良いじゃない」
なるほどね。なんて言えば良いのかな。