第126話 崩壊の合図
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ずっと前から三人一緒だった。近所からも仲がいいと評判で……狭い世界の中で彼の笑顔は太陽みたいだった。図鑑でしか見たことのない花、ひまわりの様に彼は笑う。そして私達に言うのだ。
二人の事が大好きだって。
126 崩壊の合図
あの日から何日が経過したのか……今日も彼は妹に暴力をふるう。隣の部屋から聞こえるのは声を抑えながらも泣き続ける妹がいる。
「Også……(また……)」
そしてその姿を見て喜んだ彼は、無理やり妹を犯して満足するんだ。妹を手に入れたって。小さい頃から私達は何をするにも一緒だった、私とハンスは幼いころから家も隣同士で、家族のように仲が良かった。その後、ナターリエが生まれて、私達とハンスが母親、父親役をしてままごとをしてた。それは本当の家族のようで、ずっとこの日々が続くと思ってた。けど私の変化によって終わりを告げる。
中学生に上がった時……妹を可愛がるハンス、そしてそれを当り前のように享受する妹に嫌悪感が湧いた。自分でも理解できないくらい感情で、胸がキリキリ痛んだ。ずっと原因がわからなくて、でも辿り着いた結論に絶望した。
私はハンスの一番になりたい。
そう思うようになってから、私は変わった。妹が憎く感じてきた。幼いだけでハンスからの愛情をもらい続ける妹。でもそれはきっと一時的なものだと思っていた。いつか妹が成長したら彼からの寵愛はなくなると……そう思う事で妹を憎む事を回避してきた。けど現実は私の思う通りにはならなかった。
妹は誰から見ても可愛らしい少女に成長したから。私も見た目はそれなりにあると思ってる。けど妹は違う。誰が見ても可愛らしく、愛でたくなるのだ。それは妹特有のものかもしれないが、私にとってそれは誤算だった。そして決定的な事件が起こった。
妹は中学生の時、強姦未遂事件の被害に遭った。
危うく未遂と言った通り、被害に遭う前に警察が取り押さえたが、それがハンスの神経を逆なでした。それからだ、ハンスが何をするにも妹を傍に置きたがったのは……
最初はそれだけだった。傍に置いて仲良く話す、それだけだった。けれどロスキレの大学に私とハンスが通っているのに対し、妹だけがコペンハーゲンの大学に通うと言い出した事によって彼の理性は綻びだした。そして妹がコペンハーゲンの大学に通い、そこでハンスの知らない男たちと仲良く写る写真を見てハンスはついに壊れた。妹を愛していたハンスは自分の兄のような存在という立ち位置に苦しめられ、最後は耐えられなかったのだ。私の想いに気づかずに……
私達三人の関係が壊れた瞬間だった。
大学に近いから親元から離れ一人暮らししている私の家。この場所に監禁して一歩も外に出さなくなった。そして繰り返されるのは暴行と強姦。少し離れた片田舎に住む両親はこの事を知らない。それも当然だ、知られてたらとっくにこの問題は解決してるだろう。変わってしまった彼を見て、ヤバい事をやってるんだという噂まで立ち、私も彼とは関わるなと友達に何回言われた事か……
「Du gjorde?(終わったの?)」
「Ah.(ああ)」
彼が隣の部屋から出てくる。所々に傷を作って。妹の必死の傷を愛しそうになぞるハンスに吐き気と嫌悪感を覚え、それでも嫌いになれない自分に嫌気がさす。
腕を差し出した彼の要望に応えるように救急箱を出した。彼の手に消毒液を塗りながら、心の中で思っていた事をハンスに打ち明けた。
「Mindst min søster vil holde sig ude af det? Du gør, når du dør(これ以上妹に手を出さないでくれる?あの子はもう限界じゃない)」
姉としてハンスに忠告する。いくら愛おしいこの人を奪った相手とは言え、大事な妹なのだ。これ以上傷ついては欲しくない。けど警察や家族に言って表沙汰にしてハンスが捕まるのもいやだし、妹と私も嫌な思いはしたくない。その事から私は頑なに周りの人間に今の現状を打ち明けなかった。
「Ikke bare ikke muligt. Han er den ting, jeg elsker fra mig.(あいつは俺の事を愛してる。なんの問題もない)」
お気楽ね、妹は本当に今も貴方を愛してるのかどうか。妹は確かに過去は貴方に恋心を抱いていた。手をつないで引っ張ってくれる貴方に頬を赤らめさせていた。でもそれは過去の事。今はどうなのか……
傷の手当てを終えた私の頭をハンスが撫でる。
「Tak.(ありがとう)」
ハンスの中で私はいつまでも家族同然の「クリスティーネちゃん」のままなのだ。妹であるナターリエは家族同然の存在から異性として、愛すべき存在に変わったと言うのに。私はいつまでも家族のまま。しかしその方が彼は優しい笑顔を向けてくる。
おかしな人……その優しさの一かけらでも妹に向けてれば状況は違うのに。異常な性癖を持ってるこの男を未だに想い続けてる自分を嫌いになりそうだ。
私は今日も仮面をかぶり、その場をやり過ごした。
***
拓也side ―
「大丈夫だったのかなこれ」
『んーどうでしょう。しかしシトリーは少しだけすっきりしているように見えますよ』
セーレの買い物から帰って二人の様子を確認すると何も変わっていなかった。携帯をいじっている二人の間に会話はなく、ずっとこのままだったのだろうかと疑問に思うが、ストラスが言うには少しだけ進展があるように見えるらしい。
『彼は光太郎に話したのでしょうね。光太郎の纏う雰囲気のようなものが柔らかくなっている』
「かもな」
買い物袋を持ったパイモンとストラスが小さい声で話し合う。そんな二人をよそにケーキケーキとヴォラクとヴアルははしゃいでいる。こいつらはシトリーと光太郎よりもケーキが大事なのか。
「ヴォラク、ヴアル。君たちは留守番だからそれ食べて待ってなよ」
「了解」「いいわよ」
……いつもは愚図るくせにケーキがあると聞き訳が良い。セーレに買い物袋を渡し、俺は光太郎達が座ってるソファに近づいた。
「シトリー行けるのか?」
「おう。こっちは準備できててお前ら待ってたんだよ」
憎まれ口を叩ける余裕があるってことは少しは気分が晴れたのかもしれない。横でシトリーの頭をはたいた光太郎に噛みついている姿はいつも通りのように見える。こいつが元気になったことでパイモンも少し安心してるみたいだし。肩に乗ってきたストラスと少し会話する。
「シトリー元気になってよかったな。パイモンも気にかけてたもんな」
『二人にあそこまでの因縁があるとは思わなかったですけどね』
「ルシファーって奴がそんなに大事なのかな。シトリーやグレモリーを不幸にしてまで従わないといけない事なのかな」
『パイモンは元天使です。その頃からルシファー様の腹心だったと聞きます。私たちには分からない事もあるのでしょう』
だけど、両想いの二人を引き離すことがいいことだなんて思えない。ストラスが少し目を細めてパイモンを見つめるも、相手は表情を崩さず相変わらず感情の読めない顔でパソコンをしていた。
セーレが買ってきた物を冷蔵庫にいれ込んだのを確認して、俺は先にベランダに向かう。
「行こうぜ。光太郎、シトリー」
「おう」
光太郎は竹刀を肩に背負って立ちあがり、それを見てシトリーもゆっくり立ち上がった。
「拓也」
「なに?」
「今回は少しみっともねえとこ見せるかもしんねぇけど、勘弁な」
何だそんな事……
「いまさら何気にする必要があんだよ」
俺達は完璧じゃないんだから、何を恥ずかしがる必要があるんだ。俺の言葉にシトリーは困ったように笑い、ベランダに出た。
***
時間的には朝の十時頃と中途半端な時間だが、相手が大学生なら問題なさそうだ。パイモンが印刷した紙を取り出し何かを調べている。のぞき込んでみるとマップが載っており、相手の住所を調べたんだろうか。
「ナターリエの住所割れてんの?」
「いえ、今からまた調べなければなりません」
やっぱまだ見つかってないんだな。それもそうか。行方不明なんだっけ?定住している場所が分からないと調べようがないもんな。じゃあこのマップは何だろう?
「今日中いきそう?」
「わかりませんね……なので彼女の姉に会ってみようかと思います」
「お姉さんに?」
「はい、何かしら知っているかもしれません」
その印刷用紙は姉の住所が書かれた紙のようだ。ナターリエって人に姉が居るのは昨日の聞き込みで分かってた、でも大丈夫なのかな?いい人を見つけたのか、パイモンは聞き込みをするために歩いて行ってしまった。
***
ナターリエside ―
「NATARIE」
「Søster(姉さん)」
ベッドに横になっている私に話しかけてきたのは姉さんのクリスティーネ。私の血の繋がった姉で優しくて美人で私の憧れで愛している存在。でも姉さんは私のことを嫌っている。その理由は分かっている、だって姉さんは……
「Nogle mennesker, du leder efter.(あんたのこと探してる奴がいるって)」
「Huh?(え?)」
私の事を?誰が?
そう言えば大学の友達に連絡を入れてない。ハンスが私の携帯を奪ってしまったから。誰が私のことを?姉さんの雰囲気から警察ではない事はうかがえるけれど。
「Sagde venner.(友達が聞かれたって)」
姉さんの友達が……まさかロスキレに私を探してる人がいるって言うの?大学の友達なんだろうか?でもコペンハーゲンからロスキレはかなり離れているから違うかもしれない。じゃあ一体誰が?もしかして私を助けてくれる人になるのだろうか。思わずベッドから起き上がった私に姉さんは怪訝そうな表情を浮かべた。
「また逃げるの?」とでも言いたげに。
何回も何回も逃げ出そうとして今まで失敗に終わってきた。姉さんが共謀しているから無理だった。
姉さんがため息をついて部屋を出ていき、私だけになった空間は静寂に包まれた。
「Gremory.(グレモリー)」
その呟きと共に部屋の隅に現れたのは目を見張るほどの美しい女性。女の私から見てもため息が出そうなほどの美女は、その瞳に私を映す。彼女は自分を悪魔だと言ったけれど、私から見たらハンスや姉さんの方が悪魔みたいなものだ。彼女といる時間だけが、私の生きる糧。
『Jeg spekulerer på, vil du have?(私に何か用かしら?)』
声までもが透き通っていて耳触りがとてもいい。少し気だるげな仕草さえも絵になってしまうほど、全てにおいて彼女は完璧な女性なんだと思い知らされる。
「Jeg har folk søger efter ting for mig. (私の事を探してる人がいるんだって)Kan du se?(私の代わりに探してくれないかな?)」
『Hvorfor mig?(なぜ私が?)』
私のお願いにグレモリーは嫌そうな顔をした。でもそれも理由を打ち明ければグレモリーはきっと頼まれてくれる。
“私がここから出れないから”
そう答えるとグレモリーは溜め息をついた。その表情は呆れ果ててると言った感じだ。グレモリーからしたらそうだろうな。散々忠告してくれてたんだから。
『Der er masser af muligheder for at undslippe. Lad os gå med mig.(逃げる機会なんていくらでもあるじゃない。私と一緒に行きましょう)』
グレモリーの手を未だに掴めずにいる、掴んで逃げることが一番正しい道を知っているのに。そのままベッドに横になった私を見て、グレモリーは複雑そうな表情を浮かべ隣に腰かけ私の傷にそっと触れる。
「可哀そう」とか「痛そう」……そう呟いて。
でもね、きっと貴方の方が辛い目に遭ってたんでしょ?以前に少しだけ聞いたあなたの過去の話。その少しだけの話で私は泣いてしまったから。私の髪の毛を撫で続けるグレモリーの手は心地よく、私は眠りについた。
***
***
“行かないで、ここに居て”
声が聞こえて私の進んでいた足は、その場に縫い付けられたように動かなくなる。目の前にはコペンハーゲンの明かり。私の新しい居場所。あそこには友達もいるし、新しい世界がある。キラキラと輝いて私を誘っている。でも足が前に進まないのはあの声のせいだ。
耳に届く声はとても悲痛そうで、必死に私を呼びとめている。止めてよ。そんな悲しそうに名前を呼ばないでよ。私が悪いみたいじゃない。貴方を苛めてるみたいじゃない。
逆でしょ?貴方が私を虐めるんでしょ?そしてまた地獄の日々を過ごさせるんでしょ?毎日毎日痛い思いをして……そんな事をするくせに私に愛を囁き続ける。狂気に狂った愛を、紛い物の愛を。貴方が本当に愛してるのは私じゃないくせに。
だって貴方は姉さんには暴力も何も振るわないでしょ?姉さんには笑顔を見せて、頭を撫でてるでしょ?
私の大好きなひまわりのような笑顔で。
貴方が私にくれるのは、痛くて悲しいものばかりなのに。「好きだ」って言って私の顔を殴るくせに。「愛してる」って言って私を犯すくせに。姉さんには頭を撫でて、笑顔を見せて、そんな物は一つもくれないくせに。それなのに貴方がそんな悲痛そうな声をあげるから私はいつまで経っても逃げ出せない。
コペンハーゲンの光が目の前に見える中、私は薄暗い方向に再び足を向けていた。
***
***
思わず飛び上がるように起き上がった私を彼女は心配した。
『Jeg har Unasare. OK?(うなされてたわ。大丈夫?)』
「Calm……(大丈夫……)」
何なんだろう今の夢は……こんなはずがない。これじゃあ……私がハンスの事を未だに好きみたいじゃない。
そんなはずない、あんな最低な暴力男を絶対に好きなはずがない。
じゃあなぜ逃げられない?なぜ逃げた道を戻る?なぜ助けを求めない?違う違う違う違う違う!!!
そう思い込めば思い込むほど、現実を思い知らされる。そうだ、助けなんてとっくの昔に求められたはずだ。姉さんしかいない状況なら力ずくで外に逃げられたはずだ。それをしないのは、しないのは……
思わず流れた涙をグレモリーが掬う。
『NATARIE』
「Gremory……Jeg(グレモリー……私ね)」
“Han kan godt lide sådan noget endnu.(彼の事がまだ好きみたい)”
明るく笑う、兄のような彼が好きだった。いつも手を引っ張ってくれる頼れる彼が大好きだった。なんで、こんなことになってしまったか分からない。でも、大好きだった彼を知っているから、諦められない気持ちがどこかにあるから逃げられないんだ。
言葉は呪縛のように私の体を縛り付けた。きっと私は逃げられない、逃げることを私自身が許さない。その現実は悲しくて苦しくて……このまま身を投げ打って死んでしまいたいように思えた。
自覚してしまえば何ともない、苦しいだけの現実。姉さんはきっと彼から光を貰って輝いているんだろう。私には痛い物しかくれないくせに、姉さんには優しくて光に満ちたものばかり与えるくせに。
どうしようもない嫉妬感が襲いかかる。
その時に気づいた。
私の中で崩壊は確実に近づいていたと言う事に。




