第4話 悪魔ヴォラク
『フォモス、ディモス、落ち着いて』
子供は早く暴れたいとでも言うように雄たけびをあげるドラゴンを諫め、笑みを浮かべてこちらを見た。
『まずはいいところを邪魔してくれたこのお兄さんから血祭りにしてあげようか』
4 悪魔ヴォラク
子供の言葉を聞いた二つの首を持つドラゴンは嬉しそうに雄たけびを上げた。やばい……俺、狙われてる?
どうしていいか分からず、軽く放心しているとストラスが中谷に避難するように呼びかけた。
『中谷とやら!早くお逃げなさい!』
「ドラゴンが、フクロウがしゃべって……え?」
中谷は混乱して何がなんだか分からないという感じだった。気持ちは分かるけど、今は悠長に説明してあげる余裕はない。
「中谷、このフクロウの言うとおり!あいつはお前を狙ってんだから早く逃げろ!」
「池上!む、無理だよ。腰が抜けて……」
中谷は膝を震わせて立ち上がろうとしているけど上手くいかない。
あぁもうどうすりゃいいんだよ!?
『拓也、私が時間稼ぎをしましょう。その隙にこの少年だけでも……』
……お前意外といい奴だったんだな。
ストラスは俺から飛び降り、ヴォラクの前に飛んでいった。
「中谷、しっかりしろ!」
中谷に肩を貸し河川敷をゆっくりと登った。もう随分な騒ぎになっているだろう。しかし一向に悲鳴や逃げ惑う人の声は聞こえてこず、血相切らした光太郎がこっちに駆け寄ってきた。
「拓也どうなってんだよ!?ここから出れないんだよ!電話もできない、助け呼べねえぞ!」
「え!?どういうことだ!?」
光太郎の後を中谷に肩を貸しながら走っていくと見えない壁のような物に阻まれた。
なんだこれ……その壁の向こう側には通行人がこちらに気付かず歩いていた。
「助けてくれ!なぁ!!」
その通行人たちに呼びかけたが、全く気付かない。まさか聞こえてない?俺たちのことも見えてない?だって普通、あんなでっかいドラゴンや羽の生えた人間なんて見たら大パニックだよな?
なのに通行人たちは何食わぬ顔で前を素通りする。これ、もしかして俺たちだけで対処しないといけないってことか?
俺と光太郎と中谷は真っ青になった。どうしろっていうんだよ……
『ぷぎゃ!』
ストラス!?今すっげー間抜けな声出さなかった!?
振り返るとストラスが倒れている。その姿を見て子供は高笑いしていた。
『あっははは!馬鹿じゃないのストラス!力もないくせに喧嘩売ってくんなよ!別に俺が契約者どうこうしようと勝手だろ?なーんで邪魔するかなあ。まあいいや。ディモス、焼いちゃいな』
ヴォラクは双竜に炎を出すことを命じた。まずい、ストラスが焼き鳥になる!
そこから先は記憶がない。気づいたら走り出していた。
「ストラス!」
「拓也!?」
あれ?なんで俺走り出してんの?
ストラスなんかが現れるから俺はこんな目に……
気付いたら俺はストラスを抱きかかえドラゴンの口から出た炎に包まれていた。
「拓也――――――!!」
あ、やべ……本当にここで死ぬんだ。こんな指輪買わなきゃよかった。
そしたら俺はきっと今頃楽しそうに夏休みが来るのを待ってて……ん?
「死んでない?」
自らの身に起こったことが信じられなかった。だって間違いなく今ストラスと一緒に焼かれたよな?
これってストラスが助けてくれたのか?でもストラスは俺の腕の中でぐったりしている。
何が起きたんだ?
『まさかその指輪……!?』
ヴォラクの声が聞こえ、自分の指を見ると指輪が光を放っていた。まさかこの指輪が俺を守ってくれたって言うのか?じゃあこれって本物の魔法の指輪?
ヴォラクは信じられないものを見るような目でこちらを見て、舌打ちをする。
『おいおい、召喚者お前かよ。随分なことしてくれんじゃねえかクズが。いきなり訳わかんねえとこに召喚されて面倒だったんだぞ』
え、俺けなされてる?けなされてるよね?
しかし何がなんだかわからなくて答えることのできない俺をストラスが庇った。
『拓也は関係ありません。今、我々の身には何かおかしなことが起きているのです。貴方は召喚者に召喚されたのではないのですか?』
ヴォラクは首を横に振った。
『いや、だからそいつじゃねえの召喚者?俺たちが召喚されたときには召喚者は既にそこにはいなかったよ。俺たち悪魔から逃げ切るなんて、たいしたことしてくれるよ全く……』
「じゃ、じゃあお前も元の世界に帰りたいんだろ!?協力してやるからもう攻撃はやめよう!な?」
お前だって帰りたいだろ?こんな訳わかんないことに巻き込まれて、ここに居たい訳じゃないのなら、俺にできることは協力するから帰ってほしい。
その願いを込めた提案にヴォラクは怪訝そうに眉をしかめた。
『なんで?』
「え?」
なんで?って言った?
『いつ俺が召喚されて迷惑だなんて言った?それに楽しいしね。これから人間狩りができると思うとウズウズして仕方ないくらいだよ。戻されてたまるかよ』
狂ってる……これが悪魔ってやつなのか?
『拓也、魔法陣を。ヴォラクを魔法陣に閉じ込めましょう』
「え?でもそれお前の時だって成功しなかったじゃん!できるわけないよ!」
『魔法陣は他にもあります。元の世界に戻すことはできなくても、その場から動けなくすることのできる魔法陣もあります。私が魔法陣を描くので拓也はヴォラクを引き止めてください』
無茶言うな!!引き止めるってなんだよ!!!心の底から思ったわ!だって相手は悪魔で俺は人間、勝てるわけがない!
しかしストラスは細い木の棒を銜えて腕から飛び去ってしまった。
あぁぁあああぁあぁぁぁもおおおおおぉぉぉぉおおぉぉ!覚悟を決めた。大丈夫、きっとさっきみたいに指輪が何とかしてくれる!
『魔法陣に俺を閉じ込めようって訳!?その前に焼き鳥にしてやるよ!』
ヴォラクはストラスが何をしたいかお見通しのようで俺を無視してストラスを攻撃するが、傷ついた体で一生懸命かわし、魔法陣を描こうとしている。思いのほかすばしっこく、中々攻撃があたらないヴォラクは苛立ちから舌打ちをした。
『うざいなぁ!こそこそ逃げ回ってんじゃねえ雑魚が!!』
ストラスが必死に攻撃をよけてる中、俺はヴォラクに、正確にはヴォラクが乗っているドラゴンにできるだけ大きい石を投げつけた。
石は見事にドラゴンの足まで届き、鈍い音を立て、当たった!と思ったと同時に嫌な予感。恐る恐る見上げるとヴォラクが呆れた目でこっちを見ていた。
『なに今の。それで攻撃したつもり?あんた指輪の継承者なら魔法でも使ってみろよ!』
足に石をぶつけられたドラゴンは鼻息を荒くした。
怒ってる!怒ってる!!
『フォモス、ディモス焼き殺すまでもない。じわじわと八つ裂きにしてやれ』
おいいいいいぃぃぃいいぃいぃぃいいいぃいぃいい!!!
必死に逃げ回ったけど、そんなのドラゴンにはお構いなしだったようだ。
「いってえ!!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。背中をドラゴンの爪で思いっきり切られ、その場に倒れこむ。経験したことのない酷い痛みが全身を襲い涙が出てきた。マジで?てゆうか痛い。やばいくらい痛い!痛みのあまりそこから動くことができなくなり、起き上がろうとしても動けない。
どうしよう。逃げないと……今度こそ本当に殺されちまう。早く、早く!
もう途中からは完全に気持ちだけで動いており、痛む背中を庇って必死で走る。その光景をヴォラクはクツクツ笑いながら楽しそうに見ている。
『ざまあみろ。俺に喧嘩売った罰だよ。指輪の継承者様』
ヴォラクはそれでも手加減なんてしてくれない。
またドラゴンの爪が俺のほうに向かってきて、思わず目をつぶった。さすがにもう駄目だと思ってしまったから。
『拓也!強く念じるのです!魔法を唱えるのです!』
念じる?何を?どうやって?そんなことして助かるなんて思えない。さっきのようなラッキーはきっと二回も起こらないだろう。
全てがスローモーションに感じ、心の中で出てきたのは一つだけ。
死にたくない。
死にたくない。死にたくない!死にたくない!!こんなとこでこんな死に方、絶対にいやだ!まだ遊びたい!もっともっと生きていたい!いやだ。澪に……怖がられたまま死ぬなんて絶対にいやだ!こんなとこで死んで……たまるか!
そう心で叫んだ瞬間、指輪が光りだし、あまりの眩しさに閉じてた目を少しだけ開けた。
『ちょ、冗談!?なんなのコレ!?』
目を開けるとそこには光に包まれたヴォラクがいた。しかし俺を攻撃する気配はなく、その体は見る見るうちに崩れていくのだ。ヴォラクは自らの体が砂のように崩れ落ちていく姿に動揺を隠せなかった。
『これは!?』
ストラスも魔法陣を描くのをやめ、その光景をただあんぐり見ていた。
なんだこれ……こいつこのままじゃ死んじまう。
『うわあああぁぁあぁあぁああ!!』
ヴォラクはパニック状態に陥り、体勢を崩してフォモスとディモスから転落した。
待てよ!こんなつもりじゃ……!殺すつもりなんてないのに!やめろ、やめろ!!
「やめろ!」
気付いたらヴォラクに手を伸ばしていた。その腕を掴んだ感触を確認し、引き寄せると、俺の腕はしっかりと無くなりそうになっていたヴォラクの腕をつかんでいた。光は消え失せ、崩れていた体が元に戻ったヴォラクは腕をクイクイ動かしている。これも俺がやったのか?
『あれ?生きてる?』
『ギュオオオオオ!』
「のわ!」
俺はドラゴンに服を噛まれそのまま吊るされた。
「ひいいいぃ!怖い、食われる!」
『やめな!フォモス!ディモス!』
「ぐえっ!」
その声に反応するがごとくドラゴンから振り落とされた。
なんて情けない声だ。てゆうか高いとこから落としやがって……骨折れたらどうすんだよ!
『負けだよ。魔法陣も出来上がったみたいだしさ』
「え?」
足元を見てみると、ヴォラクとドラゴンを囲むように魔法陣が完成していた。
『ふぅ……ようやく完成しました』
「ストラス!」
背中の傷のことなんかすっかり忘れてストラスを抱きしめ、向こうも俺に頬を寄せてきた。自分の負けを認めたヴォラクはお手上げと言うように手をあげて降参のポーズをとった。
『で、お兄さん、ストラス。俺をどうする訳?殺す気?』
殺すなんて、そんなことをするためにここに来たわけじゃないのに。俺は、こいつをどうしたいんだろうか。
「そんな気なんかねーよ」
『え?』
なんて言っていいか分からず頭を掻く。この間、ストラスが言っていた。俺を狙ってくる奴はいるって。悪魔をこんな風に倒さないといけないって。でもきっと、俺とストラスだけじゃ、こんなまぐれ続かないだろう。
「本当は元の世界に戻してやりたいところだけどなんかそれができないみたいなんだ。だから別に何にもしねえよ。人を襲わなきゃな」
『そんなの約束できないよ』
人を襲わないと宣言は絶対にしたくないのか、そっぽを向くヴォラクに少しイラつく。少し懲らしめなければ約束しないだろうな。
「約束じゃない、お前負けたんだから俺の言うことは絶対。じゃなきゃこの魔法陣消してやんねー」
『な!この魔法陣はあんたが描いたんじゃないじゃないか!』
「うるさいな!!いいんだよ!コンビプレーってやつなんだよ!……なんだよストラスその目」
『……いえ』
いまだに俺を睨み付けてくるヴォラクを見て、ある提案が浮かんだ。向こうが飲んでくれるかは分からないし、正直殺そうとしてきた奴に頼むことでもないのは分かっているけど、他に方法はないような気もする。
「お前さ、俺の護衛する気ないか?」
『はぁ?』
「いや、また今回みたいに襲われたら危ないじゃん?ストラスは弱いからあてになんねーしさ」
『誰のおかげで魔法陣に閉じ込められたと思ってるんですか!』
「いいからいいから。お前みたいな強いやつがいてくれると俺も助かるんだけど」
『指輪の継承者のくせに悪魔に頼るなんて……あんた何考えてんの?』
だからそんなの知らないって。指輪の継承者とか、訳わからん名称で呼ぶんじゃねえよ。
「別に何も?やんのかやんないのか?」
『してあげてもいいけど。それ相応の報酬はくれるんだろうね?』
「報酬?」
なんだそりゃと言う俺に、ヴォラクはため息をつきながらも教えてくれた。
『悪魔との取引の基本は等価交換、あんたがその気ならそれ相応の物をよこしな』
「それ相応の物かぁ……」
そういえばストラスも言ってたな。悪魔との契約の基本は等価交換だって。でも命を守ってもらう見返りとなると、相当なものを渡さないといけなくなるだろう。そんなものは持っていない。だから、こいつには少し悪いけど嘘をつかせてもらおう。ストラスと会話をしていてわかったことがあるんだ。召喚だのなんだの言っていたけど、多分こいつら、数十年は人間の世界に召喚されていないんじゃないかってこと。
俺は首をひねり光太郎たちに向き合った。
「光太郎、なんかお菓子とか持ってない?」
「え!?飴ならあるけど……」
「それでいいや、それくれ」
「お、おう……」
光太郎から飴をもらう。光太郎の手は震えてた。怖い思い、させちゃったんだよな……光太郎は俺も化けもの扱いするのかな……
そんなことを今考えても仕方がないので、貰った飴をヴォラクに手渡した。
『まさか毒殺?』
「ばーか、んなわけあるか。いいから食ってみ?」
ヴォラクはしぶっていたが決意して飴を口の中に入れた。
『甘い』
「うまいだろ?」
ヴォラクはコクコクと頷いた。こうしてると可愛いな。
「これは飴って言ってな、人間の世界の高級なお菓子で中々食えない贅沢品なんだ。俺を守ってくれたらこの飴いっぱいお前にやるよ」
なんて安上がりな商談なんだと我ながら思う。命を守ってもらう褒美が飴なんて……しかしヴォラクは必死で考えた末、飴をもっと食べたいと言う考えになったのか渋々だが頷いた。
『仕方ないな。まあいいよ。約束どおりしてくれるなら守ってあげてもいいけど?』
安上がりな商談、成立。こいつが人間の世界に無知でよかったと心から思う。契約しちまったらこっちのもんだろ。知らんけど。
「嘘言ってねえだろうな?」
『嘘なんか言わないよ。魔法陣の中だもの』
「そうなのかストラス?」
『はい、我々悪魔は魔法陣に閉じ込められるとその中から出られないだけではなく、召喚者の質問にも嘘偽りなく答えなければなりません』
「ふーん……なら交渉成立だな」
『わかったならさっさとここから出せよ』
「口の減らねー奴だなー。出してくださいって言えよ。ったく」
魔法陣の線を足で消してやると、ヴォラクは魔法陣から何事もなく出てきて、こっちに近づいてくる。やっぱりガードできるものがないと怖くて、思わず身構えた俺に手を突き出して何かを渡してきた。
『これ、受け取れ』
「なんだこれ?」
ヴォラクから受け取った物を見ると、それは赤い宝石の付いたネックレスだった。すげえ高そうだけど、こんなアクセサリーを俺によこして何のつもりだ?賄賂か?
「なにこれ?」
『ルビーのネックレス。俺の契約石なの』
へぇールビーとか初めて見たなぁ……え?えぇええぇぇぇえ!?これ本物のルビー!?こんなの貰えるわけないじゃん!
突き返した俺にヴォラクは不満げな表情を浮かべた。
『これは契約の証なんだ。受け取ってくれなきゃ契約したことにならない』
「だけど、こんな高価なの……」
『契約がなくなったら返してもらうんだし今は貰っといてくれなきゃ困る。つかお前、本当に俺たちのこと何にも知らないんだな』
強い口調で言われたら納得するしかない。とりあえずこの宝石を俺が持ってなきゃいけないってことはわかった。ヴォラク以外の悪魔にもこの契約石ってやつは存在するのかな?
『これは契約石っていう奴で悪魔が人間と契約する際に忠誠の証で渡す物なんだ。俺たち悪魔は人間の世界に長期間留まるには自らのエネルギーと人間のエネルギーを媒体にできる宝石を使う方が便利なんだよ。契約石は72柱の悪魔、それぞれが固有のものを持っていて、俺の場合はルビーなんだ。このルビーは俺の心臓そのもの……契約者に渡すことが義務付けられてる』
そ、そんなものが……あれ?でも俺、こんなの見たことないけど。
「ストラス……お前、俺にくれてねーよな。お前はあるのか?」
『あります。ただ貴方を主だと認めていませんでしたからね』
「てめ!」
『ストラス、お前も俺と召喚時期同じなら、そろそろ決めとかないと時間がないぞ。別の方法とるんなら、何も言わねえけどな』
『分かっています。まあいいでしょう』
何て言い草だ、人をこんだけ巻き込んでおいて!
そう言いかけた時、コロンと小さな音を立ててストラスが肩に何かを置いた。
「ん?これ……」
『タンザナイトのブローチ。私と拓也の契約の証です。なので拓也、私にも』
「わかってる。お前はポテトチップスでいいんだろ?」
『それのコンソメです』
「注文すな。これ売ったらどれくらいになるんだろう」
『売ることは許しません。絶対にです』
「……はい」
ヴォラクは会話を聞いていたかと思えば俺の腕に抱きついてきた。いきなりパーソナルスペースを縮められ、びびりあがった俺を見て猫なで声をしてくる。なんだこの餓鬼は!!
『となると今日からお兄さんの家に住むけどいーい?こんな可愛い子を野宿なんてさせないでしょ?』
は!?そんなの無理に決まってる!!
「いや、無理無理無理無理!家族に黙って飼えるのはストラスくらいで……」
『飼えるとはなんです!?飼えるとは!』
『なんでストラスは良くて俺は駄目なんだよ!?なんでなんでー!?』
「だ、だってお前ドラゴンとかいるし……」
ドラゴン連れて帰ったら母さんが泡を噴いて倒れる!!
何とかしなければいけないと考えていたけれど、名前を呼ばれ後ろを振り返ると、そこには光太郎と中谷が青ざめた表情のまま立っていた。
「あ、えっと……これにはその……」
言い訳なんてできないことはわかってる。
だってこれだけ見られたらもう誤魔化せないしな。
「ちゃんと話してくれ。納得ができなきゃ……俺どうにかなっちゃうよ」
光太郎の問いかけに俺は頷いて説明した。
***
「信じられない話だけど実際こんなの見ちゃったらな……つか中谷、お前契約してたのかよ」
光太郎は思った以上に状況の呑み込みが早く、責め立てるように中谷を睨み付ける。中谷の方は契約していたのだから最低限の事情は知っていたのだろう、項垂れたままだ。しかしこのままの状況が言い訳もなく、中谷は申し訳なさそうに俺の前に来て勢いよく頭を下げてきた。土下座でもしてしまうのかと思うくらい深々と頭を下げられて、どうしていいか分からなくなってしまう。
「巻き込んでごめん!最近調子悪くって……なんか頑張っても意味ないって思ってきてて、だから力を借りちゃったんだ。最初は嘘だって思ってた!でも本当に練習しなくてもホームラン打てたりヒットボールをキャッチできちゃったり……なんだか怖くなっちまって……契約止めたいとか言い出せなくて、誰にも相談できなくて……毎日、怖くて……」
涙がこぼれた中谷の肩に手を置く。中谷も、悩んでたんだよな。
「でももうやめた。自分の力でがんばるよ!後ろめたいことあるほうが気分悪かったし……馬鹿がふさぎこむと本当ろくなことないよな!」
再度頭を下げた中谷に大丈夫だと告げて顔をあげてもらう。涙でぬれた頬を拭うことなく鼻を鳴らしている中谷をヴォラクは黙って見つめている。
『まあ、新しい契約者様のご意向に沿って、もうお前には手を出さないよ。後は勝手にしな』
頷いた中谷にヴォラクは未だに残念そうだ。まだ、人を殺したいとか思ってるんだろうか。いつ背中を刺されるか分かったもんじゃない。油断はできなさそうだ。
さて、これからどうするか……まずはヴォラクの生活を何とかしなければならないが、こいつのドラゴンをどうにかしないと。そう思って後ろを振り返るとドラゴンが消えていた。
「あれ?お前……」
消えていたドラゴンの所在をヴォラクに聞こうと再度振り返ると、そこには服装の変わったヴォラクが立っていた。元々悪魔の姿も背中に羽が生えたくらいでさした違いがなかったが、子ども服に身を包んでいるヴォラクはだれがどう見ても外国人の子供と言う感じだった。
金髪碧眼の日本人離れした子供。
「ふふん。悪魔は人間に変身できるのだっていっぱいいるんだよ。さすがにフォモスとディモスをいつまでもこっちにだしとくわけにはいかないし、俺だって騒がれるのは好きじゃない」
「へぇ……ストラス、お前も変身できんのか?」
『私は人間には化けれません。しかしカラスになら化けれます』
可愛くないし、さして今と変わらないからこのままでいいや。
「でも拓也……その子どうする気だ?」
そう、それが問題なのだ。だっていきなり知らない子供つれて帰ったら母さんなんて言うか……それこそ警察沙汰になっちまう。ホテル暮らしも金銭的に難しいし……悩んでいると光太郎がある提案を持ちかけてきた。
「なんなら俺の親父のマンション、一部屋かそうか?俺の親父、仕事用とか家賃収入でも欲しいのかいくつかマンションの部屋を買ってんだけど、買ったけど使ってない所いくつかあるんだ。そういう所は俺と兄貴が勝手に使ってたりするんだけど、俺がよく使ってるところ使えよ。駅にも近いし便利もいいし、親父とか兄貴は俺が良く使ってるの知ってるからまず来ないんだ。元々仕事用で買ってさ、家具とかも揃えてんだけど、結局ほかに気に入ったところを買ったから使ってねえんだ。かなり広いから余裕で住めるよ」
そういえば光太郎はこんな平凡な高校に通っているが、実は父親が一流企業の社長をやっている御曹司なのだ。本人は全くそんなことを感じさせないが。
サラっと言ってのけたけど、あまりにもありがたい提案に涙が出そうだ。最高の環境を与えてくれるのだから。
「えー?拓也と別々に住むのー?ちょーつまんなーい」
『ふむ……これからの事を考えるにあたり、拓也の狭い家では不便ですからね。その提案はなかなかこちらとしては喜ばしい申し出ですね』
こいつら好き勝手言ってるけど、住まわせてもらう立場なの分かってねえよな。それに、そういう事を本人の前で言っちゃうのかいストラスよ。今度ポテトチップス、お前の嫌いなノリ塩味買ってきちゃる。
これでマンション問題は解決として、早速こいつをそこに連れて行かないといけない。と、その前に。
「これどうすればいいんだ……」
Tシャツはざっくりと切られ、背中は血だらけだ。今もかなり痛いが、思った以上に傷は深くなかったようでなんとか耐えれている。けど、こんな傷で外を歩いたら救急沙汰だ。
ヴォラクは俺の背中の傷を見て、「あー」と言って近づいてくる。
「しょうがないな。傷つけたのは俺だし」
そうだお前だ!だから責任とれっつーんだよ!……あれ?痛くない?
文句を言おうとしたけど、痛みが一瞬で消えて、恐る恐る背中を触るも切られた痕は残っておらず、手品のように綺麗さっぱり消えてしまった。
「はい、終わったよ。この程度の傷だったから俺でも何とかなったけどね。ま、悪魔だから?このくらいのことはできるけど」
改めて悪魔に恐怖。こんな怪我を簡単に直せてしまうものなのか。
あまりにも簡単に治った俺の傷に光太郎と中谷も驚きを隠せず、目を丸くしている。
『少し情けないですねえ』
ぜってーノリ塩味買って来ちゃる。
「でもその服じゃ歩けねえな。池上、体操服でよければ俺持ってるから着てくれよ」
「マンションに俺の服あるから、それ着て帰れよ。今は中谷の体操服着とけ」
光太郎と中谷の言うことはもっともで、服を脱いで中谷の体操服に着替える。このTシャツはもう捨てないといけないだろう。こんな血だらけでボロボロの服、使えないし。
着替えも終わり、マンションに向かおうと足を運ばせて、あることに気づく。
「そういえばもうこの結界みたいなやつ、通れるのかな?」
中谷が手を伸ばしたらもうそこには既に結界なんて物は存在しなかった。
「ヴォラク、お前が結界壊したのか?」
「壊したなんて失礼なこと言わないでよ。俺が作った結界なんだから俺が消してあげたの。大体結界あったから助かったでしょう?」
確かに……ヴォラクやストラスの姿を一般の人が見てたらそれこそ街中大パニックだよ。
そしてそれにかかわってる俺も疑われる。
「さっきも言ったけど、俺のドラゴンであるフォモスとディモスは目立つから、ああやって目くらまししてんの。召喚されたばっかりで、あんまり大げさに騒ぎまわるのも行動しづらくなるからな。まあ結界も張らずに暴れまわる奴と当たらないことを願うしかないね」
考えたくない。ていうかできればそんな悪魔とは遭遇したくない。
俺たちは結界を抜け、そのまま光太郎についていった。
***
「ここだよ」
光太郎が立ち止まったのはかなり高級そうなマンションだった。
あきらかに家族向けの高層マンションであることが一目でわかり、こんなマンションをいくつも持っていると言う光太郎の父親の年収が気になって仕方がない。そしてこのマンションを息子の好きに使わせていると言う大らかさも。
「ここの十階ね」
しかも十階かよ。すっげーなぁ……ん?
「ここ父ちゃんのマンションだろ?なんでお前鍵とか持ってんの?」
「さっきも言ったけど親父使わないから今は俺の第二の家なの。ここ良く使うから、他の人に貸すのもなしって言ってるし、今のとこは親父も何も言わないから好きに使ってんだよ。でももう一つの鍵は親父が持ってるから、なくすなよ」
普通の家じゃ、まずありえない会話だな。
「さ、どうぞ」
「うおー」
広い……マジで広い。てか俺んちと大して変わんないんじゃないか?一応狭いながらも、家族四人で暮らせてるんだけどな。
元々おじさんが仕事で缶詰をしていたせいか、光太郎が第二の家代わりにしていたおかげか分からないけど、冷蔵庫や洗濯機、ベッドまで複数ちゃんと用意されている。しかも部屋数多い!おじさんは書斎らしき場所以外を使っていた形跡はなく、他はゲーム機やらなんやら光太郎の私物で埋まっている。
リビングにはでかいソファあるし、簡易ベッドもなぜか、いくつもあるし、意味わかんねえ!これが金持ちか!このマンションを使わないからって息子に鍵を渡しちゃうとか理解できないんですけど!
俺のがここに住みたくなってきちゃったよ。
ヴォラクは目をキラキラさせてベッドに飛び込んだ。ずるい、俺もやりたかったのに!
「すっごー!ふかふかだ!」
「光太郎、本当にこの部屋借りていいのか?」
「いいよ」
光太郎はあっさりと答えた。
もうヴォラクとストラスは完全にその気だった。ん?
「ストラス。お前は俺と一緒に帰るんだぞ」
『な、なんですって?私はここに住みたいです!』
「わがまま言うなよ。お前が居なきゃ悪魔に狙われたときどーすんだよ?」
『私は弱いから当てにならないんでしょう?』
嫌なとこばっか覚えてやがるな。
「いいじゃーん。ストラス羨ましいー俺も拓也と帰りたいー」
ヴォラクは思い出したのか両手足をジタバタ動かした。
「まあまあヴォラク。頻繁にこっちくるからな」
「ホント?」
「おー」
だって光太郎の家だし、こいつ荒らしそうだからな。適度に様子見て掃除しないと。
「ならいいや」
ヴォラクはそのままベッドに横になった。光太郎はまだヴォラクが怖いのか恐る恐る話しかけた。
「ヴォラク、君。鍵はそこの壁にかかってるから」
「はーい。お兄さん達も遊びに来てねー」
とりあえずヴォラクに飯代として千円渡した。ヴォラクは使い方は分かるみたいだ。
「どうしよー俺今月もう金ないよー」
財布の中にはもう千五百円しか残ってない。俺、月六千円しか小遣いないのに……
毎日ストラスにポテトチップス買ってやったり、今みたいにヴォラクに飯代やってたら間違いなく俺は金がなくなる。やばい。母さんにせびろうかなぁ……
その後光太郎と始終頭を下げていた中谷と別れ、ストラスと家に帰った。
自分の部屋に戻り次第ストラスはまたポテトを食べだし、その光景を見ながら、とりあえず母さんに小遣い昇格を試みたが結局駄目だった。
***
その日の夜、以前失敗したストラスを地獄に戻すための魔法陣を見ながら二人で話した。
『しかし地獄に戻せないとなると困りましたね』
ストラスは部屋で俺が描いた魔方陣をしげしげと眺めていた。
「今回は良かったけど、これからどうすんだよー。さすがに72匹の大所帯は嫌だぞ」
『わかってますよ……ん?』
ストラスは何かを見つけたのか眉をひそめた。
「どーしたストラス?」
『私を地獄に戻せなかった理由がわかりましたよ』
「え!?マジか!!?」
『ええ。拓也、貴方のせいだったのです』
「俺の?」
『魔法陣が間違っているではありませんか―――――――!!!』
なんだって――――――――――――――――!?
地獄に戻せなかった理由はどうやら俺が魔法陣を写し間違えてたらしい。
安心したような情けないような。
突き刺さる視線を俺は目をそらすことで避けた。
登場人物
ストラス…ソロモン72柱の36番目の悪魔。
26の悪霊軍団を率いる魔界の王子である。
見た目は王冠をつけたフクロウの姿だが、カラスに変身することもできる。
薬草学、鉱物学、天文学に詳しく、また人間に危害もくわえないので、呼び出しやすい悪魔の1匹でもある。
博識ということも有名。
契約石はタンザナイトのペンダント。
ヴォラク…ソロモン72柱の62番目の悪魔。
38の悪霊軍団を率いる長官であり、統領ともされている。
天使の翼をもった少年の姿で現れ、2つの頭をもつドラゴンにまたがっている。
努力をしないでも召喚者の欲するものが入手できる能力を持ち、その力は形にこだわらず、大会での優勝など見えない物にでも働く。
一見いい悪魔に見えるのだが、ヴォラクは裏切られた時の人間の表情が大好きなので、迂闊に信用はできない。
契約石はルビーのネックレス。
*契約石は作者が話の流れ的に勝手に作ってるものなので、実際の悪魔とは関係ありません。