第184話 なぜ……
アスモデウスside -
『何を迷っている?それともお前の限界か?』
『それはこっちの台詞。あんたこそ動きが鈍いけど』
ベヘモトの攻撃は正直言って派手だ。遠く離れた場所でもあれだけの土煙や大きな音を出していれば、嫌でもお互い気になってしまう。
正直、俺もサマエルもお互いが気が気でなかった。
184 なぜ……
サマエルに傷つけられた箇所に結界を張り、毒の進行を何とか阻止できてるけど、長くは持たない。
サマエルの毒は強烈だ。しかも奴は自らの毒を異物として最初は少しだけ、二度目からは大量の毒を体内に入れて来る作戦をとってる。
俺にアナフィラキシーショックを起こして死ねって言いたいんだな。結界を解いてしまったらあいつの毒素が全身を駆け巡ってショックを起こしてお陀仏だ。それにあいつの毒は強力な中枢作用と筋弛緩作用を持ってる。身体が腐敗する能力を持ってる上に呼吸麻痺の症状を起こして死に至る。
それだけは避けなきゃいけない。
進行スピードも脂溶性が高い毒素のお陰で体内循環が早い。早く希望がデイビスからもらった薬を使わないと不味いな。
でも相手はサマエル、サタネルの称号を持つ奴だ。簡単に行かせてくれる訳がない。
正直言ってヘトヘトだ、これ以上戦うなんて不可能に近い。それを戦えって言うんだから酷な話だ。これが裏切った代償なのか。ストラス達もこんな経験をしているのかな?だとしたら凄い事を彼らはしてるんだな。
『何を考えている』
俺に付けられた傷をいたわる事もせず、平然そうな顔でサマエルが腕をかざす。その腕は相変わらず紫色に変色しており、不気味さを醸し出している。再び剣を構えた俺に、サマエルも臨戦態勢をとる。こいつを早く倒さなきゃ、早く希望の元に行かないと希望がベヘモトにやられてしまう。
それを考えただけで俺が今までしてきた行動の全てが水の泡になる。こんな所で終わらせる訳にはいかない。
その想いだけを胸に、俺は再びサマエルに剣をふるう。
体中をサマエルの毒が襲い、鈍い痛みが身体を刺激するけど立ち止まれない。
サラの世界を守るって決めた。こんな所で立ち止まる訳にはいかない。もう引き返せない所に居るんだよ!
地面を蹴って身体を動かし、全身の筋肉をフルに使って剣を振り回す。サマエルも短い短剣で俺の攻撃をいなし、その隙に毒を俺に喰らわせようとしてくる。正直言って堂々巡りだ。お互いが疲れて動けなくなるまで続くだろう。
そして絶対先にくたばるのは俺だ。もう身体は思った通りに動けない所まで来てる。
一瞬の動きが遅れる。そしてそれをサマエルは見逃してくれないだろう。一瞬の隙を見つけて俺に攻撃を仕掛けて来る。絶対に気は抜けない。睨みつけた俺にサマエルは自らの毒手を眺めながら声をかけてきた。
『……なぜ裏切る』
『え?』
『何が不満なんだ。そこまでして審判を行わせたくないのか?かつては熾天使の天使長まで勤めていたお前が、奴らによって地獄に落とされた。復讐したくないのか?今はお前の副天使長が天使長を務めていると聞いたが』
『バラキエルか、彼は優秀だ。俺よりもずっと相応しいよ。それ相応の罰を受けただけ。今更どうにも思わないさ』
心底不思議そうな顔のサマエル、まぁ彼の境遇からしたら天使達を恨みたくなるのも無理はない。
サマエルは幼いながら母親であるソフィアとともに異端審問で拷問をかけられた。その証拠がサマエルの毒手だ。あれは元々生まれつきのものじゃない。天使たちによって植えつけられたものだ。
サマエルを苦しませて殺すために毒殺しようとした天使達がサマエルに呪詛を使った。
そして腐っていく体に悲鳴をあげて泣いたサマエルを救ったのはソフィアだった。ソフィアは試されていた。確かに悪魔を生みはしたが、サマエルは望まれて生まれた子供ではなかった。
この毒殺をソフィアが容認すればソフィアの罪は洗い流され、軽い罰で済まされるはずだった。でもソフィアはそれが出来なかった。自分の子供を見殺しにできなかったのだ。例え悪魔だったとしても……
そしてサマエルに何とか毒を抑える魔法をかけたけど、天使達の呪詛は強大だった。結果サマエルは一命は取り留めたが、腕にその毒が残った。
その後はサマエルがさっき希望に語った通り、ソフィアの異端審問での拷問。そして二人共ザドキエルの手によって天界から追放された。ソフィアは人間界へ、サマエルは地獄に堕とされ、それ以来サマエルがソフィアに再会する事はなかった。
自らの命をかけて自分を救ってくれた母親、そしてその母親を殺した原因となった天使、サマエルの復讐心はどんどん大きくなっていく。止められない程に。
俺が堕天したのにはそれなりの理由がある。ルシファー様が神になるに相応しいと思ったから。力も何もない癖に肩書だけ立派で俺達を使役するだけの神と言う存在に嫌気がさしたから。人間なんかを俺達天使よりも価値が上と判断した神に復讐したかったから。
くだらないけど理由なんていくらでもある。そしてルシファー様について天界を裏切った俺と裏切らなかったバラキエル。それが結果だ。
そう考えたら俺は裏切ってばかりだ。天界の仲間を裏切り、今度は地獄の仲間までも裏切った。きっといい死に方はできないだろう。
俺の返事を聞いたサマエルが苛立たしげに舌打ちをした。
審判を望んでるサマエルからしたら俺の考えは理解できないんだろう。それでいいさ、理解できたら苦しくなるだけなんだから。
再び剣を合わせだした俺達の耳に凄まじい轟音と熱気が届いた。
慌てて音のした方を振り返れば、周りの木々が一瞬で焼け野原になっていた。
こんな事が出来る力を持つ悪魔は数匹しかいない。その悪魔はまだいないはずだ。だとしたら……
『希望……?』
俺の呟きにサマエルの表情が余裕の無い物になって行く。
それは俺も同じだ。まさか彼は力を解放したって言うのか?でも一瞬でこんなに離れた距離まで焼け野原にする力はベヘモトは持ってない。この炎は間違いなくサタナエル様の物だ、一刻の猶予もない。
そう判断した俺は呆けているサマエルに瞬時に接近して再び剣をふるった。
サマエルは勿論それを避けて見せたが、いかんせん希望が気になるのだろう、全くこっちに集中できてない。冷静沈着で冷酷なサマエルがここまでなる理由、それを俺は知ってる。
サマエルは悪魔と天使のハーフだと聞いた。希望と血が繋がっていると言う話も聞いた。サマエルからしたら希望は離れた血縁者、弟になるのだ。気が気でないのも無理はない。そんな感情、お前にもあったのが意外だったよ。
サマエルが毒を吐きだそうとして伸ばした腕を俺は一瞬の隙をついて切り落とした。
身体から離れた腕は地面に転がり、地面が毒に犯され白く変色して行く。痛みから地面に膝をついたサマエルの喉元に剣を突き立てれば、抵抗を諦めたのか短剣を地面に落とした。
普通に戦ってたら間違いなく俺が負けてただろうけど、希望一人が関わっただけでサマエルはここまで弱くなる。
本当に血で結ばれた関係って嫌だよな。それだけで弱くなってしまうんだから。
そのまま剣を進めればサマエルの喉に突き刺せるのだろうけれど、サマエルを殺すのは抵抗があった。
剣をしまって歩き出した俺にサマエルは理解が出来ないと言う表情を浮かべている。
目がなぜ殺さないんだと訴えかけているようだった。
『お前を殺すのは本意じゃない』
『……何だと』
息を切らしながら殺気を出して俺を睨みつけて来るサマエル。でももう戦える身体じゃない。
毒手と利き腕を失ったサマエル、俺もかなり傷だらけだけど、それでもそのハンデよりも重いハンデになるはずだ。
それにお前を殺す事を希望が望まない。お前がベヘモトと駆けつけてきた時の希望の必死な表情が脳によぎって刺し殺すなんてできなかった。
踵を返した俺にサマエルの声が聞こえた。
『ここでかけたその情け……いつか後悔するぞ』
あぁ、むしろ後悔しか残らないだろう。
でもサラの世界さえ救えれば、俺はどうなったっていい。どんな罰でも受けるつもりだ。永遠に輪廻できないようになってもいいし、一生奴隷の扱いでも構わない。
そこまでしてでも俺は彼女を守りたかった。そしてそれは俺の誇りになる。永遠にその事実だけを胸に生きていける、そう感じた。
とりあえず解毒剤を貰わなければならないし、まずベヘモトを倒さなきゃいけない。
俺は希望がしてしまったのであろう焼け野原を走った。
***
『希望?これは君が……?』
辿り着いた場所に既にベヘモトはおらず、残されていたのは傷だらけの希望と、全身が汚れてしまったシャネルの姿だけだった。希望はシャネルに縋りついて泣き続け、その事態を見ただけで俺の想像通りの事が起こったんだと理解した。
希望は完全にサタナエル様のエネルギーと融合した。その証拠に彼から発せられるエネルギーは俺達と同じ物のように感じる。瞳も悪魔の物に変わり、周りにまだ残ってる白い炎は活発に周りを焦土にしていっている。
落ちつかせる為にシャネルに縋りついている希望の肩を掴む。
『おい』
『……どうしたら戻るんだよ……俺悪魔じゃねぇよ!』
悲痛な声で泣き叫ぶ希望にかける言葉が見つからない。そんな希望に俺が出来るのは応急処置だけ。
『俺の言う通りにするんだ。まず人間の自分を思い浮かべるんだ』
『人間の俺?』
『あぁ、次に強く念じる。元に戻りたいって。今すぐやってみろ』
俺の言われた通りに希望が目を瞑って、必死に願ってる。
次の瞬間、周りの炎が消え、希望の瞳も人間の物に変化し、エネルギーも人間の物に戻った。元に戻ったのを確認した希望が安堵の表情を浮かべたのがすぐに分かった。
「アスモデウス」
『……悪いがこれは応急処置だ。悪魔が人間に化けるのと原理は同じだ』
そう言えばすぐに傷ついた表情を浮かべた。騙していてもいずれかは分かる。辛くても先に理解させておく必要があるから。もう彼は人間には戻れない、一生悪魔として生きていくしかない。
しかしそれは余りにも希望にとって酷な話だったから俺は何も言えなかった。
希望はもう年をとらない。周りの人間が老いて死ぬのを今と同じ姿で見届けるしかなくなった。そして永遠の生を生きていかなければならなくなった。
そんな酷な事を今言う勇気は俺には無かった。でも希望はサタナエル様のエネルギーを完全に受け取った。それが何よりの証拠だ。その事実はストラス達が伝えてくれるだろう。俺から敢えて言う事もない。
俺は希望にデイビスからもらった薬をもらい、傷口に塗っていく。さすがデイビスだ、これはかなり効きそうだな。
休んでる暇はない。意気消沈してる希望を立ち上がらせて俺は再び歩き出した。
もうすぐあの場所につく。もうすぐ人間界へ希望を送る事が出来るんだ。
***
サマエルside ―
『おい』
傷を癒そうと木に背を預け座り込んでいると、周りの木が一瞬で溶けていく。
後に残されたのは鮮やかな緑。この炎を知っている。あいつはこの炎一つでサタネルの位もルシファー様の戦友という地位も七つの大罪も手に入れた。
この炎たった一つで。
しばしばルシファー様に変わり人間どもに魔王とまで揶揄される男、地獄の中で最強の男と言っても過言ではない。その力は俺よりも遥かに上だろう。
『……サタン』
『誰にやられた』
いつもは騒がしいサタンが低く、声を押し殺すようなしゃべり方をしている。
嵐の前の静けさを感じ取った俺は、あまり話す気力もないが返事をする事にした。
『……アスモデウス』
『あいつ……ついに味方までやりやがったか』
低く呟いたサタンの表情からは怒りしか感じられない。
地獄でサタンとアスモデウスが仲がいい事は知っていた。争いごとを好まないアスモデウスはサタネルの位を持ちながらも馬鹿にされる存在だったが、それが表立って行われなかったのはサタンが側に居たのが大きい。
正直俺もアスモデウスが一人で大それた事を出来るとは思ってなかった。サタンの腰巾着、その程度にしか認識していなかった。
だが、今は違う。そして……
『さっさと医師にでも見てもらえ。見た所、急所は外されてるみてえだけどな』
『……殺すのは本意でないと言われた』
『こんな時まで綺麗事か。反吐が出るぜ』
吐いて捨てたサタンは落胆した様な諦めたような表情を浮かべた。
『あいつはどっちに向かった』
『わからない……南の方向に向かっていたのは分かる』
『……あの場所か』
サタンは何かを呟きその場を去った。何か思い当たる場所でもあるのだろう。正直俺とベヘモトがラストだ。情けない話、サタネルは全滅と言っていいだろう。
アスモデウスの手にかかった、それが一番大きな要因だが、素人の女と希望がいたのに……ざまあない。後は七つの大罪であるこいつに任すしかないだろう。恐らくこいつは単独で行動してる。ルシファー様は七つの大罪は動かないと明言していたから。実質上こいつが最後の砦だ。
サタンはアスモデウスを殺す、容赦なく。こいつは一度自分を見限った奴を許すなんて事は絶対にしない。
サタンが行ってしまい、残された俺はただ傷を癒す事だけに専念する必要がある。
『た、くや……』
初めて名前を呼んだ、俺と血の繋がった遠い遠い弟。母さんの忘れ形見。
守ってほしいと託された弟、でも守れなかった。自らの手で殺そうとした。
なぜ、なぜ上手くいかない。なぜあいつは悪魔である事を受け入れてくれない。なぜ母さんと俺の手を取ってくれない。なぜ、なぜ……
『何でなんだよっ……』
誰も答えてくれない木々の中で出た声は思った以上に掠れてて、くぐもったものだった。
サマエル…「毒をもつ輝かしい者(毒の天使)」の意のシュメール語である。また「闇の支配者」「神の悪意」の意も併せ持ち、「赤い蛇」とも呼ばれる。時にサタン、ルシファー、そして火星圏の軍神カマエルとも同一視される。
母に天使ソフィアを持ち、悪魔と天使のハーフである。
存在自体が罪であると罰せられ、異端審問で拷問にかけられた挙句ザドキエルの手によって地獄に落とされた。
天使による復讐心は強く、特にザドキエルへの復讐の為ならば自らの死をもいとわないと考えている。




