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ひゃ……ひゃくご……


「遠野君はどう思う?」


 キャディバッグをベンチに降ろし、打席に立つ前に軽く準備運動をしている俺にそう聞いてきたのは、一足先に打ち始めようとクラブを選んでいた姫川だった。

 やはりというか、真っ先にドライバーを手に取るあたり姫川らしい。


「どう、って何がだ?」


「そりゃー、おねーさんが言ってた『あの子』のことに決まってるじゃないか」


 店員さんが言っていた『あの子』。


 曰く、どうやら俺達以外にもゴルフをやっている人が同じ高校にいるそうで、この打ちっぱなしにもよく練習に来ているらしい。


 そんな人がいるならすでに宮野か姫川が勧誘していそうなものだが、どうやら二人も、俺と同じく初耳だったらしい。


「その子が同好会に入ってくれれば、部員も四人になるんだけどねぇ」


「そしたら私達も同好会から部活になれるもんね。どんな人なのかなぁ……。で、でも、もし怖い人とかだったらどうしよう……」


 まだ見ぬゴルフ仲間を想像して期待や不安を口にする二人。


 しかし今まで同好会に顔を見せたことがないということは、『あの子』とやらは同好会に入部するつもりはないとも考えられる。


 同好会の存在自体を認知していない可能性もあるが、あまり過度な期待はしないほうがいいかも知れない。


「とりあえず、俺には『あの子』っていうのが誰のことなのかはさっぱり分からん。そして俺は分からないことをいつまでも気にする主義じゃない」


「えー? うっそだぁ。だって過去のことは気にしすぎってくらい気にしてたじゃん」


「それを持ち出すのは卑怯だろ! デリケートなんだよ、こう見えて!」


 それにもう気にしてないから。乗り越えた……というわけじゃないけど、とにかくもう気にしてないから。


 というか人のトラウマを良くいじろうと思ったなお前。腫物のように扱われるよりはましだけどさぁ。見ろ、お前の一言のせいで宮野の顔が強張ってるじゃないか。


「とにかく! お前は人のことより自分のことを気にしたらどうだ? 相変わらず、力みまくりのスイングしやがって」


「むむっ! 今の挑発的な発言、ずばりボクへの挑戦状と見たっ! ちょうどいい機会だ遠野君! ここらで君の実力を見せてもらおうじゃないか! ボクと君、どっちの方が球を遠くに飛ばせるか勝負だ!」


「姫川……本気で言ってるのか?」


 姫川をバカにするつもりはないが、まだ初心者の域を脱していないのだし、さすがに負ける気がしないぞ?


「あ、あいちゃんやめときなよぉ……勝てっこないよぉ……」


「ふっふっふ……なぁに、安心しなって葵。いくら遠野君が経験者とは言っても、それはだいぶ前のこと。ブランクがある今、ボクにも勝つ見込みはあるってわけさ!」


「いやまあ……お前がいいなら別にいいんだけどさ」


 長い付き合いとは言えないが、それなりに二人の性格は分かってきているつもりだ。こうなった姫川はもう止まらないだろうし、宮野も強引に割って入ったりはしない。



 それに……久しぶりのゴルフだ。俺も早く打ちたいと思ってたところだ。



 キャディバッグから五番アイアンをとって打席に立つ。


 足は肩幅より少し狭くし、手首は緩く。優しくグリップを握り、身体全体の力が程よく抜けていることを意識して準備完了。ここで一度打つ方向を確認し、どこに打つか目標を決め、そこまでの打球の軌道をイメージするのが俺のルーティーンだ。


 今回狙う目標は、地面に設置してある距離百八十ヤードを示す看板。


 クラブをまっすぐ後ろに、身体はねじって半身になり、しかし顔は球に向けたまま動かさない。てっぺんまで振り上げたクラブを、やはり力は入れずにまっすぐ振り下ろす。


 そうして振り下ろされたクラブが球に当たる瞬間。

 このインパクトの瞬間にだけ、力を入れる。


 ――姫川の言う通り、確かに俺は数年ほどのブランクがある。それで腕が落ちているのは間違いないだろう。……けれど、あの頃練習でしたことを忘れたわけじゃない。あの頃死に物狂いでやって来た練習の数々は身に沁みついている。俺は人より才能がなかったし、俺より上手い奴なんてごまんといた。……けど、だけど。



 ――俺だって、これでも本気でプロを目指して練習してたんだぜ?



《バキィ――――ッッ!!》


「おおっ!」


「と、飛んだっ!」


 二人の歓声と共に、球は高い音をあげて勢いよく飛びあがった。


 ぐんぐんと伸びる球は勢いを弱めることなく、狙い通り看板に向かって――行く途中で、大きく右にスライスし、百五十ヤードほどの飛距離で墜落した。


 ……うん、まあどれだけカッコつけても、ブランクはブランクだよな。


 しかもダフった(球より手前で地面を擦ってしまうこと)し、無理やり力でもってった打ち方になってしまった。


「百五十か……やっぱイメージ通りとはいかないな。じゃあ次、姫川……姫川?」


「ひゃ……ひゃ……ひゃくご……」


 振り返ると姫川が壊れかけてた。いや、さすがにそこまで驚くことでも……というか、これは驚いてるでいいんだよな?


「わぁっ! すごいすごい! 遠野君すごい! すっごく遠くまで飛んだよ!」


「お、おう、ありがとう。まあこのくらいの距離なら、練習すれば宮野も簡単に飛ばせるようになるぞ」


「わ、私が!? あんなに遠くまで……で、出来るかなぁ。私、ちからもちじゃないし……」


「問題ない。ゴルフで大事なのは、筋力よりも正しいフォームで打つことだからな」


 飛距離を出すためには筋力が必要と思われがちだが、実はそうでもない。フォームをないがしろにした力だけの打撃では、俺が今やったように打球が大きく曲がってしまい、結果的に飛距離は落ちてしまうのだ。


「だから最初は、飛距離は気にせずにただまっすぐ飛ばすことを意識したほうがいい」


「そ、そっか、そうだよね。まずは基本をしっかりしないとだよね」


 まっすぐ、まっすぐ、と口にしながらクラブを取りに行く宮野。

 そのまま打席に向かうと思いきや、なぜか宮野はこっちに戻ってきて、


「あ、あのさ、遠野君。もしよかったらなんだけど……その、打ち方とかフォームとか、ちゃんと出来てるか見て欲しいなって」


 と遠慮がちにお願いしてきた。


「ああ、なんだそんなことか。それくらい遠慮しなくてもいいのに」


「あっ、も、もちろん、遠野君の練習の邪魔にならないようにするから!」


「だから全然大丈夫だって。俺なんかでよければいくらでも教えるからさ」


 そんな恐縮することでもないだろうに。


 プロを目指し他人と競い合ってたあの頃とは違って、ここはただゴルフが好きでゴルフを楽しもうとしているだけの同好会なんだから。


 そんな中、自分だけ好きに練習して他はほったらかしにするような、自分勝手な真似をするつもりはない。


 むしろ、宮野はもっと図々しくなってもいいくらいだと思う。


「どおのぐぅぅううん! ボグにもおじえでよぉぉおお!」


 そう、このくらい図々しく……いやさすがにお前はもうちょっと遠慮というか、自重というものを覚えて欲しいんだけどな? 姫川。


「教えるのはいいんだけど、その前にどっちの方が飛距離を出せるかで俺と勝負するんじゃなかったのか?」


 さながらゾンビのような動きで、泣きながらにじり寄ってきた姫川にジト目でそう言うと、ガバッ! と顔をあげて飛びついてきた。


「無理だよ! ボクの負けだよ! 行くわけないでしょ、百五十ヤードも!」


「いや、どうだろう姫川。やる前から無理と結論付けるのは早計なんじゃないか?」


「0ヤードでした!」


「空振ったのか……いつの間に……」


 どうやら気づかぬうちに挑戦は終わっていたようだ。まあその結果を誤魔化さずにこうして堂々と言えるのは正直すごいと思うけど。


「頼むよぉ~~ボクにも教えてよぉ~~」


「わ、分かった、分かったから! だから人の服で顔を拭くな! おいやめろ鼻をかもうとするなっ!」


 しがみついてくる姫川を慌てて引きはがす。危うくあとちょっとで俺の服が大惨事になるところだった。やはり姫川にはもう少し慎みというものを持ってもらいたいものだ。


「うへへ……言質は取ったぜぇ……」


「んなもん無くても教えるって言ってるだろ……ったく。その代わり、教え方が下手でも文句言うなよな」


「了解であります!」


「は、はいっ、頑張ります!」


 うん、いい返事だ。いい返事ではあるんだけど……不安だなぁ。この二人が、ではなく、俺が。誰かに何かを教えるような経験はないし、果たして俺に指導者が務まるのかどうか。


「ほらっ遠野君! 早く早く! もう早速、今から教えてもらうんだから! ね、葵!」


「うんっ、よろしくお願いします!」


 ……ま、不安にばかりなっていても仕方ないか。


 せっかく頼りにしてもらってるんだから、俺も少しは期待に応えないとな。

 誰かを指導したことは無くても、練習だけは人一倍やって来たんだ。今まで経験したいろんな練習を、一つずつ二人に教えていこう。きっと二人とも、すぐに今よりもっとうまくなるだろう。


 二人がどんなプレイヤーになるのか、今から楽しみだ。


 さて、それじゃあまずは……っと。


「とりあえず、ドライバーはいったん置いとこうな、姫川」


「えぇ、そんなぁ!?」


 最初は、正しいスイングを覚えるところから始めようか。


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