第116話 厳しい現実
光太郎side ―
「光太郎、おめーはよく頑張ったぜ」
シトリーはそう言ってくれたけど、やっぱり駄目なのかもしれない。自分はできないのかもしれない。だって思い出せば今も手が震えるし悲鳴を上げたくなる。あの時の俺は何も、何もできなかったけど……
116 厳しい現実
教室に入って鞄を机に置いて席に着く。拓也はまだ来てない、今は顔をあわせたくないからちょうど良かった。教室は相変わらず賑やかで、友達に話しかけられて少しだけ気分が軽くなる。でも話している間にもふとした瞬間にあの映像が脳裏によぎり我に返る。あの光景を忘れるなんてできない、それほど衝撃的だったから。
エンリコの脳みそが見えて、血が噴水のように噴き出していた。銃を突きつけられるのも、頭に剣刺されて死んでいる奴を見るのも初めてで、あんな衝撃的な光景をたった一日でないものにできるはずがなくて……駄目だ、吐き気がする。
考えるな ― あの時の光景を頑張って頭の隅に追いやって、今日一日憂鬱なまま学校生活を送った。
「中谷」
放課後、皆が教室を出ていっている中、部活に行くのであろう中谷に声をかけた。中谷はスポーツバッグを肩にかけながら笑顔を向ける。それが今の俺には不思議でならない。
拓也は普段と変わらなかった。あの光景を一日で忘れてしまうくらい慣れてしまっているのだろうか。親友が、他人の死を恐れないような存在になっているかもしれないと頭によぎり必死で否定する。拓也が誰よりも優しくていい奴だと分かっているのに、なぜそんな最低なことを思ってしまったのか。
「その、お前は平気なのか?こないだの……」
「全然、そんな訳ないだろ」
あっけらかんと答えているけれど、中谷の表情は笑っている。どうしてそんなに笑っていられるんだ?思い出さないのか?あの時の光景を。
「章吾ー早く行こうぜー」
野球部の奴が教室に呼びにきて、中谷はそれに頷き背を向ける。続きを聞きたいけど、それ以上聞くことができなくて唇を噛んだ俺に中谷が振り返った。
「広瀬、今日マンション行く?俺ミーティングだけなんだ。寄るつもりなんだけど」
拓也は今日はマンションに行かないと言っていた。直哉君が欲しがっていた新作のゲームを一緒にするんだとか言っていた。だから、あいつを抜きで話ができるチャンスなのかもしれない。
「先行ってる」
「了解」
中谷は俺に手を振って野球部の奴と部活に行った。
***
「あ、光太郎だ。やっほー」
マンションに行った俺を出迎えたのはヴォラクだった。あんなことがあった翌日だと言うのに、いつもと変わらない明るい声に、昨日の出来事が夢だったんじゃないかと錯覚をしてしまいそうだ。
ヴォラクについて行き通されたリビングにはパイモンとシトリーがいる。セーレがいないのは太陽の家に行っているからと思うけど、ヴアルがいないのはなんでだろう。
「セーレとヴアルは?」
「太陽の家。ヴアルの奴、由愛と仲良くなったから遊びに行ってんだよ。ま、餓鬼同士で通じるものがあるんじゃね?」
「おめーも餓鬼だろ」
「は!?ちげーよ!ハゲ!ブタ!」
ハゲでもないしブタでもないんだけど。というか、その暴言が餓鬼っぽい。
横で騒ぐヴォラクを受け流して、荷物を投げ捨ててソファに埋もれた。パイモンがパソコンに向けていた視線を上げて、こちらを見つめてくる。
「何の用だ?」
「用がなきゃ来ちゃいけない?」
「そうは言ってないだろう」
パイモンがパソコンを閉じて立ち上がる。歓迎されていないのか身構えてしまったけど違うようだ。
「紅茶と緑茶ならあるが」
「緑茶で」
パイモンが準備している間、気まずい空気が流れる。ヴォラクは俺の横にちょこんと座ってテレビを見ているし、シトリーは雑誌を読んでこっちを見向きもしない。中谷も部活終わりに来ると告げても、ヴォラクは喜んでいたけど会話は続かず、普段なら沈黙でも気にしないのに今日は少しだけ気まずい。
そのまま少しだけその状態が続くと肩を叩かれて顔をあげた。視線の先にはシトリーがいて、読んでいた雑誌は閉じられており、もう見る気がないらしい。普段の他人を馬鹿にするような表情はなりを潜め、感情を映さない瞳が全てを見透かしているようで反射的に顔をそらした。
相手は俺の反応にため息をついて雑誌を少々乱暴にテーブルに投げた。
「お前、昨日からずっとそんな感じか」
それが何を意味しているのか分からないはずもなく、上手く返事ができずに無言のままの俺にシトリーは小さい声で「そうだよな……」と呟く。
「流石に刺激強すぎたか。あんなもん、お前に見せたくはなかったんだけどよ」
「別に、責めてるわけじゃないよ。けど、やっぱり衝撃だったから」
「これからもこんなの続くと思うぞ。契約者が抵抗すれば、相手との争いは避けられねえんだからよ。俺と契約してるくらいだ、拓也を見捨てるって選択肢はお前にないだろ」
そんなの当たり前だ。拓也を見捨てようなんて思うはずがない。でも、あの光景を引きずっている俺をシトリーは戦力外だと思っているのかもしれない。
確かにそうだろう、これからこんなことが何度も起こって、そのたびにこんなに落ち込んでいたらキリがないだろう。俺は安全な場所にいて戦うのはシトリー達で、そのくせ落ち込むだけは一人前なんて足手まといもいい所だ。
そんな俺にシトリーは頭を掻いて呟く。
「考えてたんだけどよ……お前には無理だと思うよ。これ以上傷つきたくないのなら、契約破棄を視野に入れた方がいい」
今なんて?契約止める?シトリーからの急で思いもよらない言葉に俺だけじゃない、ヴォラクもビックリしてる。でもシトリーは何かを諦めた顔をしていた。もしかして、俺は見捨てられてしまったんだろうか。
「無理に傷つく道を選ぶ必要はない。お前は悪魔がこの世界にいて、拓也が危険な目に遭っている。それだけ認識しとけばあいつを支えることもできるだろ。それでいいんじゃねえか?無理についてこなくても、危ないことに足を突っ込む必要なんてない」
「何だよそれ……俺が、役に立たないからかよ。だから俺を見捨てるの?」
「そうじゃねえ。でもこれからもこういう光景を何回も目にするようになる。耐えられないなら無理しない方がいい。一生のトラウマになるぞ。それこそ、全てが終わっても普通の生活が送れなくなるかもしれない」
シトリーの言ってることは正しい。正しいけど……だけどそれじゃ俺は何のために……結局、拓也を助けることができないじゃないか!
契約を破棄したら、これから先、例えば他の契約者が悪魔に殺されて人生を奪われたときに、俺はその他大勢の人間たちと同じように契約者のことを忘れてしまうんだろ!?それでどうやって拓也を支えられるんだよ!向こうだって記憶がない俺に一から説明しようと思うわけがない、優しいあいつのことだ。ため込むに決まっている。
「じゃあ何のために今まで頑張って来たんだよ!」
稽古だって真面目にしたし、怖いけど悪魔と戦ったりもした。
なのに、なのにこんな……見捨てるようなことを言われるなんて。
「急に止めるとか……マジでねーだろっ!」
パイモンが緑茶をテーブルの上に置いてソファに腰掛けた。顔を下げてるから見えないけど、皆がどんな顔をしてるのかは想像できる。ヴォラクはオロオロしてるしパイモンは呆れた顔をしてるだろう。そんでシトリーはきっと困った顔をしてると思う。
「光太郎」
パイモンに話しかけられても顔を上げる事は出来ない。これから先の言葉を聞くことが怖い、合理的なパイモンのことだ。シトリーの意見に賛同するだろう。俺みたいな足手まといがいない方がいいって思っているに決まっている。
聞きたくなくて顔をそらしたけど、相手はそれを気にせずパソコンでキーボードをタップしながら淡々と告げた。
「俺も同じ考えだ。今のお前にこれ以上期待はできない。主もそんな状態のお前には気を遣う。その状況が続くなら正直に言うがいなくなってほしい。酷いことを言っている自覚はある。だが、元々お前や中谷には一定水準の倫理観や道徳が身についていて周りの環境にも恵まれている。これから先もこのような不条理な戦いや死体、悲惨な契約者たちを見ることは避けて通れない。その度にそのような状態だと、最終的につぶれるのはお前だぞ」
「耐えれる……耐えれるよ!」
「……シトリーは、お前を普通の人間に戻したいと考えている。それでもか?」
普通の人間って何?俺が普通じゃないって言いたいのか?悪魔と契約するのは倫理観のない奴じゃないと耐えられないって言いたいのかよ!
でも俺の頭に手を置いたシトリーの仕草があまりにも優しくて、言い返せない自分が情けなくて悔しくて歯を食いしばっても耐えきれない涙が零れた。
「俺は、拓也たちと……」
「お前がそんなに泣くのは俺が辛いよ。光太郎、俺はお前の悪魔なんだよ。お前らは何か勘違いしてて俺たちは拓也が一番大事って思ってるだろ。それは違うんだよ、俺にとってはお前以上に大事な奴はいないんだよ。それはヴォラクも同じだ、あいつも中谷以上に大切な奴はいない。だから俺は今のお前を見るのが辛い。契約者であるお前が苦しんでいるのを黙って見ていたくないんだよ。俺の励ましなんてお前には何の意味もないんだろ。なら、お前はどうやったら立ち直れるんだ?そうなったら、全て忘れて普通の生活に戻るのが一番だろ」
どの道を選んでも後悔するのは分かっている。今逃げても後悔するし、続けても後悔する。自分で逃げる道を選びたくなくて、半ば意地になってて、どうしていいのか分からないんだ。でも、シトリーの言葉が心に刺さって、いつもはふざけてたこいつが本当に苦しそうに俺の気持ちを共感していて、こいつと離れるのも辛いなんて思って……思考がぐちゃぐちゃだ。
泣いて返事ができない俺に隣に座っていたヴォラクが小さな声でつぶやく。
「光太郎の痛いの、目に見えないね」
子供らしい表現だけど、その単純な言葉が全てだ。俺の胸の痛みは俺にしか分からなくて共感してくれていたとしても俺の深層心理まで分かってくれているかと聞かれたら、きっと違うだろう。
この見えない痛みをどう取り除けばいいの変わらなくて、迷惑かけて泣いてばかりだ。
「光太郎の好きにすればいいよ。俺もシトリーと同じで拓也も光太郎も大事だけど、中谷が一番大事だからさ、中谷がそうやって泣くと俺も苦しい。だから、シトリーの気持ちもわかってあげてよ。本当に悩んでたんだよ。逃げるのは悪い事じゃないよ、拓也が逃げられないからって理由で自分の逃げ道を潰す必要はない。光太郎、幸せになりなよ。俺達、光太郎が幸せならそれでいいんだよ」
「俺は契約止めたいなんて一度も思ったことないし……」
そうだ、思った事はない。
きついと思った事はある。怖いと思った事はある。でも止めたいとは一度も思わない。拓也がいるからという理由ももちろんあるけど、それだけじゃない。
「俺は、何もできない、けど……自分を嫌いに、なりたくない!」
「光太郎……」
「ここで逃げても、きっと幸せになれない。シトリーが死んだら、それこそ不幸だ。一生引きずる。拓也は俺を怒らないだろうけど、きっと逃げたって思う。そう思われるのも怖いし、最後の審判のことも知っていて、普通に生活できるわけがない。今ここで逃げたら、俺は絶対に自分を許せない。危険なときに自分可愛さで他を捨てた最低な人間って思ってしまう。お前らがそう思わなくても俺がそう思うんだ。だから、逃げたくない!苦しくても、ここにいたい!」
ぐちゃぐちゃだけど、自分の本音を三人にぶちまける。シトリーの手が止まったことが怖かった。自分勝手な理由だと思われたのかもしれない。お前の理由なんて知らねーよって思われたのかも。
もう、これ以上は三人の判断なのかもしれない。俺がいくら泣いても、不要だと思われたら切られるだろう。これから先の言葉が、怖い。しかしその恐怖は乱暴に撫でられた頭と髪の毛の隙間から見えた相手の表情で吹き飛んだ。
「しょうもねえ見栄かよ。格好つけてても餓鬼だなお前は。周囲の目を気にしすぎだよ」
そう言って笑うシトリーはどこか嬉しそうだった。
「俺が死んだら不幸なのか。じゃあ俺絶対死ねねーな。熱烈なラブコールもらったぜ」
「お陰で俺はお前を斬り殺す機会を失ってしまった。余計なことを言うものだ」
「お前、マジで俺のこと嫌いだよな」
パイモンとシトリーの会話を黙って聞いていたけど、頬を掴まれて顔を無理やり上げらされ、不快感に眉をしかめると、相手は歯を見せて笑っている。
「まあ、頑固者のお前に付き合ってやるよ。苦しいなら泣け。ただ、これだけは覚えとけ。お前が幸せなら俺も幸せで、お前が不幸なら俺も不幸だ。お前と俺は一蓮托生なんだよ。だから、少しくらい辛くても笑え。でも本当に駄目になりそうなら俺に言え。その時は二人でどっか遠くに気ままな旅でもするか。全部忘れてからまた再始動しようや」
それも少し楽しそうだなと思ってしまい笑った俺に、その場の空気が柔らかくなる。パイモンも小さく笑い「案外楽しそうだ。出発地点まではセーレに送迎させてやるぞ」とノッてくれて、ヴォラクからは「手紙ちょーだいね」と揶揄われた。
「ったく……世話の焼けるガキだな」
「うっせぇクソじじい」
結局、事はうやむやになってしまったけど乗りかかった船、いざ止めるかと聞かれると戸惑ってしまい、一丁前に使命感なんて感じてるんだなと思ってしまった。
その後、中谷がマンションに来て話し合いになった。ヴォラクは中谷にずっとくっついて話を聞いていたし、パイモンの言葉は俺と中谷の心に深く染み込んでいった。
「無理強いをするつもりはない。俺たちがお前たちのサポートをどこまでできるかも分からない。ただ、妙な正義感は持つな。それはきっとお前たちの枷になって動けなくなるだろう。逃げることは恥ではない、これだけは覚えておけ」
妙な正義感、か。俺は別にエンリコを助けたいとか思っていたわけではない。それでも相手を殺さずに話し合いとかで解決できるか、悪魔だけを倒せるんじゃないかとか、そんな甘い考えを持っていたことは確かだ。
これからもこういうことは起こるんだろう。救えない契約者は必ず出てくる。現に拓也は既に数人の契約者を救えなかったと言っていたんだ。自分がまた同じような現場を見る日は近いのかもしれない。それが怖いと言ったら嘘になる。
しかし黙って聞いていた中谷があっけらかんと自分の考えを言い放ち、俺の悩みを全て吹き飛ばしていった。
「難しい話はいいよ。俺は正直、昨日の死体を気にしてるよ。ザガンの時よりはマシだけど……って言い方もどうなのかな。ただ、逃げるとかそういうのって違うと思うんだよ。俺は無関係な人間でいたくないんだ、だって審判が起こるんだろ。しかも数千年とか数百年とかそんな先の話じゃないってなったらさ、俺が生きてるときに起こる可能性大なんだろ。俺はただ自分が生きてる間は審判が起こらないでほしいんだよ。その為なら何でもするし。それだけだよ」
中谷は本当にまっすぐで、俺みたいにとやかく考えてウジウジしない。
「お前らしいな」
パイモンが笑って中谷を見つめる。その表情は優しげだ。
「だって普通そうだろ。ただ審判の事を俺達しか知らないだけで、皆知ってたら皆止めようとするはずじゃん。だから俺は普通なんだよ」
よくわからないけど、本当にどっからそんな根拠が出てくんだか。だけど中谷がそう言うとなんだか安心する。隣にひっついていたヴォラクも嬉しそうに笑う。
「中谷は普通じゃないよ。馬鹿だもん!」
「てめえ!この!!」
二人のじゃれあいを見て、少しだけ心が軽くなった。あの光景を忘れることなんてできないけど、少しずつ消化をしていくしかないんだ。
「シトリー」
「ん?」
「さんきゅ。もう大丈夫」
「そっか」
一時じゃれあったヴォラクと中谷が今度は飯食いに行こうと俺たちに提案し、珍しくパイモンがそれに乗っかった。中谷とヴォラクが意気揚揚とマンションを出ていった後を俺とパイモンとシトリーが追いかける。俺は何だか気恥しくなって急いで中谷を走って追いかけた。




