第146話 例え君が悪魔でも
集まった皆は酷く不安げな表情を浮かべている。バイト中から無理やり狩り出されたシトリーは最初こそぶつくさ言ってたものの、この空気を見てそれもすぐに止めて大人しくしている。自分から言い出せない俺を見て、ストラスがゆっくりと……そして現実を突きつけるかのように全てを説明した。
146 例え君が悪魔でも
「……その話、確証は?」
ストラスの話を聞いたセーレが震えた声を出す。皆が聞いても、驚くしかできない内容の様だ。その光景をなぜか他人事のように眺めている自分がいる。未だに整理しきれない頭で必死で考えている中、ストラスが淡々とセーレの質問に答えていく。
『最初は動揺させる為のデマカセかと思いましたが、そうではなかったようです。現に拓也はサタナエル様の象徴である白い炎を操りました』
「そんな……」
項垂れてる皆を見て少しずつ現実が見えてくる。それと同時に心にどうしようもない焦燥感が生まれた。俺は本当に悪魔になっちゃうのか?そしたら俺はここにいれなくなるのかな……サタナエルって奴のとこに行かなくちゃいけないのか?
左手の中指で蛍光灯の光を受けて鈍く反射する指輪に憎しみが溜まっていく。いっそ……このまま指ごと切断出来たらと思う。そんな事できる勇気も湧かない癖に。
誰からの質問もないことにストラスは話をいったん区切り、パイモンに視線を向けた。その瞬間、ピリッとした緊張感が漂い、ストラスの敵意の籠った視線にパイモンの眉が動く。
『貴方だけは随分と冷静ですね。まるで知っていたかのように』
ストラスの棘を含んだ言い方にセーレが仲裁に入ろうと手を伸ばすが、パイモンがそれを止めた。続きを話せとでも言うように足を組んで聞く姿勢を取ったパイモンにストラスは歯ぎしりをして苛立ちをあらわにした。
『貴方は、どこまで知っていたのですか?指輪の中に宿っている力のことをご存じだったのですか?』
「そうだな。知らなかったと言えば嘘になる。ただ、言ったところでどうにもならないことを言う必要はない。言わない事も一つの優しさだと思わないか?」
その言葉がナイフのように心臓を突き刺して、瞳に涙がたまっていく。隣にいるセーレがパイモンの頭を叩き、言い方があるだろうと注意するとパイモンは面倒そうに溜息をついた。
「俺がルシファー様に受けていた命が主の保護だ。その指輪にサタナエル様の御力が込められていることをルシファー様はご存じだったからな。ただ、ストラス達が知らないように全ての悪魔が情報を知っていたわけではない。最初はおそらく七十二柱ではアスモデウス、アスタロト、ベリアル、バティン、俺しか知らなかっただろう」
やっぱりパイモンは知っていたんだ。俺を守ってくれるなんて嘘だったんだ、俺が悪魔になることを止めようとしなかったんだから。
ストラスが掴みかかろうと羽を広げるも、シトリーが押さえこみ不発に終わる。しかし一触即発のような状況に俺を守るように手を握っていたヴアルが顔をあげた。
「それが、拓也のことをどれだけ傷つけるか分かってるの?あんたってやっぱりルシファー様の命にしか従わない奴なのね」
「そういうわけではない。だが、その指輪は外せない。言ったところで主の悪魔化を止めることは俺達にできない。なら、このようなことをわざわざ告げる必要があるか?現に主は今泣いている」
「その話を知ってたら、指を切断して指輪だけお前に渡してたよ」
俺の言葉に室内が静まり返った。悪魔を倒せってだけなら、まだ話は分かる。でも自分が悪魔になってまで戦えって言うのは、あまりにも酷すぎるだろう。もっと最初に知っていたなら、俺はきっと指を切ってでも指輪を捨てていたはずだ。そのチャンスを奪ったのはパイモンだろ!?
「切断、か。その選択肢も無きにしも非ずですね。その場合は最後の審判の開廷は確定する。最後まで人間として短い生を全うしたかったのなら、その決断でもよかったのかもしれない」
「パイモン、なんでそんなことを言うんだ。拓也たちを傷つけて何がしたいんだ!」
セーレの非難を浴びて、パイモンは視線を動かす。ストラスは泣きそうに顔を歪ませてシトリーに押さえつけられており、シトリーもヴォラクも表情は複雑そうだ。
分かってるよ、最後の審判を止めるためには指輪がいるんだろ。持ち主がいない指輪を誰が使うんだって話になることも分かってる。じゃあ、俺はどうすれば良かったんだ。
ストラスは悔しそうに歯を食いしばり涙を流し、室内は俺とストラス、光太郎のすすり泣く声が響いた。そしてその光景を見ていたシトリーのため息が聞こえた。
「んで、そいつはサタナエル様の子供だったって訳だ。この数千年の中で一番のカミウングアウトだぜ」
「シトリー」
セーレがシトリーに釘を刺したけどもう遅い。シトリーの言葉は俺の心に深くのしかかった。悪魔だなんて、言わないでほしい。だって、俺はまだ認めていないのに!
「俺は池上拓也なんだ。父さんと母さんから生まれた。血も繋がってる。今更新しい親なんて話あるか?しかもそいつは悪魔の中でも最強の奴なんだってさ」
ポツポツ自分の気持ちを羅列していけば静まり返る室内に俺の声だけが反響する。何か否定の言葉を言ってくれよ。アンドラスが頭おかしかったんだとか、証拠はないんだとか、言葉は沢山あるはずだろ?何で皆黙ってるんだ。この空気の重たさが俺の心に突き刺さって涙が視界を覆う。声を抑えようとすると、しゃくりあげる声が出て嗚咽まじりの声が室内に響いた。ただ俺の泣き声だけが響いて、まるで周りに誰もいないように感じる。そのまま泣き続ける俺に誰かが近付いて来る。でも顔を隠してる状態じゃ誰かわからない。
「おら、いつまでメソメソしてんだ」
どうやらシトリーが渇を入れに来たようだ。確かに目の前で何も言わずに泣かれ続けたらうざいだろう。でも泣く以外にどんな反応をすればいいんだ。俺は人間なんだ、それが悪魔になってきてるなんて言われても信じられないし信じたくもない。それなのにお前らが現実を突き付ける様な事言うから……
顔を上げない俺の頭をシトリーが掴んで無理やり上を向かせる。
「……ひでえ顔」
「うるさい。何だよ馬鹿にしてんのか?」
「する訳ねえだろ。ただ驚いただけだ。お前がサタナエル様の子供だったなんて」
「違う。子供じゃない」
「確かに直接的な子孫じゃないが、サタナエル様のエネルギーを指輪を通してお前は受け継いだ。俺達の間じゃ、それを子供って言うんだ」
何でそんな現実を突き付ける様な事言うんだよ。メソメソしないで悪魔だってこと受け入れてくださいって言うのかよ。そんなの嘘に決まってる。それを認めてしまえば俺は……
涙はとめどなく流れ、熱が集中して顔が熱くなってくる。そんな俺を見てシトリーは再び黙り込んでしまった。ただ泣き続ける、解決策なんて見つからない、その間にもサタナエルって奴は俺を悪魔にしていってるんだ。この一分一秒の間にも。それがたまらなく怖い。この嫌な空気から逃げる為に、少しでも明るい場所に行く為に、皆に何も言わずにマンションを出ようと立ち上がった。光太郎が呼ぶ声すらも無視してドアの取っ手に手をかける。
「拓也、お前はお前だ。それだけは変わらない、それだけは忘れんなよ。お前は悪魔でも人間でも池上拓也なんだ」
シトリーの言葉は俺に重くのしかかっただけだった。皆の顔も見ず、返事もせずに出ていった俺に皆がどんな顔をしていたかなんてわからなかった。
***
「拓也ー早く起きないと遅刻するわよー」
あれから家に帰った俺は夕飯も食わずに部屋に引きこもった。明るい場所にいたいと思ったのに、その場所に自分がいることが躊躇われた。ひっきりなしに飯を食わなかった事を心配してきた母さんを無視するように寝た振りをして昨日は誤魔化したが、今はそう言う訳にはいかなさそうだ。階段をトントンと上がってくる母さんの足音が響き、部屋に近づいてくる。どう誤魔化そうか、そう考えている間に部屋のドアが開いた。
「拓也ーあんた具合でも悪いの?夕飯も食べなかったし……悪いなら悪いで病院に行くのよ」
入ってくるなりそう言ってきて、ベッドに潜り込んでいる俺を無理やり引っ張る。
「いたたたた」
「起きてるじゃない。さっさと準備する!もうすぐ夏休みでしょ!ダラダラしない!!」
夏休み?ああそっか、夏休みか。あと一週間もない。今週の金曜が終業式だ。
そんな事を考えている隙に布団すらはぎ取られた。
「あんた暑いのによく潜ってられるわねぇ。信じられないわ……拓也?」
母さんは俺の顔を見た瞬間、表情を変えた。そして頬を両手で包み、グリっと自分の元に向かせる。
「いてっ」
「目が腫れてる……何かあったの?」
母さんがじっと覗き込んでくるのが居心地悪くて目を逸らすけど、母さんの視線が突き刺さる。そのまま抱きしめられてあやされる様に背中を叩かれると、恥ずかしい反面、安心して涙が再び溢れた。そのまま顔をグシャグシャにして泣きだした俺を母さんは何も言わずにあやす。その後ろには直哉とストラスが複雑そうな顔でこっちを見ていた。
「兄ちゃんどうしたの?」
直哉が俺の部屋に入ってベッドに飛び込んでくる。でも母さんが直哉の頭を撫でて、直哉を下に行くように促した。
「直哉、ご飯食べなさい。遅刻するわよ」
「大丈夫だよ。それより兄ちゃんは?」
「少し具合が悪いみたい。母さんが病院に連れてくから、あんたは早く準備しなさい」
母さんにピシャリと言われた直哉は少しブスくれた後、朝食を取りにリビングに向かう。
「ストラス、行こ」
『先に行っててください。私は少し拓也に話があります』
「何だよー。俺だけ仲間はずれぇ」
口を尖らせてトントンと階段を下りていく。直哉がいなくなって俺の嗚咽だけが室内に響く。母さんが俺をあやしながらストラスに顔を向ける。何かあったのか?そう聞く母さんにストラスは少し言葉を濁した。まさかストラスはあの事を母さんに言う気なのか?それだけは止めろ。それだけは……!
でも俺の気持ちを汲んだのか、ストラスは母さんに何も言う事はなかった。ただ悪魔を倒す時にキツイ事があった。そう言っただけだった。
「……拓也」
「大丈夫。泣いたら少し気が楽になったから。有難う」
俺はベッドから出て服を取り出す。今日は学校には行きたくない、マンションにいたい。全てを知ってる皆と一緒にいたい。母さんは何も言わず、黙って俺を見てただけだった。そんな母さんにもう一度有難うと言って、家を出ようと玄関に向かって歩いた。
「おはよう拓也」
「……澪」
玄関の前には澪が立っていた。
澪は少しだけ気まずそうに笑って俺に近づいた。
「そろそろ拓也が出る頃かなって思って待ってたの。ごめんね、ストーカーって訳じゃないよ」
冗談を交えて話す澪に自然と笑みが漏れた。それと同時に、私服姿の俺を見て澪は首をかしげた。
「学校行かないの?」
「今日はマンションに行くんだ。だから学校には行かない」
「……じゃああたしも行っていい?」
澪の言葉に目が丸くなった。それって澪もサボるってことだよな?
確認すると澪は頷く。でも正直付いて来て欲しくない。だってマンションに行けば澪もきっと知ってしまうから、俺が悪魔になっていってるって事に。そう思うと居ても立ってもいられなくなって、慌てて首を振った。
「駄目だよ。学校行けよ。じゃあ俺は行くから」
「あ……拓也!」
澪が伸ばした手を気づかないフリして必死で走った。
何もかもを振り切るように。
***
ストラスside ―
玄関で呆けている澪を見つけて、私は窓から外に出て澪の隣に飛んで行きました。そのまま話しかけると、澪は弾かれたように顔をあげました。
『澪』
「ストラス」
このタイミングで拓也を待っていた事。そして今の澪の表情。状況から導き出された仮定を澪に尋ねてみました。
『貴方はもしかして知っているのですか?拓也の事を……』
「……うん。昨日ヴアルちゃんから聞いた。中谷君もきっとヴォラク君から聞いてるよ」
やはり知っていたのですか……まあ澪と中谷は知る権利があるでしょう。ヴォラクとヴアルの契約者なのですからね。恐らく拓也を励ましに来たのでしょうがそれが上手くいかなかったようですね。
澪は苦虫を噛み潰したような表情をしており、心境は複雑なのでしょう。何か話しかけなければと思い、名前を呼ぼうとすると澪に遮られました。
「ストラス」
『何ですか?』
「あたしね、グレモリーさんと話した時に言われたの。あたしを必死になって守ろうとした子がいたって。グレモリーさんが知ってる子だから人間じゃないと思うんだ。そしたら今回の事……もしかしてその子は拓也なんじゃないのかなって思って……」
『何を……』
「良くわからない。グレモリーさんが間違ってるのか、あたしが知らないのかわからない。でも顔も名前も知らない“あの子”があたしを守ろうとしたんだって」
話が分からない。しかし澪の真剣な表情から頭ごなしに否定するのは躊躇われました。“あの子”とは誰なのか……グレモリー様は一体何を思って澪にそのような事を……もし本当に拓也なのならば、グレモリー様の言葉は預言になるはず。しかし澪は過去形で告げられている事から過去の話になる。悪魔が澪、つまり人間を守ろうとした。そんな悪魔が存在していたのか?澪の言う通り、もし拓也が完全に悪魔として覚醒した場合、グレモリー様の指している“あの子”とは確かに拓也の様に感じますが。
何もかもが分からない。拓也にしろ澪にしろ……この二人は確実に悪魔と何らかの繋がりを持っている。特に澪はそれがわからないだけタチが悪い。一体誰が澪を守ろうとしたのか……
「ストラス」
考え込んでしまった私に澪が遠慮がちに話しかけてきました。急に話しかけられた物なので思わず羽を震わせた私に、澪は気まずそうに小さな声で呟くように聞いてきました。
「あたしもマンションに行っていいかな」
『なぜ私にそのような事を……?』
「拓也はもしかしたら皆に会いたくないんじゃないかと思って……でもあたしは拓也と話がしたい」
今の澪には切実な願い。拓也と会話をする事すらも。
『今は止めた方がいいかもしれません』
「やっぱり……そうなのかな。知られたくないって思ってるのかな」
『それもあると思うますが、今貴方が慰めたら拓也が嫉妬してしまうかもしれません』
「嫉妬……?どうして?」
『拓也は少し前までは完璧な人間でした。それが今は少しずつ悪魔のエネルギーが体内に交じっていっているのです。それは自分が悪魔になっていっていると言う事。そんな中、貴方がもし下手な慰め方をしたならば、拓也は自分自身に激しい劣情を抱いてしまうでしょう。澪は自分が悪魔になってないから言えるんだ。恐らくそう思います』
「……そうなのかな。じゃあどうすれば拓也を助けれるの?」
『それは私にもわかりません。指輪を外せればいいのですが、継承者である以上それは無理ですから』
黙ってしまった澪に私は自分の胸の内を吐きだしました。
少し澪にとっては酷かもしれない。そう思いながら……
『澪、私は拓也を救えるのは貴方しかいないと思っています』
「あたし?」
『今回の件で拓也の心が本当に折れてしまうかもしれません。今思えば、拓也には散々無理をさせました……本当ならばトラウマになっても仕方がないほどの……人間の薄汚い部分を見せ、死ぬ場面を見せ、光太郎が殺される場面を見せ、クローンとは言え仲間が死ぬ場面を見せ、そして自分の手で他人を殺させてしまいました』
「……あたしはシャネルって子が嫌い」
澪がぽつりと呟いた言葉に目を丸くしました。澪の表情は次第に泣きそうなものに変わっていき、制服のスカートの裾を握りしめました。顔を俯かせる澪は悲しげです。
「拓也はあの子の事をいつも心のどこかで気にかけてる。あの子が拓也の重荷になってる」
『……そうですね。拓也が殺してしまった唯一の人間でしたから』
「分かってるよ。仕方がない事だって。罪の意識に駆られてもしょうがない。だけど拓也は何も悪くないんだよ?それなのにいつまでも拓也の心に根を張り続けるシャネルが嫌い」
『何もかもが上手く行きませんね……』
審判を止める事も、悪魔と天使達の陰謀を見抜く事も、拓也と澪の関係も……本当に何もかも。
澪はカバンを持って歩き出します。方向からして学校に向かうようです。私の忠告をちゃんと守る澪に少し頭が下がりました。私もマンションに向かいましょうか。拓也の傷全てを取り除くことはできませんが、恐らく今の拓也にとって悪魔である私達と共にいる方が気が安らぐのでしょう。決して拓也の心を折らせたりはしない。あの笑顔を失くさせはしない。
『サタナエル様……全て貴方の思う通りに行くと思ったら大間違いですよ』




