第69話 人魚姫の恋
朝起きた俺に挨拶よりも先にストラスが真剣な顔をして告げる。あの後、最後まで颯太さんを見つけることができず、彼の最期は遠いオーストラリアの地で留学生が事故死したと言うニュースが流れて全てを知ったのだ。
『拓也、オーストラリアに行きましょう。今日はヴェパールと約束をした一週間目の日です。地獄に返すにせよ、颯太の件に関しても決着をつけねば』
69 人魚姫の恋
「拓也、颯太さんの遺体が昨日見つかったんだって」
「ニュース見たよ……」
マンションに着くと、先に着いていた光太郎が気まずそうに話しかけてきた。そのニュースは今朝のワイドショーで取り上げられてたから。留学生が死亡したって。他殺か自殺かは捜査中だと。ただ、颯太さんが遊泳禁止区域に入っていくのを見たと言う発言を現地の人がしたせいで自業自得だと言う声も少なくない。
そんな中、颯太さんと仲の良かった留学生のニュージーランド人の青年が泣きながら、事件に巻き込まれたんだ、事故死ではないと訴えており、現地は混乱に包まれている。
光太郎も気まずそうに顔を俯かせた。
「さっきシトリーから聞いたんだ。そんで今日のサーフィンの大会は急遽場所を変えることになったらしい」
「場所を?」
「うん。最初は中止になりかけたんだけど出場者が反対してこうなったんだって。あの海は警察が調べるからって、その10キロ先の海に場所が変わったんだ」
ゴールドコーストは全長40Kmもある巨大なビーチだ。少し距離を離せば問題ないんだろうか。ヴェパールは今どうしてんのかな?
「酷いよな……今日がその大会だってのに」
「うん……」
「なんか拓也達暗いなぁ。どうかしたの?」
事情をあまり知らないヴォラクとヴアルが俺たちに近寄ってくる。説明するだけでもテンションが下がりそうだ。
「色々あんだよ」
適当な言葉でごまかすと、ヴォラクは不満げな表情を浮かべた。
「なんだよそれー」
「主、準備が整いました。行きましょう」
「あーまた俺留守番?中谷また部活なの?」
ヴォラクがブチブチ言いながらゲームのコントローラーを振り回す。ヴェパールを地獄に戻す日だ。本当なら颯太さんの大会出場をこの目で見て、お別れになったはずなのに。
「いいじゃないヴォラク。また百貨店に行こうか♪」
「あんな女ばっかのとこ絶対に嫌だね」
どうやらヴォラクは昨日の買い物で百貨店は懲りたようだ。たしかに毎年バレンタインフェアって人多いもんな。
俺達はヴォラク達に手を振って、ジェダイトに乗り込んだ。
***
「うっわー人多いな」
少し離れた場所に着陸して、サーフィンの大会の会場に向かう。日曜ってこともあるけど、大会のせいか人が滅茶苦茶多かった。
本当ならこれに颯太さんも出られてたはずなのに。
「拓也達はここに居てくれ。俺とシトリーはヴェパールを探しにいつものとこ行くから」
「連絡ちゃんと出ろよ」
セーレとシトリーは頷き合うと、走ってその場から出ていった。
『拓也、始まりますよ』
腕の中のストラスが小声で呟く。大きなラッパかなんかの音がスピーカーから聞こえて会場が一気に盛り上がるが、アナウンスでなにか流れて途端に静かになる。
周囲の人がみんな俯き目を閉じる。そっか、大会参加者の颯太さんが亡くなったことによる黙祷か。
それにしても、なんでここに来たんだ?ヴェパールを返すだけなら別にここに来なくてもいつもの場所に行けばいいのに。
「パイモン」
「なんですか?」
俺は気になったのでパイモンに聞いてみることにした。
「なんでここに来たんだ?ヴェパールはここには居ないだろ?」
「あいつが何かしでかさないかチェックしておく必要がありましてね。セーレたちが向かっている場所にヴェパールがいることを確認したら、私達も向かいます」
「ヴェパールはそんな奴じゃない!」
そんなこと考えてんのかよ!だってあんなに、あんなに優しい人なのにパイモン達はまだ信用してないのか!?
「……私もそうであることを願っています」
パイモンの声はいつもの凛とした声とは違い、小さく呟くようなものだった。ヴェパールは優しい奴なんだ。何も、何も起こる訳ないじゃんか……
その後、サーフィンの大会が始まった。選手が順番に出てきて次々に波に乗って技を決めていく。沸き上がる会場で光太郎が周りの人に合わせて手を叩いて喜ぶ。
「すっげえ!!」
「すごいですね。あんな板に乗って、あのように波に乗ることができるなんて」
パイモンも感心しているようで拍手をしている。俺はやっぱ素直に応援することができない。だって颯太さんの番ないんだよな、本当ならこの中に颯太さんもいるはずだったのに。どんどん選手の名前が呼ばれていって、一時間たったころには十人くらいの選手が泳ぎ終わっていた。
「Number13! Bruce!!」
その名前をナレーターが呼び終わると同時に歓声が上がる。あまりの歓声でナレーションの声が聞こえない。
「なんだ?」
「去年の優勝者で、今回の優勝候補みたいですね」
聞こえていたパイモンが俺に教えてくれる。名前を呼ばれて出てきたのは颯太さんと喧嘩していたあの男。あ、そういえば颯太さんもあいつは去年の優賞者だって言ってたな。
「優勝者ってことはすっげー技見れそうだな!もっと前行けねーかな?」
観客の間をすり抜けていこうとする光太郎の肩をパイモンが掴む。
「よせ、はぐれるぞ」
「平気だって!はぐれたって連絡とれるし」
「そういう問題じゃない。それに海外は料金が高いぞ」
冷静だなパイモン。俺たちが騒いでる時に、観客から悲鳴のような大きな声が上がった。
「え?何何?なんかすっげー技でも決めたのか?」
それに気付かない光太郎が背伸びをして海を見渡すが、そこにブルースの姿はなかった。
「あれ?あいつどこまで泳いでんだ?」
ざわざわと会場がざわめきだす。
何がどうなってんの?
『どういう事なのです?パイモンは何か見えましたか?』
「さぁ、俺には何も」
パイモンは首をかしげ、状況を観察する。浜辺に観戦用の巨大なテレビがいくつも設置されているが、そこにブルースの姿は写っていない。ライフセイバー達が浮き輪等を持って海に入っていき、何かしらの事件が起きたことはわかる。まさか溺れたのか?
「まさか……」
パイモンの呟きにハッとした。
違う、そんな訳ない……絶対に違う!!
俺たちにどうすることもできず、固唾をのんで見守っていると、騒然としている人混みをかき分けてセーレとシトリーが戻ってきた。二人もこの騒ぎが気になったらしく、血相を切らして走ってくる。
「いつのも場所にヴェパールはいなかったぞ、騒ぎが起きてるらしいな。どうなってんだ?」
「選手とライフセイバーが海中に沈んでいった。もう十分ほど経つがまだ浮上しない。死んでいると見て間違いないな」
「ちょ……縁起でもないこと言うなってパイモン」
なんでそんなこと言うかな?でも次の瞬間、観客が悲鳴をあげて一斉に逃げていく。
「な、なになに!?」
「何があったんだ!?」
悲鳴に反応して光太郎がシトリーにしがみつく。
「離れろ!オーストラリアでもイギリスでも暑苦しーなてめーは!」
「なんでそんなこと言うんだよ!?こえーんだよ!」
「何があったんだ?」
パイモンとセーレが観客の悲鳴や言葉を聞きとってる。
「主、どうやらライフセイバーの男が二人海の中に溺れて沈んでいったそうです」
ライフセイバーも溺れたのか!?
この事態に残りのライフセイバーも救助ボートを出して、捜索する準備を始める。
「誰かがサメだ!って大声で叫んだから観客がパニックになっちゃったのかもね」
「サメェ!?」
セーレ、そんなのんびり言ってる場合か!サメってことは、ホオジロザメか!?やばい怖い!!本当にオーストラリアってサメが出るのか!
「ってかサメって滅茶苦茶危険じゃん!俺らも離れようや!」
「ですが他のライフセイバーはサメが出たというのにはあまりに反応が落ち着いている。サメというのはデマでしょう」
「じゃあ何だよ!?」
「足をつって溺れたか、誰かに引きずり込まれたか……」
引きずり込まれたって……まさか……
ボートを用意したライフセイバーたちが沖に出た瞬間、ライフセイバーたちの悲鳴が聞こえボートが転覆する。今度ははっきりと転覆する光景がモニターに映っており、観客がその瞬間を見て会場が悲鳴に包まれる。溺れていたライフセイバー達も海の中に沈んでいく。
「な、なんだよこれ!」
逃げていた見物客が「サメだ!絶対にサメがいるぞ!」と騒ぎ出したことで海岸は大パニックに陥った。
「本当にサメなのか?」
「そんなわけねーだろ。ヒレ見えねーし」
光太郎がシトリーにしがみつきながら怯えてる。
嘘だ、ヴェパールのせいだなんて嘘だよな?でももし本当だったら?そう考えるといてもたってもいられなくなった。
「止めろ、止めろよ……止めろ!」
居てもたってもいられず、俺は海の中に足を突っ込んでいく。
「拓也!?」
「主、止めてください!」
パイモンとセーレが追いかけるけど、人混みに邪魔されてなかなか前に進めない。そんなセーレ達を尻目に俺は海の中にどんどん進んでいく。足がつかなくなって、泳いで先に進む。
「The boy enters the sea!(男の子が海の中に入っていくぞ!)」
誰かの声が聞こえて、また海岸がパニックになる。
後ろから声が聞こえる悲鳴と怒声を背中に受けながら足を動かす。
『Please stop.(止まってください)Please do not advance earlier than it.(それより先には進まないでください)』
しまいにはアナウンスが流れる始末。俺めっちゃ恥ずかしいじゃん。でもここまで来たら止まれない、もし本当にヴェパールの仕業なら止めなきゃ……止めなきゃ!
ストラスが俺の近くに来て怒鳴りつける。
『拓也、何をしているのです!早く戻りなさい!』
「うるさいな!ここまで来て戻れるかよ!」
『拓也!』
ライフセイバーの人たちが数人、俺を見つけてこっちに向かってくる。
「やっば!」
それを何とか逃れようと俺は必死に沖に泳いでいく。少し離れた場所にひっくり返ったボートが見える所まで泳いできた。服が重くって体が疲れてくる。
やっべぇ……もう泳げねえ。でも逃げないとライフセイバーの奴泳いでくるし。
『あなたまで……結局はあいつの味方をするの?』
その声が聞こえた瞬間、足が引っ張られた。
「That boy was drowned.(男の子が溺れたぞ!)」
「主!」
「わぁああ!拓也!!」
「くそっ……おい光太郎!セーレにしがみついとけ!」
「え?君はどこに行くんだ!?」
「決まってんだろ!」
シトリーが海に飛び込む。
「Stop!Stop!!」
見物人の制止も振り払って海の中に進んでいく。
「シトリー!」
「あの馬鹿!無茶をして!」
***
「がっごぼ……!」
口から空気が出るのを必死で手で押さえる。
足を何かに掴まれてる!でも海の中、目が開けられない!
『嫌い』
声が聞こえて反応する。まさか本当にヴェパール?
足をつかんでいた手が首に回り、強くを掴まれ空気が口から零れる。
『みんな死ねばいい』
ヴェパールの声が聞こえる。
やっぱりヴェパールなんだ、なんでこんなことするんだよ……
首を絞める力が強まり、意識が朦朧とするけど、ここで終わるわけにはいかない!最後の力を振り絞って声を絞り出す。口の中に水が入って上手く喋れない。
「なんでこんなことするんだよ……これが颯太さんが望んだことか!?」
その言葉を言った瞬間、意識が遠のいた。
***
シトリーside ―
『シトリー!』
「くそっ!見つかんねぇ!」
ライフセイバーの奴が腕を掴んでくるのを捻りあげて、拓也を探す。なんで見つからない。何してんだあいつ……まさか……
「殺されちまったのか?」
『そんな……』
ストラス、絶句してる場合じゃないだろ。海岸では騒いでる野次馬の姿。うぜえな……騒いでねえで行動起こせっつーんだよ。
でもこの中じゃ無駄に体力を消耗していくだけだ。ったく……あいつは何してんだよ!?その時、気を失ったあいつを抱えたヴェパールが姿を現した。
「おい!」
ヴェパールは俺を一瞬見て、そのまま拓也を連れて泳いで行ってしまった。追いかけるけど、やっぱ人魚と人間じゃ泳ぐ速度が違い、まったく追いつけない。
「ストラス、追いかけろ」
『わかりました』
ストラスがあいつを追いかけるのを見ていた俺は今度こそライフセイバーに捕まった。どうやら俺が腕を捻ったのも溺れてたから無我夢中で腕を掴んだらそうなってしまったんだろうと言っている。とりあえずすみませんとだけ謝って俺は岸に運ばれた。
「He returned!(彼が戻ってきたぞ!)」
野次馬の一人が大声を出す。
海岸に上がった俺に野次馬達が集中する。
「うぜえな!」
それを掻きわけて光太郎の所に戻る。
「シトリー!拓也は!?」
「あいつが連れてった。ストラスが付いてったから大丈夫だ。恐らくいつものとこに戻ったんだろ」
「拓也生きてたのか!?」
「ああ。たぶん気を失ってただけだ」
「良かった」
ホッと胸をなでおろす光太郎の頭をポンと叩く。
「安心してる場合じゃねー。拓也追うぞ」
「あ、うん」
「Are you alright?(大丈夫か?)」
ライフセイバーの男が一人俺に話しかけてくる。
「Yes. Please help other people early because I am good.(俺はいいから、他の奴を助けてやってくれ)」
まあ、もう手遅れだろうけどな。ヴェパールが関与しているみたいだし、誰ひとり生きてはないだろう。
「Thank you.」
男は頭を下げて、またボートに救助道具を詰めていく。
俺達はその光景を見て、いつもの崖に急いだ。
***
拓也side ―
「ん、んぅ……」
目を覚ますと、洞窟のような場所に寝そべっていた。
『拓也!』
「ストラス!」
ストラスが俺の胸に飛び込んできて、それを受け止めて辺りを見渡した。あれ?ここっていつもの……
起き上がると、そこにはヴェパールがいた。
「ヴェパール……」
『ごめんなさい。貴方に酷い事をしたわ』
「俺のことはいいよ。それよりもあいつ等は」
『殺した。魂ももう抜き取ったわ。そしてそれを地獄に送った』
そんな……なんでこんなこと……
「なんでそんなことしたんだよ」
ヴェパールは悲しそうに眉を下げる。
『颯太はブルースに殺されたのよ』
颯太さんがあいつに?
ヴェパールは握り拳を作る。
『許せなかったのよ!あんなに綺麗なあの人を殺したことを!私も人のことは言えないけれど……』
なんでそんなに悲しそうに笑うんだよ……なんでそんなに悲しそうにするのに、こんな事するんだよ……
「拓也!」
「光太郎!皆!!」
ジェダイトに乗った光太郎が俺に駆け寄ってくる。泣きそうになっている光太郎を見て、自分がどれだけ無鉄砲なことをして心配をかけたか理解する。
「平気か!?」
「おう!心配かけてごめんな」
俺が無事だと確認した光太郎は安心したように笑う。
心配かけちまった、本当にごめん。シトリーもずぶぬれになってる。
「シトリーなんでそんなに濡れてるんだ?」
「はぁ!?お前を助けるために海に飛び込んだんだぞ!……まあ助けれなかったけど」
え?そうなんだ。
「ごめん……」
「無事で何より」
シトリーには何だかんだで世話になりっぱなしだ。本当にもっとしっかりしないといけないな。
『ヴェパール、あなた……』
二人と話していたが、ストラスの声でヴェパールに振りかえる。
ヴェパールは足の方から段々泡のように消えていっていた。なぜ、こんなことになっているのか分からず反応ができない。
「ヴェパール?」
『……私はもうすぐ消えるのよ。何も心配することはないわ。貴方が手を下すまでもない』
「消えるって……」
『契約者の力も借りないまま悪魔の力を使ったのです。魂を地獄に持っていくなど、かなりのエネルギーを使ったはずでしょう。契約石のエネルギーも使い果たし、彼女は人間の力無しでもうこの世に存在することができません』
「じゃあ地獄に戻るのか?」
「いいえ、彼女はこのまま消える……地獄にも戻れず死ぬのです。また人間の罪が地獄にたまれば彼女は復活を遂げますが、それまでには相当な年月を費やすはずです」
死ぬって、マジで?そんなこと認められない!そんな目に遭うなんてあんまりだ!
「じゃあ急いで地獄に戻せば!」
浄化の剣を持った手はヴェパールによって拒まれた。
『いいの。このまま消えさせて。私はこの世界に存在していたい。死んでもこの世界で。青くて綺麗な世界……私はこのまま消えたいの』
その間にもヴェパールの体は泡になっていく。しかしヴェパールは自分の体を愛おしそうに見つめる。まるで死ぬことに喜びを感じているとでも言うように。
『知ってる拓也?』
「何を……?」
『王子様との恋が報われない人魚姫は泡になって消えるのよ』
慌てて顔を上げると、そこには微笑んでいるヴェパール。
『私は泡になって消える。物語みたいね』
ヴェパールは笑うけど俺は笑えない。なんであんたがそんな目に遭わなきゃいけないんだよ。
俺の頬をヴェパールの手が撫でる。
『泣かないで』
あ、俺泣いてるんだ。
でも涙は止まらない。ストラスもパイモンもシトリーもセーレも光太郎も皆つらそうにヴェパールを見ている。
『私は人魚姫になりたいの』
「何でだよ……何でなんだよ!?死んじゃうんだぞ!?」
『いいの、化け物は化け物にしかなれない。だから最後は人魚姫と同じように死にたい。このまま泡になって』
ヴェパールはそのまま微笑む。
その笑みは、今までで一番きれいに見えた。
『普通に生きたかったの。だってこの世界、とっても綺麗だったから……ありがとう』
そう言って、ヴェパールは俺の横を通り過ぎて、崖の淵に立つ。泣いて立ち上がることのできない俺はなにもすることができない。
パイモンは何かをヴェパールに呟いて、顔を伏せる。ヴェパールはそんなパイモンに笑みを送った。二人の会話は聞こえない。でもパイモンはとても苦しそうだ。
「それでいいのか?罪がたまって甦ったお前は、以前の記憶のない新しいお前になるだけなんだぞ」
『……颯太を一人にしたら可哀想じゃない。彼にできる罪滅ぼしは、これしかないもの。パイモン、不思議よね……この世界に来たときはルシファー様の命令に従うべきだと思っていた。でも今は違うわ。私は、颯太を愛している。命令に従うだけじゃない、自分の意志で死を選ぶの』
「自分の意志……か。皆がお前のように自分の道を決められたらいいんだろうがな」
『それは、自分の事を言っているの?ねえパイモン、貴方本当はあの子を心の底から救いたいって思ってるんじゃないの?だから迷ってるんでしょう?ルシファー様を裏切るなんて、できないわよね。貴方はあの方の腹心だもの。どちらを選んでも茨の道なのね。でももう自分の道を決めて。私は颯太に笑ってほしかった、颯太がそれだけ大事だった。貴方は違うの?私もこんなだから裏切りなんて貴方に問い詰める資格はない。でもあの子は私たち悪魔と天使のせいで死ぬべきではないわ』
「お前に、説教されるなんてな……」
『ルシファー様は貴方が守る必要ないくらい強いでしょ。だから、守ってあげて……あの子を』
パイモンとの会話を終えたヴェパールは俺に視線を向ける。
喉が震えてうまく話せない。でも、もう一度だけ聞きたい。まだ、間に合うんだから。最後まで苦しい思いをする必要なんてない。
「本当にいいの?」
その問いにヴェパールは笑った。それはもう、美しい笑みで。太陽でキラキラ輝く髪の毛や優しげな表情は神々しさすら感じた。
『これでいいの』
彼女は崖から落ちた。
落ちたヴェパールは泡になって消えていく。
― ねえ颯太。もし生まれ変わることができたら、また一緒に居てくれる?今度は悪魔としてじゃなく人間として、貴方と一緒に……
泡になって消えたヴェパールの後には首につけていた颯太さんのネックレス。それがポチャンと海に落ちる音が聞こえた。残された俺は呆然としていたが、ふと手元に契約石が置いてあるのに気づいた。
「これ……」
『コーラル……サンゴのネックレス。ヴェパールの契約石です』
サンゴのネックレス、ヴェパールにぴったりの契約石。ヴェパールが死んだからだろうか、契約石はみるみる泡になって消えていき、一分もしない内にネックレスは完全に消えてしまった。消えた。すべて……それと同時に涙が止まらない。
あの人はただ好きな人と一緒に、颯太さんとこの場所で語り合っていたかっただけなんだ。なのになんで……こんなことになったんだろう。
『拓也』
ストラスが俺の顔を心配そうにのぞきこむ。
「ストラス」
『はい』
「……きついよ」
そのまま地面に膝をついて俺は泣いた。ヴェパールは化け物じゃない、化け物なんかじゃない。
ヴェパールは人魚姫だったんだ。
王子様との恋が報われない人魚姫は泡になって消えていった。
物語の結末と一緒だ、その結末に涙が止まらない。
「う、うぅ……うあぁ……」
俺は声を出して涙を流した。
光太郎も涙を流して、その場にうずくまり、その肩をシトリーが励ますように軽く叩く。
俺達は暫くそこから動けなかった。
ヴェパール…ソロモン72柱序列42番目の悪魔。
29の悪霊軍団を指揮する侯爵であり、人魚の姿をとる。
海の統治者であり、海を愛する者には深い慈愛を以って加護を与えるが、海を汚す輩には恐怖を以って惨たらしい死を与える。
契約者である颯太に恋心を抱いており、人間になることを望んでいた。
最後は化けものである自分を恥じ、人魚姫と同じ結末になることを望み、泡となった。
契約石はコーラル(サンゴ)のネックレス。
颯太…キャンベラに留学している大学生。
英語が得意なことと、サーフィンをしたいが為に留学先をオーストラリアに決めた。
幼いころからサーフィン好きの父親に影響されて、サーフィンと海をこよなく愛していた。
波にさらわれた時に助けてくれたヴェパールと契約し、彼女に恋を抱いていた。