第190話 別れの約束
拓也side -
『暫く追っ手は来ないだろう。安心してくれ』
そう言われて訪れたのは大きな安堵だった。肩の力が抜けて、横でシャネルがほっと息をついたのもわかった。そうだ、喜んでいいはずなんだ。家に帰れるチャンスが近づいたんだ。でも自分が悪魔になってしまったとアスモデウスに知らされた現実が邪魔をして手放しには喜べない自分がいた。
190 別れの約束
再び歩き出したアスモデウスについて行き、森の中を再び進む。あいつが言うには目的地にはもうすぐ到着するらしい。やっと帰れる所まで来たんだ。そこに行けばきっと俺は帰れる、皆に会えるんだ。なのに、それを表現できずに黙って歩く俺をアスモデウスは複雑そうな表情を浮かべている。
まあそうだよな。悪魔になりましたと言われて能天気でいられるほど俺はメンタル強くねえし楽観的でもねえよ。ストラス達に相談したら解決策を教えてくれるかもしれない。だから、一刻も早く帰らなければ。
数時間歩き続け足が棒のように感覚がない。シャネルも肩で息をしているし、ここいらで一息ついてもいいはずだけど、アスモデウスは休まずに歩き続ける。さすがに文句を言おうとした時、森の中なのに開けた場所に辿り着いた。
そこにはこじんまりとした湖があり、まわりの草花が光り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
この花って確か蛍光花だよな。ルシファーの塔にもあったから間違いない。でもこんなに沢山の花は見た事ないな……
呆けている俺を余所にアスモデウスが色々と調べている。何を調べているかは分からないけど帰る準備をしているんだと言う事くらいは分かる。そのまま地面に座り込み、剣を使って何かの魔法陣を描いて行くアスモデウスの背中に声をかけた。
「アスモデウス?」
『しばらく休んでていい。今契約石の場所を辿ってる。この場所は魔力に満ちてる、契約石の場所さえ分かれば後はゲートを開けば恐らく帰れるだろう』
やった……やっと帰れるんだ!
喜んでいる俺とは対照的にアスモデウスは気遣うように視線の移動ばかりをさせている。何かを言おうとしては引っ込めるその態度に首をかしげた俺にアスモデウスは意を決したようにポツリと呟いた。
『別れのあいさつ、しなくていいのか?』
「お前と?」
『俺としてどうするんだ。彼女とだ』
彼女?まさか……
振り返った先にはシャネルしかいない。シャネルは笑みを浮かべながら俺を見ている。
「シャネル……?」
『拓也、お別れ』
嘘だろ。だってシャネルは俺と一緒に人間の世界に帰るんじゃ……
思いがけない展開に言葉を失った。一緒に人間の世界に帰るものとばかり思っていたから。確かに向こうはシャネルにとって辛い事しかなかっただろう、帰ったところでシャネルには帰る家がないのもわかっている。でもこんな世界よりマシじゃないか。日本に住めばいいんだ。仕事が見つかるまで俺の家にいたらいい。何があっても俺がずっと守ってみせるのに。シャネルは俺を本当に見送る気でいる。
何も言えない俺にアスモデウスは魔法陣を描くのを中断して森の外を指さす。
『(シャネル、帰るのなら東の方角から帰ればいい。診療所が見えてくるはずだ。俺の使い魔を一匹渡しとく)』
『ευχαριστώ.(有難う)』
二人の会話に入れない。何を言ってるかも分からないし、それどころじゃない。
シャネルは何で帰ろうとしてるんだ!?
「シャネル!」
『拓也、良かった、本当に』
良くない、全然良くないよ。だってこんなの予想してない。俺はシャネルを連れて帰るつもりでいた。シャネルを守るつもりでいた、なのにこんなのいい訳ない。焦った表情を浮かべてるんだろう俺を見てシャネルの瞳が悲しそうに揺れた。戸惑っているような、困っているような、そんな表情だ。
シャネルに手を伸ばした。そしてこの手を掴んでくれるように促すけどシャネルから手は差し出されない。
「一緒に行こうシャネル」
だってそうだろ?こんな場所に居る必要なんてないじゃないか。俺をここまで励ましてくれたシャネルを今度は俺が助けたい。そう思うのは自然の流れじゃないか。
でもアスモデウスが訳してくれた言葉を聞いて、シャネルは僅かに微笑んで首を横に振った。
『駄目、行かない』
なんで……なんでそんなに意気地になってんだよ!
思わずシャネルの手を掴み、力強く握りしめる。シャネルは痛みで一瞬顔を歪めたが、すぐにまた優しい笑みを浮かべてくれた。どうして?どうして一緒に来てくれないんだ?どうして俺と一緒には居てくれないんだ?こんなに頼んでるのに、こんなに助けたいと思ってるのに……どうして?どうして?
疑問ばっかりで何一つ言葉にできなくて、唇をかんでシャネルの手を強く握り、離さないという意思表示だけでは端から見たら駄々をこねている子供そのものだ。シャネルは小さく笑い、片方の手で俺の頬に触れる。
『駄目なの。人殺した。そっちには行けない』
シャネルは殺人を犯した。それが良くないことだって言うことも分かっている。でもそれはしょうがないじゃないか。あんな目に遭ったら苦しいし、殺してやりたいと思うじゃないか。
ただ何も考えずに俺の手を取ってくれたら俺は命に変えてもシャネルを守るのに!
「でもこんな場所いたくないだろ?帰ろうよ……行くとこないならさ、俺の家に住めばいいじゃん。皆分かってくれる」
シャネルは返事をしない。日本語がわからないにしてもアスモデウスが訳してくれている。理解はしているはずだ。だから、返事をしないのは意図的で……それがわかると余計に焦り饒舌になっていく。
「色んな場所連れてくよ。楽しい所も全部……こんな所にはない物も。俺もギリシャ語勉強するし、シャネルだって日本語少しは話せるんだし、会話には困らないよ。だから……」
― 一緒に行くって言って。
掠れる声でそう言えばアスモデウスが俺の言葉を訳し、シャネルは悲しそうな顔をする。
どうして?こんな所に住みたい訳じゃないんだろ?こんな汚い場所にいなくたって一緒に来てくれたら色んなところに連れていくのに。一生かけて俺が面倒みる。絶対に悲しませたりはしない、それなのに……
ずっと心のどこかにシャネルは存在していた。消す事の出来ない存在だった。それが今、目の前に居る。今度こそ助けられると思ったのに……
「何とか言ってよ……」
泣きそうな情けない声にシャネルの目から涙が零れた。
そのまま俺にしがみついて声を押し殺してなくシャネルに、どうしようもない愛おしさがこみあげてきて抱きしめて泣けば、複雑そうな顔をしたままのアスモデウスが俺をいさめた。
『希望、無理強いはさせるな。できないものはできないんだ。冷静に考えろ。もう君と彼女は住む世界が違うんだ。イポスに魂を連れ込まれた彼女は既に悪魔になっている。そっちには行けない……余計な光を見せれば見せるだけ、彼女自身が惨めな気持になる』
そんな事ってあるのかよ。
こんなに、こんなに願ってるのにどうして上手くいかないんだ。俺が何をしたって言うんだ、ただシャネルを人間の世界に連れて行きたいだけなのに。アスモデウスの言葉を少しだけ理解していたんだろう、シャネルは顔を上げて泣きそうな表情を浮かべながらも笑った。
『有難う、拓也。優しい人』
「シャネル……」
『悪いのは私。何も貴方は悪くないの』
もっと前に会えてたら良かった。そうしたらシャネルをきっと救えてた。
でも探すのが遅すぎた。もう少し早く指輪を手に入れててパイモン達を仲間にしてたら、こんな事にはならなかったんだろうか。
『大丈夫、貴方なら大丈夫。優しいから』
意味が分からなかったけど、シャネルがそう言って俺を励ましてくれた。でも結局シャネルを助けられなかったんだ。こんなに近くにいるのに、手が届かない。
なんて情けないんだ、なんて滑稽なんだ。結局俺は誰も救えないんじゃないか。
『幸せになって』
「シャネル……」
『私みたいにならないで』
シャネルは首にかけていたロザリオを俺の首にかけた。
真っ赤な宝石が中央に埋め込まれたロザリオが俺の胸元で揺れた。
『あげる、私には必要ない。貴方に加護を』
「どうしても来てくれない?」
『今は駄目。でもまた会えたら……拓也と一緒に行く』
「シャネル……」
シャネルは分かってるんだ、俺がもう地獄に来ないって事を。再びここに足を踏み入れる事はないって事を。なのにシャネルはそんな事を言う。本当に酷い。
でも迎えに行こうなんて思ってる俺は大バカなのかもしれない。どう考えてもシャネルをここに置いておきたくない。幸せになってほしい。シャネルにこんな場所は相応しくない。いつか絶対に幸せになれるように……
「じゃあ迎えに行く。待ってて」
『うん』
できるかも分からない約束をした。でもできるように努力すればいいんだ。
絶対にシャネルを幸せにする。それが今の俺の目標だから。
だから迎えに行けなかったとしても、シャネルが生まれ変わった時……綺麗なままの世界でありますように。その為に最後の審判を止めなきゃいけない。そう心に誓った。
『じゃあ拓也、また後で』
「うん。また後で」
敢えてサヨナラを言わなかったシャネル。シャネルはアスモデウスが召喚した使い魔と一緒に泉を出て行った。沈黙が俺達を包み込み、アスモデウスが再び魔法陣を描きだし、その場に座り込んで休憩するしかなかった。もうすぐしたら皆の所に帰れる。そんで頑張って審判を止めるんだ。その後に俺はシャネルを迎えに行く。
やることもなく暇なので魔法陣を描いているアスモデウスに声をかける。邪魔したら悪いかなと思いつつも相手は返事をしてくれた。
「もう追手はこないんだよな」
『そう願いたいな。だが余り時間はない、サタネル達を撃退したんだ。次に俺たちに差し向けられるとしたら七つの大罪、または地獄の君主たち……』
「地獄の君主?」
『プート・サタナチアやフレウレッティ等の悪魔達だ。ソロモンの悪魔達の上司みたいなもんだ』
あいつらの上司!?って事は強い奴だよな……まぁアスモデウスがこっちにいるんだ。向こうだって手を抜く訳はないけど。でもまだ追手が来る可能性があんのかよ。
さっさとこんな所からは逃げないと……
『この場所を知っている悪魔は少ない。来るとしたら……』
「アスモデウス?」
『いや、何でもない。余り考えたくないな』
なんだよ、そこまで言ったんなら言えよ。気になるじゃねえか。アスモデウスはそれ以上は何も語らない。だから何も聞けないからお互い口を開かない。もくもくと何かの作業をするアスモデウスを眺めるだけ。でも体を休められる機会なんてなかったから、これを機に休もう。
シャネルはイポスの所に帰れたのかな?デイビスは俺たちを助けて罰を受けたりしてないかな。いい奴らもいた。デイビスやバルマは悪魔って事を差し引いてもいい奴だった。悪魔も様々だ。嫌な奴もいれば優しい奴もいる。良く分からない。
「悪魔って悪者なのか何だかわからないな」
『急に哲学的だな』
アスモデウスが小さく噴き出す。本人はあまり真面目に聞いてはいないみたいだったけど、こっちは真剣に考えてんのにな。全ての悪魔がストラス達みたいなのだったら、きっと共存だってできるはずなのに。どうして上手くいかないんだろう。こんなすごい力を持ってて、どうして破壊にしか使わないんだろう。
「悪魔と人間が共存できる世界とかあるかな」
アスモデウスは魔法陣を描くのを止め小さく笑った。その笑みがまるで自嘲しているようだった。
『……そんな世界があったら、君はどうする?』
まさかの質問返しに、答えることができなくて沈黙が訪れる。そのまま流していいのかとも思ったが、アスモデウスは魔法陣を描くのを止めてこっちを見ている。こいつは答えが欲しいのかもしれない。人間の女の人と結婚してたって言っていた。だったら、誰よりも共存を望んでいるのはアスモデウスなのかもしれない。
膝を抱えて考える。悪いことさえなければ悪魔の能力は確かに便利だ。セーレの力があれば飛行機なんていらないし、パイモンさえいれば弁護士だっていらないのかもしれない。シトリーがいたらどうだろ、ホストでナンバーワンになってるかな?女のシトリーならモデルになってそう。
色々考えてなんだか笑ってしまいそうだ。
「ストラス達なら、このままいてもいいとおもう。俺、あいつらが大好きだから」
『……そう。君は共存を望んでいるの?だったら、君はここに残るべきだよ』
アスモデウスの思わぬ回答に顔を上げる。言った本人は複雑そうだ。
『悪魔と人間が共存するにはまず悪魔側の意識を変えなければいけない。どうやっても俺達の方が人間より力が強い、俺たち悪魔は人間を下位の存在で見ているが人間は俺達を畏怖している。この感情をお互いに無くさないと共存なんてできないよ。そしてそれは個人間でしかありえない。君が悪魔の指導者になって地獄全体を変えるくらいしないと難しいだろうね』
つまり、ルシファーの今の状態だと、悪魔と人間の共存は無理って言いたいんだ。だからといって、ここに残って指導者になろうなんて考えない。つまり、できないってことなんだな。
黙り込んだ俺にアスモデウスは小さく笑う。馬鹿にしているわけでもなく、少し寂しそうに。
『そんな未来が来たら、彼女を幸せにできたのかな……』
「アスモデウス……」
『なんでもない。所詮俺は悪魔だ、それ以上でも以下でもない。化け物にはここはお似合いの場所だよ、君には相応しくない。早く戻ろう』
アスモデウスは偉く自分を卑下する。こいつのおかげで俺は帰れるんだ。そんなに言わなくたっていいのに。もうすぐ帰れる。邪魔をする奴が来ない限り皆の所に……




