第39話 新たな主に祝福を
セーレside ―
「行ってらっしゃい」
「……朝飯ありがと」
小さく呟いて玄関を出て行ったのは中谷だ。朝練があるからと早く起きてきた中谷に朝食を作り見送る。その後ろ姿が玄関によって阻まれて見えなくなったことを確認してため息をついた。
いつもの中谷とは大違いで随分怒っているように見えた。
39 新たな主に祝福を
「ようセーレ。あいつもう行っちまったのか」
朝の六時四十分。コーヒーを淹れていると、シトリーが頭を掻きながらリビングに入ってきた。
拓也も光太郎もまだ寝てる。あいつと指さすのは一人しかいない。でもそれ以上にびっくりしたのは……
「おはよう。めずらしいね。君がこんな時間に起きてくるなんて」
昼夜逆転生活を送っているシトリーはあくびをしながら頷いた。
「おはようさん。いやな、ガサガサあいつが音出すからうっさくてよー。目が覚めちまったんだわ」
「どうせ二度寝するんだろ」
「ああ、その前にあいつの様子を聞いとこうって思ってな」
様子って言われてもな……俺は少し困って頭を掻いた。昨日の状態のままだから、特に何か変化があったってわけではないが。
「少し機嫌が悪かったな。口数も少なかった」
「ビビってるだけか。しょうがないわな。契約して寿命縮むなんて言われちゃな」
シトリーの言うことは恐らく当たってる。
きっと中谷はそれが怖かったんだと思う。でも今の状況もなんとなくシャクという感じだろう。こんなことに首を突っ込んでくる人間だ、元より正義感や好奇心が強いのかもしれない。
「パイモンももう少し優しく言ってやればいいのに」
「そうだね」
昨日のパイモンの説明は半分脅しがかってたからなぁ。いや、でも契約時に説明を全くしなかった俺たちに非があるわけだけど。拓也は契約に関してどこまで知っているんだろう。もしかして全く知らないとかはないと願いたい。
「あいつ、わかりやすいけど少しストレートだからな」
「言えてる」
俺が笑うと、シトリーも軽く笑って冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「でもヴォラクのヤローもなんだかんだ言ってよぉ。満更じゃなかったよな」
「あんな風に言われるなんて思ってなかったんだろうね」
「妬けちゃうねーまったく」
シトリーは牛乳を飲んで、再びパックを冷蔵庫に戻せ欠伸をする。背中を向けてリビングを出ようとしている彼はもう一度寝ようと自分の部屋に続く廊下に差し掛かり振り返る。
「なんなら俺が契約してやってもいいんだけどな。どう思う?セーレ」
「……ヴォラクに焼き餅焼かれちゃうかもよ」
「そりゃ勘弁。焼き餅はかわいい女の子じゃなきゃ俺は受け取れないもんね」
彼は笑っておやすみと言い、姿を消した。
***
ヴォラクside ―
『機嫌が悪いですね。ヴォラク』
優雅にクッキーを食べていたストラスが俺に言ってきたのはお昼の十五時。セーレはお菓子を用意したら、太陽の家に行ってしまい、シトリーも今から友達と会うとか言って出かけて行って、家には俺とストラスとパイモンだけ。
パイモンは悪魔の情報を探すためか、パソコンと睨めっこ。必然的に俺の相手はこいつになるわけで……
「別に悪くない」
『自覚はないのですか?』
あぁありますよ!ありますとも!でもこういうのは他人に指摘されると頭にくるもので。
「ないっつってんだろ!このフクロウ!」
思いっきり理不尽な八つ当たり。なーにお前が偉そうにしてくれちゃってんの!?お前と俺とで貢献度が違うんだからな!?お前は戦わなくてポテトチップスばっか食ってんだろ!
声を荒げた俺にパイモンもこっちを横目で見て、肩をすくめてしまった。なんなんだよ俺が悪いみたいな空気になっちゃってさ!
これもぜーんぶ中谷のせいだ!あいつが俺のこと避けるから!
そう考えると、だんだん気分も下がってきて立ちあがり、そのまま自分の部屋にこもった。どうにも苛立ちが収まらず、ベッドに横になって目をつぶっていたらいつの間にか眠りについてしまった。
***
「でさー、あいつ急に元気になっててさー」
「でもそれっていいことなんじゃない?」
話が聞こえてくる。拓也とセーレの声……学校って奴がもう終わったのか。
ムクッと起き上がって時計に目をやると、時刻は夕方の十七時。拓也は学校が終わって、マンションに立ち寄ってるみたいだ。中谷は、いないんだろうなこの感じ。いや別に来てほしいとか思ってないけどさ。
なんだかリビングに行くことに気が引けてベッドに横になっていると、不意にドアが開いた。
「ヴォラクー。起きろー」
「なんだよ拓也、うっせーよ」
いきなり来て何なんだよ。
でも拓也は気にしない。ニコニコ笑って俺のベッドに腰かけた。
「なに?何か用?」
結構冷たい口調で話しかけても相手は拓也。俺の声色に慌てることはない。
「今日さ、中谷と話しててさ。あいつ、お前と契約する気みたいだぞ」
「何いきなり?」
話が飛び過ぎてる。だって俺忠告したよな?あいつ、それでも俺と契約したいとか本気で思ってるの?ありえないだろ……だって、危険な目に遭うのは分かっているはずなのに。
「寿命が縮まるのは怖いけど、それでも現実受け止めたいんだって。ここまで首突っ込んでエアリスの娘さんの事、忘れたまんまはつらいんだって。同じ事、また起こるかもしれないし……」
「……だったら俺じゃなくってセーレやストラスと契約すればいいじゃんか」
そうだ。俺にしなくって、戦わないあいつらなら中谷の寿命を削ることもない。本当は今更他の奴と契約するって言われても複雑だ。でもここまできたら認めるのも恥ずかしくて、つい思ってもないことを口にしてしまった。
でも拓也は少し困ったように笑ったまま。
「それ俺も言ったんだけどさ。契約、お前以外は考えられないって」
雷が落ちたように体が硬直した。だってそんなこと言われたことない、俺は本当に必要とされてるってこと?正直ストラスやシトリーと契約するのが一番だと俺は思っている。戦うことがメインじゃないあいつらなら中谷の寿命を削る心配も少ないだろう。セーレは拓也と契約しなくちゃいけないだろうし、パイモンだってそうだろう。だったら、安全なのはあいつらで……でも、中谷は俺と契約したいと言っている。
冷静な頭とは裏腹に頬はだらしなく緩んでいる。
「でさ、そのことをストラス達と話してたんだ。こっち来いよ」
拓也に言われるがまま、リビングに足を運ばせると真面目な顔したストラス、セーレ、パイモンがいた。言いたいことは大体わかってんだけどね。
「ヴォラク、中谷が君と契約したいって言ってるみたいだよ。君はどうするの?」
セーレの言葉に俺は無言で返事をしない、まだ決めたわけじゃないし。
答えない俺を見て、パイモンが釘を刺す。
「契約者を変えるということは主を変えるということ。もうお前は主の一存で動くことができない。中谷の命令にしか従うことはできない。それはわかってるな?」
「うん……」
「主と中谷、どちらかを取れと言われたら、お前は中谷をとらなければいけない。それも」
分かってるよ。少し寂しそうにしている拓也に情がないと言ったらウソになる。調子に乗りそうだから言わないが、俺は拓也のこと大好きだ。弱くて泣き虫だけど、俺を悪魔じゃなくてヴォラクとして接してくれる。優しくて暖かい。俺が人間だったら、きっと兄貴がいたらこういう関係なんだろうなって思えるほど。
でも、きっと俺はやり直したいんだと思う。最初の最悪な契約を上書きしたいんだ。中谷を、今度こそ本当の意味で救うんだ。
「わかってる。契約を変えるのはそういうこと。拓也との関係はこれで終わり」
「別に何か変わるわけでもないけど、こう言われると悲しいもんがあるよな」
拓也は笑って頭を掻いた。でも少しだけ声が震えている。契約者が変わったってやることは変わらない。中谷は拓也の力になりたいと思っている、だから俺は拓也の味方。それでも俺たちを繋げていた目に見えない何かが、なくなってしまうことをお互いに理解している。
三人の視線を俺は真っ向から受け入れる。
『で、貴方は中谷との契約を望んでいますか?それならば、拓也は貴方に契約石を返し、等価交換を果たさなければならない』
俺は……別に何か変わるわけでもない。このままでも問題はない。
でもあいつが契約したいって言うんなら……してやってもいいじゃないか。
「俺は中谷と契約する。拓也との契約はこれで終わりにする」
「そっか」
拓也はそう言って、椅子から立ち上がった。
「拓也?」
「契約石、家から取ってくる。中谷、部活終わったら来るはずだから。行くぞストラス」
拓也はストラスを肩にのっけてマンションを出て行った。
静まり返った部屋は少し息苦しい。
「いいんじゃない?」
そんな中、セーレは優しく俺に声をかけた。
「お互いが認めあう契約なんて中々あるもんじゃないよ」
「お前がそれでいいのならな。だがこちらに迷惑掛けるなよ」
パイモンは相変わらず高圧的でうざいけど、俺は二人の言葉に頷いた。
中谷が来るまであともう少し……
***
拓也side ―
『拓也、本当にいいのですね?』
「いいって。引き留める権利なんか俺にはないんだし、それにもう十分守ってもらったよ」
俺は机の引き出しからルビーのネックレスを取り出した。マンションに戻る途中にコンビニによって飴もたくさん買わなくちゃいけない。沢山守ってもらって、報酬を渡さないと駄目だからな。
「別に何が変わるってわけじゃないんだ。あいつがいなくなるわけじゃないしな」
『それはそうですけど』
「ならいいよ」
でも、ヴォラクが離れていくみたいで悲しい。ストラスの次に仲間になってくれて、三人でマルファスをやっつけた。俺たちの間にはちゃんと仲間意識があったんだ。それが、あっさり切れたみたいで寂しいな。
服の袖で目元をぬぐう。ヴォラクを困らせるわけにはいかない。大丈夫、ちゃんと笑って終わらせるから。契約石を箱に入れて、俺は再びマンションに足を運ばせた。途中でコンビニによって、飴を十袋購入し、マンションに着くと、ソファに座ってたヴォラクが立ち上がって歩いてきたので、俺はヴォラクに契約石を返した。
ヴォラクは受け取る前に形式なのか、俺の前に悪魔の姿で跪いた。
「ヴォラク?」
『我が主よ。貴方と最後まで道を共にできないことをお許しください』
なんか改まって言われるとこそばゆい。
「んなこと言わなくていいからよ。ほら、契約石」
『はいどうも。んで、その持ってる袋、俺のだよね?ちょーだいね!』
乱暴にビニール袋を奪われて中身を確認してヴォラクは飛び跳ねている。前言撤回。やっぱもう少しお前は俺の前に跪いとけ。でも本当に最後なんだ。ヴォラクが契約石を受け取った瞬間、俺たちの契約は切れた。あっけないから何かが変わった実感がないけど、少しだけ……心にぽっかり穴が開いた気分。
ヴォラクは受け取ったルビーのネックレスを首にかけ、少しだけ寂しそうに笑みを浮かべた。
『さよなら。我が主』
「……うん」
ヴォラクは人間の姿に戻り、ルビーのネックレスをまじまじと見つめた。
「あーフリーになっちゃった。早く中谷来てくんないと俺このまま消えるー」
「それ、俺気になってたんだけどさ、悪魔って人間と契約しないとどうなるの?動けないとは聞いたけど」
「エネルギーがなくなり次第死んじゃうんだよ。まあ今の俺なら何もしなければ一~二週間程度かな?」
意外と長っ!一〜二時間程度かと思ってたよ。
そんだけ期間が長けりゃ、確かに一人くらいは契約できそうだけどな。ヴォラクの能力って超便利そうだし。
俺達はそのまま中谷が来るまでマンションで待っていた。
***
「いらっしゃい。中谷」
一斉に視線を浴びて、マンションに入ったばかりの中谷は目を丸くした。俺がここまでみんなに話しているのを知らないんだろうな。鳩が豆鉄砲食らったように固まっている。
「え?なんかのお祝い?」
『何を言っているのです。こちらの準備はできています。早くヴォラクと契約なさい』
あ、と小さく声を出して、やっと状況を理解したのか、中谷は鞄を床に投げ捨てて真ん中にいるヴォラクの前に早足で向かう。そのまま見つめ合えば、緊張している中谷に対してヴォラクが再度確認するように冷静に話す。その話し方は諭しているようにも感じる。
『わかってる?契約の意味を。悪魔との契約を……これは最終確認。今ならまだ間に合うよ。悪魔と契約して、人間の寿命全うできなくなるよ?』
「うん」
中谷はヴォラクから視線をそらさない。寿命が削られるなんて恐ろしい話なのに、中谷の顔に不安や迷いはなさそうに感じる。まっすぐヴォラクを見て力強くうなずく。
『もしかしたら三十歳くらいで死んじゃうかもしれない』
「うん」
『それでも本当にいいの?後悔しない?』
中谷は首を振って一言だけ答えた。
「絶対しない」
その声は震えていなかった。ビックリするくらい、はっきりとした返事で逆にこっちが目を丸くしてしまう。
あまりに気持ちのいい即答にヴォラクは呆れたように笑った。でもその表情は嬉しそうだ。自分を受け入れてもらえた、唯一無二の相棒が見つかった。そんな表情のように思えた。
『馬鹿正直……退屈させんなよ』
ルビーのネックレスが中谷に渡される。契約の証。
『新たな主に祝福を』
中谷はしげしげとネックレスを眺め、こっちを見て実感わかねーと言って笑う。でもこれで中谷は契約者の仲間入りだ。それは確定した。
「またこれから宜しくな!」
***
『中谷は満足したようですね』
「うん。あいつ等ほんっとーに仲いいよな」
マンションから家に帰る途中、ストラスがポツリと呟いた。
少し嬉しくて、少し悲しい。
『しかし、ヴォラクと契約するくらいなら、私かシトリーかと契約すればよいのに』
は?今なんて?
「どういうこと?」
『ですから戦わない者の方がいいではありませんか。セーレは悪魔を探す際に絶対に必要ですから貴方以外と契約はできませんし……パイモンも拒否するでしょう』
なんだそりゃ……お前はそれでいいんかい。
「お前は駄目だろ」
『は?』
「中谷がお前がいいって言ったってお前は駄目だろっつってんの」
『拓也……』
「俺と一番初めに契約したのはお前だ。俺はお前を一番頼りにしてるんだから」
なんか自分で言って恥ずかしくなってきた。だってストラス、それは酷いだろ。一番初めに俺のところに来ておいてさ、他と契約するって、なんかルール違反だろ。俺はストラスと契約破棄する気なかったのに……中谷がストラスがいいって言っても、ストラスだけは譲りたくなかったのに。
なんだか自分でも子供みたいなわがままを言っている自覚があるからこそ、そっぽを向いてしまったが、そんな俺にストラスは満更ではなかったようだ。
『そうでしたね。主の前でなんと無礼なことを申しましたね。申し訳ありません』
「……わかればいい。お前は俺の相棒なんだから」
『相棒ですか。そうですか』
ストラスはなんだか嬉しそうだ。心なしか肩に乗っていた足が一歩顔に近づいた。フワフワの羽毛が耳をくすぐり、ストラスの体が傾いてポフンと側頭部にもたれかかる。
上機嫌なストラスになんだか恥ずかしくなって、つまらない意地みたいなものをはってしまった。
「それにもうお前は池上家公認のペットなんだからな」
『……はぁ?』
一瞬の沈黙の後、俺たちは軽くふきだして笑い合う。
『契約者から相棒やペットだなんて……初めて言われましたよ』
「そっか」
笑いながら、俺達はのんびりとした気分で家に帰った。
その時、俺たちは知らなかった。もう一人、契約を決意した奴がいたことに。
***
「あ、シトリーお帰り。遅かったね」
「おーセーレ。光太郎と飯食っててな。拓也もう帰ったんか?」
「うん。何か用だったの?」
「まぁな。その前に、中谷どうなったんだ?」
「結局契約した。ヴォラクもなんだかんだ言って嬉しそうだったよ」
「そっか……」
「シトリー?どうかした?」
「あー……俺、光太郎と契約することになったから、契約石返してもらおうかな、と」
「へ……?」
その後、連絡を受けた俺は後日また契約石を持って行った。
一気に二人と契約をなくなってしまったのが少し寂しかったり。
でもま、いっか。