トラウマ
「くぅ……! そんな目でボクを見ないでくれ! いいじゃないか、新人にいいところを見せようとするくらい! ボクだってゴルフで尊敬されたりしてみたいんだよぉ!」
「……な、なんかごめんな」
赤くなった顔を手で覆い、本心を晒す姫川を前に、つい申し訳なくなって一言謝る。
褒められたい、尊敬されたいがために初心者であることを隠していたのは、本人にとってはよほど恥ずかしいことだったようだ。
聞けば宮野と姫川がゴルフを始めたのは、中学を卒業して春休みになってかららしい。つまりまだ始めてから一か月ほどしかたっていないと言うことだ。
「しかしなんで黙ってたんだよ。すぐにばれることだろ?」
「ご、ごめんなさい……」
「あ、いや、別に怒ってるわけじゃないし、ただ疑問に思っただけで……こ、こっちこそごめんな? 嫌な言い方して」
い、いかん、宮野に謝られるとなんだか俺が本当に悪いことをした気分になる。
「ぶー、嘘ついて騙してたわけじゃないんだし、別にいいじゃないか。なにせ、ボクは『初心者じゃない』なんて一言も言ってないからね! えっへん!」
「確かにそうだな。威張れることでもないけど」
姫川の悪びれる様子もないのは逆にありがたい。相手が遠慮ない分、こっちも変に気を使わなくて済む。
「まあ騙してはないけど、君が勝手にボク達のことを上級者だって勘違いしてくれるなら儲けもんだとは考えてたけどね! えっへん!」
「それは本当に威張って言うことじゃないからな?」
前言撤回。もう少し悪びれてくれた方がありがたいかも知れない。
「でもさ、でもさ! うまい人がいないよりかは、やっぱいる方が入部しようって気にもなるじゃん? そしたらその人から教えてもらえるんだし」
「なるほどな、それであわよくばと思って黙ってたわけだ」
「うう……本当にごめんなさい」
「あ……だ、だからお前が気にする必要はないんだって。……謝らないでくれると助かる」
今日初めて会ったばかりの相手なのに、こうも下手に出てしまうのは何故なんだ……。
苦手意識がある、というのとはまた違うんだが……ダメだ、分からない。
「う、うん。ごめ……じゃなくて、あ、ありがとう。で、でも遠野君、すごいよね。だって、あいちゃんの素振りを見ただけで、私達はゴルフが上手じゃないって気づいたんでしょ?」
「……まあよくよく考えてみれば、色々と気になる部分もあったしな」
そう言いながら、宮野のキャディバッグや姫川のゴルフクラブに視線を向ける。
「そのバッグにクラブ。多分だけど、親か親戚からのおさがりなんじゃないか?」
「おぉ、よく分かったね! おじいちゃんから貰ったんだよ」
「キャディバッグは女子が選ぶにしては渋いデザインだし、ゴルフクラブも女性用のレディースクラブじゃなくて普通の奴だからな。ずっと前からゴルフをやってたなら、自分用の道具を持ってるだろうし」
「へぇ、レディースなんてあるんだ。物知りさんだねぇ」
「私も知らなかったな……」
もしかしてと思った理由の一つを教えると、二人からは感心したような反応が返ってくる。
一応、それだけなら道具を大切に扱っているから、とも考えられるけども。
それ以外にあげられることとしたら、宮野にゴルフ同好会の部室まで連れていかれたあの時もそうだ。
「あと……宮野の手が柔らかかったから」
「…………ふぇっ!?」
「は、はぁ……えっと、なんと言えばいいのか……遠野君、君も男の子だねぇ」
「あ? ……あっ、ち、違う! 変な意味じゃない!」
ゴルフをしていれば、その手のひらは豆が出来たり皮が剥けたりで多少は固くなるものだ。しかしあの時つないだ宮野の手にそのような感覚はなく、とても日ごろからクラブを振っているとは思えなかった。
――ということを言いたかったのに、これじゃあまるで俺が変態みたいじゃないか。
慌てて弁明しようとするが、宮野は恥ずかしそうに自分の手をもじもじと揉んでいるだけで声が届きそうにもないし、その隣では姫川がにやにやとこっちを見ていた。
「うんうん。分かるよ遠野君。君の気持ちはよぉーく分かる。葵は触り心地の良い身体をしてるからねぇ~。遠野君も思わずヤらしい気持ちになっちゃうわけだ」
こいつ……さては誤解だと分かったうえでからかってるな? ……それならこっちも仕返しをさせてもらおう。
「……まあ決定的だったのは、姫川のスイングがとてもゴルフ経験者には見え無いスイングだったからって理由なんだけどな」
「んなっ!?」
「あまりにも力みのあるスイングだったからな。ゴルフは打つ球が止まってるから、思わず力が入りすぎるってのは初心者にありがちなんだよ」
「ほ、ほほーう?」
ピクリ、と姫川の眉が動く。少し煽るような言い方で気を引いて、からかわれるのを阻止することには成功したようだ。
――しかし、俺はこの時、話題を逸らすことを意識しすぎて、後のことを全く考えていなかった。
「な、なかなか遠野君も達者なことを言うじゃないか。ま、まあ? 言うだけならだれにでもできるし? 実際にやってみなきゃわからないこともあるし?」
姫川は見栄っ張りなところがある。
そんな奴にあんな煽るような言い方をしたらどうなるか、少し考えれば分かりそうなことだが、それを俺は考えに入れていなかったのだ。
「そんなに言うなら君もやってみればいいさ! 意外と難しいんだからね!」
高ぶった感情を表すようにポニーテールをぶんぶんとさせながら、ドライバーを差し出してくる。
そうだ、こうなることくらい分かったはずだ。
「いや、俺は……」
もうゴルフは止めたんだ、という言葉が、しかし言葉に出来ずに息が詰まる。
突き付けられたゴルフクラブは、まるで嫌な過去を突きつけられているように見えた。
『あいつってさ、一番長くやってるくせに全然上手くないよな』『あとから始めた俺達の方が普通に上手くね?』『ほらあれだ、やっぱ才能って奴?』『じゃああいつには才能がないんだな!』『おいおい言ってやるなよ。可哀想だろ? ぎゃははは!』
グルグルと黒い感情が心の内で渦巻く。
逃げただけで、決して乗り越えたわけじゃない過去が、逃がさないと言わんばかりに身体にまとわりついてくる。
「ゴルフは――ゴルフはもう――っ」
「あ、あれ? 遠野君?」
「と、遠野君!? 顔色悪いよ!? 大丈夫なの!?」
強く揺さぶられ、ハッと現実に戻る。
そこには俺の肩を掴んで心配そうにこちらを見上げる宮野と、その一歩後ろで訳が分からなそうに、しかし同じように心配そうな顔をする姫川がいた。
「えーっと……もしかしてボク、何かいらないこと言っちゃったかな?」
「ね、ねぇ遠野君、もしかして遠野君がゴルフをやめた理由って……」
俺が動揺している理由に思い当たる節がない姫川は申し訳なさげに口を開くが、一方で俺がゴルフをやめたことを知っていて心当たりのある宮野は、サァ――と顔を青くした。
多分、俺がトラウマに近いものを抱えていることに気づいたのだろう。いまだに心ここにあらずな俺は、そんな宮野を『ああ、またこいつは勧誘したことに負い目を感じてるんだな』とどこか他人事のように思っていた。
「……大丈夫、大丈夫だ。だってあれはもう、終わったことなんだから……」
これ以上心配させないようにそう言ったが、それが宮野に向けた言葉なのか、それとも自分に言い聞かせているのかは、自分のことなのに分からなかった。
「……ねぇ葵。遠野君がゴルフをやめたって、どういうこと?」
「う、うん……あのね、あいちゃん。その、えっと……」
宮野は遠慮がちに口を開く。チラチラとこちらに視線を送り、勝手に喋っていいのだろうかと悩んでいる様子だ。
ふいに、情けなさで心がいっぱいになった。
宮野は過去の俺に何があったのかを知らない。少しは察しがついているのかもしれないが、それでも詳細を語れるほどに事情を把握しているわけではない。
それなのに、自分が勧誘したせいで、と負い目を感じている。俺がいつまでも昔のことを引きずっているせいで、こうして負担をかけてしまっているのだ。
それがどうしようもなく情けなくて、そして自分の弱さに嫌気がする。
俺は逃げることが恥だとは思わない。だからゴルフをやめた時も、それが逃げであることは自覚していたが後ろめたくは思わなかった。
しかし同時に、逃げることが正しいとも思ってはいない。自分一人で勝手に思い悩むならともかく、それでほかの誰かに迷惑をかけるようなことはあってはならないはずだ。
つらいことから逃げたのは自分。過去から目を逸らし続けたのも自分。ならば、それについて話すのも、自分であるべきだ。
それは義務ではなく、責任でもなく。ただゴルフが楽しいと言う二人には、きちんと話したいと思ったのだ。
「……宮野、心配してくれてありがとな。でももう大丈夫だから。ちゃんと俺が自分で説明するから。……だから、お前にも聞いてほしいんだ。俺がゴルフをやめた理由を」
不安、心配、困惑……様々な感情の込められたエメラルドとサファイアの瞳が向けられる。
俺はその眼差しを受け、少しの緊張を伴いながら、意を決して口を開いたのだった。
「…………俺は、プロゴルファーになりたかったんだ」