第193話 帰還
『あだっ!』
『うっ』
ゲートの中は真っ暗で流れに身を任せて、どのくらい時間が経ったか分からない。一瞬だったのか数十秒だったのか、しかし目の前が明るくなり、急に訪れた浮遊感からの解放に俺とアスモデウスはお互いに頭から転落した。
目を開けた先にはフローリングの床に真っ白な天井。どうやらどこかの家の中の様だった。
193 帰還
帰って来た……帰って来たんだ!喜びを隠せず慌てて起き上がって窓の外を見た。地獄では真っ暗な景色が広がっていたにもかかわらず、窓の外は明るい日差しが差し込んでいた。それだけで帰って来たという実感が湧くのに支障はない。冷蔵庫だってあるしテレビだってある!本当に俺は帰って来たんだ!
でも喜んでいるのは俺だけで、アスモデウスは悲しそうな顔をしているだけだった。どこか放心している様な表情に何を言っていいか分からなくなる。
『アスモデウス、サタンは……』
『平気、でも今はその話はしないでくれ』
そう返したアスモデウスの口調は弱弱しく、耳に付けているピアスをいじっている。
そういえばアスモデウスはそのピアスを大事にしていた。あれ?でもあのピアスは確かサタンもつけてたような……類似品なんだろうか。
『そのピアス、大事な物なのか?』
『……サタンにもらった。それを半分こしたんだ』
何を言いたかったのかは大体分かった。そしてそれ以上何も言う事も出来なかった。そのままお互い暫く無言で何も話さなかった。
話すこともないため室内の物をボーっと見ながらふと考えた。
あれ?ここってよく考えたら他人の家だよな。早く出ていかなきゃ不法侵入だよな。てかここどこだ?外国なのか?しかしこの家にある家電がすべて日本メーカーなのだ。室内の構成も海外ぽくなく、もしかしたら日本に飛ばされたのではと期待してしまう。
じゃあ一体ここはどこなんだ?家族に連絡を入れたくても、フォカロルが襲撃してきた時にさんざん海に落とされたおかげで携帯は壊れてしまった。一応持ってはいるんだけど電源がつかない。とりあえず保険に入ってて良かった。しかしこの室内に見覚えがあるんだよな。つかこないだこことそっくりの家に……え?まさかここって……
『澪の家、なのか?』
慌てて立ち上がった俺にアスモデウスは視線をあげる。とりあえず靴を脱いで、家の中をドタドタ駆け回った。この先はリビング、あそこはキッチン、そのドアを抜けたらトイレにその隣に風呂!思った通りの場所に出て気が抜けてしまった。間違いない、ここは澪の家だ。だって家族写真だって置いてあるし……どうやら澪の家に召喚されたみたいだ。
でもこれは願ってもないチャンスだ。変に外国に飛ばされたらどうしようって思ってたけど、澪の家なら安心だ。でもよく考えろ。アスモデウスは契約石のある場所に飛ばされるって言ってた。と言う事は澪の家に契約石があるって言うのか!?
『アスモデウス!お前の契約石は……!』
声をかけた先にアスモデウスの姿は無く、その隣の部屋にいた。
アスモデウスはタンスを開けて、指輪を入れる箱を手に持っている。
『……こんなところにあったんだ』
蓋を開けた先には少し薄汚れた指輪が入っている。あの指輪前に澪に見せてもらった事ある。まさか……嘘だろ?
アスモデウスがその指輪を指に付けた途端、薄汚れてた指輪が一瞬で輝きを取り戻して新品の様に変わる。ここに澪はいないのか?澪を探さないと!いや、まずは母さんと父さんと直哉に会わないと!あとストラス達に……そして中谷の家族にも。
澪の家の鍵の隠し場所は知ってる。幼馴染の特権だ。
心の中で何回も澪に謝って、俺はアスモデウスを連れて澪の家に鍵をかけて道路を走った。
「どこに行くんだ?」
『どこってまずは家に……ってお前いつのまに!』
振り返った先には悪魔ではなく、人間の姿になったアスモデウスがいた。尖っていた耳も人間の物に変わっていて、服装も俺が着る様な普通の服装になっている。
『いつ着替えたんだ?』
「いつって言うか今?服はさっき通り過ぎた人の服を人間に化ける時にコピーしただけさ」
便利すぎるだろ。金かかんねえな。ってそうじゃない!俺も人間に戻らないと……アスモデウスは応急処置って言ってたけど、大丈夫だよな……本当の姿はちゃんと人間で池上拓也だよな。一瞬で元の通りになったけど、服装は同じまま。とりあえずこの格好は傍から見たらコスプレだ。早く帰って何とかしないと!
家に帰ってインターホンを鳴らす。心臓がヤバいくらいにドキドキいってるけど、それ以上に気分が高揚していた。
『はい』
「母さん?拓也だけど」
『拓也……?』
インターホンがすぐに切れ、廊下をドタドタ走る音が聞こえて来る。
そして鍵を開ける音が聞こえ、玄関が勢い良く開けられた。母さんは驚いた顔を浮かべて固まっている。
「ただいま」
「たく、や……」
目にいっぱい涙をためて、返事もせずに母さんは俺を抱きしめた。ぎゅうぎゅう苦しいくらいに抱きしめられ肩口から嗚咽が聞こえ、その声に涙腺が崩壊し、声をあげて泣いた。帰って来た、俺は帰って来たんだ!
そのまま暫く泣き続けていれば、母さんが体を離し、涙をぬぐう事もせずに笑った。
「お帰り……ずっと待ってた」
「うん」
母さんは頬を手で包み、大切にプレゼントを開けるかのように頬を撫でる。普段なら恥ずかしくて嫌な行為も今は全く嫌ではなく、大人しく受け入れていたら急に思い出したように母さんが大声を出した。
「パパに連絡しなくちゃ!あ、拓也、直哉と一緒に帰らなかったの?」
「直哉?なんで?」
「なんでって……今日直哉は拓也を地獄から連れて帰るって言って光太郎君と澪ちゃんとマンションに向かったのよ。地獄に突入するって」
直哉と光太郎と澪が!?じゃあ母さんは直哉たちが俺を連れ戻したと思ってるのか!!
驚いているのは俺だけではなく、後ろにいるアスモデウスも驚いた表情を浮かべている。こうしてはいられない。早くマンションに行かなきゃ!
走り出した俺を母さんが呼びとめたけど大声で謝罪して着替える間もなく猛ダッシュ。変な服とかそんなに気にしている場合じゃない、入れ違いになってしまっていたら終わりだ。
「アスモデウス!地獄に万が一行ってたら強制帰還ってできるのか!?」
「こちらからの呼び掛けには魔法陣と色んな道具が必要になる。多分ストラス達は契約石を契約者に預けて悪魔を媒体にして地獄に向かうんだろうな、手っ取り早いから。その場合は向こうから連絡がない限り、こちらからは大がかりな儀式が必要になる。当然一日じゃ準備できない」
「マジかよ!?」
頼む!間に合ってくれ!
全力疾走して息が切れたけど、止まらず走ったお陰か十数分でマンションについた。途中色んな人からおかしな目を向けられたが、もうこの際どうとでもなれ。インターホンを押して出てくれるのを待つ。頼む出てくれ!
『拓也……?』
「澪?澪なのか!?」
『拓也なの!?待ってて開けるから!』
オートロックが解錠されてエレベーターのボタンを押す。澪が居るって事はストラス達は行ってないってことだよな。安心している俺に反してアスモデウスはまだ複雑そうだ。
「なんでそんな安心してるんだ?ストラス達をまだ確認できてないぞ」
「でも澪が居るんだから平気だろ」
「何言ってるんだ。契約者が地獄に行く訳ないだろ。向かうなら悪魔だけだ」
うそ―――――!!!やっぱり急がなくちゃいけない!早く来いよエレベーター!
やっと来たエレベーターに乗り込んで十階を押す。その間の緊張は半端じゃなかった。
「拓也!」
「澪!」
エレベーターから降りた瞬間、澪が前で待機していた。
澪は俺の姿を確認して泣きだして、そのまま俺の手を取ってマンションの中に引っ張った。
『拓也!戻って来たのですね!?』
「兄ちゃんー!!!」
「拓也!!」
マンションの玄関を開けるやいなや飛びついてきたストラスと直哉と光太郎にひっくり返りそうになりながらも踏ん張って耐える。後ろにはパイモンたちもいて、それぞれから迎えられて、嬉しさと気恥しさが押し上げてきた。直哉と光太郎は俺に飛びついてわんわん泣き始め、再び俺も泣いた。なぜかマンションには光君もいる。光君とハイタッチをしてお互いに笑いあった。
感動の再会に浸っている中、ストラス達はすぐに緊張した表情に戻した。その視線の先にはアスモデウスがいる。
『アスモデウス様……なぜここに』
全員から殺気を感じて、直哉と光太郎を引きはがしてアスモデウスを庇うように前に立つ。肝心のアスモデウスは何も言わず、ただ顔を俯かせているだけだった。
「ち、違うんだよ!こいつが助けてくれたから俺は戻ってこれたんだ。こいつは命の恩人なんだ」
「主、しかし……」
「なんだよ!サタネルや七つの大罪に狙われて大変だったのもこいつが居てくれたから何とかなったんだ!」
でも皆の表情がはれる事は無い。こいつが七つの大罪だからだろうか。全員が顔を青ざめてアスモデウスを眺めている。何でアスモデウスがこんなに引かれなきゃいけないんだ。そしてセーレが澪を守るかのように後ろに追いやるのが見えた。なぜか全く理解できなかったが、澪を見て思い出したことがある。澪の家に飛ばされた事、契約石が澪の家にあった事。俺は鍵をポケットから取り出し澪に近づいた。
「わりい澪、なんか地獄から人間界に飛ばされた時、なんでか澪の家に飛ばされちゃってさ、鍵使っちまった。後さ、澪の家にあった指輪あんじゃん?古い奴。あれアスモデウスの契約石だったんだ。何で澪の家にあったかは知んないけど、返してやってくんないかな」
「拓也それは……」
「主、その件について話があります」
パイモンの深刻そうな表情にただ頷いた。アスモデウスに聞かせたくないって言う言葉に少しだけ頭にきたが、アスモデウスは気にした様子もなく隣の部屋に行ってしまった。少し怒りながら椅子に腰かけた俺だったけど、パイモンの話を聞いて、それ以上何も言えなくなってしまった。
アスモデウスの過去、澪とサラの関係……じゃあアスモデウスが守りたいって言ってたサラの子孫って澪の事なのか?全身の力が抜けてソファに深く身を沈めてしまった。そしてその後にパイモンは謝罪してきた。
自分がスパイをしていたと言う事を。
驚いて固まった俺を光太郎とストラスが説明してくれて少しだけ冷静になれた。頭に来たと同時に、ああやっぱりなという感情が押し寄せる。バティンて悪魔と結託していることを重々承知でパイモンと契約していた。勿論そういう事態も想定はしていたけど、真実を言われると少しきつい。でも分かるんだ。どんな葛藤があったかを……アスモデウスの側にいて分かった。裏切るのがどれだけ辛い行為だったかって言うのを。そんなパイモンを責められるはずがない。
何も言わずに許した俺にパイモンは不思議そうにしながらも再び頭を下げた。今度はこっちの番だ。
地獄で何があったか、アスモデウスと逃げた事全てを放した。でもサタナエルの炎を使えるようになった事は言わなかった。いつかはばれるだろうけど今は言いたくなかった。澪は俺の話を聞いて、アスモデウスがいる扉を黙って見つめた。
「澪?」
「でも……やっぱり怖い」
気持ちは分かる、それは仕方ない。でもアスモデウスは何も悪くないんだ。
今は分からないかもだけど、アスモデウスだって澪がサラの子孫だって事をそのうち気付く。その時、あいつはどうなっちゃうんだろうな。
『まあ今日は無理をなさらず。貴方も疲れているでしょう。お帰りなさい拓也』
「……ただいま」
ストラスの言葉に顔を上げて笑う。なんだかうまく笑えなくて、ストラスの顔を見たら良く分からないけど涙がボロボロ溢れてきた。拭っても拭っても涙が出てきたけど、皆がそれを茶化す事はなかった。
『良く頑張りましたね……』
「うん、怖かった」
『怖かったですね』
「辛かった。悲しかった。寂しかった……」
ストラスを抱きしめて頬を擦り寄せる。ストラスもそれに応えてくれた。
「寂しかったよぉ~~怖かったよぉ~~!」
まるで小さい子供が泣き喚くような形で再び泣きだした俺をストラスは黙ってお帰りとだけ言ってくれた。皆がその光景を微笑んで見ているのなんて考えなかった。ただ帰ってこれたのが嬉しかった。それだけだった。
***
パイモンside ―
主たちが帰り、歓喜から落ち着いた部屋でしなければならないことがある。広いリビングから繋がる隣の扉。そこにアスモデウスがいる。ソファから立ち上がり、その部屋に続く扉に手をかけた俺にセーレが声をかける。
「大丈夫か?」
「問題ない。傷だらけの状態なら俺の方が明らかに有利だ。いざというときは殺す。その時は止めるなよ」
セーレは困ったように眉を下げてそれ以上言及はしなかった。七つの大罪の悪魔でありソロモン七十二柱の中心人物。ルシファー様が信頼する地獄屈指の戦闘力。俺達の邪魔をする回答を一度でもしたら斬り殺す。千載一遇のチャンスだ。
扉を開けた先には部屋の隅に座り込んでいるアスモデウスがいた。ベッドにでも腰掛ければいいだろうに、ご丁寧にフローリングに座り込んでいる姿に威厳は全く感じない。
目の前で立ち止まれば視線がぶつかる。
「主を救ったこと、まずは礼を言う」
その言葉に気まずそうにアスモデウスは笑う。主を救ったのはついでだとでもいうような反応に若干怒りもわくが、結果的にはこちらにとって感謝してもしきれないだろう。
アスモデウスは苦笑した後に視線を落とした。その姿に敵意は感じない。いざというときは殺せる。
ある程度の見定めをたてて、側にあるベッドに腰掛けた。
「俺を、殺しに来た?」
ポツリと呟いた言葉に視線が移動する。腐っても実力者だ。俺の考えはお見通しの様だ。
「嘘をつく気はない。この話し合い次第ではこの場で殺す。今のお前なら俺だけでも問題なく対処できるだろう」
「そうだね、君に勝てると思ってないよ。ここで死んでもいいと思ってる」
アスモデウスに抵抗の意志はない。お望みならばここで始末してやってもいいが、主はどのような反応をするだろう。助けてもらった恩義を随分感じているようだった。
アスモデウスは全てを諦めたように乾いた笑みを浮かべている。
「彼に丸投げするのが良くないことだということは分かってるんだ。でも、もうどうでもよくなった。たかがさ、俺一人の犯行だよ。向こうにとっては痛手でもないし、俺がいなくたって世界は回る。俺一人の死なんて大した事ないよ。全然……」
「サラの子孫、知っているのか」
問いかけにアスモデウスは頷く。契約石からある程度の情報を仕入れているのか、こちらに問いかけることはない。
「希望と一緒にいた子、だよね。なんとなくわかったんだ。ああ、この子が探していた子なんだなって。彼女には希望がいる。俺はきっといない方がいい」
「そうか。お前を待つ者はもういない、か」
「そう、それでいいんだ。ここが俺の終着点なんだ。ここで君に殺される。きっとそれが俺の終着点。そして俺もそれでいいと思ってる」
まるで首を差し出すかのように頭を下げるアスモデウスは完全に投降している。このまま殺してしまうことも視野に入れるが、まだ使い道はあるのかもしれない。胸ぐらをつかんで引き寄せる。視線が交わり、相手の瞳が揺れたのが分かった。
「俺がお前のことを気に入っていないことは地獄にいたときから感じていたはずだ。俺がお前に救いなど与えるわけがない。一度裏切ったんだ。もうお前には何もないだろ?なら、悪魔を殺して死ね。澪に関しては俺の保護対象だ、俺の主が望んでいるからな。だが、貴様の思い描く未来を無償で与える気はない」
相手の表情が歪む。怒りと、後悔と、己のふがいなさと、いろんな感情が混ざりあっている。そのまま乱暴に突き放せば尻もちをつく。どちらにせよお前の生死は俺が握っている。
「澪を直接守れ。そして悪魔と相打ちにでもなって死ね。サラの子孫を直接守れるんだ、お前にとっての最高の死に場所だろ」
「……はは、手向けのつもり?」
「ああ、お前が断れないことを見越して言っているがな。お前の死に場所はここじゃない、澪を最後まで守ってサタンにその生を償え。断ってくれても構わないぞ。ちょうど地獄に向かう準備をしていたところだ。ゲートは完成している、お前をそのままルシファー様の元に送り返してやる」
「最悪……」
アスモデウスが呟く。それが答えだ。
相手をその場に残し部屋を後にする。外で待機していたセーレたちに目配せをして部屋に入ることがないように告げた。あとはあいつ次第だ。あの怪我が回復するにはどちらにせよ時間がかかる。殺すのは今日でなくてもいい。
「どちらにせよ酷な一生だよ。お前の生き方はな……」




