第42話 堕落した聖女
今回もギリシャ語が出てきますが、相変わらず変換がうまくいっていません。
修正はしましたが、おそらく間違ってる部分が多々あると思います。気にせずに読んでください。
『拓也、どうしたのです!?』
イポスの歌が耳に入り込んでくる。パイモンが剣を抜き斬りかかるも結界に阻まれて、イポスには届かない。ストラスの言葉に反応することもできず、イポスの歌がすべてを支配していく。いままでずっと思っていた苛立ちも憎しみもあふれ出てくるように体を縛り付けていく。
ふつふつと湧き上がる感情を抑えることができない。なんで俺こんなとこにいるんだ?なんでこんな日常が当たり前になってる?
俺はただ今まで通りの生活が送りたかっただけなのに……
42 堕落した聖女
『さぁ吐き出してごらん。本当の心の底を』
『拓也?』
イポスの言葉はとても魅力的で、ストラス達の方に向きを変えた俺を皆は怪訝そうな顔で見ている。なんでこんなに憎く見えるんだろう?なんでこんなに苛立ちが募るんだろう。そうだ、こいつがいるから……こいつ等がいるからいけないんだ。
本当なら俺はきっと今までと同じ日常を繰り返してただろう。こんな事に巻き込まれることもなかっただろう!!全部こいつ等のせいだ!!!
『拓也……』
「触んじゃねえ!」
セーレが伸ばしてきた手を払い落とし距離をとる。空しく宙を切った手とセーレの驚いた顔が視界に入る。
『操られてるのか?』
ああ、そうかもね。俺は操られてるのかもしれない。でも、きっと、どこかにこいつらを憎む気持ちがあったことは否定できない。俺は、こいつらのことが大嫌いだったんだ。いくら優しくされても、諭されても、守られても、こいつらがいなければ味わう必要のない恐怖を与えられてきたのだから。どうして、こんなことになってしまったんだろう。
『イポスの感情操作に抵抗はできません。よほどの精神力がなければ……』
溜め息までついて……いつもそうやって呆れてたんだろ?なにが精神力があればだよ。お前は俺に何を求めてるんだ。お前ら化け物と違って、俺は巻き込まれた被害者なのに。
「じゃあ放っとけば?」
『拓也?』
「このまま俺を放っとけばいいだろ。その方がお前らもやりやすいんだろ?」
『何を言っているのです?』
自分の心が恐ろしい位に冷えているのがわかる。そしてストラスの声が震えているのも。
ストラス、俺はこの状況を望んでいない。お前は俺の望みを叶えてくれると言った。けど、俺の本当の望みは誰にも叶えることなんかできない。
「いっつも俺足手まといだもんなぁ〜戦うのは怖いし、戦いたくないし。お前らも本当は面倒なんだろ?俺を守るの」
『拓也、俺達は別に君のことをそんな風に思ったことなんてないよ』
今の冷え切った心ではセーレの言うこともウソにしか聞こえない。
「偽善者」
『拓也……』
こんな事言いたくないのに、心のどこかでそう思ってるのに止まらない。そんなこと、今まで感じたことなんてなかったのに……なんでこんな事になってんだ。イポスの歌は続き、心が縛られたみたいに憎しみしか感じ取れず、ついに俺は声を荒げてしまった。
「死ね、死ね死ね死ね……!みんな死ね!俺を普通の人間に戻せ!ソロモンの悪魔も何もかも死んじまえ!!」
これが俺の本心なのか?
俺は、ストラス達が死ねばいいって思っていたのか……?
「ふざけんな!全部全部お前らのせいだ!お前らさえいなきゃ俺は今も普通の生活ができてたんだ!こんな怖い思いをすることもなかったはずだ!!本当は母さんだって父さんだって直哉だって俺のこと怖がってる!化け物のように思ってる!!」
『拓也、それは違います!』
「でもそう思われてるのはお前らのせいだ!」
ストラスが息を飲む。
視界が揺れて、顔に熱がたまっていく。瞬きしたら決壊してしまうほどの涙が込み上げて、服の袖で目元を拭う。
「パイモン、ハッキリ言えよ。俺を地獄に連れて行く気だって。俺を守る気なんか本当はないんだって」
俺の言葉にイポスに剣を向けていたパイモンが腕を下ろす。その目が恐ろしいくらい冷え切っており、心底俺を軽蔑でもしているかのように感じた。
『私は貴方のように演技派ではありません。そのように起用な嘘はつけない。腹の中にどす黒い本音を抱えて相手を思いやるふりをしていた下衆にとやかく言われる筋合いはありませんね』
「それが本音かよ。ほんっと好きになれねえよお前のこと……お前を殺せる力ができるまでは利用しようと思ってたのに」
『残念でしたね。貴方ほど馬鹿ではなくて』
パイモンはどこまでも冷静だ。ああイラつく。この顔を少しも歪ませることができないのか。下衆なんて初めていわれた。本当にそうなのかもしれない。ストラスに半ば強制されたとはいえ、悪魔を倒すって決めたのは自分自身なのに、今更こんなことを言って何になるんだろう。
でも止まらないんだ、増幅された怒りと憎しみが口からこぼれていく。
「全部滅茶苦茶にされた。俺の生活も、家族も澪も光太郎達も全部、なにもかも……お前らなんて」
それ以上は言うな。それ以上ストラス達を傷つけるな。なんで自分の体なのに歯止めが利かないんだ。
ストラス、俺そんなこと思ってないから、頑張るから、だから……だからそんなに歯をくいしばって泣きそうな顔すんなよ。憎しみが渦を巻いたように押し寄せ、そして涙が頬を伝った。
「お前らなんていなきゃよかった……」
その言葉にストラスの瞳からも涙が零れ落ちた。その光景を見て、イポスは愉快そうに笑いながら上機嫌で歌を歌う。
『指輪の継承者といえど所詮は子供。お前達は重すぎる重圧をかけていたんじゃないか?』
ストラス達は何も言い返さない。完全に意気消沈してしまっているストラスとセーレ、俺を説得することを放棄したパイモンが再びイポスの結界を攻撃するも、ひびが入っただけでまだ壊せそうにない。
『こんな子供に悪魔退治なんて酷だと思わないか?なぁ、今まで何人の人間の死体を見せてきたんだ?何人の人間の悲しむ顔を見せてきたんだ?何人の人間の憎しみの表情を見せてきたんだ?何も知らなければ良かったものを』
違う、そんなことない。初めはそう思ってた。けど違う。やめたいって思う、怖いって思う。
だけどストラス達を嫌ったことなんて一回もない、一回もないんだよ……巻き込まれて怖いとか嫌だとか思うけど、ストラス達に会えたことは嬉しいと思っていたのに。
『もっと深くまで堕ちておいで。そうしたら俺が悲しみから救ってあげる。憎いんだろう?なら壊してしまえばいい。自分の理想どおりに塗り替えてしまえばいい。君には、きっとその力がある』
イポスの言葉はとても心地よく、魅力的に感じた。このままストラス達がいなくなれば、俺はまた普通の人間に戻れるかな?自分の中の気持ちがころころ変わり、理性が保てず、恐ろしいことを考えてしまっている自分がいる。
そんな中、静寂を切り裂くようにストラスがポツリと呟いた。
『そのように私が憎いのなら、殺すなり地獄に戻すなり好きにしていいですよ』
静寂の中に響いたストラスの声はハッキリと俺の耳を刺激した。目を丸くした俺をストラスは視線をそらさず真っすぐ見つめている。
『元はと言えば、私が貴方にこうするように命じました。全て私の責任です。そのせいでこのように心が壊れるまで追い詰められていたのなら、その責任を私の命で償いたいです』
― それが、貴方の救いになるのなら
ストラスの訴えにイポスは初めて笑みを崩し、パイモンとセーレは黙ってストラスを見つめている。
『お前馬鹿か?そんなことして何になる?お前が死んだところで傷は消えない。何の解決にもならないんだ。今ならまだこっちに戻ってこれるぞ』
イポスはストラスに手を伸ばすが、ストラスはそれを拒否した。どこまでも、俺と一緒にいてくれるんだ。こんなにひどいことを言ったのに、言い返すこともなく、最後まで俺の味方でいようとしてくれている。
『戻るつもりはありません。私に命令できるのは契約者である拓也だけ。拓也、貴方は私のことを相棒だと言った。あの言葉は嘘偽りなく本心だった……そう思いたいです』
本当だよ、本当に思ってるんだよ。声が出ない。出したらきっと心に根を張る苛立ちに負ける。
そんな俺を見て、黙っていたシスターはあざ笑うかのように笑った。日本語はわからなくても、俺の怒鳴り声とストラスの涙と空気でなんとなくはわかったんだろう。
「Αν&ητο……(ばーか……)」
『同胞を殺すのは気が引けるが……しょうがないな』
イポスが移動して俺の肩に手を置く。今なら動けるはずなのに、パイモンはイポスに攻撃を仕掛ける気配がない。セーレの焦ったような視線がストラスと俺、パイモンの間を行き来するも、誰も俺を止めようとはしない。
顔をあげた先でパイモンと視線がぶつかる。思わず目つきが鋭くなるのを感じたが、それは向こうも同じで、腕を組み試すようにこちらを見ている。
『貴方のお好きなように。私はそれで今後の行動を選択します』
俺がストラスを殺せば、俺を殺しに来るんだろうか。なんだそれ……本当になんなんだよ。セーレだけがそんなこと言っている場合じゃないと俺を止めるために説得してくれているが、耳元でささやくイポスの言葉だけが脳に響く。
『恨みの根源を己の力で立ち切ればいい。そうすれば自由になれる』
自分で立ち切る。恨みの根源。
手には浄化の剣が握られた。
『拓也!止めるんだ!』
セーレが声を出して俺を止める。
断ち切る。これが……俺の答え!!
振り返りイポスめがけて剣を振り下ろした。イポスはギリギリそれを回避したが、腕の服は軽く切れていた。
『継承者、なぜ?』
「本当に嫌いなのはこんな俺自身だ……必死で守ってくれてるこいつ等にこんな事を思ってた俺自身。自分ではこんなこと思ってないと思ってた。でも心の底では思ってた俺自身」
これが俺の答えだ。俺はお前を倒して、ストラスと一緒に戻る。お前となんか一緒に行かない。
その意思を察したイポスの表情が曇り、舌打ちをして俺から離れていく。
『……断ち切ったか、愚かな。そのまま感情の赴くままにいれば楽にいれたものを』
『拓也』
「ごめんストラス、セーレ」
ストラスは顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら首を横に振った。それともう一つ、俺には言わなければいけないことがある。
「パイモン、お願いだ。俺を守ってくれ。ルシファーの命令とかそんなこと抜きに。都合いいってのは分かってるんだ。俺は心のどこかでお前のこと疑ってる。いつか、お前が俺を地獄に連れて行くんだって思ってる。でも、さっきも吐きそうな俺を支えてくれた。わからないんだよパイモンが……お願いだよ。俺を、最後まで守るって言って……」
パイモンは黙っている。それが怖くて涙が流れた俺に近づいてくる足音が聞こえる。顔を覆っている腕を払いのけられ顔を上に向かされる。
『以前も言いましたが、私は貴方の契約悪魔だ。貴方の命令に従います。ルシファー様と相容れそうにないのは少し残念ですがね……でも、それもいいでしょう。どこまでも甘い人間だが、守り甲斐はある。それに、貴方には私がいないと駄目でしょう?』
ひくっと喉が痙攣する。ゆらゆら揺れる視界の先にはパイモンの契約石のエメラルドのような緑色の目が真っすぐこっちに向けられている。その表情は自信たっぷりで、こいつについていけばどこまでも行けるような幻想すら抱かせる。
『覚えていてください。私を動かせるのは貴方だけ、世界で貴方だけが私に命令を下せる。それだけは忘れないでください。私の忠節は貴方の物だ』
普段冷静で淡々と話すパイモンの言葉が心にストンと入ってくる。ぐしゃぐしゃな顔で頷いた俺の顔からパイモンは手を放し、再び剣を持つ。
大丈夫だ、もう迷わない。後悔していないって言ったら嘘になるけど、俺はストラス達のことが好きで、死んでほしいなんて思っていない。今はこの悪魔を倒すことだけを考える。
「パイモン、イポスを倒そう」
『了解しました。奴は必ず仕留めます』
俺は通じないとわかっていながらもシスターに大声を出した。
「あんたはそれでいいのか!?本当にそれでいいのか!?人を殺して、復讐だけが望みなのか!?」
俺の問いかけをストラスがギリシャ語で通訳してシスターに呼びかける。しかしシスターは何も答えない。
「本当は後悔してるんじゃないのか!?わかってるんじゃないのか!?」
「Μην πστε τποτα(黙れ)」
「神様に身を捧げてるあんたが何で悪魔なんかと契約したんだ!?シスターは神様を信じて、人を信じるものだろ!?」
俺の言葉をストラスが訳した瞬間、琴線に触れたのか目を見開いたシスターが声を張り上げた。今まで大人しくしていたシスターの怒声に、思わず腰が引けてしまった。
「(さっきから、なんなんだよお前は!!何も知らないくせに、私がどんな思いでいるかも理解していないくせに……お前はあいつらと同じだ!自分の価値観だけが正解だと思っている!!私はただ皆の平和を願っていただけ!なのに全てを奪われた……そうだ、神を信じていた!信じれば救われると思っていた!でも神は救うどころか奪うばかり!それでもお前はまだ私に信じろというのか!?)」
捲し立てるシスターに呆然としている俺に、ストラスが日本語に訳した言葉を教えてくれた。シスターの憎しみはすさまじく、吐き捨てるようにつぶやいた。
「(神は誰も救いはしない。でもイポスは違う、私を救ってくれた。どちらを信じるかなど一目瞭然ではないか!?)」
シスターの過去が分からないけれど、捨て子だということ、何よりも大切にしていた教会が壊されてしまったことは知っている。この子のあまりにも不幸な境遇に何も言い返すことができず言葉に詰まってしまう。逆の立場だったら、俺もまっとうに生きていけるかどうか自信を持って言えないからだ。憎しみで人を殺したくなるかもしれないから。だから、この子を納得させる言葉が見つからない。
『弱い心に付け込む。お前の得意技だなイポス』
『俺はただ救っているだけだよ。なぁシャネル』
イポスはシャネルに微笑みかける。
「(私にはイポスだけ。それ以外はいないしいらない。これ以上邪魔をするのならお前をここで殺す)」
シスターは手に斧をもった。斧は血まみれになっており、錆びている部分もある。この斧で、今まで人を殺してきたのか……
この子、俺たちと戦う気なのかよ!?
「おいマジかよ……」
『本気ですね』
パイモンはため息をついて剣をシスターに向けた。まさかシスターを殺す気か!?いくら斧を持っていてもパイモンに勝てるとは到底思えず、止めるように腕を掴んだ俺にパイモンは眉間にしわを寄せ振り返る。
「おいパイモン何考えてんだよ!?相手は女の子だぞ!?」
『主、それは違います。奴はただの殺人鬼です』
殺人鬼?だってこれは悪魔のせいで……
『確かにイポスの能力は感情操作。なおかつ物事の解決法には破壊などの強硬策を契約者に教えます。しかし、これを決めたのはシスターの意思です。現にシスターからは後悔や罪悪感などは微塵も感じ取れません。もうこれを悪魔だけのせいと言うのは不可能です』
そんな、そんなことって……
シスターは斧を持って俺を睨みつける。俺はそれでもシスターを説得しようとした。
「なぁ、そいつを地獄に返そう?あんたは自首して罪を償うんだ。これ以上罪を作る必要なんてどこにもないだろ?」
「Πρπει να χετε βγε.(お前がいなくなればいい)σον αφορ σε με iposu μεσα εναι απ κοινο.(私はイポスとずっと一緒にいる)」
『主、説得は不可能です』
俺は浄化の剣を握りしめた。こんなことってあるのかよ……悪魔だけじゃない、契約者も俺たちを殺しに来るなんて……そんなこと今まで一度もなかった。
シスターの後ろにはニヤニヤ笑っているイポスの姿。それが殺せるものなら殺してみろと言っているようで腹の奥から怒りが湧き出てくる。
『パイモン、君の相手は俺がしてあげよう。人間だけじゃ退屈だろう?』
『俺もシスターではなくお前を切り刻みたい。ちょうど良かった』
どうやらイポスの相手はパイモンがしてくれるようだ。じゃあ俺はあの子と……?いや、流石にそれはできない、危険すぎる。
『拓也、ジェダイトに乗る?避難した方がいいか?』
セーレは俺に避難するかどうかを促す。
避難したい。でもパイモンを残していくのには抵抗があるし、どうしよう。
『拓也後ろ!!』
「え?」
振り返ると、俺の頭上に斧を振りかざしてるシスターがいた。
俺を叩っ斬るつもりだ!
「うわああぁぁあああ!!!」
何とか俺はヘッドスライディングのように頭から飛びのいてそれを避けた。地面に突き刺さった斧が視界に入って背筋が凍る。一瞬の迷いもなかった。俺を、本気で殺そうとしている!
「Δραπετεει(逃がさない)」
シスターの声とともに、何かに包まれたような感覚がする。もしかして、結界を張られた?俺はシスターと二人だけで閉じ込められたのか!?
『一瞬の隙、それが命取りになる』
イポスが満足そうに笑っている。おい、一対一かよ……ストラス達がいなければ会話だってできない。もう、説得できる望みはゼロになったも同然だ。
『殺戮の時間だよ。シャネル』