第66話 人魚
『ヴェパールが……』
あの後、家に帰った俺はストラスに今日のことを伝えた。パイモンにはセーレから伝えるということだったので、後日マンションに集まって対策をたてようということになった。
66 人魚
「うん。なんか溺れた子供が人魚に助けてもらったらしくって……なあ、ヴェパールってどんな悪魔なんだ?」
ネットで情報を見ながらストラスに問いかける。
悪い悪魔ではなさそうだった。遠くから見ただけだから何とも言えないけど、悪魔というよりはおとぎ話に出てきそうな雰囲気があった。というか女の人だった気がする……ヴアル以外では初めてだよな。女の悪魔。
『そうですね、人魚の姿をした悪魔です。海を住処にしており、能力としては幻を見せたり、その美貌で虜にした人間を海に沈ませるといいます。海の中では彼女の力は成人男性が束になっても敵わないそうですよ。貴方には伝えていませんでしたが、オーストラリアで漁船が次々に転覆し、死者も出ているといったニュースが出ています。恐らく彼女の力でしょうね』
うそーん。そんなやばい感じの悪魔なの?海に引きずり込まれるなんて想像しただけで怖い。絶対勝てる気がしない。
しかしストラスの話には続きがあった。
『海は母の様だと言うでしょう?海を愛すものには加護を与えるのです。人間によっては天使にもなり、悪魔にもなるのです』
よくわかんないけど、いいか悪いかも微妙な悪魔なんだな。そういうの一番対応に困るんだよ。
『オーストラリアは時差はあまりないのですよね?明日行ってみましょうか。日曜ですし』
「え?あーうん」
海っていうのが怖いんだよ。だって落ちたら最後じゃん。
とりあえず俺は次の日にもう一度オーストラリアに行ってみることにした。
***
翌日、俺とストラス、セーレとパイモンの四人でオーストラリアに向かった。
「暑いですね」
パイモンがげっそりと呟く。日本とは気候が真逆のオーストラリアに数分で移動すれば体温調整がおかしくなりそうなのは同意する。夏ってだけあって今日もオーストラリアは暑い。パイモンの肩に乗ってるストラスも暑そうに口を開けて息をしている。毛むくじゃらにはきついだろうな。適度に飲みもんあげないと。暑いだけあって海は相変わらず大賑わいだ
「でもどうやって探すんだ?海を探すって結構大変だよな」
「そうだね。あれ?彼は昨日拓也が仲良くなった人じゃない?」
セーレが顔を向けた先には昨日出会った颯太さんの姿。でも昨日のような穏やかさはなく颯太さんは誰かと喧嘩をしていた、というよりも一方的に怒鳴られている感じ?周りの視線もお構いなしに颯太さんの腕をつかんでいるガタイのいい男性は大声で何かを叫んでいる。
言いたいことを言い終えてスッキリしたのか、男は捨て台詞みたいな言葉を残して去っていく。話しかけていいかもわからないけど、一人で肩を落としている颯太さんに声をかけないなんて選択肢はなく……
「颯太さん!」
「え?あ、拓也」
声をかけた俺に見られてたんだな。苦笑いをして颯太さんは頭を掻く。
「あいつなんなんですか!?颯太さんに突っかかって!」
「なんかごめんな、情けない所を……今度サーファーズパラダイスで大会があるんだ。あいつは去年の優勝者なんだよ。小さい大会で俺が運よくあいつに勝っちまってから、ずっとあんな調子だ。今度のサーフィンの大会を辞退しろって言ってるだけだ」
はあ?お前が辞退しろよ!颯太さんが出るならどうせ負けるんだろ?お前が出るなよ!
そう言いたいけど言えずにモヤモヤする。颯太さんは憤慨している俺を見て笑ってくれるけど表情は辛そうだった。なんで颯太さんがこん目に遭わなきゃいけないんだよ?颯太さんはただサーフィンが好きなだけなのに……
「ごめん、嫌なもん見せたな。俺は大会辞退しねえし、優勝を狙いに行くよ。じゃあ俺、泳ぎに行くわ」
颯太さんはネックレスを外して鞄に入れた。赤い宝石のついたそれをみて、嫌な予感がしたんだ。だって、男性がつけるには不釣り合いなネックレスだったから。
「それ……」
「ああ、錆びたら嫌だからいつも海に入る時はとってんだ」
今まで黙って見ていたパイモンと肩に乗っているストラスが顔をしかめる。それが視界の隅に入ってきて予感が確信に変わる。まさか嘘だろ?
颯太さんは相変わらず人のいい笑みを浮かべてボードを持って海に入っていった。その場に残された俺たちには気まずい空気が流れる。
『拓也』
「まさか颯太さんが契約してるとか言わないよな……?」
『おそらくあれはコーラルのネックレス。ヴェパールの契約石です』
「とりあえず奴の動向を探るか」
パイモンはそう言って、颯太さんに目をつける。
でも俺は動けなかった。まさか、颯太さんが契約者だったなんて……
***
夕方くらいになって、海にいた人もちらほらと帰り始める中に颯太さんの姿もあった。颯太さんはボードと鞄を持って浜辺を歩いて行く。
「主、後をつけてみましょう」
「あ、うん」
颯太さんは海岸沿いをずっと歩いて行く。
歩くこと数十分、遊泳禁止と立ち入り禁止っぽい看板とテープが張られている場所を人がいないことを確認して颯太さんは危険区域に入り、先にある洞穴みたいな場所に歩いていった。
「こんなとこに何があるんだ?」
颯太さんはなぜか海に入って行って、海の中にある洞穴に入ってしまった。
「穴でもあいてるのか?」
パイモンが海に近づいて確認するが、海に入らなきゃ行けない場所みたいだし、海岸から見ても入り口がわからない。恐らく、海からしか見えないんだろうな。とりあえず近くで待つこと三十分、颯太さんが出てきた。
「あ、颯太さん!」
「拓也、隠れて!」
セーレに腕を引っ張られて、少し離れた所に逃げる。颯太さんは再び人がいないのを確認して、誰かに手を振った。その先には女の人の姿。岩に隠れた俺たちに気づくことなく、颯太さんはその場から立ち去っていった。そして、その少し後に海に飛び込んだ女の人の髪の毛は青く、足はなく、代わりに美しく輝く尾びれを持った人魚の姿をしていた。
「人魚だ……」
『やはり悪魔ヴェパールですね』
「主、ヴェパールを探してみましょう」
俺達はジェダイトに乗って、空から人魚を探すことにした。
人魚はすぐに見つかった。
「あ、いた!」
俺が指差した方向には海を泳いでいる人魚の姿。すっげー!本物だ!
しかし俺の声が聞こえたのか、人魚は俺たちに気づいて海の中に潜ってしまった。
「待って待って!」
『拓也、あまり身を乗り出すと落ちますよ』
「わかってるよ。セーレ、近づいてよ」
『わかった」
ジェダイトは高度を下げて、海に近づいていく。海に落ちなきゃ大丈夫だもんな。俺は身を乗り出してヴェパールを探した。でもやっぱ海の中に潜られたんじゃ、見つけられない。
「うぎゃ!!」
「主!」
それでも身を乗り出して探していた俺はバランスを崩して海に落ちてしまった。
やばい!落ちちゃったよ!!
慌ててもがくけど、服の重みで中々上手く泳げない。まずい!そう思った時、急に腕を引かれ、誰かが俺を海面に引き上げてくれた。目の前には人魚がいた。
「あ……ありがとう」
『貴方何をしているの?危ないじゃない』
「ごめんなさい」
すっげー綺麗だ……これが人魚……
セーレの声が聞こえて、人魚は顔を上にあげる。その表情に驚きはなく、やっぱり俺たちの存在に気づいていたんだ。それでも助けてくれた……
『拓也大丈夫か!?』
『セーレ』
気まずい空気が流れ込む。
人魚はソッと俺の手をとった。左手にはめられたソロモンの指輪を見て悲しそうに視線を下げる。
『パイモンと一緒にいる。貴方が継承者なのね……じゃあ私を地獄に?』
「……うん」
『そう。でも待って。あと一週間待って』
彼女は抵抗することも受け入れることもなく、意外な言葉に首をかしげてしまった。
『一週間後にはサーフィンの大会があるの。私の契約者がそれに出る予定で、彼の優勝をこの目で見たいの。それを見たら私を地獄に戻してもいいし、殺してもいい』
「あの……」
なんで、そんなこと言うんだよ。
殺してもいいなんて……そんな簡単に言うなよ!
『とりあえず、話を聞きましょうか』
ストラスの提案で、俺達は人のいない浅瀬に足を運んだ。光の反射で虹色に輝く水色の鱗はあまりにも美しく、この鱗は地獄でも宝石として価値があると教えてもらった。
人魚はポツポツと話しだす。
『彼を見てると心が安らぐ。この世界が愛しいと感じてくる。彼ほど海を愛してる人はきっといないわ』
「ではお前はあの男と契約してるのか?」
『彼は私が未だに人魚だと思ってるみたいだけど、それでもいい。それで彼が微笑んでくれるのなら』
パイモンはため息をつく。
なんか物腰が柔らかく、そして儚い。守ってあげなくちゃいけない気がする。
『拓也、気をしっかり持ってください。彼女は絶世の美貌を持っています。しかしその美貌に引き寄せられるが故に何人もの男が今までに命を落としてきました』
そんな怖い事言うなよ、見る目が変わるだろ。
でも目の前のこの人がそんなことをしていたとは思えない。
「オーストラリアで漁師が海に出たまま水死体で見つかった事件があったな」
『そうよ。私がやった』
その言葉で背筋が凍りついた。そういえばストラスが言ってたな。本当にこの人がやったのかよ!?
「な、なんでそんなことするんだよ!?」
『これが命令だった。それにあいつ等は嫌い。生き物を殺してるわ』
「生き物って……」
『彼ら泣いてたから。それを殺していくのよ。可哀想じゃない。それに私は魂を集めてた。ちょうどよかったと思ってた』
「生き物とは魚のことか」
パイモンがやれやれとため息をつく。それはちょっと、確かに魚は可哀想だけど、考え方の違いって言うか……
人魚はそのまま泣き出した。
『彼が溺れた時も殺すつもりだった。でもできなかった。彼は何も悪いことなんてしてないから……』
人魚はネックレスを手に取る。契約石とは関係なさそうなシルバーのネックレスは太陽の光に反射してキラキラ輝いている。俺の視線に気づいたのかヴェパールは大事そうにネックレスを握り締める。
『契約石を渡したら、自分のお気に入りだって交換してきたのよ?変なの……』
そう言いながらも嬉しそうに目を細める姿は本当に人間の女の子みたいだ。それを見て、思ってしまった。願いをかなえてあげるくらいしてもいいんじゃないかなって。
「俺いいと思うんだ。その大会が終わるまで待っても」
俺の言葉にヴェパールの表情が華やぐ。
「しかし主」
「俺だったらきっと耐えられない。きっと同じなんだよ。この人も一緒なんだ。最後の望みくらい叶えてあげてもいいじゃんか」
俺の言葉にパイモンも何も言い返さない。
人魚はそっと俺に近づいてくる。
『貴方も好きな人がいるの?』
「うん……」
『ふふ……そっか。おんなじね。わかってくれて有難う』
「うん」
この人は本当に颯太さんのことが好きなんだ。それと同時に自分の中の常識が崩れていく。悪魔を倒すことがいい事だって思ってた。でも俺は今……颯太さんとヴェパールを不幸にしようとしてる。俺のせいで離ればなれになってしまう。ただ、愛し合っているだけなのに。それなのに目の前で優しく微笑む人魚の姿に、思わず涙が溢れる。
『優しい子……』
優しいのはあんただ。
いきなり出てきて、地獄に返すって言ってきた俺を励ますなんて。
優しいのはあんたの方だ……
***
「主、大会までできる限り毎日来て、あの人魚を見はりましょう」
ヴェパールと別れ、ジェダイトに乗って帰っている途中でパイモンが俺に提案してきた。
「騒ぎを起こしたら、すぐに地獄に返したいので」
「あの人はそんなことしねえよ絶対に」
「そうなればいいですけどね」
絶対にしないよ。
だってあの人は優しいから。
***
それから毎日、俺達はヴェパールの所に行くことになった。ヴェパールは夕方くらいは大体あの洞穴にいるようで、俺に気づくと笑顔で手を振ってくれるようにもなった。そんな彼女に、いつしか俺達の警戒心も薄れていった。そんな日が続き、今日で彼女と出会って三日目、セーレと二人でヴェパールと颯太さんの様子を確認しに来た。いつものように笑って迎えてくれると思っていたのに、ヴェパールの元気はない。
「どうかしたのか?」
『昨日から来てくれないの颯太が……』
ヴェパールは悲しそうに呟いてネックレスを握る。颯太さんが来てないってどういう事だ?
俺とセーレも顔を見合わせた。
「来ないって……忙しいかなんか?」
『わからない。こんなこと今までなかったから……わからないわ』
「そんな……俺、颯太さんを探してみるよ!」
俺はセーレを連れて、颯太さんを探しに出かけた。
「拓也、当てでもあるのか?」
「ない。けど海岸で人に聞いたら誰か知ってるかなぁって」
「拓也はぶっつけが好きだね」
しょうがないじゃん、思い浮かばないんだから。こんなことなら連絡先を聞いておくべきだった。
俺達は海岸を歩いて、いろんな人に聞いて回ったけど、何一つ有力な情報は入らなかった。
どうしようか悩んでいる所に、一人の男が通り過ぎた。あいつ、颯太さんと喧嘩してた……
「あの!」
俺が思い切って声をかけると、青年は振り返った。
「What’s?」
「あのーえーっと……」
「Do you know Sota. His appearance was not seen yesterday.(颯太を知ってるかい?昨日から姿を見ないんだ)」
セーレが咄嗟に助け船を出してくれた。
しかしその男は嫌な感じに笑って首を横に振った。
「I don’t know.」
「I see.(そうですか)」
男は手を挙げて、俺たちに背を向けた。
「くっそーなんで見つかんないんだよ颯太さん」
「何かしら事情があるのかもね……」
「だけどヴェパールあんなに寂しがってたのに……」
その後に俺は思い知ることになる。颯太さんがなぜ消えてしまったのかを。