――下手なのに、楽しいか? ――下手だけど、楽しいよ
「……っ」
予想外の質問に。自分が少なからず動揺しているのが分かった。それを悟られたくなくて、誤魔化すように言葉を並べる。
「何を……何を言ってんだよ。さっきから言ってるだろ、俺はゴルフをやめたって。そのことに未練も後悔もないって」
「あのっ、そのっ――ち、違ってたらごめんなさい! か、勝手に決めつけるようなこと言っちゃって……で、でも、その……と、遠野君はゴルフをやめたって言ってたけど、それでも、今でもゴルフが好きなんじゃないかなって……そ、そう思ったんです!」
しどろもどろになりながらも、精一杯に言葉を紡ぐ。そんな宮野を前にして、俺にその言葉を頭ごなしに否定することは出来なかった。
「……どうしてそう思った?」
否定も出来ず、かといって肯定するのも憚られ、迷うまま口から出た言葉に、思わず心の中で失笑する。
これでは白状しているようなものだな――と。
「だって、遠野君はゴルフ同好会に来てくれたから……。え、えっとね? ほんとにゴルフをやりたくないなら、同好会にも、打ちっぱなしにも、来てくれないんじゃないかなって」
ゴルフはもうやめたと言っているはずの俺が、ゴルフと関わりのある場所へと赴く。その言動の矛盾に、宮野は違和感を覚えたのだろう。
これを誰かに指摘されるまで自覚できなかった自分の滑稽さといったらありはしない。
「ねぇ、遠野君。ほんとはもう一度、ゴルフをやりたいんじゃないかな?」
まっすぐにこちらを見つめ、再度同じ言葉を投げかけられる。
今度はもう、誤魔化すのは無理そうだ。
「そう、だな……そうかもしれない。俺は出来ることなら、もう一度ゴルフがしたいって、そう思ってたのかもしれない」
そう言うと、宮野はパッと表情を明るくさせる。そして嬉しそうに、期待するように口を開いて――
「な、なら――」
「だけどさ」
だが、被せるように俺は宮野の言葉をさえぎった。
「ゴルフがつらくなったのも、本当なんだ。自分の実力のなさが嫌になったのも、本当のことなんだ」
――どうせまた、つらくなるだけなんじゃないか?
――もう俺は、ゴルフを楽しむことは出来ないんじゃないか?
そんな目に見えない不安が、手の届かない心の奥底で渦巻いている。
「つらいことから逃げて、そのまま。過去から目を逸らし続けて、そのまま。乗り越えようとも向き合おうともしなかった俺に、またゴルフを始める資格なんて――」
「あぁーもぉーッ! いい加減にしろぉぉ――――ッッ!!」
ガツン、と直接耳にたたきつけられたかのような、突然の叫び声。偶然にもほかの客が少ないため、周囲から向けられる視線も多くないのは、不幸中の幸いと言ったところか。
「さっきからうだうだぐずぐず! だから難しく考えすぎだってさっきから言ってるじゃないか! それをなんだい、言い訳ばっかりして! というか資格って何!? ゴルフをするのに資格なんか要るかぁ!」
大きな声でそうまくしたてるのは、興奮した様子でポニーテールをぶんぶんとさせている姫川だった。
ひとしきり言いたいことを言って少しは落ち着いたのか、姫川は軽く深呼吸をし、今度は適切な声量で喋り始めた。
「ゴルフをしたいなら、やればいいじゃないか。とりあえずやってみて、それでやめたくなったらやめればいい。それくらい軽い気持ちでいいじゃないか。ねぇ、そうだろう遠野君? 案外あっさり楽しめちゃうかもしれないよ?」
楽観的だが、前向きな考え方で、無責任だが、応援的な言葉だった。
もし俺がもう少し素直な人間だったのなら、あるいはこの言葉にも素直に頷くことが出来たのかもしれない。
だが、拗らせて、捻くれて、偏屈な俺は、そう簡単に頷くことは出来なかった。案外あっさり楽しめるかもしれない、という言葉を、まさか自分が、という思いが邪魔をして信じることが出来なかった。
「……だったら聞かせてくれよ、姫川。ゴルフ初心者のお前は、とてもじゃないがゴルフがうまいとは言えないお前は、それなのに……下手なのに、ゴルフが楽しいのか?」
『下手なのに、楽しいか?』
自分が吐いた言葉に、猛烈な嫌悪感が湧き上がる。
最低な発言だ。人を見下しバカにする、あまりにも無礼で傲慢な発言だ。
殴られても文句は言えない自覚はある、そんな質問をしてしまった。
――なのに、だというのに。
どうしてお前たちは、嫌な顔をしないんだ?
聞かれた姫川も、聞いていた宮野も、何故俺に敵意を向けないんだ?
「なーんか深刻そうな顔するからどうしたのかと思ったら……そんな当たり前のことが聞きたかったの? まったく、ちょっと身構えたボクの心配を返してほしいね」
呆れたように、やれやれと気の抜けた表情を見せる姫川。
宮野も小さく微笑みを浮かべ、あのね、と優しく語り掛けてくる。
「私もあいちゃんも、確かにまだ全然下手だけど……でも、それで楽しくないなんて、そんなこと思ったりしないよ。下手だからつまらないとか、そんなこと思ったりしない」
「まどろっこしい事なんか考えないでいいのさ! 上手になりたい、だから頑張る! ちょっとうまくなった、だから嬉しい! 偶然いいショットが出た、だから楽しい! それくらい単純な方が、純粋に楽しめるんじゃない?」
『下手なのに、楽しいか?』なんて失礼な質問に、当然のように『下手だけど、楽しいよ』と答えることの出来る二人。
……ああ、そっか。ここまで色々と、俺の過去のことやゴルフに対する気持ちなどを、どうして今日知り合ったばかりの宮野と姫川にペラペラと喋ってしまうのか疑問だったが、それもようやく分かった気がする。
俺とは違い、ゴルフが楽しいと思える二人が、心底羨ましかったんだ。俺は間違っているのだと指摘された気がして、つい否定したくなってしまったんだ。
……早い話、嫉妬だ。恥ずかしい限りだな。
「本当に、ゴルフが好きなんだな」
「うん! だって、ゴルフは楽しいから!」
曇りなく、晴れやかに、宮野は笑った。
その笑顔につられ、俺の中で漂っていた暗い感情の霧が薄れていく。
……もう一つ、疑問だったことが氷解したな。
俺が宮野に弱いというか、強く出れなかった理由。それは勧誘されたときに見た、宮野のゴルフに向けるまっすぐな気持ちが、なんというか、眩しかったというか……こう、憧れたというか……まあその、なんだ?
……尊敬した相手に下手に出ちゃうのは、仕方ないことだよな?
「その、だな……あー、その、苦手意識というか先入観というか、そういうのを取っ払うのはもうちょっとかかるかもしれないんだが、えー、それでもだな……」
く、顔が熱い……!
変な意地を張ってた俺の自業自得だが、そのせいで恥ずかしさが出しゃばってきてついどもってしまう。
……しかし今さら、やっぱやめたというわけにもいかないだろう。腹をくくらなくては。
「も、もう一度、またゴルフをやってみようって思ってだな。あー、だ、だから、つまり……んんっ、ごほん! ――俺も、ゴルフ同好会に入部させてくれないか?」
「「――もちろん!」」
声を重ねて、二人は言った。
今からでも、何かが変わるかもしれない。
宮野と姫川。二人のいる同好会でなら、きっと俺も二人のように、ゴルフを楽しいと、そう思えるかもしれない。そんな期待を、俺は抱いたのだった。
……まあ、こんなこと、とてもじゃないが恥ずかしくて二人には言えないがな。
おそらく赤くなっているだろう自分の顔を気づかれたくなくて、気恥ずかしさを隠しながら顔をそっぽ向ける。チラリと横目で二人を見れば、そこにはエメラルドとサファイアが、それはきれいに輝いていた。