二十三 疑惑と父の過去
やっぱり、どう思い返してみても、あの蛇のペンダントはオリヴィア・ビュッサーがつけていたものと同じに思えた。
……変わったデザインだけど、同じ宝石店で買ったものだろうか?
──いや……。もしかして、オリヴィアの身内だったりして?
だったら、未来でオリヴィアが同じペンダントを身につけていたのも、うなずける話だ。
私は家に帰ってから父にそのことを話そうとした──が、父の様子がどうもおかしい。
どこか考え事をしているのか、香茶を飲んでいる姿もうわの空だった。
「お父さん、あの占い師のオーリンって何者か知ってる?」
私が尋ねると、父は腕を組んで難しい顔をした。
「……さぁな。あの占い師は素性が分からないんだ。たった一年ほど前に突然現れて、摂政の地位までついたからな」
突然現れて国王のそば付きになり、その後、王は病床に伏して、オーリンは王太子の教育係として陰で実権を握ってきたらしい。
「あの占い師は、どうも胡散臭いんだ」
そう父から聞くと、国王の体調不良も不審に思えてしまう。
「……まさか、国王はオーリンに?」
私がそうつぶやくと、父は肩をすくめた。
「さあ? 証拠もないからな。分からん」
そういえば、未来でオリヴィアも突然王立学園に転入生として現れて、ラインハルトは彼女に惚れ込んでしまったのだ。
まるで、今の王宮にいる人々がオーリンにする態度と同じように。奇妙なほど短期間で、二人とも周囲から信用を得た。
妙に胸騒ぎがする。
「お父さん、王立図書館に調べ物をしに行きたいんだけど、行ってきてもいい?」
私がそう言うと、父は目を瞬かせた。
かつて行っていた王立学園、その敷地内に王立図書館はある。
国内の多くの蔵書が保管されており、ここ以上に本の多い場所は王宮にしかないだろう。
──ここになら、私が探す書物もあるはずだ。
一人で大丈夫だと言ったのだけど、父は心配だから、とついてきていた。
ルルも私の頭を巣にして、くっついてきた。
私が首を傾げたりしても器用に同じ場所に留まっているから、どうやっているのか、さっぱり分からない。
図書館の司書さんにルルの火が本に燃え移らないか心配されてしまったが、ルルの火が私の髪に燃え移ってないのを見てもらって安全を証明しなければならなかった。
そもそも図書館に動物は入館できないのだが、相手は全ての生物の王である不死鳥なので、特例として許可がもらえた。
図書館の司書さん達は始祖王の伝記を調べだし、館長は興奮しすぎて泡を吹いて倒れたり等、ちょっとした騒動はあったが、なんとか入館させてもらえたので良かった。
スタスタと通路を進む私の後ろを、気だるげに父が大股で追ってくる。
「何の本を探しているんだ? 魔法書なら、たくさん家にあるだろうに」
確かに家には父が長年集めてきた魔法書がたくさんある。
だけど、私が探しにきたのは魔法書ではないのだ。
吹き抜けの図書館の二階の隅の方にある、分厚いの背表紙が並んだ一角へ向かう。
毎年発行されている貴族年鑑。
その最新巻を手にとって、ページをめくっていく。
私が探しているのは、ビュッサー子爵家の系譜だった。
「……ない」
何度もページを眺めてみても、オリヴィアの名前はない。
国内の貴族なら、貴族年鑑に記されているはずなのに。
ビュッサー子爵には三歳になる息子しかいなかった。
……私が未来で婚約破棄された時、オリヴィアとは同学年だった。
だから、ビュッサー子爵には私と同じ年頃の──少なくとも七歳くらいの娘がいるはずなのだけど……。
もしかして、オリヴィアは未来でビュッサー子爵家の養子になるのだろうか?
けれど、そんなことは現実にはめったにないことだ。クラウスみたいに庶民から貴族になることは例外中の例外。まれに貴族の親戚の子を引き取るなどはあるが……。
私は念のためビュッサー家の親戚にオリヴィアの名前がないか探したが、やはり見当たらない。
「何を探してるんだ?」
父が本棚に背をもたれるようにして、私に声をかけてきた。
窓から差し込む夕日が父の金色の髪を輝かせている。
私は周囲に人がいないことを確認してから、おずおずと話し始めた。
「あのね、……私の未来のことなんだけど」
父はうなずき、何事か呪文を唱えた。
その瞬間、周囲に膜が張ったような空気がする。
「音が漏れないように結界を張った。話してみろ」
そして私は、未来でオリヴィアが身につけていたペンダントと占い師オーリンのペンダントが同じだったことを話した。
あの占い師はオリヴィアの身内か、と疑ったこと。しかし、貴族年鑑にオリヴィアの名前が出てこないなかったことまで。
私が全てを話し終えると、父は重いため息を落とした。
──呆れられたのだろうか?
私はだんだん恥ずかしくなってくる。
「……よく考えてみれば、大げさだったかも。同じデザインのペンダントなんて、多分いくらでもあるだろうし」
たまたまなのかもしれない。
そう思ってのことだったが……父は首を振った。
「あのペンダントは、この世界にふたつとないものだ」
「……どうしてそう分かるの?」
「あれは俺の父親が持っていたものだからな。まぁ、言ってみれば家宝みたいなものだ」
──父親?
父の父親。つまり私からしたら、おじいちゃんに当たる人か。
「って、お父さん! 私以外に家族いたの!?」
あまりの驚きに、そう尋ねてしまう。
「当たり前だろう。でなければ、俺は何から生まれてきたって言うんだ」
父は顔をしかめて、そう言った。
いや……考えてみれば、いて当然だった。
これまで父の口から祖父母の存在を聞いたことがなかったから、まったく思いいたらなかったけど……。
「私のおじいちゃんとおばあちゃんか……」
私はそうつぶやいた。
父はどこか居心地悪げに身を揺すった後、窓の外をぼんやりと眺める。
「──あれ? でも、どうしてその蛇のペンダントをオーリンが持っているの?」
私の疑問に、父は肩をすくめる。
「さぁな。……あれは、俺の父親のものだ。両親が亡くなった頃にペンダントも失われてしまっていたんだが……俺の兄が持ち逃げしていたんだろう」
「え……? お父さんのお兄さん……ってことは、私のおじさんに当たる人が……?」
困惑しつつ、私は聞いた。
父は悲嘆に暮れたような表情で、ゆっくりと己の身の上を話し始めた。
◇◆◇
父はここより遠く離れた西の国の侯爵家に生まれた。
その国では、このグランディア王国と同じく……いや、それ以上に魔力による格差・差別の大きな国だった。
魔力の有無はごくまれな例外を除いて、ほとんどが親から子に継承されるものと考えられている。
その者の魔力量によって、どんな将来を送るかが赤子の時から決まってしまうのだ。
どんな職業につけるかも、婚姻相手の身分も、魔力量によって決められていた。
その結果、魔力の強い貴族は貴族と結婚し、庶民は庶民と結ばれる。
身分と魔力によって超えられない壁が大きかったという。
父が生まれた侯爵家は宮廷魔法使いとして、代々、国の要職についてきた。
そして父の三歳年上の兄──オーリンは、いとこ同士という貴族の政略結婚から生まれた。
しかし検査しても魔力は平民と同じくらいしかなかったため、不義の子ではないかと周囲からさんざん疑われたという。
必ずしも貴族同士だからといって魔力のある子が生まれる訳ではなかったが……偏見は大きかった。
貴族として生まれたのに庶民ほどしか魔力のない子供は、爵位の継承権も持つことは許されなかった。
オーリンは、まるで使用人のように扱われて育ったという。
もともと良くなかった夫婦仲はさらに悪化し、侯爵は使用人の愛人を持つようになった。
そして彼女は身ごもり……どういう皮肉なのか、虹眼を持つ子供が生まれた。それが父、アガルトだった。
侯爵は使用人との子である父を、後継者として指名した。
侯爵は本妻の子である兄オーリンには見向きもせず、名前すら覚えなかった。
それなのに、庶民の血を引く父は侯爵の嫡子として立派な教育係をつけさせた。父は周囲から愛情をそそがれて育った。
「……今から思えば、オーリンが歪むのも無理はない話だ」
父はそう語る。
オーリンに優しくする者はいなかった。オーリンの母親は『お前は悪魔の子だっ! お前が魔力を持って生まれてこなかったから、こうなったんだ! よくも私を不幸にしたな!』とオーリンに物をぶつけて出て行ったという。
周囲からは雑用を押し付けられ、使用人達もオーリンを貴族として見る者はいなかった。
むしろ『何もできない出来損ないのおぼっちゃん』と馬鹿にされていたという。
父とオーリンは、幼い頃は周囲の目を盗んで庭の隅で会い、遊ぶこともあったらしい。
食事ももらえていない様子のオーリンにこっそりと食べ物を与えたり、彼の体に殴られているアザを見つけて軟膏を与えたこともあった。
「……俺はどうすれば良いのか、分からなかった」
父はそう悲しげに言う。
周囲がおかしいと感じるのに、何もできない。父もまだ子供だった。
オーリンをいたぶる使用人を解雇したくても、幼い彼にはそんな権限はなく、侯爵に言っても軽く諭されるばかり。
後妻となった母親に現状の打開を訴えても『あなたは優しい子ね。でも、あの子には関わらないのが一番よ』と抱きしめられるだけ。
──大人になるにつれて、オーリンは父を避けるようになっていった。
『俺は若様とは立場が違いますから』
『何言ってるんだ! 身分上は俺の兄だろう!?』
『……周囲がそれを許しません。すみませんが、仕事が忙しいので』
オーリンと話したいと思っても、そう言われて無視され続けた。
──俺が大きくなれば、変わるかもしれない。
父はそう楽観的に考えていた。
自分が侯爵位を継いだら、兄を邪険にする者達を解雇してしまおう。
兄や魔力を持たない者のために色んな魔導具を開発して、この世界を魔力が必要ないものにする。
この国から差別をなくすために魔法使いとして尽力しよう、と父は考えていた。
──だが、父が十六歳になったある年、事件が起きた。
両親と使用人達が居間で惨殺されていたのだ。
ナイフで腹部をズタズタに引き裂かれて、その死体の山と血の海の中にオーリンが立っていた。
父は外出から帰ってきたばかりだった。
オーリンは赤く濡れた顔に、歪んだ笑みを浮かべて父を見た。
『若様……いや、アガルト。俺はこの世界を変えようと思う。差別のない世界にするために』
『何言って……』
それは父がやろうとしていたことだ。もっと違う方法で。
『そのためには、虹眼の魔法使いを……全ての魔法使いを滅ぼすしかない』
オーリンはそう言った。
彼の足元には見慣れない魔法陣が光っている。人間が使う魔術言語ではない。
何かがおかしいと思った。
オーリンから、人ならざる者の気配が発せられていた。
今までの彼ではありえないほどの魔力の圧を感じ、父は膝をつく。息をするのも苦しいほどの瘴気が辺りに満ちていた。
『これは……?』
父の足元には、魔族を召喚するための魔法書が開かれていた。
すでに焚書に指定されている本だ。
倒れている者達の中には異形もいる。それで察した。
角の生えた者や、黒い毛が背中まで生えた魔物のような者……。
──魔族だ。
オーリンは倒れている魔族の胸にナイフを差し込み、脈打つ心臓を取り出した。
彼はそれを果実のようにむしゃぶりつく。
その途端、オーリンの茶色い瞳に緑色や紫色が混ざり始める。
『お前、まさか……魔族を食ったのか……?』
父は呆然とつぶやいた。
魔力のない者でも、魔力を得る方法はある。
──それは魔力を持つ相手を食べることだ。
だが、それは忌み嫌われる手段だ。発覚すれば処刑は免れないほどの大罪。
『オーリン……』
放心している父を眺めながら、オーリンは近づいてくる。
『その虹眼の瞳、もらって良いか?』
そう言って、何の躊躇もなく、オーリンは父に向かって鋭く尖ったナイフをつき刺そうとした。
だが、父の眼前で魔法陣が発動し、ナイフの動きが空中で止まる。
父が護身用にかねてより作っていた防護魔法だった。
『……本当、恐ろしいな。簡易詠唱すらないとは。これが虹眼の力か』
オーリンは忌々しげに顔を歪める。
父はこらえ切れず、その場で嘔吐した。死臭に耐えきれなかったのだ。
オーリンはため息を漏らして、ナイフを放り捨てた。
『……まだ、お前を殺すのに魔力が足りない。今日は引くが……必ずまた殺しにくるから、覚悟しておけ』
オーリンの足元の魔法陣が消えると同時に、彼は姿を消していた。
◇◆◇
父の顔が夕日に染まっている。
私は父の話に言葉を失った。凄惨すぎる。
「俺はそれから間もなく国を出て、四年ほど放浪して暮らした。そして、十年くらい前に金を稼ぐためにグランディア国軍の魔導部隊に入り、先の大戦で戦ううちに英雄と呼ばれるようになっていた……国王や周囲からは褒美に領地をやろうとか、娘をやるから王家に仕えるよう言われたが固辞した。親しい者を作れば、オーリンに殺されるかもしれない……そう思っていたからな。できる限り人と交流を持たないようにして、【魔の森】で暮らしてきた。……とはいえ、さすがに誰とも会話せすにいたら仕事はできないから、ディオラルドに魔法協会の仕事を仲介してもらっていたが……。やつとは五年くらいの付き合いになるか」
「そう……だったんだ」
父の言葉が、すとんと胸に落ちる。
父は人嫌いだったわけではなく、周りを傷つけないために一人になることを選んでいたのだ。
やたら私が誘拐されることを恐れていたり、一人で街に行かせないほど過保護だったのも、そういう理由からなのだろう。
父は悲痛な表情で言う。
「俺はあいつが……あの占い師が兄ではないかと疑っている。同じオーリンという名前だし……。占い師の顔は半分しか見えなかったが、奴に顔立ちもよく似ていた」
それに、と父は続ける。
「今、世間を騒がせている〈色持ちの魔法使いの怪死事件〉も、オーリンが関わっている可能性がある」
私はうなずいた。
オーリンが犯人なら魔力の高い者達ばかりが狙われたのも筋が通る。
ただ、私の知る未来では──こんなふうに色持ちの魔法使いが殺される事件なんて起こらなかった。
そこだけは引っかかる。
当時の私は幼かったとはいえ、私は虹眼の瞳を持っているから、そんな事件が起きたら義両親達が騒いでいただろう。でも、そんな記憶はまったくないのだ。
──だったら、何かの原因で過去が変わって、こんな事件が起きてしまったんだろうか?
私は頭を振って思考を追い払った。
殺人鬼の思考回路なんて、考えても分かるはずがないのだ。
「だけど、お父さん。だったら私が未来で会ったオリヴィアは?」
私の問いに、父は顎を撫でながら言う。
「……仮説だが、オーリンは容姿を変える魔法を使えるのかもしれない」
「容姿を……変える?」
「ああ。お前が未来で会ったオリヴィアという少女がオーリンだとしたら、お前を破滅させようとしたのもうなずける。……もしかしたら、あらぬ罪を着せて、虹眼のお前を牢獄に入れることが目的だったのかもしれない。お前を孤立させてから命を狙うつもりで」
その言葉に、背筋がぞくりとする。
オーリンは魔法で容姿を変え、何らかの方法で王太子達を操り、私を失脚させて殺そうとした?
たまたま私の魔法が暴走して私は処刑されることになったが……もしかしたら、そうならなくても殺されていたのかもしれない。
オーリンがオリヴィアと同一人物なら、そうするだろう。
いや、待てよ、と私は考える。考えるほど困惑してきた。
「でも、そんなことをしなくても私は虹眼を持っていたとはいえ、ただの小娘だったのに……オーリンが私を殺そうと思えば、もっと手軽にできたんじゃ……」
「そうだな。……もしかしたら、お前の体の中にあった俺の魔法に気づいたのかもしれない。【時間逆行】の魔法かまでは分からなかったかもしれないが……ただ慎重にやろうとしただけの可能性もある」
私はおそるおそる言う。
「もしかして……私に危害を加えることで、お父さんをおびき出そうとした? その可能性はある?」
父は首を振った。
「──いや、それはないだろう。あの時は、まだ俺はお前の存在を知らなかった」
「あ、そっか……」
「だが、まぁ……確かに。もし俺が何の魔法をかけていたかオーリンが知らなかったなら、魔法の効力が切れた時に俺がそれに気づいて何らかの反応すると思った可能性もあるだろうが……」
父が魔の森で暮らしていることは周知の事実だが、害意のある者は近づけない結界が張ってある。
家に踏み入ることができるのは、父が許した者だけだ。つまり、私やディオラルドさん、クラウスといった一部の者のみ。
──だから、オーリンは父が外に出てくるように、おびき寄せようとしたのかもしれない。恐ろしい話だ。
「でも、魔法で見た目も性別も声色も、まったく別人に変えることはできるの?」
私はそう疑問を口にした。
たしか幻影魔法について書かれた魔法書の項目には、方角を分からなくするなどの魔法についてしか書かれていなかったはずだ。
人に成り代わる魔法はまだない。
父はため息を落として、肩をすくめた。
「……難しいな。魔法はなんでもできる万能の道具じゃない。幻影魔法は魔法式が複雑すぎるし、その幻影対象によって魔法陣形も変わる。つまり、一人の幻影魔法を作っても、他の対象には応用できない。二人目の幻影魔法を作ろうと思ったら、一人目と同じだけの研究時間がかかる。応用性がないから研究されにくいし、魔力も膨大に使うから普通の魔法使いは、ほぼ手を出さないジャンルだ」
「お父さんにならできる?」
「う、うむ……魔法陣の構築に一人につきニ週間ほど時間はかかるが、まぁできなくはないな。やりたいとは思わないが。そうだな……魔力の問題は、虹眼の魔法使いか、魔族ほど魔力がある者なら解決するだろう。時間さえあればオーリンにも可能だ。……ただ、これにはデメリットもある」
「デメリット?」
「すでにいる人間に成りすますのは難しい」
意味が分からなかった。
「どういうこと?」
「適当な人間をデザインして、それに成ることは比較的簡単だろう。……だが、今いる誰かに成り代わろうとするなら、その相手のことをよく知らなければならない。近くで見聞きして、細かいところまで調べ、本物のように振るまう必要がある。顔立ち、声音、喋り方、なまり、立ち振る舞い、受け答え、癖、食べ物飲み物、趣味嗜好。ちょっと考えただけでも色んな個人差があるだろう? そもそも別人なのだから、考え方も違う他人の振りをするのは簡単なことじゃない。俺達は魔法使いだが、役者じゃないんだ。見た目だけそっくりになっても、その人のことをよく知る相手と話せば、どこかでボロが出てしまうだろう。ほんの短時間や遠目なら誤魔化せるかもしれないが」
私は「なるほど」と、うなずいた。
「でも、オーリンは……あ! だからオリヴィアになったのか」
戸籍もない『存在しない人』になった。
すでにいる人になるより、架空の人物になる方がはるかに簡単だったから。
父は口の端をあげる。
「正解。……おそらく、オリヴィアは薬で周りの者を操っていたのだろう。薬の中には廃人にするものもあるし、記憶を混乱させるものや、精神を高揚させる薬もある。それを王太子に飲ませれば、恋をしているように錯覚させることもできるだろうな」
「あ……」
そういえば、未来でオリヴィアが領地の特産品と言って、紅茶を広めていた。
まさか、とは思うが、それに薬が入っていたのかもしれない。
「だとしたら、今のオーリンの周りにも……?」
私はその恐ろしい想像に、うめいた。
父は神妙な表情で、うなずく。
「調べてみる必要があるだろう。さっそく明日、王宮の知り合いを当たってみよう。ビュッサー子爵家も調べなければ。……ああ、魔塔が所有している過去映像投影機を使わせてもらうのも良いかもしれない。動かぬ証拠を集めて、一気に片付ける」
そう言う父に、私は意気込んで言った。
「私もやるっ!」
「ダメだ」
即座に却下されてしまった。
「なんでっ!?」
「危ないからだ。オーリンに襲われるかもしれないんだぞ」
「でも、お父さんと一緒なら危なくないよ」
楽観しすぎだろうか?
でも本当に父と一緒なら何も怖くなかった。
「オーリンは、俺をおびき出そうとして、お前を使うかもしれない……何をしでかすか分からない相手なんだ」
父は悔恨の表情で、そう語る。
「お前を危険な目に遭わせたくない。……ルルがそばにいるから、最悪の事態は避けられるだろうが……心配なんだ。事が終わるまで家にいてくれ」
「お父さん……」
「俺はお前が生きていてくれるだけで、満足なんだ」
そこまで言われたら、引っ込むしかなかった。
私は耐えきれず、父に抱きつく。父は優しく抱き返してくれた。
──父の助けになりたい。でも、足を引っ張るのは嫌だ。
何もできない自分を歯がゆく感じる。
けれど私は父の顔をまっすぐ見上げて、笑みを浮かべた。
「全てが終わったら、ごちそうにしようね! 腕を振るうから!」
父は一瞬言葉に詰まったようだったが、微笑んだ。
「……ああ、必ず。約束だ」




