第87話 変わらない物
「ストラス、教えてくれ。最後の審判のこと」
光君を大分に送り、セーレが戻ってきたことを確認して、俺はストラスに問いかけた。
中谷は光太郎とはしゃいでいたが、その質問に反応してこっちに振り返り耳を傾けている。ストラスは無言で俺を見つめた後、パイモン達と頷き合った。
87 変わらない物
『拓也、ソファに座りなさい』
ストラスにそう促されて、ソファに座る。多分、長い話になるんだろうな。光君からある程度の話は聞いていたけど、詳しい説明はまだ聞いていない。俺がなぜ悪魔を地獄に戻さないといけないのか ― その本当の答えをやっと知れるような気がして心臓がうるさく鼓動している。
「拓也?」
先ほどと違い、急に真面目な空気になった俺に澪が不安そうに声をかけてくる。
澪も知る権利はあるんだよな。契約してるし、手伝ってくれてるし。聞かせない方がいいのかもしれないけど、部外者でもないし、澪はきっと知りたいと思うだろう。
「澪、話聞く?」
「うん」
主語のない問いかけでも澪は頷いた。澪が隣に座るのを見て、光太郎と騒いでいた中谷達もこっちに近づいてくる。光太郎は何が始まるのか首をかしげていたが、中谷や俺の態度にただならぬ事態だと言うことは感じているらしい。口をはさんだりはしてこなかった。
「教えてくれ。審判のこと」
「そう、それについては俺も聞きたい。すげえ不穏なことばっかり言ってただろ」
中谷もやっぱ気になるんだよな。思い出したようにソファに身を乗り出す。光太郎もまだ体をぎこちなく動かして空いたソファに座り、体重をかけている。全員が話を聞く体制に入ったことを確認したストラスは深呼吸をしたあと、自分にも言い聞かせるようにゆっくりと教えてくれた。
『光太郎と澪は初めて聞く話ですよね。順を追って説明しましょう。ソロモンの悪魔をなぜ地獄に戻さなければならないか、そこから話しましょうね』
「え、それは悪魔が人間の世界にいるのが悪いことだからだろ」
『そうですね。それは最もです中谷。しかしそれだけではありません。この世界は天使の管轄下にあります。貴方達は知らないでしょうが、悪魔と天使は過去に数回にわたり世界を巻き込んだ戦争を行っている。悪魔が勝利するときもあれば、痛み分けで終わるときもある。前回の悪魔と天使の戦争は天使が勝利した。貴方達にとっては聞こえは悪いですが、勝者である天使が地上である人間の世界を自分たちの理想のままに創造する権利を持つ。何万年もの時を経て、天界の助力を経て、世界は進化を遂げてきた』
既に話が追い付かない。つまり、この世界は天使たちが人間を守っているってこと?世界を理想のままに作り替えるってのは納得いかねえけど。天使は俺達を守りながら世界を作っていたってことだよな。
『しかし世界というものは全て自分たちの理想の通りに行くことはない。神話……神と天使が人間と近しかった時代は人間の知恵がつくにつれ終わりを迎え、人間だけの世界がつくられるようになった。貴方達も聞いたことがあるでしょう。日本神話や北欧神話、ギリシャ神話、あの時代が終わりを告げて今は人間が自身の知恵で世界を動かしている』
「それは神様的には嫌なのか?」
日本神話とか内容は知らないけどアマテラスくらいなら知っている。あの話は俺たちにとってはフィクションだけど、ストラスの言う世界を神様が作ったって言うのなら、創生初期に神と人間が近い距離だったって言うのは頷ける話なのかもしれない。
『神はある程度は寛容です。人間たちが自身たちを崇拝し、一部は偶像まで作り崇めていたのだから。しかし、人間は知恵をつけすぎた……今はその時期に入ってきています。神への信仰は薄れ、悪魔に対する憧れを抱き、神の教えを曲解し、欲望のために罪を犯す。神からの裁きや天罰など、今の人間にとっては脅しにもならないでしょう。そしてこのタイミングで悪魔が現れた……悪魔の存在を世界に放置し続ければ人間は神や天使よりも甘言を紡ぐ悪魔に肩入れをしていく。これは否定することはできない、人間は弱い生き物なのです。しかし神と天使からすれば、自分たちの作った世界で自分たちへの崇拝を忘れ、自然の摂理を凌駕する技術を開発し、悪魔への憧れを抱く。そんな世界を許すはずがない。その状況に神が裁きを与えると決めたときに、最後の審判が行われる。世界創生のやり直しです。つまり最後の審判とは天使が人間に裁きを与え、再度世界創生をするための儀式なのです』
光君は戦争って言ってたけど、表向きには裁きってことになってんのか?それについてストラスに問いかけるとストラスは解釈は違うけどその通りだと頷いた。
『そうですね。結果としては戦争ですが……最後の審判の定義としては、人間の神への信仰心の薄れや人間の傲慢、そして世界の歪みなど……それらが極限まで行くと天使が人類全てを滅亡させて裁きを与えるという事になっています』
「何だよそれ……」
人類滅亡なんてゲームや漫画の世界でしか聞いたことのない単語に黙って聞いてた中谷が震えた声を絞り出す。
しかしストラスは中谷に一瞬目をやり、続きを話した。
『そして全てが無になった世界で召喚門の封印は完全に解かれます。そこから全ての悪魔が地上に姿を現し、天使の軍団と七日七晩かけて戦争を起こします。その戦争で勝った者が無になった世界にまた生命を与え、理想の世界を作るのです』
「それが最後の審判……」
澪達は真っ青になってこの話を聞いている。そんなことが起ころうとしてるのか……どのくらいのタイミングで?まだ数百年は先なのか?それとも数年以内?まさか数か月以内とか、言わないよな……
あまりの展開に全員が絶句している。
『滅亡した人類の魂は天使が奮いをかけて地獄に落とす者、そのまま天界に送られる者、様々です。しかし優秀な魂は天使の兵として戦争に参加させられるのです』
「そんなのがもうすぐ起こるってのかよ……」
中谷は乾いた笑いを出して、その場に座り込んだ。思った以上にスケールのでかい話をされて頭がパンクしそうだ。こんなの、どうしようもないじゃないか。俺たちにどうしろって言うんだよ。
「冗談だろ。皆死ぬとか笑えないし」
『これが現実です』
「現実ですで納得できるわけねえだろ!」
中谷は大声を出してその場に塞ぎこむ。ただ悪魔を倒せばいいんだと言う単純な目標が手に負えない事態の布石になっていたなんて想像もしたくない。光君は、この事実を聞いた時どんな気持ちだったんだろう。全てに絶望したと言う気持ち、わからなくもない。
「そんなの嘘だ……」
「中谷」
ヴォラクが近寄って中谷の背中をさするが、中谷は目にはうっすらと涙が浮かんでいた。中谷だけじゃない。澪も恐怖で震えてるし、光太郎も顔が真っ青だ。
「何とかそれを防げないのか?」
「だから悪魔を地獄に戻すのです。人間と悪魔の距離がこれ以上近くなることを神はきっと許さない。光太郎、中谷、貴方達もその為にやってきたのではないですか」
「そうだけど……でもそんなの信じられるか!!」
中谷は大声を張り上げて、挨拶もせずマンションを走って出て行ってしまった。思わず名前を呼んで手を伸ばしたけど、中谷には届かず勢いよく閉められた扉に阻まれてむなしく宙を切った。
放心している俺の横で光太郎も立ち上がり荷物をまとめてゆっくり歩きだす。
「少し頭冷やさせてくれよ。これを簡単に受け入れるなんて無理だろ……」
「光太郎……」
「俺も一回家に帰るわ。家族に会いたいし……」
光太郎もマンションを出て行って、俺と澪だけが取り残された。澪は震えており、今にも泣いてしまいそうだ。
「拓也は平気なの?」
「平気じゃないよ」
「嘘。だって拓也は震えてもないし、怖がってもない。こんなの嘘だよ、嘘……」
人類滅亡なんて俺達が解決するには荷が重すぎる。いっそ、国に直訴したらどうだろう。そんな考えすら湧いた。ストラス達を連れていけば信じてもらえるかもしれない。膝をついた澪をあやすかのようにヴアルが澪の背中をなでている横で、俺はそのことをストラス達に伝えてみる。
「俺たちだけの問題じゃねえよ。国を頼らないと……こんなの防ぎようがない」
「大々的にはしない方がいいですよ。主、人間がどれだけ傲慢な生き物か、まだ理解できていないようですね。全ての人間が悪魔狩りに協力する訳がない。抜け道を作り、悪魔を手中に収めようとする輩は一定以上確実に出てくる。人間同士の殺し合いに発展するでしょうね。それこそ、エジプトで出会った武装組織などは喉から手が出るほど欲しがるでしょう」
「じゃあ、やっぱり、今みたいに隠れてやるしかないのか?」
「今の状態で悪魔が世界に解き放たれていると言う現実は混乱しか招かない。主、貴方がソロモンの指輪を持っている以上、その事実を知られたら貴方はもう家族には会えないでしょうね。当然です。貴方の力は世界の切り札なのだから」
背筋が凍る。世界が悪魔の存在を知って、最後の審判を知ったら混乱しか招かない。確かにそうだ。早計過ぎた。悪魔を欲しがる奴は世界にきっとごまんといるし、テロ組織と軍との正面衝突になる未来は見えている。悪魔を味方につけた方が勝つのなら、皆が悪魔をほしがるかもしれない。俺だって、きっと無事にはすまない。
「なんで……こんなことに」
『貴方には酷なことだと分かっていますが、方法がないのも事実です。伝えていなかったことに関しては申し訳ない』
ストラスの言い分は最もだ。こんなこと聞かされて奮い立たせるなんて俺にはできない。どうしたらいいかもわからないし、悪魔をすべて倒したところで本当に審判を防げるのかもわからない。
でも、審判が起こったら皆死んでしまうんだ。澪も光太郎も中谷も母さんも父さんも直哉も皆……
あの後、澪が家に帰りたいと泣きながら愚図ったので、俺達はマンションを出た。澪を家まで送り、自分の部屋に引きこもる。昨日も眠れなかったのにな、今日も眠れねーよ。
案の定、その日も全く眠れなかった。
***
「兄ちゃんクマ出来てるよ」
次の日、直哉に指摘されて鏡を見たら見事にクマが出来ていた。鏡をみてもくっきりと浮き上がっているそれに辟易する。こんな不健康そうな顔、テスト前にすら見たことがない。
「マジかよ……」
「兄ちゃんパンダみたい」
いや、そんなケラケラ笑ってる場合じゃないからな。これは酷い、目の下がマジで真っ黒になってるし。
「どうせあんた漫画でも読んで夜更かししてたんでしょ」
母さんが呆れたように、俺に朝ご飯を出してため息をついた。遊んでばかりで勉強しろと言う小言を背中に受けて出された朝食に手を付ける。
「そーかも」
「春休みだからってだらけちゃ駄目よ」
母さんはそう言い残し、洗濯物を干しにベランダに向かう。相変わらず忙しそうだ。
いつもと同じ日が繰り返されてる。父さんは会社に行って、母さんは家事をして、直哉は俺に纏わりついて来て、普通の日なんだ。今までと同じ日なんだ。
だからこの普通の日が終わりを告げるなんて想像できない。
光君の気持ちが分かった気がする。いつ来るかもしれない世界の終わりを一人で抱えこんでたんだ。誰にも相談できずにたった一人で……確かにそんな生活が続けば、あえて開き直るか、鬱にでもなりそうだ。
実際俺は眠れないで、クマまで出来てる状態だし。そんな俺の気も知らないで、直哉はストラスと遊ぶ計画を立てている。
「ストラス、今日公園に行こうよ」
『またですか』
ストラスが直哉の頭の上でげんなりと呟く。
そして、こっちに確認するように視線を送る。俺が心配だから一人にしたくないと目で分かりやすく訴える可愛らしい悪魔に手をヒラヒラ振った。
「行ってくれば?」
『拓也、貴方は大丈夫なのですか?』
「お前らいないくらいで寂しがったりするかよ」
ストラスはそれを聞いて少し黙った後に頷いた。
「じゃあお昼から行こうストラス!」
『わかりました』
俺は今日どうしようかな。
***
「で、俺を呼び出した訳か」
上野がカフェラテを飲みながら一言こぼした。一人でいるのは少し嫌だったから、誰かを誘って遊ぶことにしたんだけど、光太郎は二日も家に帰らなかった事をおじさんに怒られて、外出しにくいらしい。中谷も部活だろうし。
そうしたら次に仲がいいのは上野な訳で、俺達はスタバでコーヒーを飲みながら談笑していた。
「でもさー、なんだかんだで春休みもあと一週間ちょいじゃん?早いよなぁ」
あ、もうそんだけしかないっけ?最初の三日間くらいはのんびりやってたけど、そっから光太郎の幼馴染の話しを聞いて、サブナック地獄に返して、そんでフォラス探すために光君を探して……考えれば一週間、ヤバいくらいドタドタしてたのがわかるな。
そっか、もうすぐ春休みも終わんのか。なんか全然満喫してねえな。むしろ疲れ果ててたし。知りたくないことまで知ってしまった。
「でも拓也。お前けっこー遊び呆けてんだな」
上野がニヤニヤして指をさしてくる。急に何言い出すんだ?なんで遊んでるって決めつけんだ。むしろまったく遊んでないんですけど。
「え?なんで?」
「目の下にクマできてっぞ。何日間オールしてんだよ!俺も混ぜろよ!」
ああ、このクマをそう言う風に取るわけね。でも俺も春休み遊んだ時に上野が目の下にクマが出来てたら同じこと言ったかも。夜更かしし過ぎだろって。
目の前で笑いながら、今度霧立とディズニー行くんだーとかのろけてる上野を見て、俺はあの質問をぶつけてみることにした。
「なぁ上野……もしさ、世界の終りが明日来るとしたらどうする?」
唐突な質問に上野はすっとんきょうな声をあげる。
「はぁ?なんだそりゃ?拓也ってそういう系の話題好きな人?」
「んー何だろ」
「お前映画でも見たのか?影響され過ぎだろ。第一明日世界が終るとかありえねーし!」
上野の反応は数日前の自分の反応そのもので歯がゆくて、心臓を掻きむしりたいほどの衝動にかられる。そんなことない、終わるかもしれないんだよ。真面目に考えろよ、こうやっている間にも世界は終わりに近づいているんだ。
「いいじゃん。心理テストだよ」
どうせ上野の事だから桜井達と騒ぐとか、霧立さんとデートするとか言うんだろうな。けど上野の答えは俺の予測を裏切った。
「そーだなー……家族で過ごすかも。んで母さんの飯をこれでもかってくらい一杯食って、親父の肩揉んでやって、姉ちゃんといっぱいダベって、親父と母さんと姉ちゃん皆で同じ部屋で寝たいな」
何か意外な答えだ。
「お前のことだから、桜井とかと遊ぶと思ってた」
「えー?やっぱ家族じゃない?もし死ぬ時は友達より横に家族がいてほしくね?」
「確かにそうかも……」
「お前俺を馬鹿にしすぎ。で、家族って答えた奴はなんなんだ?結果は」
あ、そうだった。俺心理テストって言ってたよな、どうしよう。何か適当な言い訳を言わないと。少し考えて、思いついた理由を答えにする。
「今一番したいことがそれに当てはまるんだって!」
んーなんかよくわからんけど……上野考え込んだな。しかし上野は考えていたと思ったら急に顔を上げ、口をあけて笑った。
「えーマジか!?親父の肩揉みとかしたいと思わね―――!!ってか真面目に答えた俺ちょーキモイ!!」
上野はゲラゲラ笑って、自分の言ったことを自分で馬鹿にしたけど、そんなことないと思う。かなりいい答えだったと思うんだけどな。目の前で、この話を笑い事にしている上野に教えたくなる。
光君もこんな気持だったのかな?
こんな少しだけやるせない気持ちだったのかな。俺は見えないように溜息をついて、コーヒーを一気に飲み干した。
***
「じゃーな拓也。また誘ってくれよ」
「それはいーけど、たまにはお前からも誘えよ」
「誘うけどいっつも断るんじゃんか!」
あれ?そうだっけ?
上野は手を振って、チャリに乗って家に帰って行き、残された俺も帰路に着く。友達と遊んでいる時は審判の事を少しだけ忘れられたけど、やっぱ一人になると思い出しちゃうよな。直哉ももう家に帰っているだろう、だったらストラスがいる。あいつがいると思い出すんだろうな。
「ヤダなマジで……」
足取りは重く、ゆっくりと帰り道を歩いていると見慣れた後姿を見つけて声をかけた。
「中谷?」
「あれ、池上じゃん」
部活の帰りなのか、スポーツバッグを持った中谷と鉢合わせた。中谷の家ってこっちじゃないはずだけど、練習試合でもあったのだろうか。
「帰り?お前家こっちじゃないじゃん」
「うーん……ちょっと行きたいとこがあってさ」
「行きたいとこ?」
「来る?」
「行く」
中谷に連れていかれた場所は公園だった。小さな公園のため遊具は滑り台とブランコくらいしかなく、誰一人いない公園は静まり返っていた。
「公園じゃん」
「そー!お!ブランコ空いてる!」
「ちょっ!」
中谷はスポーツバッグを地面に放り投げて一目散にブランコに向かう。なぜかそれを俺が拾って後を追いかけた。誰もとりはしないのに走って飛びついた中谷はデカい子供そのものだ。
「小学生かよお前」
「時々こーいうの乗りたくなんじゃん」
気持ちはわかるけど……
中谷は楽しそうにブランコを漕いでいる。つか高校生の男子がブランコっていう光景が少し面白い。
「ここ、保育園の時によく来てたんだよね」
「へぇ」
中谷の話を聞くべく、中谷のカバンを自分の膝に置いて隣のブランコに腰かけた。中谷はブランコを勢いよく立ち漕ぎしながら続きを話す。
「ブランコ漕いでると、一番高い地点ですっげーいろんなもの見渡せてさ。それが好きだったなー。何が楽しいかわかんなかったけど、十分乗っても飽きなかった。今思えば、こんな住宅街見渡してどうすんだって感じだけどな……でもこのブランコは思い出の場所なんだ。兄ちゃんと二人で乗ったことや、迎えに来てくれた母ちゃんと父ちゃんが乗っている俺の背中を押してくれてたこと……断片的だけど覚えてる。お遊戯会の記憶とかほとんどないのにブランコのことは思い出せるんだ。あの時の俺は、このブランコに乗って家族に押してもらっている時間が一番幸せだったんだと思う」
確かにここら辺は辺りが完全な住宅街で面白いものなどない。ただ地面が少し斜面になっているので、ブランコの一番高いとこからだったら街が少し見渡せるだろうけど。なんら面白いものでもないし、特に景色がいいわけでもない。
でもブランコに乗ってる時、自分の視線が高くなるのが好きで、俺もブランコずっと乗ってたな。
「ガキなんてそんなもんだろ。高いとこが好きなんだよ」
俺の答えに中谷は「夢がねえー」と突っ込んだ。
「そうだけど、あの頃はこのブランコから見える景色が全てだと思ってた。自分が住んでる家の近所だけが自分の世界だったんだよ。大きくなって行動範囲が広がって、新しい物を見つけたら、もうここには来なくなったな」
「じゃあ今日は何で?」
俺の質問に中谷は少し考えてから答えを教えてくれた。
「確かめたかったんだ。本当に大切なもの」
「大切なもの?」
「このブランコに乗って親父から背中を押してもらった時に見えた世界。すっげーと思ってた。俺はこの中に住んでるんだって思ってた」
無駄に家だけはあんだよ。中谷はそう言って笑った後、ブランコを漕ぐのを止めた。ゆっくりとブランコは静止していき、隣でわずかに揺れるブランコから中谷が少し恥ずかしそうに笑っている。
「俺さ、実は未だにヒーローに憧れてんだよな。すげー力、一回でいいから持ってみてーって思うし。ガキの頃はヒーローの必殺技練習してたし、ゴムゴムの実とか影分身とかすげー色々便利そうじゃん。でも実用性考えたら硬化の個性の方がいいのか?第三世代で消防隊に入隊するのもかっけえよな。立体起動装置も捨てがたい。あれこそ訓練次第で魔法とか使えなくても使えるんだから俺には立体起動装置の開発が最優先なのかもしれない。石さえあれば日輪刀でも……いや、俺全集中の呼吸とかできないしな」
「何の話だよ」
確かに中谷は少年漫画が好きだ。毎週発売日には必ずコンビニに寄るほど。いつも漫画のキャラクターを見て羨ましがってるし、それをいつも茶化してた。
だけど中谷は少し悲しそうに笑みを浮かべた。
「でもさ、俺はヒーローになんかなれないってこと思い知ったんだよ。世界を守るなんて大それた事、想像すらも出来ないし、昨日なんか逃げちまったしな。それに実際の戦いは漫画とは大違い、目の前で血は飛ぶは人は死ぬは……広瀬が死んだ時、それを改めて思い知らされよ。漫画の世界で死ぬのは大概悪い奴だろ?同情とかできないし、むしろ倒したらやった!って思っちまう。でも現実は死んだ奴にも色んな過去がある。苦しかっただろうなとか、悲しかっただろうなとか……それを考えると割り切るなんて絶対にできない。広瀬の幼馴染の信司の過去、俺も聞いてたんだ。俺も部活やってるから分かるよ、俺が信司の立場なら間違いなく俺は契約してる。泣き寝入りなんて死んでもしたくない。その時点で俺はヒーローにはなれないんだよな……」
中谷は景色をじっと見つめる。ブランコからの景色は中谷の見た景色と今も変わらないんだろうか。成長していくにつれて新しいものを発見して古いものを忘れていく。本当に変わらない物なんて存在しないんじゃないかって思えてくる。
「だからここに来たんだ。ガキの頃の俺が大切だったものをもう一度この目で見たかった」
「中谷……」
はっきりとした中谷の声に、中谷に視線を送る。
中谷はまっすぐ前を向いて景色を眺めていた。
「俺はこのブランコから見える、この景色を守りたいんだ。ガキの頃の俺がこの景色が全てだと思ってた様に。家族に手を引かれていたあの時の思い出を天使だか悪魔だかの勝手な争いでなくしたくないんだ。覚悟決めたかった、この景色を守るために俺は戦うんだ。だからその景色をもう一回見たかった。でも全く変わってないなぁ~もう少し発展してもいいと思うんだけどな」
中谷は最後にオチをちゃんとつけて笑い話のようにしたけど、俺は笑えなかった。むしろ尊敬した。ちゃんと現実見て、自分を奮い立たせようとしてたんだから。
「俺は……」
中谷は強い、それに比べて俺はウジウジして決意をしようともしないで逃げてた。決意なんてしたくない、けど俺達が結局はやらなくちゃいけないんだ。
このままウダウダやる時が来たらやるしかない。そう思ってた。
「なぁ中谷、俺もお前の考えに便乗してもいいか?」
「ん?」
「俺もさ、旅行とか行かないし、ここから出た事もあんまないからさ。今いち世界なんて実感がわかねえんだ。どんだけ広いとかどんだけ人がいるとか何もわかんねえ」
「そりゃな。日本人全員の名前言えとか言われても無理だし。じゃあ池上は何のために戦うんだ?」
それを聞かれて俺は考えた。澪、父さん、母さん、直哉、じいちゃん、ばあちゃん、上野達、友達皆……
俺って結構友達いるんだな。一人でそんなことを考えていると、頭にある少女が思い浮かんだ - シャネルだった。
笑ってほしかったな。あんなに可愛い子だったのに、きっと本当はすごく優しい子だったと思うのに。言葉が通じれば話しあえたのに、そうしたら上手くいってたかもしれないのに。
自分の掌を見つめる。シャネルを殺してしまった手、絶対に忘れちゃいけない出来事。シャネルの為 に償う事、シスターとして明るく優しく育っていたはずだったあの子のためにできる事……そんなの一つしかない。
「俺、シャネルの為に頑張ろうと思うんだ……俺はあの子を殺してしまったし、イポスが魂を引き込んだけど、万が一生まれ変わることができたとしたら……世界がなくなってたら悲しいじゃん」
勝手に俺がそう決め付けてるだけかもしれない。
それでも俺の言葉に中谷は満足そうに頷く。
「そっか。池上はあの子の為に頑張るのか」
「うん、俺はあの子に笑ってほしかった。できれば分かりあいたかった」
「そっか……そっかぁ!」
中谷は満足そうに声を上げる。
それを見て俺達は笑いあい、軽く拳をぶつけ合う。
「池上、光と違って俺らには広瀬も松本さんもいるんだ。それって心強いことと思う」
「うん。光君は怖かったと思うから」
「一人じゃないんだ。四人いるんだ。絶対に大丈夫」
中谷の言う事はいつも根拠がない。それでも納得してしまうのは、こいつのこの性格のおかげだろう。
そうだ、俺らはヒーローになんてなれやしないんだ。マンガのようにすごい力持って「俺は今から戦う」なんて決意ができないんだから。俺らは普通の高校生で、この前まではしょうもないことで笑いあって生きてきた。
それが今ではこんな状況だ。巻き込まれても俺たちにはやっぱり割り切ることなんてできなくて、誰かが傷ついたら泣いちまうし、悪魔と契約してる人の過去が辛いものだったら悲しくもなるし、どんなに悪い奴だったとしても殺すなんてできない。
でもそれでいいんだって再確認した。俺が頑張らなきゃって思ってた。けどそんなの考える必要ないんだ。
だって俺はヒーローじゃないから。
戦いに巻き込まれた唯の高校生なんだ。怖がってもいいし、泣いてもいいと思う。大きなものの為じゃなくて、自分の大切な物を守りたい。その結果全部が救われるんなら……頑張れる気がした。
***
「拓也。お帰り」
「澪」
中谷と別れ、家に帰りついたら澪が立っていた。
澪は少し笑いながらぽつぽつと話し出した。
「あたしね、拓也に言いたいことがあるの」
「うん?」
「ずっと考えてた。審判のこと……考え出すと怖くなって、でも考えずにはいられなかった」
澪もずっと考えてたんだ。どうすればいいかって。
でも顔を上げた澪の目は真っすぐだった。
「でも他にやれる人いないんだよね。もう逃げられないんだもんね。あたしは剣の稽古もしてないし、役にも立たないと思う。でも頑張りたい。ヴアルちゃんと一緒に……あたしも頑張るからね」
「……俺も、頑張る。一緒に頑張ろう」
澪は笑みを浮かべてリビングに入って行った。
澪も決意したんだ。皆、皆それぞれ決意をしてた。きっと光太郎だって腹くくってるに違いない。頑張ろう、絶対にこの景色を壊さないようにしよう。
いつか、いつかできないとわかってても、もしシャネルが輪廻できたら……綺麗な世界で出迎えてあげたい。
俺は顔をあげて、リビングに歩いて行った。
少しずつ進んでいこうと思いながら。




