認めてあげる
そろそろ日も暮れそうだ、という頃に我が家での練習は終了となり、各々が確かな成長を遂げた帰り道。
二人を途中まで送っていく道すがら、いつもの打ちっぱなしにて宮野のその才能とやらを確認したのだが、これがもうすごかった。
以前まででもその美しいフォームできちんと狙った方向にボールを跳ばせていた宮野だが、そこに飛距離が追加されることにより、誤差五ヤード以内という精度で狙った通りにボールを打つことが出来たのである。
しまいには、五十ヤードの看板に狙って直撃させることにも成功した。
母さんが言った通り、アプローチに関しては天才以外の何物でもなかったようだ。
「うおぉー! すごいよ葵! プロみたい!」
「そ、そんなことないよ。た、たまたまだよぉ」
「いや本当にすごいぞ宮野。これなら、アプローチは宮野に任せて姫川はパターを中心に練習してもいいかもしれないな」
「え、えへへ……あ、ありがとう」
「あっ! じゃあボク、部室のあれ……パター、パターなんとか……えっと、パターの練習するやつ! あれ、家に持って帰って練習するよ!」
「パターマットな」
……と、そんな会話もあり、俺達は打ちっぱなしで解散し、宮野と姫川の二人は学校へと向かって言った。
そして残った俺だが、母さんのサイン片手に、受け付けへと向かっていた。
「ふおぉぉぉおおおおおお…………っ!! こ、これが真希さんの直筆サイン……! しかも名前入り…………!」
だらしなく頬を緩めて感動しているのは、あの時の店員さん――七海星香さんだ。
「ありがとう、ほんっとーにありがとう琉希君! これは七海家の家宝にするから!」
「あ、あはは……喜んでくれて何よりです」
感動のあまりサインにほおずりしてるけど、正直どう反応したらいいか分かんないし、俺がいなくなってからそう言うのはやって欲しい。
「ああ、なんとお礼を言ったらいいか……! ここまでしてもらって何も返さないなんて出来ないし、でも何を返したらいいのかしら……やっぱりサインを貰ったのだし、こっちもサインで返した方が……とすると、私のサイン?」
それはいらない。
「あ、いえ、本当に何も返さなくていいんで! マジで!」
「え、そう? でもそれは申し訳ないし……あ、そうだ! せっかくだし真希さんの実子たる琉希君のサインも欲しいなーなんて」
恐ろしい一言が聞こえた気がする。
「おっといけないこの後絶対に遅れてはいけない大事なようがあるんだった! ということなのでもう帰りますねさようなら!」
怖いわこの人。母さんと姫川に続く新たな天敵かもしれない。俺のサインなんかどうするつもりなんだ。ただ恥ずかしいだけだわ。
逃げるようにして外に飛び出す。そこにはちょうど練習を終え、帰ろうとしていた人がいたらしく、飛び出してきた俺をぎょっとした様子で見てきた。
恥ずかしいところを見られた気まずさで、顔を見られないようにさっさと立ち去ろうとしたのだが、しかしその人はしつこいくらいにこっちを凝視してくる。
いったい何なのかとちらりと目を向ければ、その人としっかり目が合ってしまった。
「と……遠野……な、なんであんたがこんなところに……!?」
「げっ……な、七海……」
○
陽が落ちてすっかり暗くなった道を、ただ黙って歩く。
あたりの空気はなんとも言えない気まずさと、ピリピリとした緊張感に包まれており、それに耐えきれなくなったのか、前方を歩いていた人影がこっちを振り向いて大きく吠えた。
「なんでついてくんのよあんた!」
「おい、大声出すなよ。ご近所迷惑だろ」
「あ、そ、そうよね……ってそうじゃなくて!」
「俺だって好きでついてってんじゃねぇよ。俺も帰り道がこっちなだけだ」
そう言うが、七海は納得しきっていないようでふんと鼻を鳴らしまた歩き出した。
俺も向かう先は同じ方向なので、黙ってその後をついて行く。
「……あーもう! 分かったから黙ってついてくんのやめなさい! 不審者に付きまとわれてるみたいで気分悪いわ!」
「いやしょうがないだろ。どうしろってんだよ」
「はぁ……そうね。しょうがないから、特別に隣を歩いていいわよ。話し相手くらいにはなってあげるわ」
ええぇ……結構です、って言いたいけど、それでキレられても面倒だしなぁ……。言われたとおりにするしかないか。
渋々七海の横に並ぶと、七海は前を向いたままこちらには目もくれず、不機嫌そうに口を開いた。
「……ところであんた、どうしてあそこの打ちっぱなしに来てたのよ」
「そりゃあ……れ、練習するために決まってるだろ」
お前のお姉さんにサインを渡すためだよ、とも言おうかと思ったけど、あの人にも姉の威厳があるだろうし黙っておこう。
「ふん、勝ち目の薄い勝負だって言うのにご苦労なことね。ま、せいぜい頑張りなさい」
「勝ち目の薄い、か……意外だな。てっきり勝敗は決まってるとか、無駄な努力とか言うと思ってたんだが」
「あんた私を何だと思ってんのよ……勝負をする以上、相手が誰であれ侮るようなことはしないわよ」
どうも七海には油断も慢心もない様だ。そのまま侮っていてくれれば、勝負の時に勝手に手を抜いてくれるかもと思ったんだが……その期待は出来なさそうだな。
「それに、私は人の努力をバカにするやつが大嫌いだし、許せないのよ。たとえそれが私自身でもね」
「いやお前、この前部室で散々俺達のことお遊びゴルフってバカにしただろうが」
「そ、それはそのっ……わ、私がしてる練習に比べたらあんた達の練習なんて遊びの延長線みたいなもんじゃない! 私はプロを目指してるんだから! ……わ、悪かったわよ……」
「え――――はぁ!?」
な……七海が、謝った……!?
嘘だろ、こいつちゃんと謝罪することが出来る人間だったのか!?
「と、とにかく! 私は私の夢を叶えるために、あんた達なんかに躓いてらんないのよ!」
「お、おおう……そ、そうか」
驚愕の眼差しを向けると、七海は誤魔化すように声を張り上げたが、驚きのあまり俺は気の抜けた声を出すことしかできなかった。
「と、ところでさ。前から聞きたかたんだが、どうして七海はプロになりたいんだ?」
「な、何よ、そんなの。別に自分の好きなことでプロを目指すなんて、普通のことじゃない」
お互いにぎこちなさが抜けきらないまま、前々から気になっていたことを聞いてみる。
「……まあ、ちょっと気になってな。せっかくだし、この機会にと思って」
「そ、そう! そんなに気になるのね! そこまで言われたらしょうがないわね! 本当は教えないんだけど、今回だけは特別! そう特別に! 教えてあげてもいいわ! 私が! プロになりたいと思った! そのきっかけをっ!」
口ではやれやれと言っているが、その口元は必死ににやけるのを抑えつけてるかのようにぴくぴくと引き攣っており、どう見ても言いたくてしょうがないようにしか見えなかった。
「そう、あれは私が小学生だったころのことよ。当時の私はまだゴルフに出会ってなかったのだけど、その時偶然お姉ちゃんがゴルフの録画した試合を見ててね、そこではじめて私はゴルフを知ったのよ! 初めて見るゴルフはルールも何も全く分からなかったけど、そこに出ていた一人の選手が私の目を惹きつけて離さなかったわ! 洗練されたフォーム! ボールを打った時の美しい快音! そして何より、七番アイアンを使った正確すぎるショット! もうその瞬間から私はその選手の虜ね。世の中にはあんなにも美しくカッコいい女性がいるんだって、あの人みたいになりたいって、そう憧れてすぐさまゴルフを始めたの。私が今の高校に入学したのも、ゴルフ強豪校に受からなかったって理由以上にあの人の卒業校だったからよ! まああの人がすでに怪我で引退してたって知った時はショックだったし残念でもあったのだけど、でもそれなら、私があの人の跡を継ぐ二代目『精密射撃』になればいいと思ったわ! そう、私の原点にして憧れの選手こそ、あの遠野真希選手よ!」
「ああ……うん……やっぱ母さんか」
「はぁぁああああ――――ッッ!?」
もう話の中にあの店員さんが出てきた瞬間に分かったわ。
やっぱりかよ。お前もかよ。なんだこれ、母さんに憧れるのは七海家の遺伝か?
よかったな七海、直筆サインを家宝にするらしいぞ。お前のお姉さんの名前入りだけど。
「か、かか、かあ……さん……? あ、あんたの、お母さん」
「えー、まあ、はい」
「そ、そんな……遠野って名字を聞いた時はただの偶然だと思ったのに……」
「その……なんかごめん」
「こ、こんなことって……じゃ、じゃあもしかしてあんた……ま、真希さんから指導して貰ったり……?」
「む、昔にな? ちょっとだけ」
「ずるいっ!」
今日まさに宮野と姫川も母さんに指導を受けていたことは絶対に黙っておこう。俺の身にどんな危険があるか分からない。
「こ、こうなったらなおさら負けられないわ……! どうせあんたは、私なんかじゃ真希さんみたいになるのは無理だって思ってるんでしょ! そんな奴に負けるもんですか!」
「あのなぁ……そんな性格の悪いこと思ってるわけないだろ」
「ふん、いいわよ隠さなくて。もう慣れっこよ。今までだって、私の夢はみんな嘲笑って誰も本気にしてくれなかったわ。どうせあんたも、私の夢を嘲笑うんでしょ」
諦めたように、自虐的な笑みを浮かべる七海。それを見て、俺は再度思う。
――七海は俺に似ている。
プロを目指そうとしたところも、そのきっかけも、そして……そこに抱えている苦悩も。
でも、七海は俺と違う。
「バカにするとか、嘲笑うとか……んなこと、出来るわけねぇだろ」
そう言うと、七海は意外そうな顔でこっちを見てきた。
「こう見えて俺はな、お前と同じでプロを目指してたことがあったんだ」
「あ、あんたが? いや……親がプロなら、そうもなるわね」
「ああ、まさしくその通り。親がプロだからってんで、じゃあ自分もプロになれるんだと根拠なく思ってたよ。だが俺には才能なんてもんなかったようでな。才能がないなりにあがきはしたが、結局俺には無理だと諦めたよ。最後の方は、ゴルフをするのもただつらくて苦しいだけだったしな」
七海は俺に似ている。
でも、七海は俺とは違う。
だって七海は、今もなおプロを目指し続けているのだから。
「まあ、だからこれでも一応、プロになる難しさとか厳しさって言うのはそれなりに知ってはいるんだ。それで……なんと言うか、それでも俺と違って、諦めずにプロを目指し続けている七海はすごいと思うって言うか……」
だからこそ、俺は七海を……。
「……一人のゴルファーとして、その……そ、尊敬している」
「うぇっ、あ、う……そ、そぅ…………」
いや、まあその……うん、そうだ。宮野と姫川と同じように、俺にはないものを持っている七海を、俺は尊敬している。
……けど、本人にそのことを言うのは、なんと言うか死にたくなるくらい恥ずかしいな。
「……そう、あんたは嘲笑わないのね。……そっか。私をすごいって思ってくれるんだ……。ま、まあ? わ、悪い気はしないわね!」
まるで表情を隠すようにそっぽ向く七海だが、その声色は満更でもなさそうだ。でも掘り返すのはやめてくれ。恥ずかしいから。
「……あんた、名前は?」
「え? と、遠野だけど?」
「違くて! 下の名前よ!」
ああ、そっちか。名字は知ってるはずなのに聞いてきたから、てっきり『お前の名前なんて覚える価値もない』って新手の喧嘩の売り方かと思った。
「琉希。遠野琉希だ」
「そう、琉希ね……。うん、あんたのこと認めてあげるわ、琉希」
「どうしたんだよ急に……認めるって何がだ」
「ふふ、いいこと思いついたの――よ!」
「うわっ!?」
急に俺の胸ぐらを掴まれ、七海に引き寄せられる。
至近距離でルビーの瞳がまっすぐ見つめてくる中、七海は『いいこと』とやらを口にした。
「一週間後、私が勝負に勝ったら――琉希。あんた、私の専属キャディになりなさい」




