第171話 生とは
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偉い学者さんが言ってた。哲学か何かなのか知らないけど、難しい事を話していた。
あまり話はよくわからなかったけど、学者さんが言った最後の言葉だけは良く覚えてる。
171 生とは
私が白血病を患ってからもう二年にもなるのか。少し前までは走り回れていたのに、今はそれすらも叶わない。こんな私でも学校にはなんとか通っていて、学校の友達は今でもお見舞いに来てくれる。それにアレクだって……
私の治療代を母さんが必死になって働いてくれてるのも、大切な弟のリヒトが何かをしてるって事も全て知っている。知っていて、母さんも私も何も言わない。
リヒトは優しい子だった。昔から。
二年くらい前、リヒトが十歳程度だった頃、あの子が子猫を拾ってきた。
何でも片目が潰されて、体中があちこち傷だらけだったんだとか……勿論その頃から白血病を患ってた私はベッドの中での生活を余儀なくされてた為、母さんが動物の菌を貰ったら大変だと言う理由でその猫を見る事が出来なかった。
母さんが捨てろと煩かったから、子猫は近くの路地裏でリヒトがこっそり育てていると言う話をリヒトがこっそり教えてくれた。それを話すリヒトがあまりにも嬉しそうだったから、私はただ嬉しかった。
弟は私が病気になったせいで満足に学校にも通えず、母親からの愛情も満足にもらえていなかったから。私のために働き詰めの母親に経済的な理由で学校に通えない弟。自分のせいで大切な家族の幸せが崩れていくのを理解して、私はいつも何もかもが無くならないか考えていたから。
そんな私に猫のことを嬉しそうに話すリヒトは本当に救いで、名前は何にしようか、オスだから格好いい名前がいいな等、まだ決めてなかったリヒトはあれこれ名前を言っては首をひねってた。
でも、そんなリヒトの話を黙って聞いてたアレクが一言漏らした。
「उम्मीद है कि जब उन्हें मैं दड़ो नाम से प्यार है. जल्दी से दूर फेंक दें.(名前なんてつけたら愛着わくだろ。さっさと捨てろよ)」
その言葉にリヒトは猛反発して部屋を出ていってしまった。
怒りを覚えたのは私も同じで、アレクを黙って睨むと彼は困ったように笑った。
「क्या गुस्सा नहीं लग रहा है.(怒らす気はなかったんだけどな)」
「तुम तो करने के लिए तैयार थे?(じゃあどうする気だったの?)」
「कि बिल्ली बुरा है, लेकिन मैं आहत किया गया है. शायद जल्दी ही मर जाते हैं.(あの猫、見せてもらったけど傷が酷い。多分すぐに死ぬよ。動物病院なんて、いけるはずもないし)」
アレクはリヒトから猫を見せてもらっていたらしく険しい表情を浮かべている。アレクは私達よりよっぽど頭がいい、その言葉が本当なんだと言うのがよくわかった。
その一週間後、猫が死んだらしい。
ただ淡々と猫を土に埋めているという話を聞いて、私は母さんが家を出た隙に黙ってリヒトの所に向かった。
リヒトは何も言わず黙々と土を盛っていた。その横にアレクがいたけど、そんなの目にも留めないで。俯いてるから表情はわからないけど、きっと悲しんでいるんだろう。
土を被せ終わったのか、リヒトは泥だらけになった手を動かすのを止め、ただ遠くを眺めていた。その瞳は何を物語っているんだろう。
そんなリヒトにアレクが話しかけた。
「मैंने कहा था. और अनुलग्नक उभरेगा.(だから言ったろ。愛着わくって)」
こんなタイミングでなんて酷い事を言うんだろう。
思わず声を出しかけた私をアレクは目で牽制する。こいつは俺に任せとけ。そう言わんばかりの瞳に私は何も言えなくなってしまった。
怒るだろうと思っていたリヒトはただ弱弱しく首を振るだけだった。
「पीड़ित नहीं.(湧いてない)लेकिन…… मैं वह सिर्फ घृणित सोचा.(ただ……最低な奴と思っただけ)」
「क्यों?(何で?)」
「बिल्ली कहीं गायब हो जाएगा इससे पहले कि मैं मर?(猫は死ぬ前にどっかに消えるんだろ?)गंभीर देख रहे हैं.(死に場所求めて)लेकिन यह ऐसा किया था. मुझे शवों के प्रसंस्करण को वापस देने के दूर बदतर हो जाना था……(でもこいつはそれをしなかった。育ててやった俺に恩返しどころか死体の処理までさせて……最悪だ)」
淡々と語るリヒト。でもその声は少しだけ震えていた。涙を流すことはない、だけど笑みを浮かべる訳もない、本当に無表情。でもリヒトの言葉は私の胸を抉るには大きすぎた。
病院にも行けなくて、きっと近い将来この猫と同じような結末を辿るだろう私をリヒトは最低な奴と思うのだろうか。
こんなリヒトに盗みをさせてまで生きながらえさせてもらって、何もできずに死んで、死体の処理をさせて。
考えれば考えるほどに悲しくなって、私はただただ唇をかみしめた。そんな私に気づかない二人は淡々と話しを進めていく。
「(猫は死に場所をリヒトのとこって決めてたのかもよ)」
「(知らねえよそんなの)」
「(誰にも他人の気持ちなんてわかんねえよ。リヒトに猫の気持ちがわかんねぇ限り、猫の全てを否定すんなよ。だから言ったんだ。愛着わくと鬱陶しいって)」
「पीड़ित नहीं.(湧いてねぇ)」
「आप किया है मैं भरने से सभी तरह से कूदा हूँ.(湧いてるからわざわざ埋めてやったんだろ)」
押し黙ったリヒト。遂に言い負かされてしまったようだ。
そんなリヒトの肩をポンポンと叩いて、アレクはこっちに振り返った。
私は噛みしめていた唇を元に戻し、必死で笑顔を作って家に戻ると言った。
体中あちこちが痛くて、私は帰って泣いた。
***
「तब से एक या दो साल.(あれから二年か)」
身体の具合は日に日に悪くなっていっていた。
そしてリヒトも……毎日盗みに奔走する日々。母さんも生活が苦しく私の病院代を考えていたらリヒトを止める事をしなくなった。
何て私はお荷物なんだろう。学校にも行けない。お金もない。学校の子が募金をしてくれてるみたいだけどお金は一向に集まらない。
身体を動かせず痛みが増すばかりで満足に睡眠もとれないせいで一日が長くて苦しい……死にたい。そうまで思うようになってしまった。
大好きだった歌も喉が痛くて歌えない。喋るのも辛い。
神様は、これ以上私から何を奪うつもりなんですか?もう私に残っている物は何もないと言うのに。
「नमस्कार.(よぉ)」
今日も母さんが働きに出てる中、アレクが部屋に入ってきた。母さんは夜遅くまで帰っては来ない。働き続けてるから。
アレクは私の隣に腰かけ、そのまま私の手を握る。
「हालत?(具合は?)」
「यह दर्द होता है.(……痛い)」
「अच्छा.(そっか)」
そのまま優しく頭を撫でて、アレクは黙ってしまった。アレクの手が暖かくて、何だか安心した。今なら眠れそうだ。このまま目を覚ましたくない、この穏やかな時間に包まれて永遠に眠っていたい。
じっとアレクの顔を見つめれば、どうかした?と言ってほほ笑まれる。
「नींद आ रही है.(眠い)」
「……देखते हैं. सो जाओ. मैं पकड़ लूँगा.(……そっか。寝な?握っててやるから)」
子守唄でも歌ってやろうか?そう茶化すアレクを見つめていれば、アレクから笑みが消えた。その表情は段々歪み、次第に泣きそうな顔に変わっていく。アレクはそのまま私の手を握りしめ自分の額に持って行き、小さく声を出し、涙を流した。
何で泣くのアレク?
そう言いたいけど、声が出せない。でもアレクを見て胸が苦しくなる。アレクは暫く泣き続け、私を見て痛々しい笑みを作った。
「आपको नींद आ गए? सो जाओ.(眠いんだろ。寝ろよ)」
そう言われると逆に少し話したくなるじゃん。
何だか今話しておかないと一生話す機会がなさそうだった胸の内を話した。喉が痛いとか……そんなの言ってられなかった。
「गुस्सा Licht क्या?(リヒト怒んないかな)」
「क्यों?(何で?)」
「इससे पहले, जब तुमने कहा बिल्ली मर गया.(前、猫が死んだ時言ってた)वह भी लाश नियंत्रित करने के लिए एक न्यूनतम है.(死体の処理までさせる最低な奴だって)」
可愛い可愛い私の弟。私の為に盗みをやってしまっている弟。
体中をあちこち傷だらけにして、でも盗みをしている事なんて微塵も感じさせない顔で笑う。姉として止めなきゃいけなかったのに止められなくてごめんね。そこまでさせて生き長らえて……結局は猫のように死んじゃう事を許してね。
目に溜まった水分が視界を滲ませる。そんなあたしの頭を空いた手でアレクが撫でた。
「गुस्सा. कभी नहीं.(怒んねえよ。絶対)」
そうだろうか。後ね、他にもいっぱいあるんだ。
歌をもっと歌いたかった。皆に褒められるのが嬉しかった。大きくなったら歌を歌う仕事に就きたかった。無理だってわかってたけど就きたかった。それともっと遊びたかった。学校で皆と話したかった。
一つ一つあげていく私にアレクは丁寧に相槌を打ちながら聞いてくれる。それが少しだけ心地いい。
あと、これも言っときたいな。
「पहले, तुम कहा कि श्री विद्वानों.(前ね、学者さんが言ってたの)」
「क्या?(何を?)」
「(話の内容は難しくてわかんないんだけどね、でも最後の言葉がすっごく印象的だった。きっと今の私の状態)」
「कोई शब्द नहीं?(どんな言葉?)」
それを言おうとした瞬間、急な眠気が私を襲った。
思わず意識を手放しかけたのを浮上させるように必死で瞬きをする。でも体中があちこち痛くて言葉が喋れない。
その言葉とは違う言葉をアレクに投げかけた。
「माफ करना, मैं सो जाओ. जगा बात कर.(ごめん、もう寝る。起きたら話すね)」
「आह. धीरे धीरे, और……(ああ。ゆっくり、な……)」
アレクが泣きそうな顔で私の顔を自分の手で覆う。
視界を真っ暗にさせる事で私を寝やすくさせる為だろうか?どちらにせよ有難い。
有難う。と心の中で呟いて目を閉じた。
そして目を閉じる瞬間、アレクの声が聞こえてきた。
「और कठिन काम करते हैं. यकीन है कि कुछ बाकी अब……(頑張ったな。もうゆっくり休んでいいよ……)」
その言葉だけが妙にクリアに脳に響いた。
そっか、私はこれ以上ないくらい頑張ったんだ。もう解放されていいんだね。
アレクが下手糞な子守歌を歌っている。その音痴な歌声が妙に聞き心地が良くて、眠気はすぐに訪れた。それと同時に理解できた。もう何もない私から神様が次に奪う物、それは私自身だってこと。
これで寝たらもう起きれないのかな?アレクに伝えれずじまいだった。母さんは悲しむだろうな、でも死ぬ瞬間は見られたくなかったから良かった。アレクで良かった。
リヒトは怒るかな?最低な奴って思うかな?それは悲しいけど、でもいいや。それでリヒトの心にいつまでも私が残ってくれるなら。生意気で可愛い私の弟。もっといっぱい話したかったなぁ。
アレクの手が暖かい。もう少しこの温度を感じてたいけど無理みたい。
有難う。アレク……大好きだよ。
目の前に真っ暗な世界が広がった。
そしてその中で一人佇んでる私に聞こえてきたのは、あの時学者が言ってた最後の言葉。
“जीवन और मृत्यु.(生とは、死である)”
その通り過ぎて私は笑った。




