分からないね!
俺の母親は、女子プロゴルファーだった。
俺がゴルフに興味を持ち始めたころには怪我が原因で引退してしまったが、数は少ないものの録画で母の試合を見る機会はあった。テレビに映る母の姿を見て、幼いながらに憧れを抱いたのを覚えている。
そんな俺が、母と同じプロゴルファーを目指すようになったのは、至極当然のことであったと言えよう。
だが、その時の俺はここで重大な思い違いをしてしまう。
プロを目指すようになったと言ったが、それはプロに憧れ、プロになることを夢見たのではない。勝手なことに『親がプロゴルファーなら、その子供である自分もまた、プロになって当たり前の人間である』などと思い込んでしまったのだ。
自分の親はプロゴルファーで、ならば自分にも才能があって、だから自分もプロになれるはずだ――そんなことを、根拠もなく信じてしまっていた。
……ここまで来れば、もうあとは簡単に想像できることだろう。
地元のゴルフスクールに通い始め、そこで初めて現実を知ることになる。自分は練習しても思うように上達しないのに、周りはどんどん上手くなっていく。俺よりも後からゴルフを始めたのに、あっさりと抜き去っていく奴も何人もいた。
プロになるという目標を持って練習する俺よりも、親に言われたからとか、友達がいるからとか、そんな軽い気持ちで通っている奴の方が上手くなっていくのを見るのは、理不尽さすら感じたものだ。
……自分には才能がないのだと気づくまで、そう時間はかからなかった。才能がないと自覚してからも必死に練習して足掻いてみたが、それでも才能のあるやつには勝てなかった。
なりたいという思いだけでなれるほど、プロの世界は甘くない。いつしか俺の中からはプロを目指す気持ちなどなくなり、そして次第にゴルフをやる意味も見いだせなくなって――
○
「――やることすらただ苦痛になって、それでゴルフをやめようと決めたんだ」
そう言って話を締めると、場は重い空気に包まれた。
宮野も姫川も、なんと言えばいいのかと迷っている様子だ。まあ、今日初めて会ったばかりの俺からこんな話をされたのだと考えれば、これは当然の反応だろう。
「……すまん、説明をした張本人である俺が言うのもおかしな話だが、そんな気にしないでくれ。別にゴルフをやめたのを後悔しているわけじゃないし、未練もないからな」
むしろ、この話をしたことの方が後悔しているくらいだ。
こんな重苦しい雰囲気になるくらいなら黙っておけばよかった。どうして俺はこれを二人に聞いてほしいだなんて思ってしまったのか……いやしかし、あのままでは宮野にあまりにも申し訳なかったし……。
……またこれだ。どうしてこうも宮野に対して俺は弱いのか。
「うーん……なるほどね、それで『同好会には入らない』なんて言ってたわけか。プロになれないからゴルフをやめる、ねぇ……ごめん、その気持ち、ボクにはちょっと分からないや」
俺が今日何度目かの自分の感情に違和感を覚えている最中、そんなことを言ってきたのは苦笑いを浮かべた姫川だった。
「別に理解して貰おうだなんて思ってないさ。だが、納得は出来ただろ? 俺みたいなやつを勧誘しても意味がない……むしろ邪魔なくらいだって」
ゴルフに負の感情を持っている奴が入部したところで、同好会の空気を悪くするだけだ。そんな奴、いないほうがましに決まっている。
そんな自嘲的発言を言おうとしたが、それよりも先に姫川が口を開いた。
「いやだから、分からないって」
「……はぁ?」
「理解も納得も出来ないね! これっぽっちも! 君がゴルフをやめた理由を聞かせてもらったうえで言わせてもらうけど、ボクはまだ勧誘を諦めてないよ」
「あのなぁ……ゴルフをやめた奴がゴルフ同好会に入っても意味ないだろ」
「そもそもプロになれないからって、それでゴルフをやめる必要はないんじゃない? ボクからしてみれば、遠野君は難しく考えすぎ! 一つのことにそこまで真剣になれるのは素直にすごいとは思うけど、でも遠野君のそれって、真剣というより余裕がないって感じだよ」
好き放題に言ってくれる、と思うのと同時に、少し得心している自分もいた。
才能がないことを嫌というほど思い知らされたあの頃、なまじ『自分には才能がある』と妄信していただけに理想と現実のギャップは激しく、それをどうにか覆そうと必死だった俺に、余裕なんて持ちようがなかったのだから。
「ボク的には、遠野君はもう少し自分を甘やかしてもいいと思うんだけどね。真面目にゴルフをしてきた君に言うのは失礼かもしれないけど、もっと軽い気持ちでさ。お遊び感覚のゴルフをするのもいいんじゃないかい? ――ね、葵もそう思うよね?」
「うえっ!? わ、私!? 私は……その……」
姫川は持論を述べながら、同意を求めるように宮野に話をパスする。
ここまで思い悩むように沈黙を貫いていた宮野だったが、唐突に話を振られ、たいそう驚いた反応を見せた。そのまま口籠らせながら考え込むように顔を俯かせると、少ししておずおずと喋り出した。
「あの……遠野君は、ゴルフが嫌いになっちゃったの?」
「いや、別に……そういうわけではないけど……」
違っててほしい、と思っているのが伝わってくる表情で聞いてくる宮野に、濁すような、あいまいな言い方で答える。
「そっか…………よかった。えっと、それでなんだけど……」
そんな返事でも宮野には十分だったようで、わずかにホッとした様子を見せながら、続けて新たに質問をしてくる。
いや……それは質問というよりかは、まるで事実を確認するかのような、どこか確信があるような聞き方だった。
「その……遠野君、ほんとはもう一度、ゴルフをやりたいんじゃないかな……?」