第33話 恋人の条件
あの後、桜井と別れ、家に帰りストラスと話し合う。ストラスは細かいことを知らないから、相手がクラスメイトの幼馴染であること、幼馴染の亮太という青年は桜井が言うには大人しくて気弱な性格らしい。誘拐された後藤真由って人についてはニュースで情報が流れているのだからストラスも耳にしているだろう。
話を聞いたストラスは時間の少なさと、接触できていない現状に頭を抱える。
「ん〜どうやって調べるべきなんだろうなぁ」
『そうですね。家の中で、しかもあれですからねぇ……取りつく島もない』
33 恋人の条件
考えていると、携帯が震えてストラスから視線を逸らす。送信相手の名前を確認して、ストラスに画面を見せる。
「シトリーからだ」
『シトリー?何かあったのでしょうか』
相手はシトリーでメッセージの中身を確認すると、夕飯の誘いだった。でもこれって飲み会?みたいな感じなんだろうか?
“よっす!今日バイト先の居酒屋に飯食いに来ない?親睦会やろうぜ!お前ん家の家族も連れてこいよ。セーレ達には連絡して行くことになってるから。澪ちゃん連れてこいや”
親睦会って……でもシトリーなりに気を遣ってるのかもしれない。俺も、怖くて聞けてなかったけどパイモンに話がしたい。俺を最後まで守ってくれるのか、それを確認しないとパイモンには頼れない。
シャックスと戦ったときに言われたあの言葉……すごく頼もしいと同時に怖かった。こんな奴が敵になったら、きっと誰も敵わないんじゃないのかってくらい、あいつには絶対的な強さみたいなものがあるように見えた。だからこそ怖い、あいつがいつ俺に剣を向けてくるのかが。
黙っている俺とは対照的でストラスの声は弾んでいる。外食なんて中々ストラスはできないから嬉しいんだろう。
『シトリーらしいですね。しかし私もいけるのでしょうか』
「シトリーが言ってるんだし、いいんじゃね?ばれない様に店はいるまでは鞄の中に隠れとけば。とりあえず母さんに言ってくる」
ストラスをベッドに置いて、母さんに知らせにリビングに向かう。既に夕飯の準備が進められており、進捗状況次第では行けなくなりそうな気もするけど、声をかけなければ始まらない。
「かあさーん。シトリーがバイト先の居酒屋に飯食いに来いってさ」
俺の言葉にキャベツをきっていた手を止めて母さんが振り返る。
「シトリーさんって……長い黒髪でハンサムな人かしら?」
「それはセーレ」
母さん、未だに名前と顔が一致してないんだな。
「あの不良そうな青年の方?」
間違ってはないけど、覚え方に随分と悪意を感じる。セーレとは大違いだ。見た目で印象って大分変わるもんだな。シトリーもいい奴やけど、初対面で受けが良くないのは理解できる。母さんは包丁を置いて、どうするか考えている。
「もう夕飯作ってる途中だけど、まあ誘ってくれたんだし。行かなきゃ失礼よね……」
「やった!」
まさかのOKの返事に思わず喜びの声が漏れた。外食外食!居酒屋って俺初めて行くんだよね。なんかあの大人の雰囲気がたまんね〜!
初めて行く居酒屋に夢を膨らませて、俺はルンルンで自室に戻った。
「ぃやった〜!居酒屋だ居酒屋だ!」
『拓也、完全に悪魔のこと忘れてますね』
ハッと思い出して表情を切り替える。うん、忘れてた。いけねえよなぁ……時間ないんだもんなぁ。でもいい考えは頭に浮かばなくて、どうすればいいんだろう。
桜井悩んでたし、できれば穏便に事を済ませたいし……と色々頭の中がこんがらがって悩んでいるとストラスが何かをひらめいた。
『拓也。貴方のその指輪、動植物の声を聴く力があるはず。それを利用すれば……』
「どうやって?」
『調べてもらうのです。鳥などに』
さも名案のように言っているけど、また適当な……しかもざっくりしすぎじゃない?
トリ、とり、鳥……フクロウ…………ストラス!!
「お前が行けばいいじゃん!!」
唐突な指名にストラスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「お前調べてこいよ!お前なら大丈夫だって!それに指輪使わなくても話せるし」
『わ、私では悪魔に気づかれてしまいます!』
「俺が指輪を使うよりも成功率は高いって。大丈夫だろ?お前も悪魔なんだし、相手が気付くならお前も気づけるって」
『私は戦闘に特化していないので気配には鈍感なのです!』
ストラスは戦うことが専門じゃないって前に言ってたからなのか、かなり必至で抵抗していたけど、パイモンかヴォラクにも一緒に来てもらうと言うと、なんとか嫌々だったけど首を縦に振ってくれて、今日の夜にストラスに調べてもらうことで話は一致した。居酒屋に行ってから策戦は決行するため、とりあえず先に光太郎達に今日の夕飯を誘うために電話をしてみることにした。
「折角なら光太郎と中谷も誘ってみよ」
光太郎に電話をかけて待っていると、明らかに光太郎ではない声が聞こえてきた。
『はいは〜い。もしも〜し光太郎でーす』
子供特有の高い声に聞き覚えがありすぎる。これ俺じゃなかったらどうするつもりだったんだ。
「なにしてんだヴォラク」
『あ、拓也〜。居酒屋のこと言いにきたんでしょ〜』
いや、それよりも俺の質問に……まぁいいや。
「うんそう」
『俺がちゃんと伝えたから大丈夫だよ〜。中谷も光太郎も行くってさ』
「あ、そうなの?」
『うん。じゃあ俺また中谷と特訓に戻るから』
特訓?まさかあれからまだやってたのか?
切れてしまった電話を見て、ストラスに話しかける。
「まだ剣の特訓やってんだって。お前らなんか言ったんじゃないのか?毎日やってんじゃんコレ」
『別に何も言ってませんよ。失礼ですね』
本当かよ。それならあんま無理しないでほしいな。居酒屋行った時に色々聞いてみよ。
***
「いらっしゃーい!個室用意してるよん」
居酒屋の制服を着たシトリーは相変わらずヘラヘラ笑って、部屋に案内してくれた。どうやら海外から日本に留学しているという設定らしく、偽名を使い働いているようだ。シトリーと言いかけた口を塞がれ、こっちではケビンと言う前契約者の名前を偽名として使っているようだ。
通された部屋は広く、大人数のみの貸し切り部屋といった感じだった。平日だったから空いてたのかな?入っていいのか?
「なんでこんなの急にしようとしたん?」
中谷は一番乗りにヴォラクと席に座り、シトリーを見上げる。
「親睦会だって。お互いのことこの際知っとこうぜ。それとバイト先の奴らが見たいっていうからよー。俺様の知り合いだからイケメンがいるのは間違いないって思ってんだろうな。セーレ頼んだぜ。俺様の面目のためにもな」
「お、俺が何をすればいいって言うんだよ……」
「ふーん。それで開いてくれたんだ。すごいねー」
「お前なんつー棒読みだ。とりあえず、なんでも頼んでくれぃ」
なんだ見世物か。まあ、でも確かに母さんたちも名前覚えるいい機会なのかもしれない。直哉は早速ヴォラクと何か話しているし、良かったのかな。
俺達はメニューを見て、それぞれが好き勝手に料理を注文し、どんどん料理が部屋に持ってこられる。ここの支払い大丈夫なのか心配になるが、居酒屋の店長が非常にいい人らしく、今回に限ってはシトリーに免じて無料なんだそうだ。こいつのコミュニケーション能力すげえな。
「おいしー!」
直哉が唐揚げをパクパクと平らげていくのを見ながら自分も串揚げを食べながら、光太郎たちに気になっていたことを質問した。
「お前ら、稽古してるって大丈夫なのかよ?今日もしてたって聞いたけど」
「へーきだって!」
中谷は握り拳を作って笑顔で答えてくれた。光太郎も軽く頷いた。
「俺らめちゃくちゃ強くなってっから楽しみにしててくれ」
良くわかんなかったけど一応頷いて見せた。直哉は食べるのに一生懸命で、澪が食べかすを拭いてあげている。う、羨ましい!
皆が盛り上がる中、ちらりとパイモンの席に視線を移す。面倒そうに酒を飲んでいて、あまり会話に参加する気はなさそうだ。セーレとかヴォラクがちょこちょこ話しかければ返事はしているが、自分から率先して会話を振る気配はない。心臓がドクンと跳ねる。今聞け、じゃないといつ聞くんだよ。
深呼吸してパイモンの隣に移動する。セーレとパイモンの間にいきなり割って入った俺に二人は驚きつつもスペースを開けてくれた。
「パイモンに聞きたいことがあるんだ」
「答えられる範囲なら聞きます。なにか?」
なんだよ、答えられる範囲って。パイモンって本当に俺に気を許してくれてはないんだな。
「パイモンはルシファーの命令だから俺を守るって言ったよな。じゃあ、ルシファーが俺を地獄に連れて来いって言ったら、それも聞くのか?」
「聞きます。私の忠誠はルシファー様にささげられていますので」
あまりにもハッキリと言い放った裏切りを示唆する反応に、セーレもヴォラクも弾かれたように顔を上げた。
パイモンは飲んでいたグラスを置いて、顔をこっちに向ける。
「ルシファー様は貴方の保護を命じています。私が貴方に危害を加えることはありません」
「……それは今はってことだよな」
「疑っているんですか?いつ裏切るか ― と。私からの忠誠が欲しいのですか?」
クスリと笑うパイモンは美しく儚い雰囲気を醸し出してはいるけれど、言っていることはえげつない。
「欲しいよ。背中を刺されるのはごめんだから。でもそれができないなら……」
「私を追い出しますか?先に言っておきますが、後悔しますよ」
追い出したくないよ。パイモンの強さは既に分かってるんだから。でも、こんな不安要素の塊でもある人物を近くに置いておきたくないってのは事実だ。
「俺を守るんだよな?ほかの悪魔に俺たちを倒す手引きをしたり、リークしたりしないよな」
「そんな危険に晒すような事をしません」
「悪魔を討伐するのも、手伝ってくれるのか?仲間を斬るんだぞ」
「ええ、協力します。私がいないとヴォラクだけでは対応できない事態もありますから。あと、仲間などと言うのはやめていただきたい。悪魔と言う括り以外は交流も何もないのだから」
なんとかパイモンが裏切るまでに信頼を勝ち得るか、俺たちが強くなるかしないと、今はパイモンに頼ってもいいんだろうけど、あまりにも危険すぎる。ヴォラクが睨みつけてもパイモンは動じない。多分、ヴォラクも分かってるんだ。戦力としてのパイモンの価値があまりに高いことを。
「主、私は貴方に忠実です。指輪を持っている ― それだけで貴方の価値は計り知れないのだから」
つまり、指輪以外に俺には価値がないってことだ。指輪を守るために俺も守ってくれるんだ。それって空しいし、怖い。
ぎゅっと手を握りしめ、歯を食いしばる。今はこの人を利用すればいい。
周辺が大騒ぎしながら楽しそうに飲んだり食べたりしているなか、俺たちの周りだけ最悪の状況のまま居酒屋の宴会は終了した。
***
居酒屋から出た俺たちは母さんたちに先に帰るように伝え、亮太の家に向かう。中谷と光太郎には事情を説明してついてきてくれるといった二人に感謝して、あともう一人、護衛してくれる人を選ぶ。
「パイモン、手伝ってくれないか?」
「何の話かは分かりませんが、いいでしょう。協力します」
ヴォラクが自分もついていくというのを断ってパイモンと光太郎、中谷とストラスの四+一匹で向かう。電車を乗り継いで三十分ほどかかったが、道に迷うことなく亮太の家にたどり着く。
「ここに悪魔がいるってのか?」
中谷はバットを握り、家を眺めた。今にも突撃しそうな雰囲気にバットをしまえとパイモンにくぎを刺される始末だ。
「らしいんだけど、まだ確信が持てなくて……ストラス頼む」
『わかりました。屋根裏と言っていましたね』
ストラスは羽を広げ、空に飛び立った。自分から頼んだくせに、少し心配だ。
「大丈夫かなぁ……」
***
ストラスside ―
屋根裏とは……窓がないのでしょうか。家の周りをまわって見ても窓が見つかりません。唯一小さい窓は発見できたのですが、カーテンが閉められています。ためしに軽く窓をつついてみるとカーテンが開けられ、中から少女がこっちを見上げていました。
「フクロウ?」
この少女、間違いないですね。あのテレビと言う箱に映っていた少女。
急に現れた少女は驚いた目で私を見て窓を開けました。監禁されているのに、手足を縛られたりはしてないのですか。では逃げられるのか?
少女は私に手をのばしてきたため、その手に大人しく乗ると、驚いたように目を丸くしたが、すぐに表情がほころんだ。
屋根裏に悪魔の気配は今のところ感じない。拓也の言っていることは間違っていて、亮太という少年がただ犯罪を犯しているだけなのでしょうか?
「慣れてるのね。あんたも一人なの?でも違うか……迷子になっちゃったの?あたしは一人なの。ここに一人ぼっち……帰りたい」
少女は悲しそうな目で私に話しかけていたが、次第に目が潤み、瞳から零れ落ちた水滴が顔に当たる。
私の頬を指で撫で、寂しさから逃げるように抱きしめてくる。屋根裏を確認したが、環境は私が思っていたよりは悪くない。そこそこ大事にはされているようだ。少女が衰弱しているのは精神的な問題だろう。
なぜ逃げないのか……逃げられる状況はあるではないか。それこそ亮太という少年が貴方の食事を買いに行っている間などに。あの少年が凶器で脅していたとしても、手足を縛らずに自由に動き回る状態で監禁する意味が分からないし、少女に外傷はなく、暴力を振られているわけでもなさそうだ。
ではこの少女はなぜ……
「真由」
声が聞こえて、屋根裏への階段をカンカンと上がる音が聞こえます。少女は慌てて私を自分の後ろに隠し、怯え始めました。私は少女からばれない様に体をずらし、周囲を確認する。
「真由、声が聞こえたから」
「気のせいじゃない。独り言なんか言わないし」
少女はそう言って顔をそむけました。怯えている、明らかに。しかし原因ははっきりわかりました。
やはり悪魔でしたか。
「真由、ロノヴェは怖い悪魔じゃないよ。怖がらないで」
「亮太をこんな風にそそのかした奴なんか知らない」
ロノヴェですか……それならば危険な悪魔ではない。むしろ問題はこの少年の方ですね。
「なんで?ロノヴェは悪くないんだよ。俺が……」
亮太がそう言っても少女は顔を背けたまま。そんな反応に亮太は悲しそうに眉をひそめて呟きました。
「だってこうでもしないと、真由は俺から離れていく」
そう言い残し、彼はロノヴェを連れて、屋根裏を降りて行った。音が聞こえたから来ただけで何かをするつもりはなかったか。助かった……私だけではロノヴェにもかなわずパイモンに貸しを作るところでした。
少女は私を抱き上げて、窓の淵に置きました。
「ごめんね。嫌なもの見たね。飼い主のところに帰りなよ。きっと心配してるから」
私は頷き、その場を後にしました。なるほど、これは一大事ですね。もしかしたら間に合わないかもしれません。
***
拓也side -
「どうだったストラス?」
戻ってきたストラスを受け止めて、小声で問いかける。ストラスは俺の言っていた通りだと言って、悪魔がいたことを話してくれた。
『ロノヴェと契約していました。彼は契約者の隠れた自己を増強させる能力を持つ悪魔です。特に危険な悪魔と言うわけではないのですが、問題は少年の方。ロノヴェは少年の隠れた自己を表現しているだけで自ら望んで少女を監禁しているのです」
「じゃああいつの望みを手助けしてるだけ?」
待ってよ……操るとか、そういう人を操作する悪魔じゃなくて、自分の意思で監禁してるって言うのか?じゃあ、あれだけ心配していた桜井はどうなるんだよ!
「それじゃ桜井どうすんだよ!めちゃくちゃ心配してたんだぞ!このままじゃ上野が……」
「桜井がどうかしたのか?」
黙って聞いていた中谷がなになに?と話しに割り込んできた。そういえば光太郎は知ってるけど、中谷にはまだ話していなかった。
「桜井の幼馴染なんだって。ここに住んでる奴」
「えぇ!まじで!?」
「そんで上野にも相談したんだけど、上野が警察に言うって」
「えぇえええ!?」
上野余計なことすんなよ〜〜!中谷は大げさに叫んでいる。警察が介入したら本当に終わりだ。悪魔の存在がバレてしまう。
「でもどうするんだよ。警察が悪魔見たらびっくりするだけじゃすまないだろ」
『そうですね。それにあの少年が殺人鬼になってしまうこともあります。先ほども申し上げた通り、ロノヴェの力は自己の表現の増強。万が一、少年が誰かを憎んで殺害したいと思えば、ロノヴェの力により自己が増強し、彼は理性をなくし、その場の人間を全て殺害するでしょう。ロノヴェの力は常に契約者に働いていますから』
今回の悪魔と一番契約しちゃいけない奴がしちゃってるな。ただでさえ正直言うと思い込んだらやばそうなタイプだなって思っていたのに、相性最悪すぎるだろ。
「今、奴を殺せば話が早いのでは?貴方に危害を加える可能性があるのならばなおさら」
黙っていたパイモンが淡々と恐ろしい言葉を発する。その声の冷たさに光太郎と中谷も怯えて一歩後ずさった。
「駄目だよパイモン、そんなニュースになるようなことはできないし、それじゃあ契約者を助けられない」
「……契約者も救いたいのですね。それは話を聞いただけの私でも難しいと思いますが」
パイモンの言うことはもっともだ。一番手っ取り早いのはパイモンとヴォラクがロノヴェを倒してくれること。でもそれは根本的な解決にはならない。
「明日元々説得するつもりなんだ。それが失敗したときは頼むかもしれない」
「わかりました、待機しておきます。無理はなさらないよう」
「ちぇー練習の成果、見せられると思ったのになー。俺のスーパー中谷一刀流が」
中谷は不満そうにブンブンとバットを振り回した。そもそもそれ剣じゃねーし変な流派作んな。つかお前マジで戦う気だったのかよ。それとは反対に光太郎は安心したように息を吐いた。中谷のような強靭なメンタルを普通の人間は持ってないよな。
悪魔も割れたことだし、明日の説得にかけるという俺の提案に光太郎は大丈夫なのか?と言う目で見てきた。
「いいのかよ。桜井巻き込んだら」
「でも桜井いないと多分、家に上がれないし」
大丈夫、たぶん大丈夫。きっと説得できるはず。
***
「桜井大丈夫かよ。なんかやつれてねぇ?」
「フられたんじゃねーのか?彼女の美優ちゃんに」
次の日、桜井が机に突っ伏しているのを見て、仲のいい藤森と立川がヒソヒソと小声で話す。見ていられないほど気落ちしている桜井を何とか励ましたいけど、状況を知ってしまっているから、励ます言葉も出てこない。
「フられたんじゃねーよ」
「あ、上野。なんかあったのかよ桜井」
「さぁ」
上野は原因を言わずに言葉を濁した。どうやらまだ警察には言ってないみたいだけど、俺を見て気まずそうに目をそらした。
あまりにも居たたまれず、桜井の席まで行き、肩を叩く。
「さくらーい……だいじょうぶか?」
「これが大丈夫に見えるか……」
うん、見えない。
「今日、一緒に説得に行ってみようぜ」
「俺、昨日結局なにも考えつかなくて……」
「でもこのままじゃ上野が間違いなく通報するぞ。俺だってこんなの知ったらなんかソワソワしちゃって気持ち悪いし、俺もついてってやるから。な」
「う……池上、うわ〜〜〜〜!」
桜井は俺の言葉を聞いて、大声を出して机に突っ伏した。普段はクラスの中心人物の桜井のこの調子になんだかクラス全体の調子がくるっている。
なんつーかいっぱいいっぱいなんだな。
「なんだよ桜井。泣きだしたぞ」
「池上泣かせたんじゃねーの?」
藤森と立川がケラケラ笑う中、上野だけが気まずそうにこっちを見ていた。
***
「拓也大丈夫か?本当に一人でついてく気?」
放課後、光太郎と中谷が不安そうに俺に問いかける。二人とも部活と塾で今日も忙しそうだ。
契約者が問題なだけで悪魔自体は危ない奴じゃないらしいから大丈夫だろ。そう言って軽く笑う。
「だって桜井、俺がお前らに言ったこと知らないし、ストラスを連れてけないのがちょっと心配だけど」
「でも桜井乗り気じゃねーな」
中谷が軽く指をさした方向では桜井は相変わらず机に突っ伏している。一日中これが続いたせいか、藤森と立川もちょっと心配そうに見つめていた。
そんな桜井を見ていると、不意に名前が呼ばれ振り返った先には気まずそうな上野の姿。
「なぁ拓也……今日、行くのかよ」
「え?あー、うん」
肝心な部分を言わないのは光太郎たちがいるからだろう。光太郎達に一瞬視線を向けたのは二人にしてくれのアイコンタクトのように感じ、察した中谷と光太郎は顔を見合わせ、じゃあな。と手を振ってそれぞれ教室から出て行った。
二人がいなくなったのを確認して上野は気まずそうに頭を掻いた。
「俺も行くわ」
「上野も?」
「俺だって雄一をあんなにさせたいわけじゃねーよ。このままじゃモヤモヤして嫌だしな」
どうやら俺と気持ちは一緒のようだ。桜井はいい奴だ、できれば元の桜井に戻ってほしい。
俺達は桜井の席に行って、未だに机に突っ伏している桜井の両脇を掴み持ち上げた。
「ななな、なんだよ!サツには俺はいかねーぞ!」
いきなりの宇宙人の連行のようにぶら下げられた桜井は気が動転し、とんでもない内容を大声で出した。その声は残っているクラスメイト全員に聞こえており、桜井に視線が集中する。
「お前サツって何だよ!?万引きでもしたのかよ!」
「またはカツアゲ!?」
「違うって!こいつ今日頭おかしーじゃん?気が動転してんだって!」
藤森と立川は顔を真っ青にして俺たちに近づいてきたのを何とか誤魔化し、桜井を引きずり学校から走って出た。ある程度学校から距離を取って、上野は桜井を掴んでいた手を放し、怒りをあらわにした。
「馬鹿じゃねーのお前!大声出すなよ!」
「いや、いきなり掴むからだろ!?俺に人権ないような持ち方だったじゃねえか!」
いや、まあ確かに俺たちのやり方も悪かったけど……上野に怒られた桜井はもじもじと道路に指をつついていた。こんな光景、彼女に見せらんねえな。幻滅されそう……
「幼馴染の家に行くんだろ。俺もついて行くから」
「お前言うんだろ?俺を証人にさせんだろ」
すっげえ被害妄想。第三者から見たらうざいなぁ。
……俺もストラス達にこう思われてたりしてんのかな。そう思うと、なんだか他人ごとではなくなってきた。
妙な既視感を感じている俺を他所に上野は桜井の頭を軽く叩いて溜息をつく。
「ちげーよ。説得しに行くんだろ?ついてってやるんだよ」
「隆!池上!本当か!?」
泣いて喜ぶ桜井に上野は照れ隠しにそっぽを向いた。感動してる場合じゃない、時間もないわけだし、俺達は再びこのメンツで亮太の家まで向かった。
「つっても名門校ならまだ授業終わってないんじゃない?」
現在の時刻、午後十六時。名門校ならきっと七限や八限があるはず。俺ら公立校は一年に八限はないため、向こうの授業次第ではしばらく待たなくちゃいけなくなるのか?
じゃあなんとか家には入れたら、亮太に接触せずに真由さんだっけ?あの女の子に会える?ストラスがいればな……二人の前で行動させられないけど。
「今日は暑くねえから外で待っててもいいけどさ。これ変質者じゃね?」
「お前自分だけ助かろうなんて思うなよ!」
上野は周りの目が気になるのか、キョロキョロしながら俺の背に隠れる。俺はちゃんとしてるのに、自分だけ助かろうとする上野の背を掴み、軽いプロレスごっこに発展する。
「やめろって!騒ぐなって!」
「何してるんだ?」
「え?」
頭上から声が聞こえ、顔をあげると目の前には亮太の姿があった。あれ?学校終わってたんだ。
亮太の目は完全に据わっており、角度のせいか不吉な影が宿っているように見える。俺たちが隠れているのは亮太の部屋から見えていたようで、再度現れたことに怒りを感じているようだった。
「何してるんだ?俺、言ったよな……嗅ぎまわらないでくれって」
「亮太、なぁもう止めようや!俺知ってんだぞ。お前が真由さんのこと」
亮太は驚いた顔で中に入ってと言い、俺たちを家の中に招き入れた。まさか向こうから中に入ることを促すとは思っておらず、警戒してしまい動かない俺を上野が引っ張って引きずられる形でついて行く。
亮太はリビングに俺たちを通し、どこまで知ってる?と聞いてきた。あまりにも落ち着いている相手の反応が不気味で、桜井ですら息をのんだ。
「何で真由のこと知ってるんだ?」
「なんでって……その、偶々遊びに来た時、鍵空いててさ、その時見ちゃったんだよ」
「そっか」
なんでこんなに楽観視してんだ?普通あせらないか?
桜井は身を乗り出した。
「俺さ、昨日ずっと考えてた。説得できないかって。今日が最後だ。今日真由さんを解放してくれなかったら俺が警察に連絡する」
亮太はそれでも眉一つ動かさずにこっちを見ていた。立ち上がって、奥にあるキッチンに向かう。戻ってきた亮太は手に何かを持っている。
「その前に雄一を殺っちゃうかな」
室内に大きな音が響き、突然の出来事に俺達は何が起こったのかが一瞬わからなかった。
目の前のテーブルには突き刺さった包丁……ひっくり返った小物、笑った顔の亮太。今度こそ真っ青になった。俺達、殺されかけたのか?
「だから言ったのに嗅ぎまわるなって……雄一が悪いんだからな。ロノヴェ捕まえろ」
ロノヴェと呼ばれた悪魔は突如、俺たちの後ろに現れた。本当に桜井の言ってた通り、化け物だ。紫色の皮膚に、とがった耳、骨ばった輪郭に悪魔って感じのいびつのような羽……実際悪魔なんだけど。鋭利な歯は口からはみ出て、爪は長く鋭かった。
ロノヴェはまず携帯を取り出そうとしていた上野の手を払いのけ、腹を殴って失神させた。そして桜井は亮太の持っていた包丁の柄で思い切り頭を殴られて床に膝をついた。殴られた桜井の頭は真っ赤に腫れていき内出血している。
「亮太……なんで」
「いらないから。真由以外は何も、俺を認めてくれないこんな世界いらない」
認めてくれない?その寂しさが、それが亮太の隠れた自己なのか?それがこれ?心配していた桜井をこんな目に遭わすのか?お前、正気じゃないだろ。なんだよそれ……
ロノヴェと亮太と対峙して狼狽える。桜井たちもいる手前、あの剣を出すことができない。しかし桜井が隙を見てテーブルに置かれてあったカップを武器代わりに手に持とうとした瞬間、見逃さず亮太は桜井の手からカップを奪い取り思い切り頭を殴りつけた。
その強さはカップが割れるほど強く、痛みと破片で切ったのか血を流して床に倒れた桜井にとどめを刺すかのように亮太がもう一度頭を殴りつけると、桜井は動かなくなってしまった。
「桜井!!」
慌てて側に駆け寄って抱き起すと完全に意識を失っている。よくも、こんなに亮太のことを心配して助けたいと言っていた桜井にこんなことしてくれたな!?
亮太を睨み付けた俺に、向こうも不快そうに眉を動かすもロノヴェは指輪を見つけ声をあげた。
『召喚者様!私、待ッテタ。迎エニキテクレルノ』
召喚者?だから俺は関係ねえんだよクソッタレ!割れたカップの破片を思いきりロノヴェに投げつけ抵抗すると、向こうは悲しそうに眉を下げ項垂れた。
『ドウシテ、私、貴方ニ呼バレタダケナノニ。ズット探シテイタノニ』
「俺は召喚者でも何でもねえ!こんな指輪いきなり渡されて迷惑なんだよ!お前ら絶対許さないからな!!」
悲しそうなロノヴェとは正反対で亮太は包丁を握りしめ舌打ちをした。
「……こいつ、殺す?」
『駄目。召喚者様ハ指輪ノ継承者ダ……主、コイツ殺シタラ駄目』
「とりあえず屋根裏に連れて行け。雄一達も」
『了解』
「馬鹿!何しやがんだテメー!はーなーせ―――!」
『駄目、貴方連レテ行ク。ルシファー様ノトコロヘ。指輪ヲ持ッテル奴大事。ルシファー様ニアゲタラ多分喜ブ』
年貢扱いすんな!しかも多分ってなんだよ!そんな憶測で連れていかれてたまるか!抵抗を試みるが、ロノヴェの皮膚は固く思い切り爪を立ててもビクともせず、俺達はそのまま屋根裏に引きずられた。
「亮太その子たち!」
屋根裏にいたのは制服の所々が汚れている真由さんの姿。やっぱり閉じ込められてたんだ!
「真由、こいつ等は俺と……真由のこと邪魔した奴らなんだ」
「邪魔って……なんでこんな事を!」
真由さんは血を流して気絶している桜井の頭を優しく撫で、守るように自分の後ろに避難させた。手や足を縛られていた形跡はなく、屋根裏は若干の埃はあるものの比較的綺麗な状態で、閉じ込められているのは間違いないが、そんなに不自由ない生活ができていたのかもしれない。
しかし自分が否定されたように傷ついた顔をした亮太は怪訝そうに真由さんの手を桜井から払いのける。
「なんで真由……こいつは」
「貴方の幼馴染の子でしょ?頭おかしいんじゃない?こんなことして……」
真由さんが亮太を非難した瞬間、頬を殴られ、その場に倒れた。
『主ヘノ侮辱……ユユ、ユルサ……』
「ロノヴェ!」
一瞬のことで理解できなかったけど、どうやら頬を殴ったのはロノヴェで、お返しと言わんばかりに亮太はロノヴェを思い切り殴り返した。
「真由に何するんだ!真由は俺の全てなんだ!勝手なことするな!!」
亮太は大声でロノヴェを怒鳴りつけ、真由さんに近寄る。ロノヴェは亮太に怒られたことでシュンとしている。なんだか顔は怖い癖に行動は飼い主になつく犬のようだ。
真由さんは亮太からの手を払いのけて、噛みつくように歯を食いしばっている。ありったけの拒絶を受けた亮太は目を丸くして、声を震わせた。
「なんで真由、真由まで俺を否定するの……?」
亮太の目つきが変わっていく。やばい、このままじゃ!!
慌てて亮太に掴みかかろうとするが、ロノヴェに払いのけられて尻もちをつく。いってぇ!何しやがんだ!このクソ野郎!
何とか近づこうとするも邪魔されて前に進めず、亮太は包丁を持ったまま、真由さんに近づく。
「亮太?」
「真由までいなくなるのなら俺はもう……ねぇ、一緒に死のう……」
待てよ!このままじゃ無理心中じゃん!!
でもいつ目を覚ますか分かんない桜井たちの前で剣を出すわけには……どうすりゃいいんだ!?パイモンに連絡を入れるか?すぐに来てくれるか?
「いいよ」
ぐるぐると考えている間に響いた真由さんの言葉に、一瞬すべての動きが止まった。
「亮太が一緒に死にたいって言うんならいいよ。でも痛くないようにしてね」
「ちょ、なに言ってんだ真由さん!死ぬんだぞ!?しかもそいつは本気だ!」
『アアア主ヲソイツナンテ言ウナ!』
「やかましい!!」
『ナ、ナンダトゥ!オ前調子乗ッテル!』
ロノヴェはなんか気の弱い悪魔なのか知らないが、化け物みたいな外見に比べて怖くない。そのため俺は真由さんをほっぽってロノヴェとつかみ合いの喧嘩になってしまい、まったく殺し合いと言う雰囲気ではない。しかも見た目ほど爪や歯は痛くないし、この見た目で戦闘に向いていないとか見掛け倒しにもほどがある。
ていうかこんな奴とやり合ってる場合じゃないんだ!真由さんだよ!
「ま、真由……俺は本気なんだよ……本当に殺すよ?」
「だからいいって言ってるでしょ」
亮太は震える手を真由さんの頭上に持ち上げた。まずい、間に合わない!
ロノヴェを押しのけようと手を伸ばした瞬間、亮太が何かに体当たりされて倒れこんだ。体当たりし た相手は桜井で、ぶつかった拍子に包丁で斬れた腕がじんわりと血で滲んでいく。それすらも構わず、桜井は倒れこんでいる亮太に掴みかかり思い切り殴る。
それを見たロノヴェが桜井の方に向おうとしたので体を張って止めた。肩を噛みつかれて激痛が走ったが、俺もロノヴェの顔を殴り肩口に噛みついた。
「お前人生棒に振るぞ!マジ意味わかんねぇし!なんでこんなことしてんだよ!?」
桜井の悲痛な訴えに亮太の動きが止まり、目を見開いて桜井を見上げる。桜井は今まで見たことのないような悔しそうな顔をしており、泣くのを堪えるように歯を食いしばり、瞳は今にも決壊しそうなほど揺れている。
「お前はさ、確かに不器用だし人見知りするし、おどおどしてて何言ってんのか分かんねえくらい小さい声で話すし、でも優しくていい奴だよ!何がわかってくれないだ、何がいらないだ、自分が他人にどう思われてるかも知らないくせに!」
亮太はその言葉が頭に来たのか桜井に掴みかかる。俺とロノヴェはもはや喧嘩するわけでもなく、二人の喧嘩の結果を見守るしかない。亮太は目を見開き、今までとは打って変わり大声を出した。
感情が制御できないのはロノヴェの力のせいかもしれないが、それだけじゃない。亮太の本心が、言いたかった奥底に秘めていた思いが、自分の言葉で出ているように見える。
「わかってるよ!俺は落ちこぼれだってこと!お前に何がわかるんだよ!」
「わかんねえよ!お前俺に何にも相談なんかしてくれなかったじゃねぇか!俺は泣くぞ、お前が捕まったり死んだりしたら泣くぞ!訳わかんねぇよ、被害妄想もいい加減にしろよ!!」
「ゆう、いち」
「なに諦めてんだよ……馬鹿じゃねぇの?俺がいんだろが……」
歯を食いしばって泣き出した桜井に亮太の手の力が抜けて床に落ちる。ぐしゃりと表情を崩した亮太は桜井の肩に額をこすりつけて涙を流す。
「……ダメなんだよ。何をしても、いくら頑張ってもダメなんだ。なにをやっても上手くできない。だから、母さんは俺を捨てたんだ!きっと、このままじゃ父さんにも捨てられる!どうやったら父さんに認められるんだ?どうしたら……!怖いよ雄一……一人になるのが怖い!」
「亮太……」
『ア、主……』
「うおっ!何泣いてんだお前!」
会話を黙って聞いていると隣から嗚咽交じりの声が聞こえ振り向くと、ただでさえ酷い顔をくしゃくしゃにしてロノヴェが涙を流していた。もしかしてこれはロノヴェの力が弱まっているのだろうか?
『聞コエル。主ノ悲鳴、真ッ暗ナ中、一人ボッチ……混乱シテル。矛盾デ』
「矛盾?」
『監禁望ンデル。デモ後悔シテル。ドッチノ感情モ大キクナリスギ。頭ノ中混乱シテル……』
どこかで後ろめたい気持ちはあったんだ。完全な悪人にはなりきれなかったんだろう。
殺すと言ったけど、包丁の刃ではなく柄で桜井を殴ったのも後悔してたから?いや、それでもカップで桜井の頭を殴ったんだ。許されることじゃない。それでも……一線を越えることができないのかもしれない。
「亮太は変に優しいとこあるね」
「ま、ゆ……」
真由さんは小さな声で呟き、亮太に近づく。
「監禁って言っても鎖もロープもテープも何もしなくてさ、ここに閉じ込めとくだけ。逃げようと思えば逃げれる機会をあたしに与えてたでしょ」
「お、れは……」
「中途半端……馬鹿みたい」
やっぱこんなことされて、真由さんは亮太を軽蔑してるんだろう。冷たく突き放す言い方に亮太の肩が震えた。
「亮太の出した感情は全部あたしにくれたらいい。溜め込んで爆発されるよりかはずっといい。あたしだって受け止めるつもりでいたんだから」
真由さんの腕が亮太の首に回り、二人の体が密着した。小さな声で静かに泣いている真由さんの泣き声が響き、その言葉に亮太は目を丸くしてパニックに陥った。
「うわあああああぁぁあああぁあああ!!!!!」
亮太は俺達も真由さんからも逃げるように後ずさって座り込み頭を抱える。
どうやら理性が正常に戻ったようだ。ロノヴェは悲しそうに亮太を見つめている。
「俺、ひ、ひどい……なんてこと、したんだ……真由にも雄一にも、その子たちにも、なんて、なんて言ったらいいんだっ」
「あ、俺と上野なら気にしなくていいからさ。こいつ気絶してるだけだし」
俺はできるだけ優しい声で気にしなくていいと答えたが、こんな言葉は何の慰めにもならない。
「で、でも……雄一殴った。包丁で……!」
「お前、きっと疲れてたんだ。きっとそうだ。お前はこんなことする奴じゃない」
桜井は殴られたのに、亮太を責めることはなかった。でも亮太は怯えたままで完全に形勢逆転だ。
それと同時にせわしくワタワタするロノヴェ。もしかして力が発揮できないのか?いろんな感情がわき出すぎて、どれを強くしていいか分からない?
「お、お、俺、真由……ご、ごめ……本当にごめん……」
真由さんはジッと亮太を見つめる。監禁して暴力は振ったかは知らないが、普通なら警察沙汰だ。
亮太もそのことを考えているのか、震えて涙を流しながら訴えかけた。
「俺、行くから警察に。もう真由の前に現れないから……だから」
「あたしは亮太をそんなに不安にさせてた?」
真由さんはポツリとそう呟いた。
「確かに付き合ってること誰にも言うな、ばれない。おかしかったかもしれないけど、あたしはちゃんと亮太を見てたよ」
そんな約束を……ってか付き合ってたのか!?マドンナと!?こいつ、真由さんの彼氏!?じゃあこれ完全な痴話げんか拗らせた奴なのか!?
まさかのカミングアウトに俺も桜井も開いた口が塞がらない。
「亮太は不満だった……?」
亮太が目を丸くする。それと同時にロノヴェも苦しそうに胸を押さえた。
「お、おい」
『アアア、主混乱シ出シタ……ウゥ』
ロノヴェは亮太と感情がリンクしているのかもしれない。亮太の感情が手に取るように分かっている。だから苦しいんだろう。そしてロノヴェの肩に触れた瞬間、亮太とロノヴェの記憶が鮮明に俺の中に流れてきた。
― お母さん、女の子が欲しかったのよね。ほんっとうに最悪。あんたがいなければ、私は幸せになれたのに。
― お前には失望したよ亮太。父さんがお前と同じ年のころはもっと上を目指せていたぞ。所詮、あの女の子供なのかもしれないな。
― 亮太ってマジで暗いよな。頑張ってこの高校に来ました感ですぎてて笑える。あんだけガリ勉で大した点数とれないって終わってるよな。
亮太が自分に自信を無くすきっかけを作った両親の言葉はあまりにも酷く、実の家族から否定されてきた亮太が卑屈になってしまったのも頷ける。そのせいで学校でも友人があまりできなかったのかもしれない。
そっか、こいつは怖かったんだ……
亮太はうずくまっていたかと思うと、堰を切ったように泣きながら大声を出した。
「だって釣り合わないよ!真由は可愛いしモテるし頭もいいし友達も多いし性格もいいし!俺なんか、俺なんか……!」
― 家族にも認めてもらえないのに。
亮太の本当の願いは家族からの愛情だったのかもしれない。家族からも愛情をかけてもらえなくて、どんどん真由さんに依存してしまったのだろう。周りから羨望を浴びている真由さんに焦りと不安を覚えてしまったんだとおもう。
真由さんは呆然としている。きっとこんな風に思われていたなんて知らなかったんだろう。
「少しでも話すと釣り合わないって言われるし……何やっても駄目だし」
「亮太……あの、この間のテストも自分に負い目を感じたからあんなにやってたの?倒れちゃうんじゃないかって心配してたんだよ」
「あのテストってたしか亮太が百番以内に入ったってやつっすか?」
真由さんの言葉で亮太は顔をあげて真由さんを見つめる。
桜井はタオルを頭に巻いて、血を止めながら真由さんに問いかけ、真由さんは頷いた。
「……三週間前くらいからずっと勉強してたじゃない?クマも出来てたし……でも順位は百番近く上がったじゃない。やればできるんだよ」
「真由は三十番だった!真由のこと好きって噂だった小川君もそのくらいだった!俺、ずっとずっと頑張ったのに、なんで、なんで上手くいかないんだよぉ!!」
泣き崩れる亮太に真由さんの手が優しく触れる。額がくっついて真由さんの目からこぼれた涙を見た亮太は泣くのをやめて目を丸くした。真由さんの表情には後悔しか宿っておらず、亮太さんを見る目には愛情しか感じられない。
真由さんは、こんな目に遭っても亮太を許そうとしているんだ。
「そういえばどこにも遊びに行ったことないね。恋人なのに変なの……」
かすれた小さな声は静まり返った屋根裏で響き、亮太の耳にもハッキリと届く。
「露骨な恋人してよっか」
真由さんが笑う。
「亮太が不安にならないように、いっぱい好きって言おうか」
― だから、信じて。
悲痛な願いに亮太の手が真由さんの手を恐る恐る握った。小さな声で囁いた真由さんの想いは嘘ではない。二人はやり直そうとしているんだ。当事者がそれでいいのなら、俺たちが何かを言うことはないんだろう。
***
「いいところ悪いんですけど……こいつどうすんの?」
この状況で割り込むのは非常に気まずいけど、こいつを何とかしないと根本的な解決にならない。
指差した方向にはロノヴェがおり、ジッと亮太を見ている。
『主、モウ平気。俺帰ル』
「帰るってロノヴェ……」
ロノヴェは自ら地獄に帰ると言い出した。
『俺、モウ主ニハ必要ナイ。主、真由ガイル』
「お前いい奴だったんだな」
終わって見たらこいつ実はすげえいい奴だったのかもしれない。亮太のこと、心配だったんだな。やり方クソだけどな。ロノヴェの肩をポンポンと叩くと少し誇らしげに笑った。
『継承者、俺帰ル。魔方陣描イテ』
……………………わかんないんだよね~どうしようかね〜〜
ってかそういうこと言わないでほしいんだよねー。桜井いるし。
「池上?」
ああ四面楚歌……どうしたらいいものか。
俺はこそっとロノヴェに問いかける。
「お前の力でさー、相手の記憶を変えれねーかな?桜井とかにお前の記憶あったらやばいじゃん?どうにかできねーのかよー」
『忘レタイ。ソノ気持チアレバ増強デキル。後ハ夢ッテイウ形デ自己完結スル』
「それをしてくれ。あ、消すのは桜井と上野だけでいい。真由さん達も巻き込んだら、あのいい雰囲気おじゃんだし」
『ワカッタ』
記憶を消せるのなら何してもいいよな。
俺はストラスを呼んでくると言い、この状態の皆を残して一旦家に帰った。
***
『拓也もなかなかやるではありませんか。説得するなんて』
「いや、俺じゃなくて説得したのは桜井だけどさ」
『また他人頼りですか』
「うっせえ!話が分んなかったんだからしょうがねーだろ!」
俺達はギャーギャー騒ぎながらストラスの指示に従い、剣の光で召喚紋を描いた。
「なにこのRPG……なんなんだよぉ」
桜井はゲッソリしたような目で俺を見つめているが、もうすぐ忘れてしまうんだ。もうこのさいどうだっていいわ。
「よしできた。亮太さん。契約石をこいつに」
「あ、うん」
亮太はロードナイトのイヤリングを召喚門の中に置いた。ロノヴェはちょこんと魔法陣の中に体育座りをしており、その前に膝を下ろした亮太さんが泣きながら笑った。
「ありがとうロノヴェ」
『主、ロノヴェモ嬉シイ』
『では呪文を唱えてください』
亮太はつっかえたり、噛んだり、四苦八苦しながら呪文を唱えた。
ストラスは亮太に聖水をぶっかけて召喚紋を見つめた。これで終わるんだなと息をついた時、黙っていたロノヴェが口を開いた。
『継承者』
「ん?」
『世界守ッテ……継承者シカデキナイ。皆探シテル継承者……ルシファー様ノ元ニ連レテク。皆ルシファー様ガ大好キ。褒メテモライタイカラ。主、守ッテ』
「おい!」
細かく聞きたかったのに時すでに遅し。ロノヴェはその場から消えていた。
「あれ?俺なんでここにいんだ?おっかしーなぁ……」
何が言いたかったか分からず、ストラスに説明をしてもらおうと思った瞬間、素っ頓狂な声が響き、桜井が目をぱちくりさせている。どうやらロノヴェの力効いたみたいだ。
桜井は頭を掻いてなぜタオルを巻いているのだと疑問に思ったようで、タオルを頭から外すと血が付いていることに驚愕した。
「ん?なんだこれ血?なんで!?ってか隆、池上、なんでここに!?ってかここ亮太ん家!?えええぇぇえ!?」
「落ち着けって!」
気持ちはわかる。でもなんて言えばいいんかなー。
「ごめんね。亮太が幼馴染連れてくるって聞いて、あたしが階段から落ちちゃって巻き込んじゃったの。その子も」
真由さんは上野を指差してごめんなさいと謝る。
しかし桜井は納得できないようだ。
「いや、なんで真由さん!?行方不明の真由さんがここに!?でもなんで屋根裏?」
「駆け落ちしてたの。匿ってもらってただけ」
「駆け落ち!?」
「そこはまぁ色々事情あんだよ。俺もびっくりしたわ」
ロノヴェの奴、どこまで記憶を操作したんだ。事件自体を忘れちまってんじゃねえか。
俺は適当に真由さんに話を合わせ、上野を揺さぶり起こした。
「ん、拓也?ここどこ……」
「頭の打ちどころ悪かったんだろうな。大丈夫か〜?」
上野も案の定記憶がなくなっており、ボケーっとした目で辺りを見回した。そのあと、なんとか桜井と上野を丸めこみ、二人は訳分からんといいながら家に帰った。
残された俺に亮太はポソっと問いかけた。
「いっつも……こんなことしてるの?」
「え?うん。なんかそういう風になっちゃってさ。もう契約なんかしないでくださいよ」
「うん、そうだね。本当にごめん」
さぁて……あとは警察とかか、どうすんのかな。
***
『足立区の女子高校生が行方不明の事件ですが、少女は無事保護されました。女子高生は交際相手の男性の所にいたらしく、調べに対して、軽い家出感覚のつもりだった。迷惑をかけた等と供述している様です』
次の日、ニュースで行方不明の事件が解決したと報道された。真由さんは亮太を訴えることなく、全て自分が悪かったと供述したらしい。そのせいでネットニュースの掲示板では迷惑な女だ、バカ女、等の誹謗中傷で酷いありさまだ。
「まぁ、家出感覚なんてよくないわねー。拓也、あんたもこんなことしちゃ駄目よ」
「へーい」
俺は隣でパンをつついてるストラスを撫でると、そのまま画面を見つめた。
***
「へぇ、だからあんなニュースをねー」
「ふーん、俺全然知らねーや。あはは。でも良かったなぁ。なんかおさまって」
昼休み、光太郎と中谷と弁当を食いながら光太郎はしみじみと呟いた。ネットニュースの記事で事件が解決したことを知っていた光太郎は付属しているコメント欄が誹謗中傷で溢れていたと言っていた。真由さん、大丈夫かな。学校で嫌な目に遭わないかな。
俺達が真面目な話をしているのに中谷……あははじゃねーし。
「そーだなぁ」
「でもすっげーなぁ。桜井、完全に記憶無くしてるぜ。ケロリとしてんじゃん」
横を向くと、桜井がパンを食いながらバカ騒ぎをしていた。
昨日の桜井の落ち込みぶりを見ていた藤森と立川は何だ?と言う顔でお互いを見合わせている。
「でも上手くいくんかなぁ。そのカップル」
「行くだろ絶対」
「あ〜俺も彼女ほし〜〜!誰か紹介してくれよぉ〜〜」
中谷お前、彼女欲しかったんだ。初めて知ったし。
ま、この後は本人たちのことだし、俺の出る幕はおしまいっと。
***
真由side ―
「遅い!」
なんでこんなに遅いの!?もう昼休みは始まってるじゃない!
久しぶりの学校は正直言って非常に面倒だった。陰でアバズレ女とか言った奴をボコボコにして、ひそひそと指をさされ続け、教師には怒られ、最悪な一日だ。これがしばらく続くと思ったら気が滅入るが、友人は味方をしてくれて、逆に恋人が誰なのかと根掘り葉掘り聞いてくる始末だ。
今も後ろではえっことおーちゃんがこっちを窺っている。飲み終わったジュースのストローをガジガジ噛んでいたら、廊下をバタバタと走ってくる音が聞こえてくる。やっと来たか……
相変わらずオタオタしてる亮太。喝を入れてやんなきゃ。
「ごめん!四時間目、体育で」
「遅い!せっかくお弁当作ったのに食べる時間ないでしょ!」
「ま、まだ後四十分あるよ」
「つべこべ言わない。行くよ!」
あたしは亮太の腕を引いて教室を出ようとする。
そんなあたしを友達が止める。
「真由〜?うちらと食べないの?」
えっことおーちゃんだけじゃない。クラス中があたし達を見てる。その中に小川君も。
「なんでって……彼氏とお昼って変?二人だって時々してんじゃん」
クラスの空気が固まる。
ビックリしたのはクラスメイトだけじゃない。亮太もだ。あんたが驚いてどうすんの全く。
「うっそおおおおおおぉぉおおお!!」
「あいつと付き合ってたのかよ―――――!」
「俺狙ってたのにぃいぃぃいい!!」
あたしは物じゃねーっつの!でもこれでいいんだ。これで、もう何も怖くない。未だに騒いでいるクラスメイト達に振り返ってとどめの一言をさしてやる。
「ちなみにずっと亮太の家に居ました。あたしの駆け落ち相手」
阿鼻叫喚で包まれるクラスを出て、手を繋いで廊下を歩く。今まで見たことのない組み合わせに周りはビックリしているが、開き直って見ればこれほど楽なものはない。これで亮太は名実ともにあたしのものだ。
「ま、真由……」
「ね、今日家行っていい?今日こそジョジョをコンプするわよ!あ、その前にカフェに行こう。チーズケーキが食べたい」
「無理だよー。まだ十一巻じゃん……え?カフェ?」
驚く亮太に人差し指を立てて釘をさす。
「だからHR終わったらクラスに迎えにきて。勝手に帰ったら怒るからね!」
「うん!」
気が利かないんだから……まぁいっか。亮太はカフェのお勧めのケーキやらなんやらを聞いてくる。
あたしはそれに答えながらお弁当箱を握った。
この中には亮太の好物ばっかりぎっしり入っているんだから、あたしだってちゃんと見てたのよ。思い知らせてあげなきゃ。
四日ぶりの外の世界は何だか全てが輝いて見えた。
登場人物
ロノヴェ…ソロモン72柱27番目の悪魔。
19の悪霊軍団を統べる侯爵ある。
その姿は諸説様々であり悪魔学者レジナルド・スコットの見解は「怪物のような姿」としている。
己の表現すべき言葉、自己表現を司る悪魔である。
契約石はロードナイトのイヤリング。
沢村亮太…桜井の幼馴染。
幼い頃に母親が蒸発して出て行ったことにトラウマを持っている。
エリート街道を歩いてきた父にコンプレックスを感じている。
後藤真由…亮太の彼女。学校でもマドンナと呼ばれているほどモテる。
クールな性格。