二十二 判決
「原告は証人台へ」
バンッと木槌が打ち付けられる音と、裁判官の声が法廷に響いた。
その音でハッと意識を取り戻す。
過去のことを思い返しているうちに、ぼうっとしてしまった。
今はそんなことをしている余裕なんてないのに。
視線を上げると、正方形の空間がある証言台の奥──私の正面の壁際には三人の裁判官が座り、一同を見下ろしている。
私の右側に父が座っていた。
証言台から手すりを隔てて右手席に、義母が腰掛けている。私と視線が合うとジロリと睨んできた。
勾留中の身の上のためか、彼女の身なりは伯爵家にいた頃とは比べられないほど質素で、化粧っ気もなかった。
隣には見張りのためか騎士らしき男性の姿がある。
反対の左手の席は原告であるブラウン伯爵の席だが、今は彼は証言台に向かっていた。
左右と私達の席の後方には傍聴席があり、今は見物人でいっぱいだ。
二階の貴賓席にはラインハルトがいる。
ラインハルトが熱のこもった眼差しで私を見つめていることに気づき、なぜか私の全身に悪寒が走った。
私が両腕をさすっていると、父が小声で「大丈夫か?」と問いかけてくる。
私は「大丈夫」と言って首を振ったが、父はしばらく黙り込んだ後、小さく呪文を唱えた。
その途端、まるで布団の中に入っているかのように体がぬくぬくしてくる。周りの空気を暖める魔法だろう。
「……ありがとう」
私がお礼を言うと、お父さんは「別に……」と言って、ツンと顔を背けた。
服の中でルルが出てきたそうにモゾモゾしていたので、私はルルを服越しにポンポンと撫でる。
──ルル。もうちょっとだけ、がまんしてね……。
そう心の中で言い聞かせると、ぱたりとルルの動きが止まった。
もしかして、気持ちが伝わった?
きっと、あのキリッとした表情をしているに違いない。
証言台に立ったブラウン伯爵は叫ぶように言った。
「私は毒婦マルグレードに騙されたのです! 確かに彼女が娼婦だった頃に何度か関係を持ったことはありますが、別れて三年ほどは会っていませんでした。……再会した時には平民には少ない虹色の瞳の赤子を連れており、私の子だから母子共々面倒を見ろとマルグレートは言ってきたのです。私はその言葉を信じ、彼女を妻にして、フィオナを我が子だと信じ、慈しんできましたっ!」
──嘘だ。
ブラウン伯爵は私に無関心だったし、義母は私に王妃となる者の勉強をさせることにしか興味がなかった。
私が解けない問題があると家庭教師は鞭で手を打ってきたし、食事抜きになることもあった。
それらは全て義母マルグレートの命令で行われていたのだ。
ブラウン伯爵は涙を浮かべ、聴衆に訴えかけるように言う。
「フィオナが邸を去ったと知った時は絶望しました。娘のためとはいえ、これまで厳しくしすぎたのではないかと反省もしました……」
ブラウン伯爵の悲痛な主張に、傍聴席がどよめく。
まるで舞台役者のように、ブラウン伯爵は観衆達に向かって言った。
「アガルト・リッターは魔力検査で確かにフィオナの実父と証明されています。しかし、彼に父親が務まるでしょうか? 彼は六年間もの間、フィオナが会いに行くまで娘の存在を知りもしなかったのです。彼は他人に興味がない。彼は英雄ですが、残虐な男だとの噂もあります。彼は父親にはふさわしくありません! 彼の家はゴミ屋敷だったそうですが、今は綺麗になっていると話に聞いています。我が娘のフィオナが掃除したからだそうです。大方、フィオナを掃除婦のように扱っているのでしょう。私でしたら、娘にはそんな苦労はさせません。たとえ血の繋がりはないと知った今でも、私は娘のフィオナを愛しているからです! 彼女は私を父親として認識してくれていました。私には彼女を養女として育てる権利があると思います! どうか裁判官、賢明なご判断をっ!」
隣で父が頭を抱えていた。
ブラウン伯爵の言い分は説得力があるようだ。
私はたまらなくなり、立ち上がって声を張った。
「異議あり! 私は父に良いように使われているわけじゃありません! 自分の住まいが汚いゴミ屋敷であることが耐えられないから、自主的に掃除しただけですっ! 決して命じられてしたわけではありません!」
ご飯を作っているのだって、弟子であるからというのももちろんあるが、何より父の焼くだけの謎肉では不満だったからだ。
必死にフォローしたというのに、父はなぜか、さらなるダメージを受けているようで胸を押さえていた。
「我が娘のフィオナはそこの大賢者に洗脳されているのかもしれません。心を操る魔法は禁忌とされていますが、彼ほどの魔法使いならば、そのくらいは簡単でしょうから……」
「異議あり! それは父アガルト・リッターへの侮辱です。撤回してください」
私の訴えに、裁判官の席にいる右側の若い男性がゴホンと咳払いして木槌を打つ。
「フィオナ嬢の訴えを認めます。……ただ家政婦が欲しいだけなら、アガルト・リッターがその気になれば、いくらでも人を雇うことができたでしょうからね。別に娘でなくても良かったはずです。彼がわざわざ弟子にしてまで、面倒を背負った理由付けにしては薄すぎます。──原告は席に戻ってください。被告人マルグレード・ヘルマ・ブラウン。証人台へ」
ブラウン伯爵は舌打ちして、席に戻った。
裁判官に命じられて、証言台に義母マルグレードが立つ。
「私は友人であるジェーン・ボーランに、フィオナを託されたんです……! ですから、決して誘拐などではありません!」
ざわりと、傍聴席に動揺の声が走った。
誘拐なのか、託されたのか。
それによって義母の罪の重さは大きく変わるだろう。
涙ながらに義母は訴える。
「……私は、じつの娘のようにフィオナを大事に育ててきました。ブラウン伯爵と久しぶりに再会した時に私の娘だと言いましたが、伯爵と血の繋がりがあるとは言っていません!」
「嘘を吐くな! 私との子供だからと、結婚するか養育費を払えと脅迫してきただろうっ!」
ブラウン伯爵が左手席から怒鳴った。
木槌が鳴る。
中央の裁判官が冷たい眼で、義母に向かって言った。
「──静粛に。被告人マルグレード・ヘルマ・ブラウン。その発言を証明できる人はいますか?」
その問いかけに、義母は神妙にうなずく。
裁判官の命令で義母はいったん席に戻り、右手席で年老いた女性が立ち上がって証言台についた。
女性は緊張している様子だったが、表情を引き締めて発言した。
「わ、私は……かつてジェーン・ボーランが働いていた宿で、おかみをしていました。ジェーンは気立てがよく、宿でも人気者でした」
……お母さんの働いていたところのおかみさん?
父は顔をしかめている。顔見知りなのだろうか?
女性はさらに言う。
「……彼女がアガルト・リッターとの子を身ごもってから、私は何度も父親のところへ行った方が良いと説得しました。母一人で子供を育てるのは大変だろう、と。彼女には身内はいませんでしたから……。けれど、ジェーンは『あの人は結婚には向いてないから』と言って、聞き入れることはありませんでした」
隣で父が頭を抱えて悶えている。
「決めつけるなよ……」
と、父はボソッとつぶやいた。
よほど父の心の傷が大きかったのだろう。ガックリと、うなだれている。
宿のおかみは言う。
「そのうち、子供が生まれました。ジェーンはとても可愛がっていましたが、フィオナが三歳を迎える前にジェーンは流行り病で亡くなり……今際の時に、私を呼び寄せてこんな頼みごとをしました。『フィオナをあの人に預けたい』と。私はその時はてっきり、父親であるアガルト・リッターのことかと思いましたが……じつはそれは、マルグレードさんのことだったんです」
「どうしてそう思ったのですか?」
裁判官の席にいる左側の年配男性がそう尋ねると、おかみさんは言う。
「ジェーンが亡くなって間もなく、マルグレートさんがジェーンから送られた手紙を持って宿を訪ねてきたのです。それには『フィオナのことを貴女に任せたい』と書いてありました」
裁判官は言う。
「いくら手紙があったとはいえ、血の繋がりのある父親の方に任せるべきと思わなかったのですか?」
おかみさんは首を振った。
「アガルト・リッターは神出鬼没で、町中でもなかなか会える存在ではありませんでした。それに、さすがに赤子を連れて、彼が住むと言われる【魔の森】へ向かうことは躊躇われましたので……」
確かに、一般人のおかみさんと赤子が森に入れば、魔物は遠慮なく襲ってくるだろう。
そんなことをしたら、獣の餌になっていたかもしれない。
魔物が少ない昼間だって、安全とは言えないのだ。
おかみさんは拳を握りしめて言う。
「それに何より、ジェーンの最後の願いを叶えてやりたい気持ちの方が大きかったのです。……一年ほど会っていませんでしたが、私はマルグレードさんとは面識がありました。ジェーンがマルグレートさんと話しているところを何度か見たことがあります。ジェーンは彼女のことを友人だと話していましたし……信用できると思いました」
「その手紙は本物だったのか?」
突然、父がおかみに向かって質問を投げかけた。
おかみさんは困惑しつつも、うなずく。
「え、ええ……あれはジェーンの筆跡だったと思います。ジェーンは宿の帳簿も書いてくれていましたし、その癖のある文字によく似てましたから……」
「けれど、それはジェーンから送られたものという証拠というには根拠が薄いだろう。筆跡なんて、いくらでも真似できるのだから」
父の言葉に、おかみさんは青ざめていく。
「た、確かに、そうですね。その時は考えもしませんでしたが……」
そう、母が私を託そうとした相手が父だった、と考えた方が自然だ。
中央の席の裁判官が義母に問いかける。
「その証拠の手紙はどこかに残っていますか?」
そう尋ねたが、マルグレートは首を振った。
「昔のことですし、もう手紙は無くしてしまいました」
そうなると、筆跡鑑定もできない。
義母とおかみの証言のみに頼ることになってしまう。
義母が嘘を吐いているとハッキリと知っているのは私だけだ。私が未来で養母から直接聞いたから、という根拠しかない。
けど、そんなこと言えるわけがないし……。
膠着状態だった。
このままでは裁判が持ち越しになってしまう。
そう不安に駆られた時、父が片手をあげて立ち上がった。
「裁判官、証言台で発言をしても?」
「良いでしょう。許可します」
中央席にいる裁判官がそう言った。
父は私の頭を軽く撫でて歩いていくと、証言台に立った。
一同を見回した後、よく響く声で言う。
「原告と被告はフィオナを愛しているとおっしゃいますが……。その言葉に嘘偽りはないと誓えますか? そして、これまでの全ての発言は真実であると?」
父のその言葉に、ブラウン伯爵はカッとした様子で怒鳴る。
「勿論だ!」
「わ、私だって、そうですわっ!」
義母がそう叫んだ。
「良いでしょう。それでは、それが真実か確認しましょう」
父の言葉に、ざわりと人々が動揺したような空気になる。
「ど、どうやって確認するというんだ? 神に誓えというなら、いくらでもやるが……」
ブラウン伯爵は一瞬狼狽した表情を見せたが、すぐに余裕を取り戻す。
「私には真実が分かるのですよ」
父は悠然とそう言った。
ブラウン伯爵は鼻で笑う。
「ハッタリだ!」
父は自分達の席から少し離れたところに座っていた男性達に手で合図する。
彼らは立ち上がり、胸元に手を当てた。
青年から老年まで六人もの人々が、制服らしき衣装をまとっている。
……あれは、魔塔の魔法使い?
国内トップの魔法研究機関で働く人々だ。主に魔導具の研究開発を行っている。
「私が魔塔に協力して、こちらが最近開発が成功した魔導具です。これは対象の過去を写すことができます」
父がポケットから取り出したのは、穴がいくつも開いた丸い装置だった。
「それでは、お二人の過去を見てみましょうか」
「まっ、待て……ッ!!」
ブラウン伯爵の制止にも構わず、父がにっこりと微笑んだ。
父がおもむろに魔導具を撫でると装置の穴から光が漏れて、空中に等身大のブラウン伯爵と義母と私の像が映し出される。
義母が二歳の私をブラウン伯爵に引き合わせている時のようだ。
伯爵の執務室だろう。
ブラウン伯爵は椅子に腰掛けたまま、冷たい眼差しで義母と私を見つめていた。
私は義母に手を握られていたが、眠気に負けてウトウトしはじめている。すぐにブラウン伯爵の命令で、使用人に別室に連れて行かれてしまう。
私がいなくなるなり、義母は父にしなだれかかった。
『あの子は私と貴方の子供よ。見た目も可愛いでしょ? 気に入ったかしら?』
『……私の子だと? 私と血が繋がっているというのか?』
『ええ。虹色の瞳なんて、平民ではなかなかいないでしょう? きっと、貴方の先祖の血が濃く出たのよ』
『お前は娼婦だ。私の他にも相手はいた。貴族の情婦として荒稼ぎしてきたんだろう。私の血とは保証できないな』
『あら。……私はこんなに貴方を愛していたのに疑うの? 貴方にとっても、虹眼の娘は便利でしょう』
義母はどこか甘えたような口ぶりで、ブラウン伯爵の耳元に唇を寄せる。
『今は王族にも、あんな見事な虹色の瞳はいない……。あの子を年頃まで育てれば、きっと王族に輿入れすることもできるわ』
ブラウン伯爵はフッとかすかに笑う。
『……あんな虹眼を持つ者は、今は大賢者アガルト・リッターくらいのものだ。良くやったな。あいつは知らないんだな?』
あいつというのは、明らかに父のことを指していた。つまり二人共、私がアガルト・リッターの娘であることを知っていたのだ。
義母は妖艶に笑った。
『もちろん。……だから、あの子は私達の子よ。良いでしょ?』
そして場面が切り替わる。
これは数年後の映像だろうか。私が五歳くらいの時のことだった。
『どうして、こんな問題も解けないのですか? 先日勉強したところですよね?』
家庭教師は棒のような鞭で私の手を叩いた。
私は『ごめんなさい……』と言って、涙を手の甲でぬぐう。
『お嬢様が真面目に勉強をしないと、お母様に報告させて頂きますね』
この住み込みの家庭教師は義母の言いなりで、私に厳しい人だった。
『おかあさまには言わないでっ! ごはんぬきにさせられちゃうよ。もっと、がんばるから……っ』
私は必死にそう言ったが、家庭教師はハァとため息を落として私に再度鞭をふるった。
『令嬢はそんな言葉遣いはしません。丁寧にお話しなさい。そんな様子では、王太子の婚約者になれませんよ』
『べっ、べつに、わたしはそんなもの、なりたくないもん……』
その瞬間、また鞭が飛んだ。『ひゃっ』と私は叫ぶ。
『王妃になることは、大変な栄誉なのです。それはご両親のためにも、あなたのためにもなることです。私達がフィオナ様に厳しくするのは、あなたのためを思ってのことなのですよ?』
そう言われると、映像の中の私は萎縮したように身を小さくして黙り込んだ。
『ごめんなさい……がんばります』
そして、映像が消える。
現実世界の法廷に戻ってからも、まだ意識が過去に囚われているような感覚だった。
父は笑顔を浮かべていたが、こめかみに青筋が立っている。
「これで、お二人が嘘の証言をしていることがお分かり頂けたはずです。それに被告がジェーンから手紙を受け取ったというのも嘘でした。ジェーンが書いた紙を被告はこっそり持ち帰り、腕の良い写本師に依頼して手紙を作らせ、ジェーンからの手紙だと偽ったのです。その映像もご覧になりますか?」
そう言って父が魔導具を撫でると、ブラウン伯爵が突然机を叩いた。
「嘘だっ!! あんな映像はまやかしだ!! あいつは私を罠にはめるために、偽物の映像を作ったに違いない! き、きっと、幻影魔法装置だ! あいつは仮にも大賢者と呼ばれる男だからな。そのくらいのことはできるはずだ……っ!」
「それは魔塔の者達をも侮辱する発言ですよ? 私はあくまで技術協力しかしていません。開発は魔塔の魔法使い達が行ったのです。それでどうやって幻影魔法が仕込めると? 疑うなら彼らに聞いてみると良い」
父はうんざりしたように、ため息を吐く。
皆の視線を受けて、魔塔の代表のような老人がおずおずと発言した。
「……魔塔の代表として、アガルト・リッター様の発言に偽りがないことを証言いたします。彼は不可能と思われていた魔法理論をあみだし、我々にご提供くださっただけです。その装置を調べれば、それ以外の魔法構文が見つからないことは分かるはずです」
「嘘よっ!!」
そう叫ぶ義母と、暴れるブラウン伯爵が兵士に取り押さえられる。
しばらく裁判官達三人が話し合っていたが、ようやくまとまったらしく、中央の男性が咳払いして、木槌を打ち付けた。
「ブラウン伯爵は娘と血が繋がっていないと知りながら周囲をだまし、幼い少女を利用しようとした罪により……領地の収入三年分の支払いを命じる!!」
「そ、そんな……っ! 裁判官、御慈悲を!」
青ざめるブラウン伯爵。
裁判官はそれは無視して、義母の方に顔を向けた。
ガクガクと震えている彼女に向かって、中央の裁判官は言う。
「友人の子供を誘拐して己の子供と偽り、伯爵をそそのかした罪。そして諸々の罪状をかんがみ……被告人マルグレード・ヘルマ・ブラウンに懲役十年を求刑する!! ──これにて閉廷とする!」
ガックリと肩を落としたブラウン伯爵と義母が兵士達に連れられて行く。
──ようやく、終わったんだ。
そう思うと、ほっとした。じんわりと目に涙がにじむ。
こちらに歩いてくる父を見つけて、私は父に抱きついた。
「おっと……大丈夫か?」
私は何度もうなずき、父の懐に顔をうずめる。
私の胸の辺りがモゾモゾした。……あ、まずい。ルルを潰してしまうところだった。
私が内心『ごめんね』と謝りつつ胸元を撫でていると、王太子と黒ずくめの男性が私達のところへ近づいてくるのが見えた。
私はラインハルトと目が合って、ぎくりとする。
私は一瞬父の陰に身を隠れたくなったが、ぐっと堪えてラインハルトに向き直った。
かつて濡衣を着せられたことは許せないし、心の奥に引っかかっている。
けれど、だからといって、今の何も知らない幼い彼に失礼なことして良いわけじゃない……と思う。
過去の映像の中で、悪気はないとはいえ、私は『王太子の婚約者になりたくない』と言ってしまったし……。
公衆の面前で、ラインハルトの顔に泥を塗ってしまった形だ。とても気まずい。
私はスカートをつまみあげて、深く腰を折った。
「あ、あの……ラインハルト殿下。先ほどは過去の映像の中で、失礼なことを言ってしまい、たいへん申し訳……」
私がそう言いかけた時、ラインハルトは私の手をつかんできた。
「っ!?」
顔を覗き込むように凝視される。彼の青い目がキラキラと輝いていた。
「謝る必要はないよ。でも、やはり、きみは素晴らしい女の子だね。自分の非を認めて謝罪するなんて、なかなかできることじゃない」
「え? あ、あの……手を……」
離してほしいと願ったのだが、むしろ両手で包み込むようにガッチリ握られてしまう。
「ぼくの婚約者になるために、身内から努力しろと言われてきたんだろう? 過去の映像を見たよ。きみは義母や家庭教師から虐げられていた。今の平和な君の境遇を思えば、辛い過去を思い出す要因になるぼくのことを避けたいと思うのも無理はない。……でも、ぼくはきみを苦しめるつもりはないと理解してほしい」
「あ……あの……」
まくしたてるように言われ、私は困惑する。
ラインハルトは大きな勘違いをしているようだ。けれど、完全にまと外れというわけでもなくて、反応に困る。
突如、横から伸びてきた父の手が、私とラインハルトの手を上から握った。
「殿下……嫁入り前の娘なので、触れるのはその辺りにしておいてください」
父の目はまったく笑っていない。
「あっ、そうだったな……。すまない」
ラインハルトはあっさりそう言って、少し頬を染めながら手を離した。
その時、真っ黒なフード付きマントをかぶった男性が前に出てきて、ラインハルトを遮るように手を伸ばして叫んだ。
「殿下、この娘は危険です! だまされなさるなッ!」
「どういうことだ?」
眉をひそめて聞き返すラインハルトに、占い師オーリンは言う。
「災厄の娘です。生かしておけば、この国に災いが降りかかるでしょう」
「……オーリン、その占いは確かなのか?」
ラインハルトの問いかけに、オーリンは深くうなずく。
「ええ。私の腕は、殿下もよくご存知のはず」
占い師の言葉に、その場が騒然となる。
法廷が閉幕しても、その場には多くの人が残っていた。
観衆が騒ぎ始める。まさか本当に災厄の娘なのか、と疑念を口にしていた。
「災厄……」
私は口の中だけでつぶやいた。
脳裏に、かつて魔力を暴走させてしまった時の光景がよみがえる。
私は確かに王都を半壊させてしまった。
オーリンはまさか、そのことを言っているのだろうか?
彼の不思議な力で予言されてしまった?
私は頭が真っ白になっていた。
私はお父さんに弟子入りして、魔力の制御方法について勉強してきたはずだ。
……でも、まだ足りなかったのだろうか?
──また、あんな未来が起こってしまう?
いつの間にか、私は優しく抱きしめられていた。父だ。
彼は苦痛をこらえるような表情で言う。
「……たとえお前が魔力を暴走させることがあっても、俺が必ず止めてやるから」
「お父さん……」
ああ、そうだ。今はあの時とは違う。
私は王太子の婚約者じゃないし、ここは王太子の誕生日パーティーでもない。
何より、私のそばには父がいる。
父は占い師に向かって怒鳴るように言った。
「よくも俺の娘を侮辱したな」
オーリンはくすりと口の端を上げる。
「侮辱だなんて、誤解です。娘さんから、お話を聞かせてもらいたいだけです。別室で娘さんと二人でお話させてもらってもよろしいでしょう?」
「断る。無礼者と話す道理はない」
「ならば、強引にでも一緒に行ってもらうしかありません。私は陛下の代理として兵を動かす権利を得ているので」
そして、オーリンは法廷内にいる警備兵達に命じた。
「その娘を捕らえよ!!」
周囲に緊張が走る。ラインハルトが何か言おうと口を開きかけた瞬間、私の目の前に魔法陣が出現した。
父の防護魔法だ。
「……娘の敵になると言うなら、容赦しない」
声を荒だてることもなく、父は淡々とそう言った。
私は父の衣をつかむ。
「お父さん……でも、逆らったら……」
相手は国王の代理だ。オーリンに逆らうことは、国に逆らうことと同じだろうに。
「良いんだ。なんなら、ルルとお前と俺で、この国から出ていこうか。俺はこの国に未練はない。お前の敵になる国など、俺には必要ないんだ」
その父の言葉に胸が詰まるような気持ちになった。
そんなに私のことを思いやってくれていることが嬉しい。
けれど、同時にそんな事態になったら……と思うと、恐ろしくてたまらない。この国から離れれば、ディオラルドさんやクラウスとも会えなくなるかもしれない。
「おっ、お考え直しくださいっ! アガルト・リッター様! 大賢者のあなたがこの国からいなくなるのは、この国にとってどれほどの損失か……っ!」
「どうか、この国を見捨てないで……っ」
泡を噴きそうな様子で叫んだのは、魔塔の魔法使い達だった。
その時、私の胸元からルルが飛び出てくる。
「ルルッ!?」
長いしっぽの先に火がついた小鳥が、法廷内を舞うように飛んだ。
人々がルルを見上げて、口々に叫んだ。
「あの小鳥、燃えてるぞ!」
「誰か、水を持ってきてくれ……っ!!」
まさか、ルルが火の鳥とは思わないらしかった。
ルルは旋回するように飛びまわった後、私の肩に留まった。キリッとした表情で一同を見つめている。
「ひ、火がっ!」
ラインハルトは私の肩に留まったルルを見て火が燃え移ると思ったのか、慌てて手で払い落とそうとしていたが、私がそれを制止した。
「大丈夫です、殿下。この子は……」
もうこうなった以上、隠すのは無理そうだ。
父がうなずくのを横目で見て、私も覚悟を決めた。
「……不死鳥なんです」
私がそう言うと、「おお……っ」と観衆がどよめく。
「神鳥がかしずくのは始祖王のみのはず……」
突如現れた伝説の存在に、神への祈りを捧げ始める者や、近づいて見ようとする者達で、法廷は大混乱に陥った。
「静まれっ!!」
ラインハルトがそう叫び、その場にいた者達がビクリと背筋を正した。
「その鳥は間違いなく不死鳥だ。もし彼女が災厄の娘だとしたら、不死鳥が懐くはずがない」
ラインハルトの言葉は幼いながらも、説得力を持って響いた。
兵士や貴族、その場にいた一同が膝をつき、私に──というか、ルルに向かって平伏する。
「オーリン、占いは絶対ではないだろう。まだ確定しない未来だ。間違うこともある」
ラインハルトの言葉に、オーリンは何も言わずに頭を下げた。
しかし、一瞬凄みのある眼で私達を見つめてきたから、彼が納得していないのは明らかだ。
この場の雰囲気と、ラインハルトの言葉があったから引いただけだろう。
……もし、ルルがこの場にいなかったら、どうなっていたか分からない。
私は拳を握りしめる。
オーリンの胸元から覗く蛇の赤い目が、こちらを睨みつけているように感じた。




