第48話 さよなら
ヴァッサーゴside ―
かすめ取るつもりだったんだ。楽して魂は取れた方がいいって……最初はそう思ってた。違ってきたのはいつ?
人間の世界に召喚されて、でも色んな面倒なことが起こっていて、考えるだけ無駄だと思っていたんだ。何も考えず頼まれたことをすればいい。傷つくことも情がわくこともない。空っぽな自分にできることだけをすればいいと思っていた。
48 さよなら
目の前のこいつはいつも笑っている。辛い事があっても表面では隠すように笑ってる。指輪の継承者と初めて出会ってから一か月、あいつ等は何も言ってこない。時々俺がいないのを狙ってこいつのところを訪ねているようだ。あいつ等が俺の前から姿を見せなくなって二週間で全てが変わった。
目の前で苦しそうにしながらも笑うこいつも。利由は前よりもはるかに歩けなくなった。歩けなくなるどころか体を動かすのも億劫そうだ。人工呼吸器をつけて飯も食えないから二十四時間点滴をしている。便所だって看護師の介助がなければ行くことができず、オムツなんてものをつけている。それでもあいつは笑う、俺の話を聞いて笑う。
予言の日まであと三日。
三日後、十ニ月十六日にこいつは死ぬ。それを知らないこいつはそれでも笑い続ける。
でももう俺が告げて四か月、さすがに勘づいてはいるんだろう。それを考えて胸に大きな虚無感が襲い掛かる。こんなつもりじゃなかった。楽して魂が手に入って、最高のはずだった。それなのに……
「ヴァッサーゴ?」
なんでお前が心配そうな顔するんだよ……言い出そうか悩んでいた言葉を口にする。自分でもわからないんだ、本当にこれでいいのか。
最後に聞かせてくれ。今ならまだ間に合うんだ。
「本当に魂とっていいんだな?この契約内容でいいんだな?」
今ならまだ契約内容は変えられる。お前は輪廻できるんだ。自分でもこいつをどうしたいのか分からない。それでもこのままこいつの魂を奪って、生まれ変わる機会を与えないとしたら……こいつの幸せはもう永遠に訪れない事を理解する。
「変なの。これは決まったことなんだから気にしなくていいのに」
あいつはまた笑う。
「今まで楽しいと思ったことなんてなかったから……あの時間は楽しかった」
それは本心?死んだ後の事を考えてもまだそう言えるのか?
「だからあたしが死んだら……魂、好きに使っていいよ」
― お前は本当にそれでいいのかよ。
わかってるのか?お前の魂の行方を。
俺が地獄に送るんだ。地獄に送ってルシファー様に捧げるんだ。そうしたらお前は死んでからも永遠に煉獄で苦しむことになり、幸せなんて二度と来なくなるんだぞ。本当にいいのか?お前の契約なんて軽いもんだ。話して喜ばせる、本当に軽いものなんだ。
お前の魂で採算をとらなくたっていいじゃないか。もっと他の物でもいいんだ。魂じゃなくたって何でもいいんだ。最悪お前の魂じゃなくてもいい……頼むから、お願いだから一言言ってくれ。
天国に行きたいって。
そうしたら契約内容を変えられるから。多分お前の指一本くらいは持っていかなくちゃいけないかもしれないけど、死んだ後だから何ともないだろ?それで契約してやるから……
だからそう言ってくれ。この契約で行かないでくれ。
***
拓也side -
「お前またいくのか?」
放課後、俺が病院に行こうとしたのを光太郎が複雑そうな顔で見ていた。あの日に起こったこと、光太郎にも中谷にも澪にもすべて話している。だから不安なんだろうな。
不安なのは俺も同じだ、どこまで首を突っ込んでいいかもわからない。だけど信じられないんだ。嬉しそうに笑う足立さんを見ると信じられない。
翔太……ヴァッサーゴがそんな悪い奴に思えないんだ。
中谷と光太郎はそれぞれ部活と塾だ。なので俺は澪を誘って病院に行くことにした。澪は快く頷いてくれ、少し寂しそうに笑った。
「多分ヴァッサーゴって悪魔はセーレさんみたいな悪魔なんじゃないのかな」
「セーレ?」
「うん。優しいんだよきっと……本当はすごく」
「俺もそう思いたい。だから信じられないんだ。あいつが足立さんの魂をとるのが」
足立さんは最近ほぼ寝たきりになっている。だからあいつは付きっきり。あいつがいなくなったのを見計らって俺達は足立さんに会いに行く。今日もそう。あいつがいないのを見計らって俺と澪は病室に入った。
「いらっしゃい。ごめんね」
足立さんは寝た状態で挨拶。閉じられていた瞳はゆっくりと開いて目を開けているのも辛そうだ。声は掠れていて顔色も悪い。呼吸をするのも苦しそうで、最初に会った時が嘘みたいに弱っている。
「気にしなくていいよ。具合は?」
「平気平気。今日は大分いいんだよ」
嘘だ、手が震えている。本当はどこかが痛くてしょうがないのか……それでも弱音を吐かない足立さんは強い人だ。でも今日は珍しい人が来た。
「利由」
ドア付近で声が聞こえ振り返ると、そこには見知らぬおじさんが立っていた。
「ぱぱ……」
お父さん!?この人が!?
「先生から連絡がきたんだ。具合はどうだ?」
「来なくていいって言ったのに」
戸惑いながらそう言う足立さんにおじさんは少し悲しそうに笑う。
足立さんのおじさんは慣れない手つきで、額に張り付いている髪の毛を掬った。体が動かないから風呂にも入れない足立さんの髪の毛は以前のふわふわとした柔らかさを失い、パサついている。
「利由。その子たちは?」
「お友達。お見舞いに来てくれてるの」
「そうか……いつも利由が世話になっているね」
なんか想像よりも全然やわらかい。見舞いに来ないからもっと印象が悪かったけど全然そんなことない、優しそうなおじさんだ。澪と足立さんが二人で話しているのを眺めている俺におじさんが声をかけた。
「ちょっといいかな……」
***
屋上で俺は足立さんのおじさんにコーヒーを貰った。コーヒーの缶を開けて口をつけて空いているベンチに腰掛ける。十二月の外は寒く、少し震えた俺に足立さんの父親は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまないね。院内にすればよかったかな……」
「あ、いえ大丈夫です。すいません。コーヒーいただいて……あの、話って?」
「娘のことなんだ。最近病状が悪くなる一方だ……正直長くないと話を聞いた。お見舞いに来てくれているって聞いて感謝してるんだ。本当にありがとう」
「おじさんも見舞いに来てあげたらいいじゃないですか……」
子供が苦しんでるのに、他人にそんなこと言うなよ。足立さんが待ってるのは俺達じゃなくてあんたなのに。でもおじさんは寂しそうに笑う。
「利由は私たちを恨んでる……私が来ない方がいいんだろう」
「恨んでる?そんなことないですよ」
だって ― そう言いかけた俺の言葉を遮るようにおじさんが言葉を紡ぐ。
「あの子の病気は先天性の物なんだ。胎児の時に利由の母親、私の妻がね、仕事を辞めたくない、母親になるのが怖い。その恐怖からストレスがたまってね、煙草やら体に悪い食事やらを取り続けてたんだ。彼女は一流企業に勤めてたから、辞めたくない気持ちはわかるけどね。子供のためを思って私が会社を辞めろというのが気に食わなかったんだろう」
それが原因だと言いたいんだろうか?足立さんは、そんな話を求めていないと思う。あの子が本当に求めているのは、優しく笑って側にいてくれる存在だと思うから。
「煙草や偏った食生活のせいで利由は脳に障害を持って産まれてきた。それは体が動かなくなる病気だったんだ。自分の自我などには影響はなかったが……“筋ジストロフィー”のデュシェンヌ型だそうだ。基本は男がかかるもので、女がかかるのは本当に珍しいらしい。根本的な解決法はなく、昔では二十歳まで生きられないと言われていた病気なんだ」
聞いたことのない病気だ。良くわからないけど、足立さんのあの状態は異常だ。重い病気だって言うことだけは分かってたんだけど……そんな治療法がないほどの物だったなんて……
「今の医療では二十歳過ぎでも生きられることもあるそうだが、やはり不安でね……その病気はうつ病も引き起こすらしくてね。昔泣きながら言われたよ。なぜこんな体に産んだんだ!?って。それを聞いた時感じたんだ。この子は私たちを恨んでいると……こんな身体に生んだ私たちを憎んでいると……それから私たちにわずかに距離ができた。私たちは利由の気に障らないように会話をすることを心がけた。だから利由が具合が悪くなっても妻はできる限り入院はさせずに家に居てほしいと言っていたんだが、あの子が私たちを恨んでる気がして入院させた。それでも見舞いには行ってたんだが、来なくていいって言われてね。それ以来時々しか来てないんだよ。今日のあの子の反応を見て思い知らされたよ。やはり恨まれていたんだな。君からしたら最低な親と思うだろう」
すれ違ってるんだ。本当はお互い思い合ってるのにすれ違ってた……
俺はいたたまれなくなって首を振った。
「違います!足立さんは仕事で忙しい両親が自分に興味を持ってくれないって……だから来てもらっても悲しいって気を遣って……」
おじさんの目が丸くなる。本当です!と強調すると、震える声で問いかけてきた。
「それは、本当なのかい……?なんてことだ……あの事を言われて以来気を遣って私たちの態度がよそよそしかったのを気づいてたのか……っ」
「大丈夫。まだ間に合うから……だって二十歳より先も生きれるんでしょ。ならまだ大丈夫」
おじさんは頷くと走って行ってしまった。恐らく足立さんのとこに行ったのだろう。俺はもう少しだけ屋上で過ごすことにした。暫くして病室に戻ると、足立さんと楽しく話しているおじさんの姿があった。
「利由、今日は母さんも来るから三人でここで食事をしよう。お前が食べたいものを注文するよ」
「本当に?嬉しい!」
足立さんが嬉しそうに笑っている光景を見て、俺と澪も顔を見合せて笑う。
でも気付かなかった。病院の違う棟の屋上から俺たちを眺めているヴァッサーゴがいたという事に。
「もうおせーよ……今さら和解したところで、そいつはあと三日の命だ」
足立さんのおじさんから電話で足立さんが死んだことを知らされたのは、その三日後だった。
***
「足立さん……」
足立さんがなくなったと連絡を受けた日、学校が終わってすぐに病院に向かった。静かに眠っている
足立さん横でおばさんがベッドに縋りつくように泣いていた。動かない足立さんの顔を撫でて、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、おばさんは医師に声を張り上げる。
「どうしてなんです!?利由は二十歳までは生きられると仰ったじゃないですか!!」
「申し訳ありません……」
「利由……全部私のせいだわ……私がこの子をこんな風にしたんだわ!」
「落ち着きなさい!」
おじさんに抱きしめられるおばさんを見て、いたたまれなくなった。澪も泣きながら病室の外に出てしまった。
「なんでこうなっちゃうんだろうな……一週間前までは普通に笑ってたんだけどな……」
光太郎は寂しそうにつぶやく。泣き続ける家族を見て、医師も家族だけにすべきだと言って出て行ってしまい、俺たちだけが残される。
夕方の十八時を回り、明日葬儀をするという報告をもらい、俺達も家に帰ろうと病室を出た。
空気が重い。
足立さんの話を聞いてもうすぐ死んでしまうと言うのは知っていた。
でもその日が訪れるのを頑なに心の中で先送りしてた。まだ大丈夫だって……
「なんか嫌な気分だよな」
中谷はそう言って大声であ―――――!!!と叫んだ。
「ダメだもう!なんかやるせねぇ!俺今からバッティングセンター行ってくる!」
中谷はそう言ってバッティングセンターがある方向へ歩きだす。そのまま家に帰るつもりはないらしい。
「俺も行こうかな……意外とすっきりするかも。拓也と松本さんは?」
「俺らは帰るよ。母さん待ってるし……な、澪」
「うん……」
俺達はそこで別れた。
***
「拓也、澪ちゃん、お帰りなさい」
母さんは少し気まずそうに俺たちを迎え入れた。今日、足立さんのおじさんからの電話を受けたのは母さんだった。話を聞いていた母さんは俺たちにその話題には触れずに接してくれた。
疲れただろうからゆっくりしろと言われ、夕飯ができる時間まで自分の部屋でゆっくりすることにする。澪は一人でいるのが嫌なのか、俺の後ろをついてきて、二人で部屋に行く前にストラスを探すと相変わらず直哉に遊ばれている。
「何やってんだよお前ら」
『拓也、聞きましたよ。あの少女のこと』
頬を引っ張られたり羽毛を荒らされたり抱きしめられたりしながらもストラスは目線をこっちからずらさない。面白いから真面目な顔するのやめろ。
頷けばさらに問いかけてきた。
『ではもうヴァッサーゴは地獄に返してきたのですか?』
「え、なんでだよ」
一瞬の沈黙が怖い。ストラスは頬を抓られながらも目を丸くして、口を開けている。シリアスなのか間抜けなのか分からない表情に反応ができない。
『なんでですと?彼女の契約条件は死せば魂を好きにしていいという契約。死んでしまった今こそ魂をとられる時ではありませんか!?私はてっきり貴方がパイモン達と地獄に返してきたのだと思っていましたよ!!』
え―――――!!??
「俺そのまま帰っちゃったぞ!」
『何をしているのです!魂をとられてしまいますよ!』
「行かなきゃ!」
足立さんの魂がとられてしまう!そんなの許せるわけがない!!
俺はストラスを引っ張って母さんに何も言わずに家を出た。
「拓也!」
「一大事だ!」
展開についていけない澪がとりあえず俺を追いかける。
「ん?……待ってよ〜俺も行く〜!」
直哉はわかってないのか走って俺についてくる。
でもそれに気づかないほど焦っていた。
早くしなきゃあの子の魂が!!
***
「どういうことだよっこれ!?」
病院はまだ十八時半くらいなのに真っ暗だ。
なおかつ医者、患者、看護師……全ての人が倒れている。
「おい!おい!」
倒れているおっさんの1人をゆすってみるが起きる気配がない。他の人も起こしてみたけど駄目だ。全員ピクリともしない。
『ヴァッサーゴの仕業ですね。彼の契約石は私たちの物と違い特別な物。契約者ではない他人からエネルギーを吸い取ることができるのです。おそらく彼がエネルギーを吸い取っているのでしょう』
あいつ……やっぱり魂を!あいつを信じた俺が馬鹿だった!!
ストラスを連れて足立さんのいる病室に急ぐ。その後ろを澪達が付いてくるが振り返る余裕なんてない。だから気付かなかったんだ。俺たちが病院に入ってすぐに病院全体に結界が張られたことなんて……
電気が切れて真っ暗な病院を俺達は必死で走り、足立さんの病室が見えてきた。そしてそこにいたのは足立さんの魂をとろうとしているヴァッサーゴの姿、足元には足立さんの両親が倒れている。
「待てよ!!」
俺の声に反応してヴァッサーゴが振り返った。
「こんないいタイミングに来るなんて全くいい嗅覚してるよ。でももう遅い」
あいつが手に力を込めると、足立さんの体から青色の浮遊体が出てきた。
「あれが……魂」
「きれいな青色。寂しさと苦しさと悔しさと喜びが混じり合った魂、理想的だな……この魂ならルシファー様も満足してくれるだろう』
「させるかよ!」
あいつに飛びつこうとした瞬間、首元に剣が添えられて背筋が凍る。
「拓也!」「兄ちゃん!!」
病室にはいってきた澪と直哉が悲鳴じみた声を上げる。
『ついでにお前も来てもらおうか継承者』
ヴァッサーゴが悪魔の姿に代わる。
見た目の変化はそんなにはないが……耳が尖ったくらいか?それでも纏う雰囲気は全く違う。
「ぜってー付いていかねぇ」
『それでもいいさ……殺さない程度にならぶちのめしてもいいんだからな』
俺は浄化の剣を手に持つ。
でも今回は悪魔との一騎打ち。俺に勝ち目はあるんだろうか。