第1話
夏休みが開けて、もう1ヶ月。生活のリズムが、ようやく休み前のそれに戻ってきたところである。
ただ秋の夜長故と言うべきか、結局は夜更かしをしてしまい朝起きるのが一苦労する事が多い。それは十分に分かってはいるのだが、今日も真夜中だというのにゲームをしてしまう。
高校生にもなってどうしようもないと言えるし、いかにも高校生らしいとも言える。
などと考えていると、開けていた窓からじめっとした生暖かい風が吹き込んできた。この時期の風にしては暖かいなと思いつつ、ふと窓へ視線を向ける。確か幽霊が出てくる時も、こんな風が吹くらしいが。
「トリック・オア・トリート」
ややローテンションな口調でそう言いながら、綺麗なお姉さんが窓からベッドの上に飛び降りてきた。
赤い帽子に、赤のビキニと赤のミニスカ。そして腕に巻かれた、ピンクのリボンがアクセントになっている。つまりはイベントで見かけるようなミニスカサンタのコスプレ衣装で、片手にはサンタが担いでいる例の白い大きな袋。もう片手には、お酒を飲む時に使う升を持っている。
1から100まで突っ込みどころ満載。この人の祖先は多分、コンセントの差し込み口だな。
「大丈夫、大丈夫。君の気持ちはこの私、よく分かっている」
安っぽい政治家みたいな事を言い出すお姉さん。
年齢は多分20才くらいで、大きな瞳に通った鼻筋。口元はすぼみ気味だが綺麗な桜色。少し丸みを帯びた顔の輪郭は、それらをまとめて愛嬌を醸し出す。
またベッドの上に立っているせいもあるが、多分かなり長身。それに見合ったスタイルで、食い入るように見てしまう。ではなく、正直目のやり場に困る。
「俺は高校生ですし、いかがわしいサービスの押し売りとか困るんですが」
「大丈夫。全部お姉さんに任せておけば、大丈夫」
「はい?」
少し高まる鼓動。手の平には汗をかき、少し姿勢が前屈みになってしまう。
いや、そういう意味ではなくて。警戒のために。
ミニスカサンタのお姉さんはベッドサイドに腰掛けると、手にしていた升を俺へ渡してきた。
中には豆がぎっしりで、升に豆なら節分の豆まきと考えるのが普通だろう。
ただしミニスカ×節分=混沌。理解は常識の範囲を超えて越えて、難解へと辿り着く。
「升は、その辺に置いておいて」
「豆まきプレイですか?」
「高校生なのに、随分枯れた趣味じゃない。私、そういうの嫌いじゃないわよ」
流し目で、意味ありげに笑われた。豆まきプレイ、いつか実践してみたいな。
「それで今日、何月何日だっけ」
「9月23日。時間的には、もうすぐ24日ですが」
「だったらいいか。この業界も、最近は巻き気味でね。とにかく全部、前倒し前倒しなのよ」
風俗業界も結構大変なんだな。男を騙して楽してると思ってたけど、これからは考えを改めよう。そしていつか、豆まきプレイを教えてもらおう。
いや。そうじゃない。
「済みません。俺、明日も学校があるんで」
「大丈夫。すぐ帰るから。10分だけ、私に時間を頂戴」
「10分?」
「別に延長しても、私は構わないわよ」
それは俺も構わないが、こちらは何しろ高校生。持ち合わせは非常に乏しい。
「俺、お金無いんですが」
「いや。私、風俗嬢じゃないから」
「冗談ばっかり」
「この衣装は、本物なの。私はサンタでジャックランタンで節分の鬼で、とにかく滅茶苦茶忙しいのよ」
そうか。そっち系か。メンがヘラってるタイプか。これは刺激せず、彼女の気が落ち着くのを待つとしよう。
しかしお姉さんは突然俺の腕を掴むと、意外な程の力強さで引っ張ってきた。自然と体が流れ、彼女の胸元へ飛び込む格好となる。
柔らかくて大きくて、なんか良い匂いがして。この世の幸せが全部ここにあるんだと強く実感する結果となった。
「ほら、あれ見て」
さらに腕を引っ張られ、窓まで強引に導かれる。そして後ろから頭を押さえられ、体が外に半分くらい出る。
この年で羞恥プレイなんて、俺は一体どうしたら良いんだろうか。
「……馬鹿でかいナスが鎮座してますが」
「トナカイが全部出払ってて、あれしかなかったのよ。お盆が終わりだから、誰も使ってなくてね。ナスはキュウリより遅いって言うけど、普通に音速は超えるから」
つまりお盆の時の、キュウリとナス。キュウリは足の早い馬に見立てられ、ナスは足の遅い牛に見立てられるというあれか。
どれなのかは、俺自身良く分かってないが。
「どっきりとか、そういう事ですか? 俺、顔は出したくないんですけど」
「テレビじゃなくて、全部現実だから。それで、一つ相談があるの。高額だけど今使って無くて、手放しても困らない品物ってある?」
そう言って、家捜しを始めるお姉さん。新手の押し込み強盗かな。
しかしだからこそ、こういうタイプに逆らうのは危険。押し入れを開け、全然使っていない古いゲーム機を彼女に渡す。
「まだ動きますし、買った時は結構高かったです」
「無理言って悪かったわね。領収書を書くから、名前は?」
「飯田流です」
「飯田、流と。私は……、一応名乗るか。私は、乾瞳」
受け取り名は俺の名。金額は空欄で、受け取った物の欄にゲーム機の名前が記載されている。
対して支払い側の欄には、彼女の名前。乾瞳。加えて、見た事のない文字が羅列してある。
「それ、行事代行サービス日本支部って書いてあるから」
「行事代行」
「だからサンタもやるし鬼もやるって事。私急いでるから、もう行くわね」
そう言うや、窓から飛び出ていくお姉さん。
慌てて外を覗くとその姿はどこにもなく、家の前に停まっていたナスも消失。軽自動車が1台、ゆっくりと走り去るのが見えただけだ。
全ては悪い夢、ゲームのやり過ぎ。何もなかったんだ、何も。
警察に言っても信じてもらえないだろうし、親に言っても同じ事。それとも明日目が覚めた時には、何もかもを忘れているのかも知れない。
そう。今日はもう寝よう。寝て、何もかもを忘れよう。