第156話 絶望の先に
ストラスside ―
「嘘だろ……拓也……」
光太郎の絶望した声が嵐の中に響き渡ります。フォカロルもかなりの力を使い果たしたのか、少し肩で息を切らしながらも笑みを浮かべました。実質、彼一人に完膚なきまでに私達は倒されたのだ。
『俺の任務は果たした。あいつらに何をやらせようかね』
156 絶望の先に
私だけではありません。セーレもパイモンもシトリーもヴアルもヴォラクも皆、皆が今の状況を信じる事ができませんでした。中谷は未だに水上に浮かんでこない ― それを意味している事は一つ。フォカロルの水圧で恐らく全てがばらばらに砕けたのでしょう。中谷と分かるくらいの大きさの肉片はきっと残されていない。そして目の前で拓也は地獄に送られた。これ以上最悪な事などあるのでしょうか。
パイモンが悔しそうにフォモスに額をつけており、ヴアルは声を出して泣き始めました。犠牲が多すぎた。中谷に拓也、いくらフォカロル、フルフル、フォルネウス……確かに強敵揃いでしたが、このような結末になってしまうとは……
『おいパイモン、てめえの裏切りはマジもんか?今回は見逃してやるが、次に会ったときは容赦しねえぞ』
フォカロルの体が海水に包まれる。このまま逃げる気なのでしょう。
それを追いかけようとしたパイモンをシトリーが止めました。
『止セ!一度マンションニ戻ロウ』
『戻った所で何になる!?これ以上最悪な事態は存在しない!こいつを殺さなければ何も終わらない!』
『終ワッタ!中谷ハ殺サレタ!拓也モ地獄ニ連レテ行カレタ!モウ俺達ノ敗北ハ確定シタンダ!』
シトリーの怒声にパイモンは悔しそうに唇を噛みしめました。
そんな私達を見て、フォカロルはやれやれと首を振り背を向ける。
『そうだよ。無駄だったんだよ、お前達のしてたこと全てが。どうせこの結末しか存在しなかったんだ。大人しくルシファー様の命令に従っとけば良かったのにな』
フォカロルはそう言葉を残し、海水に包まれて消えていきました。残された私達にあるのは絶望の空気だけ。先ほどまでの嵐はフォカロルが消えたと同時に消えてしまいました。私たちの気持ちとは裏腹に厚い雲は消え、太陽が顔を出し、海が輝きと静けさを取り戻す。
しかし、誰も何も言う事が出来ない状態、そんな中、セーレがジェダイトを走らせだしました。どうやらマンションに戻る様です。そんなセーレについて行くようにフォモスとディモス、シトリーもジェダイトの後を追いました。
マンションについた私達は、それぞれが疲れた様にソファに身体をうずめました。特に意気消沈しているのは光太郎と澪、そしてヴォラク。ヴォラクはマンションに置かれたままの中谷の鞄を漁りだしました。
『ヴォラク?』
「……前に中谷が契約石を失くしてさ、大喧嘩になったんだよね。その時に鞄に常に入れとけって言ってたんだよね。マジで言うこと聞いてやんの」
中谷の鞄から出てきたのはヴォラクの契約石であるルビーのネックレス。
それを首にかけてヴォラクは立ち上がり、玄関の方に向かっていきます。
『ヴォラク、どこに行くのです?』
「契約者がいなくなった今、俺がここにいる必要はない。新しい契約者見つけて好きにやるさ」
全てがバラバラになってしまう。
ドアを開けて一歩を踏み出そうとしたヴォラクは私達に振り向いて、疲れた様な笑みを浮かべました。
「じゃあね、多分もう二度と会う事ないだろうけど、せいぜい審判を生き残りなよ」
「ヴォラク待って!行っちゃやだよ!」
ヴアルがヴォラクに飛びついてわんわん泣きだしました。
そんなヴアルの頭をヴォラクは撫でながら、涙を流します。
「ヴアル、俺達は負けた。直に審判が始まるさ。もう全てが終わりなんだ」
その言葉に反応したのは他の誰でもない光太郎と澪でした。二人は泣きはらした赤い目を隠すことなく、私達を真っ直ぐ見つめて来ます。その目に宿しているのは救いと励まし、何を言いたいかは分かります。
二人にとっては、この数時間で信じられない事ばかりが起こったのでしょう。目の前でアリスが死に、フォカロル達との戦い、友人である拓也が地獄に連れて行かれ、中谷は殺されてしまいました。二人とも死体も何もない。だからこそ現実を受け止められない。
再び泣き出した光太郎の背中を苦しそうに歯を食いしばりながらシトリーがポンポンと規則正しいリズムで叩きます。
『シトリー、貴方はどうするのですか?』
「……わかんねえ。頭がぐちゃぐちゃだ。どうすりゃいいのか何も思いつかねえんだ。でも、こいつだけは何があっても守ってやらなきゃいけねえ。俺にはまだ、こいつがいる」
『シトリー……』
「契約者様がいなくなったからって、その意思も継がずに投げ出す奴にだけはなりたくねえしな」
シトリーの言葉にヴォラクは顔を上げてシトリーを睨みつけました。
その目は悲しみと憎しみが混じっていました。
「それは光太郎が生きてるからだろ!俺の気持ちなんてわかりもしない癖に格好つけんなよ!」
「パイモン達は拓也を失っても、この場から離れる気はないみたいだぜ」
ヴォラクの視線にセーレは疲れた顔で無理やり少しだけ笑みを作った。パイモンは先ほどからずっと放心状態になっており俯くだけで何も語ろうとしません。パイモンの気持ちは私にもセーレにも同じものです。これからの未来が何も見えない。抵抗する術が無くなった。審判は近い将来、間違いなく私達に襲いかかるでしょう。
「俺は……主の剣になれなかった。本当に、なんて様だ」
『パイモン……』
「主の家族に何と言えばいい?俺達の都合で巻き込んでおいて、地獄に連れていかれて……どんな弁解も許されるものじゃない」
「そうだね。俺達は一生恨まれるさ、拓也と……中谷の家族に」
セーレの言葉にパイモンが肩を揺らします。そうですね、私達は覚悟を決めなければなりません。一生罪を背負う覚悟を……
まずは拓也の家族に打ち明けねばならないでしょう。拓也が地獄に連れて行かれた事を。
『パイモン……私は決して諦めません。何があっても審判を止める事が、拓也と中谷の家族にできる罪滅ぼしだと考えていますから。私はたとえ一匹でも諦めません。しかし、貴方に導いてほしいのです。貴方がいたからここまでこれた。もう一度、力を貸してください』
そうです、諦めてはいけないのです。私達まで諦めたら本当に全てが終わるのです。それにもしかしたら……もしかしたら拓也が戻ってくれるかもしれない。中谷はもう無理でしょうけど……私達のせいで彼は短い生涯を終えた。何も知らなければこんな事にはならなかったのに……
勇気ある少年でした。いつも明るく、太陽の様な少年だった。
これから全てが大きく変化していくでしょう。その中心になるのは拓也。彼以外にあり得ない。
そして……
「澪、ごめんね……ごめんね……」
「ひっ……う、うぅ……」
澪、彼女が言っていた“あの子”も出てくるはず。それが確実に澪や地獄全てを巻き込んでいく気がする。彼女には地獄全てを揺るがす何かを握っている気がします。そして拓也の存在自体にも……
天使と悪魔のエネルギーは反発しあうもの。それが融合した指輪を操れる人間など本当に存在しているのだろうか。拓也はもしかしたら何か特殊な存在なのかもしれません。指輪の中の天使の力も悪魔の力も受け継ぐ事に成功した拓也、彼にもきっと何か特殊な秘密がある様な気がします。私達がそれを知る日は来ないかもしれません。しかし事態は私達がいくら逃げても追いかけて来る。もう逃げることなどできないのです。
『澪』
「ストラス……これからどうするの?もうわかんないよ!」
『貴方の出生の秘密を知りたい。貴方の出生には何かの秘密がある』
「あたしの……?」
『ええ、拓也から聞きました。貴方が悪魔に憑かれていると騒ぎになったと言う事を。それを調べたい』
澪は涙に濡れた目で私達を真っ直ぐ見つめて来ました。澪にとっては、そんな事よりも目の前の現実を受け入れるのに精一杯なはずなのでしょうが、申し訳ない事に時間がない。
今すぐに行動を起こしたい。
「ストラス、これから俺達はどうするんだ?拓也からのエネルギーが契約石に届かない。扱いとしては契約者死亡の扱いだ。新しい契約者の存在が必要だ」
『今更事情を知らない人間に契約を持ちかける訳にも行かないでしょう。だから、こんな事を頼める義理ではありませんが、直哉に頼んでみようと思います』
「直哉君に……?ストラス、それは余りにも酷だ」
『わかっています。しかし時間がないのです。調べたいことは山ほどある。私は今から拓也の家族に拓也の事を話しに向かいます。中谷はその後に行きましょう』
中谷の家族は信じてくれないでしょう。
いきなり息子が死んだと言っても。悪魔に殺されたなど。それでも話さなければならないのです。
「うそ……」
その時、ヴォラクの声が聞こえました。振り返ると契約石が光っている。これは一体……まさか中谷は生きていると言うのですか!?
ヴォラクは契約石を辿って中谷のエネルギーの行方を追おうとしていますが上手くいかないのか舌打ちをしてセーレを急かして、先ほどの海に向かおうとしています。しかしこんなことがありえるのか?中谷の死亡したであろう場所はここから遠すぎる。契約石のエネルギーは届かないはずだ。どういうことでしょうか?
「ストラス、中谷の両親には黙っとけ」
『シトリーしかし……』
「何も知らない奴が簡単に状況を理解できるはずがない。下手すりゃ警察沙汰だ。そんな事になったら迂闊に情報も集めらんねぇぞ」
『それでも……』
シトリーはヴォラクの契約石に視線を送る。未だに輝いている宝石は契約者の生存を決定づける証拠だ。
「契約石の反応があるって事は、中谷は何らかの形で生きてるってことだ。ただ、あの海からここまではどう考えても距離が足りねえ」
『何が言いたいのですか?』
「俺の勘だが、中谷は天使の兵として天界に招待される魂だったんだろう。フォカロル達はそれを阻止するために中谷を狙ったんだろうが、エネルギーがヴォラクに届いてる。何らかの形でフォカロルは中谷を殺す事を失敗したんだろうな」
「じゃあ中谷は生きてるんだよね!セーレ、早く!」
「わ、わかったよ」
ヴォラクに引っ張られて、セーレはジェダイトを召喚しました。少しくらいの行動ならば大丈夫なのでしょうが……私達には契約者がいません。余り行動するのは危険な気が……
セーレ達がいなくなってしまった部屋は静まり返りました。
「なにかしらデッカイ陰謀が見え隠れするぜ。拓也に……中谷に澪ちゃんか」
「澪は人間じゃないの?」
ヴアルの言葉に澪の肩が震えました。
その顔は恐怖に染まっています。
『それはないでしょう。アンドラスは何も知らない雰囲気でしたから』
「そう……」
ヴアルはそのまま澪に顔をうずめました。これから待っている出来事は今までよりも激化するでしょう。
それから暫くして、パイモンもやっと冷静さを取り戻してきた中、未だに泣き続けてる光太郎とは違い、泣き止んだ澪はどこか遠くを眺めていました。
『澪?』
「拓也は……中谷君はきっと戻ってくる。そんな気がするの」
『どう言う事ですか?』
「わからない。でも“あの子”が拓也を守ってくれそうな気がする。分からないけど……絶対に拓も中谷君も帰って来てくれる。そんな気がする」
分からない事だらけです。ですが、前を向いて行くしかありません。一歩一歩、確実に向かっていかなければ。澪の言う事を信じてみましょう。いや、信じたい。
必ず拓也が戻ってくれると言う事を……




