ゴルフに興味、ありませんか?
「そこの君! バレー部に入らない? 初心者でも大歓迎だよ!」
「ラグビーで一緒に汗を流そう! 心も体も鍛えられるぞ!」
「天体観測……どうかな? 暗闇に浮かぶ星々が紡ぐ物語……君も感じでみないかい?」
「ほう、なかなか言い面構えだな、お前。漫研で一緒に漫画界の頂点を目指さないか?」
昇降口から校門までの間にあるちょっとした広場は、一年生を自分の部活に引き入れようとするたくさんの上級生によって埋め尽くされていた。
この川越北高校に新入生が入学してから、今日で一週間。今日から一年生の部活動への仮入部期間が始まるとあって、どの部も新戦力獲得の為に躍起になっているわけだ。
そんな視界に広がる大きな黒い塊を安全圏である下駄箱から眺めていると、先に外へと出ていった同級生がさっそくどこかの部に捕まっている姿が見えた。
あの様子を見るに、先輩相手に委縮してしまい、はっきり勧誘を断れずにいるのだろう。彼と同じような被害者を、さっきから何人も見ている。やはり一度でも捕まってしまえばそれで終わりのようだ。
つまり俺が無事に帰宅部になるには、あれらの弾幕攻撃のような勧誘ラッシュを全て回避できるかどうかにかかっていると言えよう。
そう、俺は部活に入るつもりのない、帰宅部希望者だ。
わざわざプライベートの時間を削ってまで部活動にいそしむというのはイマイチ理解できないし、そもそもそうまでして入りたいと思える部活もない。なによりも、今更俺に何か新しく夢中になれるものを見つけられるとも思えない。
と、まあそんなわけで俺は帰宅部を希望しているわけであり、そしてそのためにも眼前で繰り広げられる、一方的とも言える攻防を乗り越えなければいけないわけだ。
一向に減る気配のない先輩方を視界に収めながら、さてどうやって学校から脱出しようかと少し考え、そして地面を見つめながら昇降口から外へと足を踏み出した。
「おっ! ねぇ君、部活何にするか決めたかい? 決まってないならぜひバレー部に!」
「いやいや、ラグビー部で熱い青春を送ろうじゃないか!」
「決して手の届かぬきらめき……その神秘を君にも……」
「今なら俺をモデルにした漫画を描いてもいいぞ!」
道を塞ぐように勧誘してくる上級生たちを無視して、どうにか通り抜ける。反応さえ示さなければ無理に勧誘されることもないだろうと、そう思って目を合わせないように下を向いていたのは、どうやら正解だったようだ。
もう少しで校門までたどり着く。
あとはあそこから学校の敷地外まで脱出できれば――そんなことを考えていた俺の耳に、どこからか今にも消え入りそうな声が聞こえて来た。
なんだか困っているような、はたまた怖がっているような……そんなか細い声が。
「バレー部おいでよ! 女の子もいっぱいいるからさ!」
「ラグビー部はマネージャーも絶賛募集中だ!」
「スピリチュアル……ロマンチック……ビューティフル……」
「お前のすべてを漫画にぶつけるんだ!」
「え、えぇっと……あ、あの……わ、私は、その……ち、違う部が………」
つい気になって声が聞こえた方へと顔を向ければ、そこには俺と同じ一年生であろう女の子が、上級生に囲まれて身動きが取れなくなっているのを見つけた。
さらさらとした短めのライトブラウンの髪。それを二つのおさげにして両肩に垂らした髪型の、小柄な女の子。
周りを囲んでいる上級生というのが体格のいい男子生徒ばかりなのも相まって、ただでさえ小柄なその子が余計に小さく見える。庇護欲を掻き立てるような容姿、とでも言えばいいのだろうか、そんな見た目をしている女の子なだけに、そこにはひどく犯罪臭のする光景が出来上がってしまっていた。
あわあわと勧誘を断れずに涙目になっている女の子は、そのか弱い見た目通りに、内面もまた強く物を言える性格ではないのだろう。ただギュッと小さな身体をさらに小さく縮こまらせて、助けを求めるようにチラチラと周りに視線を向けていた。
ただ残念なことに、助けを求めた先である周囲というのも、彼女と同じく上級生に捕まって勧誘を受けている人ばかり。とてもじゃないが彼女のヘルプコールに気づく余裕のある人はいない。
あの子が困っていると気づける人なんて限られてくるだろう。まず上級生に捕まってなく、次に周囲に目を向ける余裕があって、そしてあの子に視線を向けているという厳しい条件を満たさなければ――
「…………あっ」
そんな条件にあてはまる人物が、一人だけいた。
というか……俺がそうだった。
エメラルドのように綺麗な翡翠色をした瞳と、パチッと視線が交わる。
慌てて目を逸らそうとも考えたが、しかしここまで無遠慮にジロジロ眺めておいて、いざとなれば無関係を装おうとするのもいかがなものか。
このまま見て見ぬふりをした場合、もしかしたらそれが原因で俺のよくない評判が広まってしまうかもと考えると、女の子を見捨ててしまうのも気が引けた。
それに、あの子はさっき『違う部が……』と確かに言っていた。それはつまり、入りたいと思っている部活があって、やりたいと思っていることがあって……俺とは違い、ちゃんとした目的、目標を持っているということだ。
……だから、だろうか。
そんな女の子を、応援したいなんて思ったのは。
気が付けば、足は自然と女の子を囲む上級生へと踏み出されていた。
「ちょっといいですか?」
まだ俺に気づいていない上級生の気を引くように、少し大きめの声で話しかける。
「先輩方の部活に興味があるんで、話を聞かせて欲しいんですけど」
そう言いながら女の子に『早く行きな』と目で訴える。部員確保のチャンスと見た上級生は女の子から離れ、今度は俺を囲んで熱烈に勧誘し始める。
ようやく解放された女の子は最初こそ戸惑っている様子だったが、もう一度アイコンタクトを送れば、律儀にもペコリと小さくお辞儀をして小走りで校舎の中へと消えていった。
○
時刻は午後の五時三十分。今日の授業は半日だけで、終わったのが十二時過ぎくらいだったから……あれからだいたい五時間か。まさか見学だけでこんなに時間がかかるとは想定外だったが、ようやく勧誘してきた部活全部を回り切ったころのこと。もうすでに多くの生徒は下校し、人の少なくなった校舎を歩いている時だった。
「……あ、あのっ! す、すす……しゅみません!」
どこかの部に入部することは避けられたものの、あまりにしつこかった勧誘に疲弊しきっていた俺の後ろから、緊張しているのがヒシヒシと伝わってくるどもった声が聞こえて来た。
「えっとえっと、さ、さっき助けてくれた人ですよね!」
振り返ると、そこにいたのは見覚えのある女の子。五時間前に上級生に囲まれていた、俺がこうも疲弊する羽目になった原因の子だ。
……いや、この子は何も悪くないか。原因と言うなら、むしろそれは上級生たちの方だな。
「あのあのっ! わ、私、一年三組の宮野葵って言います!」
「はぁ……えっと、どうも? 一年五組の遠野琉希です」
ついつられて教科書に載っているような挨拶になってしまった。そして予想していた通りに同じ一年生だったようだ。
「さ、さっきはありがとうございました! こ、困っているところを助けていただき……そ、その、あの、だからえっと……本当にありがとうございました!」
そう言って女の子……宮野はガバッと地面に頭をぶつけるんじゃないかというほど勢いよく頭を下げてきた。
「そこまでしなくても……えーっと、宮野だっけ?」
「は、はい! な、何でしょうか!」
……なんだろう。こうも誠実そうな子にここまで恐縮されてしまうと、逆にこっちが申し訳なくなってくるような。これ、事情を知らない人からしたら、俺が無理矢理この子に突っかかっているようにしか見えないんじゃないか?
「いや、わざわざお礼を言うためだけにこんな時間まで学校に残ってたのかなって思っただけだからさ、そんなかしこまられても困るんだけど……」
「あっ、は、はい! すみません!」
「……取り敢えずあれだ、敬語とか使わなくていいって。ほら、同じ一年なんだし」
「は、はい――じゃなくて、う、うんっ。あの、そ、それでね? お礼を言いたかったっていうのもそうなんだけど、えっと……そ、それだけじゃなくってね? じ、実は気になることというか、聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと?」
「う、うん……」
続きを促すように宮野の目を見る。間近で見るエメラルドの瞳は、遠くから見たときよりももっと綺麗に思えた。
そんなエメラルドが、右に左に泳ぎ始める。また緊張してきたのか、宮野は口をパクパクとさせて『あー』だか『うー』だか言葉にならないような声をこぼす。
しかしそれも数瞬のこと。
すぐにキュッと顔を引き締め、宮野は意を決したように口を開いた。
「――ゴルフに興味、ありませんか?」