第162話 新しい生活に
中谷side -
皆があの後、どうなったのかを俺は知らない。無事にフォカロルから逃げられたのか、負けちまったのか。あの化け物の強さはマジもんだった。完全に防戦一方で逃げることもできなくてぼんやりと思ってたんだ。あーこれが敗北なのかって。
実際に戦争とかで負ける人はこんな気持ちなのかって。どこか現実味がなくて、ふわふわしていて、最後まで俺は全てを理解することができなかったんだろうな。
162 新しい生活に
電気もつけないで真っ暗な部屋の中で俺はベッドの上でボーっとしていた。未だに自分が死んだんだって理解できなくて、皆は今どうしてるんだろうって考える。俺の肉体はもう焼かれたのかな?葬式って奴をしたんだろうか?最後の甲子園の予選に出たかった。もっと沢山遊びたかった。やり残したゲームクリアすれば良かった。お年玉使い果たして遊べば良かった。
こんなところで死ぬ予定がなかったから未練ばっかりだ。
自分の生涯はフォカロルによって終わらされてしまった。考えれば考えるほど悲しくて悔しくて、そのまま膝に額をこすりつけたまま一日中過ごす。今日もそんな一日で終わると思っていたが、それは来訪者によって変化を迎えた。
『章吾、君はいつまでそうしてるつもりだ?』
俺を引き取った力天使の天使長、ラファエルが部屋を訪ねてきた。
ラファエルは部屋にある光を灯す植物“蛍光草”に手を触れ部屋を明るくし、俺の前に近づいてきた。
『そろそろ君にも力天使として色々やってもらいたい事があるんだ。まだ力天使の敷地内も覚えてないだろう?案内するから行こう』
「……嫌だ」
『死んだと言う現実を受け入れるのは辛いだろうが、もう三日経った。いい加減実感はわいてきただろう』
三日で死にました、はいそうですかとかお前らと違って割り切るなんてできないね。他人に言うのはさぞかし簡単だろうさ。そんな実感わきたくもない。このまま暗闇の中で放置してくれたら、もしかしたらこれは夢だと錯覚できるかもしれないのに。
でもラファエルの手は暖かく無機質な床の感覚は冷たい。夢だと錯覚できる要素はどこにもない。寝ても覚めても目を開けた先は自分の部屋ではなく、テレビもゲームも携帯もない、無機質な部屋なのだ。グスグス泣きだした俺の背中をラファエルは子どもをあやすみたいにポンポン叩く。
『君は勇敢に戦った。何も恥じる事はない』
「そんなのどうでもいい。俺は死にたくなかったんだ。まだ生きたかった。やりたいこといっぱいあった……なのに、なのに……」
泣き続ける俺の頭をラファエルが撫でながら諭してくる。
『確かに君には辛いだろう。だが君が今やるべき事をやらなければいけないんだよ。その為には立ち止まっちゃいけない』
ラファエルは俺の手をとり立ち上がらせる。
『感傷に浸るのは結構だが自分のやるべき事をしてからだ。ここで泣き続けても何の解決にもならない』
「そんな正論聞きたいんじゃない」
『正論じゃないよ。ここで泣いていても時間は経つし、日は流れる。中谷、天使の僕らと違って人間の生はリミットがある。わかるか?時間は有限なんだ』
「だから?」
『だから無駄に一日を過ごすな。君を待っている人がいる時間のうちに、為すべきことをするんだ』
意味が分からない。それをしたって俺が生き返れるわけでもないのに。でもラファエルの表情は真剣で、この部屋から今日こそは外に出すとでもいうように無理やり腕を引っ張って歩みを促してくる。俺を待っていてくれる人 ― か。確かに今ならたくさんいるだろうな。天使の時間が無限っていうのなら百年後には誰も俺の帰りを待つ人はいないんだろう。
「ラファエル……俺、頑張ったら人間に戻れるの?」
ラファエルの歩みが止まる。振り返ったラファエルの表情は厳しく、体が硬直した。
『……戻してやる。何のために、肉体を保持したまま天界に招待したと思ってる』
その言葉に目が丸くなった。
ラファエルは周囲に人がいないことを確認して、俺に向き合った。その表情は真剣そのもので、嘘をつく空気を微塵も感じない。
『トップシークレットだ。章吾、俺はお前の味方だ。一人前の天使になれ。それが俺からお前への復活のチャンスだ』
「一人前の天使……それになったら俺を生き返らせてくれんのか?」
『もちろんタダでとは言わない。俺はお前を依り代にしたい。そのためにはお前が天使として生きていく術を学んでほしい。それができたら、お前は俺の依り代の人間として生き返らせてやる。時間は有限だ。お前の帰りを待つ人間がいる間に、全ての段階を終わらせて、さっさとここからいなくなってくれ』
ラファエルの手が俺の頭に添えられる。その言葉に安心して再び泣き出した俺をラファエルがとがめることはなかった。味方がいた ― 俺を助けてくれる奴。皆の所に帰すって言ってくれる奴。本当かどうか確証も取れないのに、言葉だけでこれほどの安心感があるもんなのか。
なら、俺がやるべきことは確かに一つだ。涙をぬぐい立ち上がった俺を見て、ラファエルの表情が柔らかくなる。そのまま俺の手を引いて、ラファエルは力天使の敷地内を案内しだした。
『ここが力天使の集会所だ章吾。君は今日からここで過ごしてもらう』
ラファエルが俺を迎えに来て、連れて行った場所は何だか陽気な場所だった。
力天使の集会所と呼ばれる場所は羽根の生えた奴らが楽しそうに騒いでいる。自分の姿と彼らの姿を比較して疑問がわく。そういえば俺の背中って羽生えてないし、あいつらとは違う。頭にわっかもない。どう見ても天使の見た目はしてなかった。
自分の背中をきょろきょろ見てる俺に気づいたのかラファエルが声をかけた。
『君は一応肉体を持ったままヴァルハラに連れてこられた。つまり魂だけの存在じゃないんだ。だから君はその姿のままなんだ』
『それって大丈夫なのか?俺って異色なんじゃないの?』
『まあ、異色だね。でも心配しなくてもいいさ。羽や輪は俺たちは自由に消す事が出来るから誰も君が特殊なんてわからないさ。輪はともかく、羽は場所を取るからな』
確かによく見たら羽が生えてない、人間の姿そのままの天使も結構いる。ラファエルの言ってる事は本当のようだ。まだ今一理解できないけど、少なくともラファエルって奴は信用できる奴っぽい。一つ一つ丁寧に色んなことを教えてくれる。質問したらちゃんと答えてくれるし、なんたって優しい。なつく気はないんだけど、信用はできると思う。
ラファエルの後をついて行きながらのほほんと考えていると、急にこっちに振り返ってきたことで五歩分後ろに飛びのいた。
『うおっ!何だ!?』
『話聞いてなかったのか?今から勉強を始めるぞ』
『べ、勉強?』
『力天使の奴らは医療のスペシャリストと言う事で名が通ってる。ここに在籍する以上、君にも医療の知識は身につけてもらわなきゃいけない』
い、医療の知識って……つまり俺は医者になるってのか!?無理!無理無理無理!そんな頭があったら学校のテストで欠点ギリギリとかとらねえし!
首をブンブン横に振る俺を見て、ラファエルは首根っこを掴んできた。
『拒否権なし。心配しなくてもすぐに理解できるさ』
『む、無理です。野球で使う筋肉の名前くらいしかわかんねぇし……上腕筋とか』
『それだけ分かれば上出来さ。少しずつ勉強して行こう。まずは筋肉と骨の名前、臓器の各部位を全て覚えてもらうよ。上腕筋だけ知ってたって医療は成り立たないんだからね』
『せ、整形外科とかなら』
『お前、整形外科を馬鹿にしているのか。上腕筋だけでオペができるか』
そんなむごい。そんなの今更勉強した所でどうなるんだ。死んでしまった今じゃ医学部を受けることすらできないのに。あ、でも俺って生き返れるんだっけ?生き返ったら医者目指そうかな。親もびっくりだぜ、いきなり戻ってきた息子がめっちゃ頭良くなって医者になるとか言い出したら。
ラファエルは再び集会所に向かって俺を中央のテーブルの椅子に座らせ、周りの奴らに声をかけた。
『誰かー書物を持ってきてくれ』
『わかりましたー』
誰かがそう返事をして暫くしたら、大量の書物が俺の目の前に置かれた。
何冊くらいある?十冊以上はある気がする。
『……あのー』
『悪いな、本来なら医師か薬剤師か看護師の三つに分ける希望を取るんだけど、お前は強制的に医師コースと薬剤コースを取ってもらう。まぁ薬剤コースは基本しかやらないから楽と思う』
いや、そんな問題じゃない。医学部と薬学部の同時受験みたいなもんだろ。アホか、大学でだって学部分かれてんのに両方とかできる訳ねえじゃん。
恐る恐る話しかければラファエルはニッコリと笑みを浮かべる。その笑みが恐ろしく見えるのは俺だけなのだろうか。冗談キツイ……まさかこの量を全部やれと?
生まれてこのかた十六年、俺はこんな沢山の教科書に囲まれた事ないぞ。
『これを全部やってもらう。まずは解剖学から体の仕組みを知って、生理学で身体の機能やホルモンの機能を知ってもらう。さらに免疫学で生体内の異物反応を勉強してもらって、動態学と薬理学で薬の作用や排出、吸収過程を理解してもらう。そして薬草学で天界の薬草をすべて理解して、病態学で病気の進行、なぜかかるか、どうしたら治るかを勉強して最後に魔道学で白魔術の知識をつけて実習を経て一人前だ』
殺す気ですか?魔道学とか人間に戻ったら一番役に立たねえだろ。そんなの学んでも無意味と思うんすけど。それだけ勉強したら俺は医学部顔負けの知識を身につけられそうだ。
一つ一つの教科書は厚い。五百ページくらいあるかもしれない。それを十冊以上だと……?
真っ青になってパラパラページをめくる俺に皆が同情の目を向ける。そんな俺にラファエルはさらに過酷な事を言い放ってきた。
『最低でも勉強は六時間はしてもらうよ。一日二時間三セットだ』
「じょ……冗談だろ」
『大丈夫だろ。お前は高校に通ってるんだろ。授業の時間もトータルそのくらいあるんじゃないか?まぁ確かに数年かけて覚えさせる事をお前には一~二年くらいでやってもらうことになるから酷かもしれないが、完璧なスペシャリストになれとは言わない。だが研修医程度の知識は持ってもらうぞ』
「ナンダヨソレ」
ラファエルは一冊の教科書を手に取り、ページを広げる。あ、こいつ俺の言うこと無視した。
『さ、始めよう。今回は俺だが、これからは力天使の奴らを一人ずつつけよう。監視してるからさぼらないように。質問はいつでも大歓迎だ。もし体で覚えるのがいいと言うのなら、実験材料はすぐに調達してあげよう』
『え、それって解剖とかするって事?』
恐る恐る問いかけた俺にラファエルは腕を組んで神妙そうな顔で頷く。
『章吾、医療って言うのは膨大な犠牲のもとに成り立っている。ここに在籍する以上、最低十回は解剖してもらうからね』
『む、無理!解剖とか無理!』
『解剖せずに医師になれるか。命を犠牲にする以上、やるからには真剣に取り組む事、いいね?』
勝手に進めんな!!!俺の話聞いてくれよ!!じゃあ俺、解剖しなくていいのなら薬剤師か看護師になる!!
そう言って騒ぐ俺を完全に無視してラファエルは隣の椅子に腰かけ解剖学のページをめくっていく。
早速始めるって言うのか?冗談だろ……
『今日は色々疲れてるだろうから2時間でいいだろう。俺が直々に教えてあげるからすぐに知識をつける事。聞き流そうと思うなよ。2時間の授業が終わった15分後に小テストをする。悪かったらもう2時間同じ範囲を覚え直させる』
『ひっ……は、はい』
有無を言わさない圧力に思わず頷いてしまった。
俺の返事を聞いたラファエルは笑みを作り教科書を俺の前に持っていく。そこにはいろんな骨の名前が並んでおり、見ているだけで頭が痛くなった。こういう骸骨とか中学生のころ、部活の奴らと人体模型で遊んだ時に見たのが最後だ。
『今日は骨をやろう。この図の骨を全て覚えてもらうよ』
そこにはずらりと並んだ人体の絵と骨の名前。え、何これ……
ラファエルが一つ一つ説明を始めたので、俺は慌ててそれに目を通す。誰かがペンを持ってきてくれて、ラファエルがそのペンで大事な部分に線を引いて行く。頭が割れそうだ。学校の生物でだってこんなの習わないのに……いきなりすぎる。
図は十個もあり、それぞれに細かい骨が乗っている。ちょっと待て。これ全部本気で覚えろって言うのか?
二時間の恐ろしいくらいの集中授業が終わり、ラファエルが教科書を俺に手渡す。
一日で三十ページぐらい進んだ気がする。その代わり大事なとこしかやってないんだけど。
『今から十五分あげるから自信がない所を見直しする事。俺は小テストを作ってくるから』
そう言って席を外したラファエルに取り残された俺はぽつんと勉強をし始めた。何でこんなことしなきゃいけないんだよぉ~もっとまともなとこに引き取られなかったのか?黙々と勉強をしてると覚えれない部分に衝突した俺は思い切ってそこら辺にいる天使に聞いてみる事にした。
『あの……尺骨と橈骨ってどっちがどっちなんですか?』
『あぁ尺骨はね。前腕、手の内側部分の骨を尺側って言うのよ。尺側の反対側が橈骨。まぁ尺骨は内側って覚えればいいの。細かくはいいんだから』
そんなもんなんだろうか。とにかく尺骨が内側っと……
黙々と勉強を始める俺に他の奴らがお菓子やらなんやらをくれたりする。確かにここはいい場所そうだ。結構居心地が良かったりする。でもまぁ自分の家が一番なんだけど。
ラファエルのテストが始まるまであと十分。
***
ラファエルside ―
『ラファエル、あいつの調子はどうだ』
『やっと引きこもりは止めてくれた。今日から勉強漬けだよ』
章吾の小テストを急いで作っている俺の部屋に入ってきたのはウリエルだった。ウリエルは章吾の様子を聞いて、少し安心したような表情を浮かべたが、すぐに硬い表情に戻った。
ウリエルの言いたい事、それが何かは大体分かってる。
『再来週から、章吾の異端審問が始まる。俺とお前が証人として立たなきゃならねえ』
『相手はザドキエルだっけ?嫌な相手だな』
ザドキエルとの口論は正直言って面倒くさい。勝てる気もあまりしない。なんたって相手は天界一の頭脳集団である第四階級主天使の天使長、つまり天界一の頭脳持つ男なのだ。
でもここで負ける訳にはいかない。ここで負けてしまえば全ての計画が水の泡になってしまう。ウリエルは依り代である拓也を失ってしまったことにより、人間界に関与することができなくなっている。俺も現時点では憑依できる人間である依り代がいない。章吾には俺の依り代になって人間界に戻ってもらいたい。
だからこそ、この異端審問で負けられない。今から二週間で章吾の無罪を勝ち取るための物証を集めないといけない。
『異端審問をできるだけ早めに終わらせないとな。時間はかけられない』
『それは俺とお前の証言次第だろう。早けりゃ一か月で終わるさ』
それは好都合だ。一刻も早く章吾に知識を叩きこみたい。
『お前、章吾に何させる気だ?』
『力天使として一人前の医療の知識を身につけさせる』
『……その割にはえらく急ぐな。平均的に見れば力天使で医師の資格を取るのには十年近くかかるはずだろう。肉体保持の件もあるし、あいつを依り代にでもする気か?』
『そこまで分かってるのなら聞いてくるな。そうだ、俺は章吾を依り代にしたい。章吾にとっては復活のチャンスを得るし、俺にとっては依り代が手に入る。お互いにウィンウィンだからな』
俺がそう答えるとウリエルは溜め息をついた。ウリエルは一体何を考えているんだろう。こいつが俺を怪しんでいるのは感じている。元々最後の審判に否定的な立場をとっていた自分は一部の天使からは白い目で見られていることも知っている。
ウリエルは賛成派の筆頭のような存在だ。だから俺を怪しんで今の様なカマをかけてきたんだろう。だがウリエルがミカエルにその事を言う気配は全くない。かと言って俺に協力する気もあまりない。
『ウリエル、君は一体何を考えてるんだ?』
『あ?何も。面倒事に首は突っ込みたくないんだよ』
『章吾の異端審問に出るのは面倒事じゃないのかい?』
『……巻き込んじまったお詫びだよ』
それだけ言ってウリエルは出て行った。
さてと、小テストを章吾に解かせるか。そろそろ時間だしな。
俺は小テストを持って、勉強しているであろう章吾の元に足を運ばせた。




