第147話 君は笑った。僕は泣いた。
「拓也、どうしたの?」
朝っぱらからマンションに来た俺にヴアルが心配そうな視線を寄こす。今日が学校のある日だっていうことくらいみんな知っていると思う。そんな俺が来たことに全員何かを察したような雰囲気を出した。
それを見て申し訳なく思う反面、皆がいる事に酷く安心した。
147 君は笑った。僕は泣いた。
ヴアルの頭をポンポン叩いた後、そのまま部屋に上がり込んだ。まだ朝が早いせいかシトリーとヴォラクは起きておらず、部屋の中にはパイモンとセーレとヴアルだけだった。二人も俺が突然押し掛けてきた事に驚いた表情を浮かべた。
「主、学校はどうしました?」
「今日は行かない。そんな気分じゃないんだ」
「そうですか」
パイモンはそれ以上何も言わなかった。いつもそうだ、パイモンは基本、必要以上の詮索はしない。ただ、俺を否定することもなく肯定することもない。無関心なのかと言われたらそのようにも見えるけど、こいつなりの優しさを感じることもある。だから、気に食わない所もあるけど嫌いになれないんだろう。
ソファに座った俺に、セーレは何か食べる?と聞いてくれる。セーレは優しいから好きだ、皆の中で一番兄貴っぽいから頼れる。俺が頷いたのを見て、セーレは軽い物を作りにキッチンに向かった。
それを眺めている俺の隣にヴアルがちょこんと座る。ヴアルは可愛い。妹がいたらこんな感じなのかな?女の子特有の可愛さがあって、自分に懐いてくれていたら可愛いと思うのは当然だ。
一言も話さないままテレビをつけて何も興味のないバラエティーを眺めている。本気で見ている訳じゃない。ただその場をやり過ごす為に見てる。だから今何を報道してるかなんて全く興味がない。ただ黙ってテレビを見ていた俺の目の前に、セーレがサンドイッチやらサラダやらを乗せた皿を手渡してきた。それに軽く礼を言って口に入れた。やっぱセーレは料理がうまい、すごく美味い。もぐもぐと黙って口を動かしている俺に皆がさりげなく視線を寄こしている。
「……何?」
そう言うと、それぞれが少しだけ慌てたように首を振る。それを見ると、やっぱり皆気を遣ってるんだと改めて実感して、酷く居心地が悪く感じる。何となく顔を上げ辛くなって、俺はただ口を動かした。
「何だよお前いたのかよ」
声が聞こえて振り返ると、少し眠たそうなシトリーが立っていた。どうやら喉が渇いて起きた様だ。何の断りもなく俺の目の前に置かれたお茶をグイッと飲みほした。それはセーレは俺にいれてくれたものなのに……そう思ったけど敢えて口には出さなかった。シトリーのこの遠慮の無さ加減が好きだ。気を遣わせない様にしてくれるから。何だかんだで周りの事に敏感なシトリーだから、敢えていつもの調子にしようとしてくれる。
そう考えるとやっぱ皆いい奴だなと改めて思う。ヴォラクは我侭だけど頼られると嬉しい、自分に弟がいるせいか、生意気なのが自分になついてくれてると考えると少しだけ誇らしい。
ストラスは……俺の一番大事な相棒。あいつがいないときっと俺はやってけなかったと思う。それくらい大事な奴。少し口うるさいけど、でも優しくて暖かい。
皆のいい所を考えていると、何だか無性に泣きたくなって視界が潤む。それにギョッとする皆にまた申し訳なく思った。
「た、拓也……もしかして不味かった?」
「俺が全部飲んだから悲しいのか?わりい。すぐいれてきてやる」
的外れな勘違いをしたセーレとシトリーがアワアワと顔を青くして話しかけてくるのが少しおかしくて笑ったら、二人は顔を見合わせた。違うよ。と言えば安心したような顔をする。
やっぱり皆は優しい。そして暫く皆で少しだけ雑談していると、ヴォラクが起きてきて、これまた俺の隣を陣取った。ヴアルとヴォラクに囲まれて何だか和んでしまう。
『拓也』
ストラスが窓から入ってきて、膝の上に乗っかってきた。俺の後を追いかけてきたのかな?探してくれたのかな?そう考えると嬉しくて恥ずかしい。いつまでたっても心配しかストラスにはかけてない。そのままジッと見つめられて、少しだけ気まずさから視線をずらした。しかしストラスは気にせず、そのままポテリと腰かけた。
穏やかな時間が流れてる。ゆっくりと確実に進んでるけど、でもすごく穏やかで生ぬるい時間。このまま止まってしまえばいいのに。そしたら楽しいままずっといられるのに。あり得ない事を心の中で考えてしまう自分が嫌だ。そのまま何時間が経ったかな?気づけば時計は十一時を指していた。学校では三時間目がもうすぐ終わる頃だろう。ふと携帯を見ると、マナーにしてたから気付かなかったど数件のメッセージが入っていた。上野にオガちゃんに光太郎。あと大草からも入ってる。上野に至っては面白半分なのか知らないが、不在着信まで入ってるし留守電にメッセージまで入れていた。
それを聞くと、桜井とか藤森とかジャストとか立川とかが上野が喋ってる横で「大丈夫かー」とか、「生きてるかー」とか、「夏風邪は馬鹿が引くんだぜー」とか言っている。失礼だなと思う反面、嬉しくて悲しい。
上野のメッセージも留守電も、オガちゃん達からの連絡も全部、人間の池上拓也に贈られたものだ。悪魔になりかけてる俺に贈られた物じゃない、そう思うと悲しくなってくる。
「拓也の友達面白いね」
ヴアルが上野の留守電を聞いて笑ってる。その後、いい友達だねと言ってきた。ああ、いい友達だ。すごく。こんないい友達からの心配の連絡に卑屈になってしまう自分が嫌だ。嫉妬してしまう自分が嫌だ。
上野達は何気ない日常を過ごしてるんだろう。授業が面倒くさいとか学校行きたくないとか言いながらも、十分休みや昼休みに皆で騒ぐのは楽しくて仕方がないんだろう。
皆が何気ない日常を過ごせてるのに、それができないのが悔しい、悲しい。悪魔になりかけてるなんてカミングアウトされて、未だに実感わかなくて、でも心にぽっかり空いた穴を埋める事が出来ないのが憎たらしい。知らず知らずのうちに悲しそうな顔をしていたのか、俺の顔を見てストラスがくしゃりと表情を変える。
その時、急にインターホンが鳴って、セーレが出ていく。
「え、澪?」
何だって?そんな馬鹿な。慌てて俺も覗き込んだら、澪が少しそわそわしながら「開けてください」と言ってきた。会いたくない。そう思ってるのに、あっさりと解錠ボタンを押したセーレに思わずなんで……と言葉が零れた。
どうしよう、どこに隠れよう。
そわそわしだした俺にヴアルが声をかけた。
「拓也、逃げないであげて」
「ヴアル?」
「拓也がそんなだと澪が悲しむから。拓也は話したくないかもしれないけど、澪には話したい事があるんだから」
真剣な表情のヴアルに言い返す事が出来ない。
そして玄関のドアが開く音が聞こえて、俺は息を飲んだ。
「拓也」
来てしまった。今一番会いたくない人が……一番嫌ってほしくない人が……
顔を上げられない俺に澪が近付いて来る。澪の足元しか見えない俺には澪の表情なんかわからない。でも走ってきたのか、息が少し荒かった。
「ストラスは行っちゃ駄目って言ったんだけど、授業集中できなくて早退しちゃった」
「しちゃったって……そんなあっさり」
「中谷君たち心配してたよ。上野君から留守電送ってた」
「知ってる。さっき見た。何で澪が知ってんだ?」
「丁度、移動でそっちのクラス通った時に広瀬君と話してたら上野君が来たの。拓也に留守電入れてるから広瀬君に何か喋れーって」
あ、そう言えば光太郎が畏まって心配してますよーって言ってた横で上野の笑い声が聞こえたな。あの隣に澪もいたのか。ボーっと考えている俺を澪は少しだけ笑ってほほ笑んだ。
「拓也は人気者だね」
違うよ、皆が心配してるのは人間の池上拓也であって俺じゃないんだ。皆知らないから普通に接することができるだけで、俺が悪魔になりかけてるって知ったら気味悪がって話しさえしてくれないだろう。だからそれは俺に当てられたものじゃない。人間の池上拓也の物なんだ。
卑屈な考えをしている俺を澪は覗き込んだ。
「拓也、あたし知ってるよ。拓也が悪魔になりかけてるって話……」
「……何で」
「ヴアルちゃんに聞いたの。中谷君も知ってたよ」
何で話しちゃうんだよ。知られたくない事を……
少しだけ苛立ってヴアル達を睨みつければ、少し困った顔をしたけど反省はしてないようだった。それが気に食わなくて声を出そうとした俺を澪が遮った。
「拓也、ヴアルちゃんやヴォラク君を怒らないで。あたし達は教えてもらって嬉しかったから」
「……俺が悪魔になっていってるって言うのが嬉しいっつーのかよ」
最低な八つ当たりを澪に返す。澪は少しだけ肩を震わせたが、すぐに首を横に振って違うと言った。
そのまま何も言わない俺に、澪は言葉をつっかえながらも「違う違う」と繰り返す。じゃあ何で嬉しいんだ。のけ者にされなかったからって事か?自分が知らないのが悔しいからって事か?そんなくだらない事はどうでもいいんだ。
グッと握りこぶしを作った俺に澪は顔を俯かせた。
「あたしも、まだ理解できてないの。だから拓也だってそうだよね……気が利いた事ができなくてごめん。でも、一緒に居たいって思っちゃったの。心配で、一人にしたくなくて。拓也は、やっぱりあたしに会いたくなかった?」
「それは……」
「拓也からしたら、あたしなんかに励まされたくないと思う。だってあたしは普通の生活を送ってたから。時々、悪魔を倒すのについて行くだけ。それだけだったの。だからそんなあたしに何を言われても苛々するだけだと思う」
そんな事はない、ただ俺は澪に嫌われるのが怖いんだ。澪だけじゃない。光太郎や中谷、父さんや母さんや直哉に嫌われるのが怖い。一人になるのが怖いんだ……
俺の手を澪が握る。澪の手は走ってきたからか酷く熱かったけど、不思議と不快じゃなかった。そして澪は笑った。作りものだったとしても俺に笑いかけてくれた。
「でもね、あたしにとって拓也は拓也だよ。何にも変わらないよ」
シトリーにも言われた言葉。嬉しさと衝撃が半々に俺に襲いかかってくる。悲しくなんかないのに、目が潤み、水滴が頬を伝う。そのままグスグス泣きだした俺に澪は「泣き虫だね」って言って、俺の手をまた強く握った。
笑ってくれた事が嬉しかった。
サタナエルって奴の子供って話を聞いた後に、光太郎もストラス達も気味悪がりこそしなかったものの、笑ってはくれなかった。それが余計に俺に現実を知らしめる結果になっていた。でも澪は笑ってくれた、無理に作った笑顔だったとしても笑ってくれたんだ。俺自身を認めてくれたと思わせるには十分すぎて、その言葉だけで歩いて行ける気がした。
泣き続ける俺を見て、ストラスが肩に乗ってきた。
『拓也、私達は皆貴方の味方です。貴方を嫌う者などいません』
「そうだよ。てめえは考え過ぎなんだよ。馬鹿は空気読む必要なんてねえんだよ。笑っとけ」
シトリーの手が頭に乗っかってきて乱暴に撫でられる。
腰の辺りに暖かい腕が回されて、ヴォラクとヴアルが飛び付いたのが分かった。
「皆で囲め囲めー」
「あはは!暑い」
ヴアルは暑いと言いながらも俺から離れる気はない様だ。ストラスが乗っている反対の肩をセーレがポンポンと優しく叩いてくれる。そして近づきはしないものの、今の俺の状態を少し可笑しそうに笑ってるパイモン。皆に囲まれて暑かったけど、でも嬉しくて振りほどく気にはなれなかった。泣き虫とか色々言って、皆笑う中、俺だけ泣いた。
「暑い、どいて」
暫く泣いた後、何だか急に恥ずかしくなってモゴモゴと口にすれば少しだけ笑う声が聞こえて、シトリーとヴォラクとヴアルがなだれ込んで、そのまま倒れた俺は揉みくちゃにされる。慌てて肩から離れたストラスと、ちゃっかり澪の手を引いて避難したセーレが少し憎い。離れろー!と大声をあげながらも、楽しかった。いつの間にか俺もシトリーやヴォラクに攻撃をかましてギャーギャー騒いでいた俺の頭上に影がかかり、顔をあげるとパイモンが立っていた。
全員の動きが止まり、先ほどまで騒がしかった空間に静寂が訪れる。パイモンは俺の前に膝をつき目線が交わる。こいつの契約石と同じ、エメラルドみたいにキラキラと光っているような瞳が俺をとらえ、長いまつげも整った眉も、端正な顔立ち全てを引き出していて、何度見てもこの美しさに慣れることがない。
「先日は申し訳ありませんでした。貴方に事態を告げたことで、ショックを受けることは分かっていました。だから言わなかった。言ったところで、どうにもならないので」
「……うん」
「だから、最終確認です。まだ、間に合うかもしれない。人間とは違う特異な存在になっている事実は変えられませんが、それでもまだ微々たるものです。その指輪、指ごと切断して回収しますか?」
その言葉に目が丸くなった。何度も想像してきたことが現実になろうとしていることを。
「回収したら、俺は人間に戻れるの?」
「これ以上、悪魔に侵食されることはなくなるでしょう。人間と変わらない生活を送れるであろうことは断言できます」
「回収した指輪はどうするの?」
「どうしましょうかね。地獄では、貴方が指輪になじめなかったとき用にストックを置いています。彼に指輪を持っていくか、ここで破棄するか、ではないですか?」
そいつに指輪を持っていったら、最後の審判がどちらにせよ起こるだろう。しかもなんだよ、ストックって。俺の代わりがいるんじゃないか。
パイモンが俺の手を持つ。判断を迫られている気がして、息をのんだ。
「脅すわけではありません。貴方に重圧がかかりすぎていることは否めない。審判が起これば全ての人間は死ぬ。何も恐れることはない、自分だけではないのだから。それまで、何も知らない人間に戻って幸せに暮らしたいのなら、ここで貴方の指を切り落とします」
パイモンが初めて俺に与えた救済案に、何も言えなくなってしまった。指を切れば、指輪から逃げられる。最後の審判なんていつ起こるか分からない。もしかしたら俺が死んだ後の話かもしれない。それなら別にこんな苦しい思いするくらいなら指の一本くらい渡してしまえばいいんじゃないか、なんて思ってしまった。
こんな決断、自分一人で決められなくてストラスに縋るように視線を向けると、ストラスは何も言わずにこちらを見つめていた。
『拓也、私は何もかも忘れて幸せになればいいのではないかと思っています。貴方がいなくても、私は一匹でも審判を止めるために奔走します。解放、されてもいいのではないですか?』
何もかも忘れてってことは、俺から皆の記憶が抜けるってことなんだ。とんでもない重石を乗せられたような気がして、背筋が凍る。決めあぐねている俺にパイモンは再度、判断を迫った。
「時間はかけない方がいい。かけても解決しないと思います。今ここで、決断してください。周りの声は当てにならない。他人のために戦うなど馬鹿げたことはしなくていい。貴方の人生だ」
俺達のために怪我しながら今まで戦ってくれていて、俺には他人のために戦うな、なんて可笑しいだろ。これからどうなっていくかが怖い、何もかも変わっていくのか、元通りにできるのか……先の見えない不安がのしかかって息が詰まるんだ。
「もし、俺が悪魔になっても、俺を守ってくれる?」
震える言葉で問いかけた内容は保険のようなものかもしれない。パイモンは見当違いの問いかけをされたことに一瞬、表情を崩したが、迷うことなく頷いた。
「ええ、貴方が死ぬその時まで、守り抜いて見せます」
「約束、できんの?」
「約束など軽い言葉で例えないでいただきたい。主、これは私からあなたへの誓約です。貴方が悪魔になり果てても、どんな手を使っても、どんな方法を用いても、貴方を人間に戻してみせる。私は、貴方の悪魔だ」
今まで、ここまではっきりとパイモンに忠誠なんて誓われたことがなかったのに、なんだろうな。その言葉だけで恐怖が吹き飛んでしまうなんて、どんだけこいつの言葉に力があるんだろう。
なんだか悲しいような嬉しいような、複雑な気持ちが思考を支配して気づいたら泣いていた。
「パイモンが、人間に戻してくれるんなら、何も怖くないよ」
その言葉が嘘だったとしても、その可能性を追いかけてくれると言う言葉が欲しかったのかもしれない。悪魔になるかもしれない自分を受け入れてくれる存在がいるだけでも幸せなはずなのに、俺を人間に戻す方法を何が何でも見つけてくれるって言ってくれた。
それだけで全てが救われた気がするんだ。
「大丈夫、まだ頑張れる」
「……無理はしない方がいい。もう、このような情けはかけられない。最初で最後のチャンスだ」
「だって、パイモンが俺を人間に戻してくれるんだろ?」
泣きながら笑う俺に、パイモンは握っていた俺の手を優しくなでる。慈しむように手の甲を撫でられて少しくすぐったい。
「はい、貴方を襲う災厄全てから未来を切り開くのが私の役目です。貴方は、私を信じていればいい」
その言葉は嘘じゃないって思えるんだ。ルシファーの意思で動いていたら、こんな言葉はかけられない。パイモンは、この瞬間にルシファーの命令よりも俺を守ることを優先してくれたんだ。
だから、俺もパイモンを信じるよ。おんぶにだっこでどこまでも引っ張ってもらおう。
俺の横に来たストラスが体を擦り付けてきて、隣に澪も膝をついた。
『拓也、貴方を救いたい。この気持ちに嘘はない』
悪魔になる日なんて想像したくない。だけど、心のどこかでみんなが救ってくれるんじゃないかって希望があって、頑張れる気がするんだ。
だから、まだ大丈夫。
***
ウリエルside ―
『ラファエル!』
『ウリエル様だ……』
主天使の集会所にいきなり入ってきた俺を天使どもが見つめてくる。その視線を全て浴びるのは居心地が悪く、舌打ちしながら目的の人物を探していると、そいつはあろうことか椅子にだらしなく腰掛けてぐーすか寝てやがる。全くなんて呑気なんだ。こんな奴が天使長を務めてるから、主天使はやる気というものが足りないんだ。一度本格的にしごいてやろうか。そう思いながらラファエルの頭をどつく。
『あいたー!』
何事だ!とでも言うように飛び起きたラファエルを睨みつけると、ラファエルの眠たそうな目が段々真っ直ぐ俺を捉えてくる。そして面倒臭そうなものに変わった。
『何で殴ったんだよ。優しく起こせよ』
『んなのどうだっていいんだ。緊急事態だ』
焦っている俺を見て、ラファエルもただ事ではないと感じ取ったのだろう。自分の周りにいた天使達を少し離れた位置に行けと促した。周りに誰もいなくなって話しやすくなり、俺はラファエルに相談してみる事にした。
『……拓也の事なんだが、少しおかしい』
簡潔に言って述べた俺にラファエルが首をかしげる。まあ待て、話には続きがあるんだから。それだけで結論を出そうとしなさんな。他の天使からしたら順調に計画が進んでると思ってるだろう。まさかこんなとこで誤算があるなんて思わないはずだ。
『あいつの俺達に対する耐性が段々弱まってる。このまま行ったら身体を拝借どころか連絡を取るのも難しくなるかもしれねえ』
俺の言葉にラファエルは表情を変えた。
抵抗が弱まってる。そんな事があるはずがないからだ。しかしそれが現実になって起こった。
『……そんな馬鹿な。継承者が俺達に対等になるならともかく弱まるなんて』
『実際アンドラスの時に身体を拝借したんだが、数分持たなかった。順調にいけば、もう十数分身体を拝借しても大丈夫なはずなんだが』
『どういう事だ?そんなはず……』
『やっぱお前にもわかんねえか……でもこのまま行くと、計画が大幅におかしくなるぞ』
悪魔どもが何を考えてるかは知らないが、絶対に何か秘策を持ってるはずだ。あいつを復活させるための秘策を。その為に拓也を欲しているのかもしれないが、奴らに拓也が渡っていい事は一つもないだろう。しかし俺が万が一の時に援護に行けなくなるのは非常にまずい。確かに今までピンチの場面で見ぬフリをしてきたが、それでもマジでヤバい時は俺達天使が手助けに入ってた。
でもそれが出来なくなると……あいつが地獄に連れて行かれる可能性が高くなる。
『マジいぜ。ルシファーをあぶり出す為と言えど、このままじゃ確実に拓也連れて行かれんぞ。少なくともアンドラスは何かを感づいてた。他の奴らも俺が拓也とコンタクトを取れないのを気付いてるはずだ』
『絶体絶命か』
『そこで提案なんだかよ……あいつを今すぐ殺せねえか?』
俺の言葉にラファエルは目を丸くした。それもそうだ。あいつを殺してしまえば計画が台無しになってしまう。まだ殺しては駄目なのだ。
だが、これ以上引っ張ると厄介な事になりそうだ。
『駄目だ。それは許されない』
『何でだ?とっととあいつに熾天使の位を与えて俺が鍛え上げる。地獄に連れて行かれるよりマシだろ』
『確かにそうだが……大体何で俺に聞くんだ。お前、俺が審判を反対してるの知ってるだろ』
そうだった、ラファエルの奴は審判自体に反対だったんだ。いつも会議でミカエルやザドキエルと喧嘩してるこいつを忘れてた。これって人選ミスじゃねえか?他の奴に相談すれば良かった。
溜め息をついている俺にラファエルは小声でポツリと呟く。
『それに今殺したら、確実にザドキエルが彼の魂を消滅させるだろう』
はあ!?ザドキエルが何で!?口には出さなかったけど表情で分かったんだろう、ラファエルは首を横に振り理由は分からないと告げた。
『ウリエル、お前は分かってないんだ。今継承者は好意的に受け止められていない。擁護しているのだって俺とお前と……後はガブリエル、その位だ。後の奴らはただの駒程度にしか思ってない。継承者を指輪ごと悪魔にくれてやってもいい。そう思ってる奴らもいるんだ』
『な……それじゃ今までのは何だったんだよ!』
『さあね。少なくともザドキエルは俺たちが知らない情報を知ってるのは間違いない。俺たちが聞かされている情報以外にも彼は大量の情報を持ってる』
そんな……俺が思っている以上に拓也を取り巻く状況は最悪なようだ。確かに悪魔と手を組んで他の悪魔を倒す。少々あり得ない展開の様に思うが、実際はうまく行ってるし、拓也もそれなりに頑張ってる。働きを認めて、俺の直属の部下にして最高位の位を与えるつもりでいた。いや、その計画だったんだ。でもそうではなくなって来てるらしい。
『はっきり言う。天使は継承者の味方じゃない。天使にとって彼はただの駒。それ以外の何物でもないんだ。切り捨てる準備なんてとっくに出来てるんだよ』
『あんたはどうなんだよ』
俺の問いかけにラファエルは表情を変えた。
その顔を今までも真剣だったけど、更に真剣な表情で真っ直ぐ俺を見つめてきた。
『それは君が自由に考えればいいさ。でも恐らく直に継承者も全ての真実に辿り着く。その時彼は復讐か服従か分からないが、間違いなくヴァルハラに足を踏み入れるだろう。その時に全てが分かるはずだ』
『拓也が天界に来る?』
『可能性としてだ。だが確実にくるだろうな。審判を止めたいと豪語してる継承者ならなおさら』
ラファエルは残酷な笑みを浮かべる。普段温厚なラファエルは切れた時の恐ろしさは半端じゃない。選択を迫られる時は俺にも来てる。拓也を助けるか裏切るか、天使として生きるか裏切るか……俺も決めなければならないだろう。残念だ、俺はあいつがセラフの位を与えられ、俺の部下になるのを心待ちにしていたのに。
とりあえず拓也を殺すのは後回しにしなければならないようだ。とんでもない事になりそうだ。ただ分かったのは天界は一枚岩じゃない。少しずつどこかしらかほころびが生じてるのは間違いない。そしてその原因は間違いなく拓也だろう。色んな思惑が混ざってる。ただ単に悪魔どもを抹殺したい者、裏切る者、忠誠を貫く者。面倒そうだ。実に面倒そうだ。
話を終えたラファエルが歩いて行こうとするのを俺は慌てて止めた。
『結局拓也はどうすんだ!このままじゃまずいぞ!』
『……指輪を通して連絡が取れないのなら直接行くしかないが、メタトロンとサンダルフォンが下界のゲートを見張ってる。今の俺達にはどうしようもない。それより指輪がなぜお前を拒んだのかを調べる必要がある』
『そうだけど……』
『少しは連絡を取れるのか?』
『いや、全くだ。一瞬拓也の様子を確認できるかぐらいか』
『そうか。急いで調べよう。嫌な予感がする』
さっさと歩いて行ってしまうラファエルをボーっと眺めた。
ラファエルが言ってた嫌な予感が的中するのは数日後。




