第117話 捻じ曲げられた世界
『ふふ……準備は整った。サロスの努力に報いたいものだ』
「努力って……サロス何もしてないじゃないっすかぁ。まぁいいや、これからが楽しいしね」
「嫌だレラジェ。あまりはしゃぎ過ぎて怪我しない様にね」
117 捻じ曲げられた世界
「あー疲れた。もう駄目」
俺は家に帰ってすぐにベッドに横になった。今日も放課後に体育祭の練習があったんだからどうしようもない。でも中谷と藤森は応援団の練習もあんだから俺よりもっときついんだろうに中谷はマンションに寄ると言うんだから凄い。光太郎も塾に行くんだから凄い。そう考えると棒倒しだけで良かったと思ってる自分がいる。
『全く……貴方と言う人は』
俺が学校でどれだけハードなことをしたか知りもしないくせに腹の上に居座りながらため息をつくストラスを腹から叩き落とす。お前一日ずーっとベッドの上で寝るか本読むかしてるだけだろうが。
直哉帰ったら直哉とゲームしてるんだろうが、そんな奴から文句言われたくねー
本当に何言ってんのこのフクロウ。人の腹の上で。
「拓也ー御飯よー」
「あ、はーい」
母さんの声が聞こえて文句を言っているストラスを抱えてリビングに向かう。今日は水曜で父さんも残業のない日なので、母さんのテンションは高い。直哉はこないだ買ったゲームを父さんに見せているし、澪は母さんの手伝いをしながら皿を並べていた。
「拓也も手伝ってよー。またストラス虐めてたんでしょ」
「虐めてないし!」
『そうです澪。もっと言いなさい。私は暴行を受けていました。私の毛が数本抜けました』
「嘘つくな!!」
俺達のやりとりを澪と直哉は可笑しそうに見ており、父さんと母さんは俺達が楽しそうにしているのを微笑ましそうにしている。ストラスのいる生活が当たり前になり、こんな風に冗談を言い合える関係になっていたのだ。
ストラスを直哉に渡して、母さんと澪の手伝いをするべく皿を並べていく。飯美味そう、食ったらさっさと今日は寝よう、そうしよう。
***
?side ―
『そろそろいいかの?』
ダンダリオン様が大きな本を開いてページをめくっていく。その本にはダンダリオン様にしか読めない文字が刻まれており、俺には読むこともできない内容を読み上げていくダンダリオン様が格好良くて仕方がない。この本にはこの人の英知が詰まっているんだろうな。
俺は、そんなダンダリオン様を守らなくちゃいけないんだよね。
「ちゃちゃっと片しちゃいましょ。俺はダンダリオン様の護衛をしますからね」
「ちょっと!それじゃ私一人でパイモン達と戦えって言うのぉ!?」
ハルファスがカンカンに怒って俺の背中をどついてくる。痛いし、大体なんでこいつ付いてきたんだよ。俺頼んでないのに、勝手についてきて好き勝手言うんだから意味わかんねえよ!
「いてえって!何すんだよ!」
「レラジェは最低よ!こんな美女を一人にするなんて!!」
「いやお前本当の姿はカラ「何か言った?」……何でもありません」
『レラジェ、主が一人で継承者を抑えるがいい。あの程度だ。天使の力がなければただの小童よ。それに主が賭けをしているのではないのか?』
俺たちの会話にため息をつきながらダンダリオン様は書を読み上げていく。う……それを言われちゃ言い返せない。ちぇー、ダンダリオン様は俺がお守りしたかったのに。
確かに賭けをしていたんだよな。でもザガンが負けたって聞いたからさーまずは継承者の邪魔な悪魔をボコらないといけないって思うだろ。でも、蓋を開ければ別々の所に住んでいるようで一掃できないらしい。なんでこいつはそんな面倒なことをしているんだろう。
指輪を持っている時点で狙われるだろうに、自分の側に置いておく悪魔がストラスなんて可笑しいだろ。今から起こる状況を抜けられるのかねえ。
「わかりましたよ。ハルファス、ダンダリオン様に傷一つつけさすんじゃねーぞ」
「それより私の心配しなさいよ!」
『こらこら……では始めるかの。行け、幾多の世界を繋ぎ併せ、今この一時に我に力を!』
***
拓也side ―
母さんの皿を運んでいた手が止まる。もう食べる直前だと言うのに固まった母さんがキョロキョロしている。
「母さん?」
「拓也、今なんか地震みたいなの感じなかった?」
「地震?何も感じなかったけど」
澪も父さんも直哉も顔をキョトンとさせているが、ストラスだけは毛を逆立てている。何かあったのか?俺は何も感じないけど。結局気のせいだと言う事になり、母さんがそのまま自分の作業に戻り、皿を置いて冷蔵庫を開けた。
「きゃああぁぁぁああぁぁあああ!!!!!」
「何!?何事!!?」
母さんの悲鳴を聞いて、俺と父さんが母さんのとこに向かう。
って、え……?これはいったいどういう事?思わず俺と父さんは同時に目をこする。だってこれは、ねぇ……
冷蔵庫開けた先が密林ってどういう事なのよ?
あまりの状況についていけない父さんがパニックになってとんでも発言をした。
「か、母さん……植物でも育てていたのか?」
「そんな事する訳ないじゃない!ぱぱ、拓也、どういう事なの?」
父さんの思わぬ質問に母さんは思いっきり首を振る。そんなの俺がわかるわけないじゃん。俺と父さんは顔を見合せて首をかしげた。
「すげえ……じゃあここも!」
「直哉君待って!」
直哉は冷蔵庫の様子を見て近くの引き出しを開け、そして今度は直哉の興奮したような声が室内に響いた。
「すげーすげー!!魚が泳いでる!」
なにぃ!?うちは魚なんか飼ってないぞ!!
俺と父さんは今度は直哉のいるところに猛ダッシュ。確かにそこには魚っつーかなんかマグロのようなでっかい魚が奥の方で集団で泳いでいる。えーっと……これ何?悪戯?ドッキリ?
「何か向かってきてない?」
引き出しを覗くと確かに何かが魚の群れをめがけてなのだろうか、こっちの方向に向かってきてる。
え、ちょっと待てよ。これって……
「ギャ――――!サメじゃねぇか!!」
俺は慌てて引き出しを閉じてその場に座り込んだ。
母さんも何も言わずに冷蔵庫を閉める。なにこれ幻覚?でも恐ろしいのが、見えているのが俺だけじゃなくて家族みんなが同じ幻覚を見ているってことだ。
「何がどうなってるの?」
「わかんねえよそんなん……」
『やられましたね……ここは恐らく悪魔の仮想空間の中でしょう。私たちは悪魔の幻術に嵌ってしまったのです』
ストラスの言葉に目が丸くなった。幻術ってあの幻とか出す幻術?漫画とかでよく出てくる幻術?
でもそんなのいつ……まさか……
「フォカロルって奴が来たのか?」
『いえ、彼は幻術の能力は持っていません。違う悪魔でしょう』
じゃあ別の悪魔が来たってのか?この場所に?俺がここにいるってばれたのか?こんな状況じゃ動くことすら危険だ。だからと言って、このまま此処にいても状況は変わらないだろう。パイモン達に連絡を取らないといけないと思い、携帯を取り出した俺の頭上に影が落ちた。
『うひゃひゃ!これが継承者、よっわそー』
声が聞こえ顔をあげると、一人の少年が立っていた。短く切り揃えられた髪の毛に巨大な弓を持っている。いきなりの侵入者に驚いて後ずさった俺に少年は可笑しそうに腹を抱えている。
なんなんだよこいつ!例の悪魔か!?あの四人組の一匹か!?
『レラジェ』
ストラスの言葉に目が丸くなる。じゃあこいつはフォカロルの仲間のレラジェ!どうしてこの場所が分かったんだよ!俺の家族にまで手を出してくるなんて、考えてもいなかった。戦えるか?ここで?俺しかいないのに……直哉と母さんは完全に腰を抜かしており、父さんも驚いて固まっている。
「これが悪魔……?どう見ても普通の少年じゃないか」
「父さん騙されんなよ。ああ見えてもあいつヤバいらしいから」
レラジェは薄い笑みを浮かべて背負っていた巨大な弓に手をかける。ゲームや漫画の世界でしか見たことがない巨大な弓に矢をセットしてこちらに向けてきたことに母さんの悲鳴が聞こえ、守るように直哉と澪を抱きしめて背中を向けた。
『あーそういうの家族って感じ。家族を守って死ぬって言うの、俺には理解できない感覚かもね。まあいいや、狙いは別の所。まずはゲームには景品が必要だろ?』
何言って……
レラジェは弓を引き、こちらに矢を放ってきた。勿論矢を払いのけるなど俺ができるはずもなく、動くこともできなかった俺の後ろを矢が通り過ぎていき、うめき声が聞こえた。
「ぐっ!」
「父さん!」
「ぱぱ!」
レラジェの弓が足に突き刺さり、父さんが痛みで倒れこんだ。矢は足を貫通しており、血が足からしたたり落ちていく。顔を真っ青にした母さんがタオルを手に持ち、止血をはじめ、自分の家族に危害が加えられたことに直哉は顔を真っ青にしている。
なんて野郎だ……他人を巻き込むなんて!
「ふざけんな!お前の狙いは俺だろう?なんで俺を狙わない!?」
『だから言ったろ?ゲームには景品が必要だって』
それでなんで父さんを狙う必要があるんだよ!
でもその時、澪の悲鳴じみた声が聞こえて振り返った瞬間、目を疑った。父さんの足は腐食し、ただれていっていた。サブナックの時とは違うけど、足が腐っていってるのか!?サブナックよりも効果の発現早いじゃねえか!
「父さん!」
『まずい……レラジェの能力は腐敗。彼はサブナック同様、傷口から相手の細胞を腐らせていくのです。腐敗能力はサブナックの方が強いですが、効果の発現が即効性です。解毒剤が必要ですね』
「じゃあ父さんは……!」
『このままでは屍になる他ありません。何とかしなければ……』
なんとかって、どうすれば……!?あいつをぶっ殺さないといけないのか!?
『だーかーらーそれがゲームなんだよ』
この緊迫した空気の中、場に不釣り合いな陽気な声が響き渡る。レラジェの手には小瓶が握られており、見せびらかすようにヒラヒラ瓶が揺れている。
『俺を倒したらそいつの傷治してやってもいいぜ。それが景品だ。俺が勝ったら継承者を地獄に送る。それが景品。お互いに何かをかけないとモチベーションあがらないからね』
「ふざけんじゃねえ!!」
『別にいいよ、俺は勝手にスタートするから。でもお前も俺捕まえないとそいつ助けられなくなっちゃうぜぇ。うひゃひゃ!』
レラジェはリビングのドアを開けてその先に消えてしまう。
そのドアの先には崖が広がっており、出ていったらこの場所に戻ってこれないのではないかという恐怖を感じる。
「どうすりゃいいんだよ……」
『そうですね。今回はあまりに一般人が多い、それに戦力が貴方以外に居ないのも……悪魔は恐らくレラジェの他にもいるはずです』
「嘘だろ?」
『レラジェは幻覚能力を持ちませんからね』
そんな……俺は二匹いっぺんとか絶対の無理だぞ。しかもこの状態じゃ……
『拓也、シトリーに連絡を』
そうか、皆がいれば心強いよな。俺は慌てて電話をかける。よかった……電話は掛けられるみたいだ。相手はすぐに出てくれたけど、普段と違い、声が切羽詰まっている。
『拓也か。タイミングわりーなお前』
「シトリー俺だよ!今大変なんだ!」
『わりーけどこっちも大変なんだよ』
は、どういう事?大変って俺以上に大変な目には遭ってないだろ。せめて俺の話を聞いてくれよ。
「バイトとかだったらぶち殺すぞ」
『ちげーよ、悪魔に襲撃された。幻術かけられて異空間と空間をリンクされちまった』
異空間とリンク?よくわからないけど……ていうか悪魔に襲撃された?シトリー達も!?じゃあマンションにも悪魔が来てるってことか!?
本気で俺たちを潰すつもりだ。同時に二体以上の悪魔が仕掛けてくるなんて……
『多分狙いはお前だ。俺達はその足止め喰らっちまった。張本人を倒す以外方法はねえ。お前の所に悪魔が来てないのなら、絶対に外に出るな。すぐに終わらせてそっちに行く』
「そんな……父さんがレラジェの矢を食らったんだよ!足がどんどん腐っていってて、どうすればいいんだよ!」
『マジかよ……拓也たちの所にレラジェがいるらしいぞ。とりあえず足を縛って毒の回りを遅くしろ。どこを射抜かれた?」
パイモン達が来れない事が分かって泣きそうになってしまう。こんなの、俺とストラスだけでどうにかできるとも思わない。あんな訳の分からない空間を走り回ってレラジェを見つけることができるかどうかも。
父さんの毒が全身に回るまで、どのくらいの時間がかかるのか。三十分とかなら絶対に無理だ。
「う……っぐす。脛を矢で……刺さったままでそこから足が変色していってて。変色部位が今は野球ボールくらいの大きさになってる」
『そうか。酷だろうが、その変色域が膝まで行ったら足を切断しろ。それ以上は毒が血流にのって多臓器に回る。止血の面と痛みでのショック死が問題だが、時間がねえ。包丁とかじゃ無理だが、お前の剣なら一刀両断できるだろう」
「え、い、嫌だよ……無理だよ。俺にはできない」
父さんの足を切れだなんて。ここには麻酔もないし、輸血できる道具もない。麻酔もかけずに足を切断なんて、痛みで死んでしまうかもしれない。父さんにそんなことしたくない。
『俺たちもできるだけ早く片をつけてそっちに行く。気をつけろよ、今回は三匹だぞ。お前はむやみに動くな。いいな、そこにいろ』
「三匹!?」
『レラジェ、ダンダリオン、ハルファス……こいつらがタッグ組んで仕掛けてきやがった』
ダンダリオンって……前ストラスが話してた奴だよな?じゃあ少なくとも一匹以上がシトリー達の所にいるんだ。早く倒して助けに来てほしい。こんなことをしている間にも父さんの毒は回っているんだ。外部に助けを求められないだろうか。光太郎や中谷が玄関を開けてくれたら、外から中に入る分には普通の空間なのかもしれない。
いや、駄目だ。万が一もあるし、そんな危険なことをさせられない。
シトリーから毒の状態を逐一連絡しろと言われて電話を切られ、家族は助けが来てくれるのかと縋るような目で見ている。これを、どう説明すればいいんだろうか。
「あっちも、悪魔が襲撃してきてて……助けに来れないって」
「そんな……」
母さんの悲痛な声に涙が出そうだ。言うべきなんだろうか、父さんの足の切断のことを。俺一人では抱えきれない。ストラスには言わないと、判断を間違ってしまう。
全身から血の気が引いていき、顔色の悪い俺をストラスが心配そうにのぞき込む。
「と、父さんの毒……変色が膝まで行ったら、足を……切断しないと、いけないって」
その言葉に室内が静まり返った。父さんは苦しそうに顔をゆがめ、母さんは言葉にできないのか泣きながら首を横に振る。この毒のめぐりがどこまで早いかは分からないけど、一時間もかからないと思う。その間に、なんとかしないといけないのだろう。
直哉が泣き出して父さんにしがみつき、泣きながら母さんが矢を抜こうとしたが、ストラスが慌てて止めた。
『いけません。矢を抜けば出血がさらにひどくなる。止血ができる環境下でしなければ、それが致命傷になりますよ』
「じゃあ、どうすればいいのよ!!」
「毒の巡りを遅くするために強く足を縛って血流の流れを阻害しましょう。急いでください』
母さんが泣きながらタオルやゴム、紐などをリビングにあるありったけの量を持ってきて足を縛っている。この光景を黙って見ているしかないのか、泣き寝入りをしないといけないのか。シトリー達が間に合う保証なんてどこにもないのに。
嗚咽が支配する空間で、黙っていた澪がリビングに置かれているクイックルワイパーを手に持ってこっちに歩いてきた。
「拓也、行こう」
「澪、それ」
「もしもの時はこれで叩くの。急がないとおじさんが危ないよ」
澪はレラジェを追いかけるつもりなのか!?
「危険だよ。あいつ、あんな弓持ってるやつなんだぞ!」
「ここで助けを待ってても、おじさんは助からない。パイモンさんたちが来れないんでしょう。なら、あたしたちが何とかしないと」
『……そうですね。レラジェの毒はめぐりが早い。急がなければいけない、悠長に助けを求めている場合ではない。拓也、父上は母上と直哉に任せましょう。私達は一刻も早くレラジェを捕まえなければ』
澪の方が格好良くて、俺の方が情けない。涙を拭って頷く。怖いけど、父さんを助けられるのは俺達だけだ、なら戦わないといけない。俺は立ち上がって父さんを抱きしめている母さんの前にしゃがむ。
「母さん、俺行ってくる。こっから動かないで」
「拓也……」
「絶対に父さんは助けてみせる」
母さんにそう告げ、俺は澪の手を握り、レラジェが出ていったリビングのドアに手をかけた。
***
レラジェside ―
『うひゃひゃ、馬鹿な奴。馬鹿正直に扉に入っちまってさ』
そこから先は数十万の世界が繋がった扉。帰ることは不可能に等しい。数十万の世界から俺を見つける事が出来るかな?見つけられたとしても元の世界に戻ってこれるかな?無力な人間がどこまでやれるか……それを見るのは実に楽しい。これだからやめられないよ。
『悪いね。賭けはきっと俺の勝ちだ』
心配すんなよザガン、仇はちゃんと取ってあげるからさ。後はダンダリオン様とハルファスが裏切り者を始末してお終いだな。さぁて高みの見物としますかねぇ。継承者が俺の元まで辿りつけるかをね。
***
光太郎side ―
「中谷!」
拓也の家の前には中谷が待機してた。
理由は簡単、シトリーから連絡が来たから。拓也がやばいって。
「お、広瀬!おせーよ!」
「拓也の家ヤバいんだって?」
外からは何が起きてるか分からない。
でも窓から覗いて見ても中が真っ暗で何も見えないのは確かにおかしい。
「玄関の鍵閉まってるよ。窓から入るしか」
「この中、何が待ってんだろうな」
「さあな。でも行くしかないだろ」
中谷の言葉に俺は頷く。俺たちも頑張らないと、拓也一人で皆を守るのはきっとすげえ難しいはずだ。役に立たないかもしんねえけど、それでも行くしかない。
「窓は後で謝って弁償するしかないよな」
中谷はそう呟いて窓ガラスをバットでかち割った。室内は真っ暗で何も見えない。
俺達はお互い頷き合って、窓から拓也の家に入った。
待ってろよ拓也!




