二十四 父、容疑者になる
──だが、その晩、二つの事件が起きた。
それを私達が知ったのは、朝食を食べ終えて居間で休んでいた時のことだ。
玄関の鈴が鳴らされ、私がルルを肩にのせた状態で扉を開けると、困った表情をしたディオラルドさんが立っていた。
「……ヤバいことになった」
彼の顔色は悪い。眠っていないのか、目の下にはクマがある。
「どうしたの? ディオラルドさん、中に入ったら?」
そう言って私が中に入るよう促したが、ディオラルドさんはその場で首を振った。
ディオラルドさんは大声を出した。
「アガルト! いるんだろう! とんでもないことになったぞ! 出てこいよっ!」
いつもとは違うディオラルドさんの様子に、私は息を飲む。
父がのっそりと居間から歩いてきた。
「ディオラルドか。朝っぱらから、やかましいな……元気な子供か」
「そんなこと言ってる場合か。──良いか、よく聞け。お前に、二つの容疑がかかっている」
「容疑……? それは、お前が後ろに待機させている兵士達と関係があることか?」
父は無表情で、そう言う。
私が驚いて玄関の方を見ると、四人の兵士がこちらを睨み据えていた。
皆、剣のグリップに手をかけている。
──どうして?
この家には害意のある者は近づけないはずだ。
ああ、でもディオラルドさんが彼らを連れてきたなら……?
ディオラルドさんは叫ぶように言った。
「俺にどうしろって言うんだッ! 今朝、ここにいる兵士達が魔法協会にいた俺を訪ねてきたんだ。アガルト・リッターの居住地まで案内しろ、とな。それで、ここまで連れてくることになった。こんなやり方になったのは申し訳ないと思うよ!」
「……何が起きた?」
苦虫を噛み潰したような表情で尋ねた父に、ディオラルドさんはボソリと言う。
「──昨晩、魔塔が倒壊した。爆発と火事でな……怪我人が多数でたらしい。お前が監修した過去映像投影機を含め、多くの魔導具が焼失した」
そのディオラルドさんの言葉に、私は絶句した。
父も呆然としている。
ディオラルドさんは引きつった笑みを浮かべる。
「どうやら、放火だったらしい。犯人を目撃した者が多数いる。火の手が上がったところに、お前の姿があった。すぐに走り去って逃げてしまったらしいが……」
「は? なんだって? 俺が?」
父は困惑して、聞き返した。
私も耳を疑う。そして最悪の展開が脳裏をよぎった。
──おそらく、これはオーリンの仕業だ。
昨日の裁判で過去映像投影機の存在を知って、自分が不利になる魔導具を処分してしまおうとしたのだろう。
そして、その罪を父になすりつけようとしたのだ。
「ちょっと待って、ディオラルドさん! お父さんは犯人じゃないよっ! 自分の作った装置を壊す訳ないじゃない!」
「ああ。もちろん、俺もアガルトがそんなことするはずがないって分かってる」
ディオラルドさんの声は苦渋に満ちていた。
黙り込んでいる父に代わり、私はなおも言いつのる。
「それに、お父さんは昨夜は家にいたもの! 出かけていないんだから、犯人のはずがないわっ」
「……じゃあ、フィーはアガルトと一晩中一緒にいたと証言できるのか?」
ディオラルドさんの静かな問いかけに、私は言葉を詰まらせた。
「そ、それは……っ、一晩中は一緒にいなかったけど。でも……っ」
「それじゃダメなんだ。いや、仮にアガルトと明け方まで一緒にいたとしても、家族であるフィーの証言は信頼に値するとは認められないだろう。家族なら、相手を護るために嘘だって吐くと思われてしまうからな……」
「そんな……」
昨夜は、いつものように父と夕食を食べて、父に『おやすみ』と言って自室のベッドに入ったのだ。
それから朝まで私は熟睡していた。
夜中は父が寝ていたのか、起きていたのかも分からない。
けれど、父がそんなことをするはずがない。それは私が誰よりも分かっている。
「それはきっと、占い師オーリンのしわざだよっ! いま世間を騒がせている色持ちの魔法使いの怪死事件だって、きっとオーリンが……!」
私の台詞をさえぎるように、ディオラルドさんは片手を上げた。
そしてディオラルドさんは眉間をもみほぐしながら、大きなため息を漏らす。
「そのオーリンだが、昨夜死んだぞ」
「……え?」
私の口から変な声が漏れた。
ディオラルドさんは、何を言っているのか……。
──オーリンが死んだ?
「悪い知らせだ。今朝未明、占い師オーリンが自宅で目玉をくり抜かれた状態で発見された。その遺体が発見された時に、犯行現場にお前の姿があったんだ。目撃者によると、その男はすぐに逃げてしまったそうだが……虹色の瞳と金髪の三十歳くらいの男で、アガルト・リッターで間違いないと言う」
息継ぎする間もなく、ディオラルドさんは、まくし立てた。
私は放心状態になってしまっていた。父も目を剥いている。
「そういうわけで、お前には二つの事件の容疑者として名前が上がっているんだ。任意同行して、取り調べに協力してほしい。おとなしくしてくれたら乱暴なことはしないと、彼らは約束してくれている。……けれど拒否するなら、やましいことがあると見なすとも……」
「そんなの、ほとんど強制じゃない……!」
私はそう叫んだ。だが、父は頭を振って言う。
「……良いだろう。俺を連れて行け」
「お父さん!?」
私は父の方に身を乗り出した。
父は私に向かって淡々と言う。
「フィオナ、この事件には何か裏があるぞ。……俺には、とうていオーリンが死んだとは思えないんだ。だから俺は事件解決のために協力しようと思う。国外逃亡もやろうと思えばできるが……それでは、いつまで経っても問題が解決しない」
「……じゃあ、一緒にきてくれ」
ディオラルドさんは父をそう促した。
私はぎゅっとスカートを握りしめる。
行かないで、と言いたかった。けれど、それは反逆罪になるだろう。
そうなったら、もう、ここにはいられなくなる。
クラウスやディオラルドさんにも会えなくなる。
私はどうすれば良いか分からず、途方にくれた。
父はその場にかがみ込み、私に視線を合わせる。
その眼差しには硬い決意が見て取れた。
「……どうか、家から一歩も出ないでくれ。俺が生きている限り、ここには結界があって安全だから。ルルを決して手放すなよ」
「お父さん……でも……」
「大丈夫だよ、フィー。アガルトのことは俺に任せてくれ。……一日一回は必ず俺が様子を見にくるから。手がどうしても空かない時は、弟子のクラウスをよこすよ」
ディオラルドさんは、そう言った。
私は父とディオラルドさんが出ていくのを見送ることしかできなかった。
◇◆◇
私はしばらくの間、居間の椅子に座って気力が抜けて、ぼんやりとしていた。
──お父さんが最重要容疑者。
オーリンが死んだ。
どちらも、信じられないことだ。
私の頭から机に降り立ったルルが、こちらを心配そうに見上げてくる。
「ああ、ごめんね。お昼ご飯食べなきゃね」
乾燥させた果実と木ノ実を小さく切って小麦の粉に混ぜ、魔導冷蔵庫から取り出した牛脂の塊と混ぜて練り、指先ほどに丸める。
それと、昨日庭で採れたばかりの新鮮な葉物野菜と森で採れた果実を一口サイズに切り分け、小皿に盛ってルルの前に置く。
ルルはおしりの火をぷるぷる震わせながら食べ始めた。めちゃくちゃ喜んでいる。
私も頬を緩ませて、自分用に切った果実を一口だけ口に入れる。だが、そのまま机につっ伏してしまった。
脳裏をよぎっていくのは、父のことばかりだ。
「……お父さん、大丈夫かな」
そうつぶやいた時、玄関の鈴が鳴った。
おそるおそる玄関扉の前まで行って「……どなたですか?」と尋ねると、向こうから「オレだよッ! オレ! クラウス!」という聞き慣れた声が聞こえる。
私はホッとして、ルルを肩にのせたまま扉を開けた。
そこには少し見ない間に大人びたクラウスが立っていた。
仕立ての良いシャツと青いリボン、紺色のコートと同色の帽子を身につけている。短いズボンの膝だけが出ており、ブーツをまとっていた。
品の良い装いをしているのは、彼が公爵家の跡取りになったからだろう。
「よっ! なんか、久しぶり……だな」
クラウスはそう言って、照れたように笑う。
私はクラウスに抱きついた。
「クラウスッ! お父さんが……」
気づかないうちに心細さに耐えきれなくなっていたのか、涙が勝手にこぼれ落ちる。
クラウスは身を凍りつかせていた。
「おっ、お前の父さんの話は師匠から聞いてる。……その……、大変だったな……」
「うん……」
クラウスから身を離すと、彼の顔が朱色に染まっていた。
「ごめんね、玄関先で。こんなに赤くなって……外は寒かったでしょう? 中に入って」
「いや、これは……。お邪魔します……」
そう言って、クラウスは家に入った。
──そういえば、出会ったばかりの頃は私より身長が低かったのに、いつの間にかクラウスと身長が同じくらいになっている。
こんな短期間の間に成長するなんて、やっぱり男の子だなぁと感心した。
クラウスはなぜか廊下の壁に手をついて、大きく深呼吸して何か呪文のようなものをブツブツと唱えている。
私は紅茶を淹れて、クラウスの前に出した。
「クラウス。忙しそうだったけど、お家のことは大丈夫なの?」
私がそう尋ねると、クラウスは鷹揚に笑った。
「経営やら領地の勉強ばかりで大変だよ。でも、ちょっと落ち着いてきてたから、そろそろフィーに会いに行こうと思ってたんだ。師匠に頼まれてラッキーだったよ。家庭教師の顔を見るのも嫌になってたところだしな」
そうクラウスがおどけたように言うので、私はようやく少しだけ気が抜けて笑ってしまった。
多分、私の気を楽にさせるためにそんな言い方をしてくれているのだろう。
私は心のもやもやを吐き出すように今朝起こったことをクラウスに話していく。
全てを聞き終えると、彼は深く息を吐いた。
「なるほどな……。まぁ、お前の父さんは大賢者だから、一方的に罪人として裁かれることはないはずだ。……おそらく事情聴取をされて、城の牢屋へ入れられるだろうが……すぐさま罪が確定して処刑されるわけじゃない」
私は強くうなずいた。
基本的に容疑者は犯人と同じ扱いをされる。
今なお、地方では容疑者に自白を強要させたり、火や水を使って傷つくかで罪かどうかを調べるという、野蛮なやり方がまかり通っていると聞く。
裁判が行われて、公平に裁かれるのは都市部の貴族だけだ。
それを思えば名誉男爵として手厚く任意同行を求められたのは、かなりマシな方なのかもしれない。
……とはいえ、濡れ衣だから納得できるものではないけれど。
「お前の父さんは、アリバイ作りのために兵士達と一緒に行ったのかもな」
クラウスがぽつりと言った。
「どういうこと?」
「アガルト・リッターならば、お前と一緒に逃げることもできただろう。でも事件解決のために協力することにした……それは、もし、また同じような事件が起きた時のためのアリバイ作りもかねているのかもしれないって」
私は「あっ」と声を漏らしそうになった。
確かに同じ事件がまた起きないとも限らないのだ。
その時にこの家にいるよりも、周りに監視の目があった方が良い。
「でも、お父さんがいつまで捕まっているのか分からないし……最悪の場合は、潔白なのに犯人だって決めつけられてしまうかも……」
私はそうつぶやいた。
仮に無罪放免となったとしても、街の人達の疑いの目は避けられないだろう。
それでも生活していくことはできるだろうが、父がそんな目で周りから見られることは耐えられない。
「そうだな……だが、子供のオレ達にできることはないよ」
クラウスはそう重い口調で言った。
私はうつむく。
……はたして、そうなのだろうか?
お父さんは今は自由に身動きができなくなっている。
だったら、お父さんの潔白を晴らすことができるのは、私しかいないんじゃないだろうか……?
そう思うと、居ても立っても居られない気持ちになる。
私は立ち上がった。
「……お父さんはじっとしてろって言ったけど! でも私はお父さんやディオラルドさんに護られてばかりの子供じゃないもの! ──だって私は大賢者アガルト・リッターの娘で、弟子なんだから……私が犯人を見つけ出す!」
クラウスが目を剥いた。慌てたように言う。
「でっ、でも! この家から出るのは危ないぞ。どこに犯人がいるか分からないんだから」
それは覚悟の上だ。
私は両手を組んで、クラウスに懇願した。
「お願い、クラウス。見逃して。私のお父さんの危機なの。クラウスなら、分かるでしょう? 家族が大変な目にあっている……もしかしたら死ぬかもしれないという時に、黙って見てなんていられないよ! クラウスに迷惑はかけないようにする。約束するから……」
クラウスは言葉に詰まったようだった。
しばらく黙り込むと、銀髪をかき上げて、彼はハァとため息を落とした。
「……分かった。ただし、オレも一緒に行く」
「えっ」
私は目をぱちくりさせる。
クラウスの頬は赤くなっている。照れ隠しのように早口で彼は言った。
「フィーは危なっかしいから、オレが見ておいてやる」
「えぇ?」
正直、クラウスの方が危なっかしいと思う。だが、私は黙っておいた。
まぁ、クラウスは幼い弟妹達の面倒を見てきたから、なんだかんだ世話焼きなのだろう。
「……ありがとう、クラウス。でも危なくなったら逃げてね」
「お前こそ」
私達はコツンと拳をぶつけ合った。
「まずは、目撃者から調べないとね」
私はそう言った。
クラウスが困惑したように言う。
「どうするつもりなんだ? 魔塔は常に兵士が見張りをしている。倒壊した後でも警備はあるだろうし……オレ達が行っても、追い返されるのがオチだと思うぞ。許可証がないと入ることもできないし。まぁ、うちの父さんに頼んで許可証を入手しても良いけど、時間はかかるだろう」
「……それについては、考えがあるの」
私は今朝届いたはかりの手紙の便箋を広げて、そう言った。
高級感のある封筒には王家の紋章がおしてある。
手紙の末尾についている宛名はラインハルト・ヴィンツェンツ・グランディアだ。
──そう、私の元婚約者である。
昨日の裁判所でラインハルトと出会ったばかりだが、彼は私の住まいをつき止め、翌朝にはお茶会への招待状を送ってきたのだ。行動が早すぎる。
……本当は王太子と関わることにまだ抵抗感があるのだが、こうなったら使える手段は何でも使うしかない。
どちらにしても、王宮内でオーリンが紅茶を流行らせたのか調べる必要はあるのだから。
「え!? これ、王太子じゃないか! お前、いつの間に知り合ったんだ!?」
「アハハ……。ちょっとね」
明後日の方向を向きながら、思わず遠い目になる。
私は羽ペンを手に取った。
「とりあえず、返事を書くから待ってて。街に行ったら返信の手紙を兵士に預けて、被害者宅に聞き込みに行きましょう」




