第108話 虐待
「やっべ!やっぱ大阪楽しいな!!」
この日のために持ってきた大阪のガイドブックを見ながら、明日行く場所を探す。一日中遊びまわって夕食を食べている俺の目の前の沢山の串揚げはガイドブックに載っているお勧めレストランの一つだ。予約できなかったため一時間以上並んだけど、それに見合うだけの価値がある美味しさだ!
さて、明日はどこに行こうかな?
108 虐待
「うへえ~これ辛い!拓也あげる」
ヴォラクは水をグイッと飲んで、注文していたキムチをこっちによこしてくる。どうやらお子様舌のヴォラクには辛すぎたようで、皿ごと俺の前に移動してくる。
「えーお前が食いたいって言うから頼んだんじゃんかー」
「だってこれ色が赤いから甘いかと思ったんだよ。リンゴやイチゴも赤いけど甘いだろ?」
「果物以外の赤いものは大概辛いんだよ。覚えとけよ」
ぶすくれたヴォラクに光太郎は串揚げを食いながらも苦笑いだ。でも串揚げは気に入ったのかバクバク色んなものを食っている。あまりの食べっぷりにシトリーが食べ放題でよかったと漏らすほどだ。ここはシトリーが奢ってくれるということだったので、遠慮なくそれに甘えている。結構こいつは普段からも光太郎と飯を食いに行っていて、どうやら毎回奢っているようだ。案外世話焼きなのかもしれない。
俺は旅行ガイドを見ながらにやける口角を引き締める。明日はなんたって俺が最も行きたい所に行くんだからな!気合も入るってもんだ。
「やべー明日のUSJちょー楽しみ!ジェットコースターは制覇したい!ヴォラクー楽しみにしとけよ!!USJは楽しいぞー!」
「マジで!?」
「マジでマジで!!」
俺たち二人が盛り上がってるのをシトリーが少しだけ冷めた眼で見ていた。
「やだよレジャーランドとか。あんな人の混むとこなんて……俺だけ別行動でいい?」
シトリーの冷めた発言に俺とヴォラクは目を丸くした。こいつは行った事もないくせに駄々こねやがって。お祭り好きで派手好きなこいつなら行ったら絶対にテンション上がるだろうに。知った風な口をきくシトリーに少し突っ込んだ。
「何言ってんだよ。行ったこともないくせに」
「あるし、ディズニーランドにな。人は多いし、ヴォラクとヴアルの土産探しで大変だし、セーレからは孤児院のガキが誕生日だからってプレゼント頼まれるし……災難だ。てかなんでお前知らねえんだよ。お前にも土産買っただろ」
「え?土産?あ、もしかして光太郎がくれたミッキーのキャラメル!?あれシトリーだったのか!?てっきり光太郎からだと……」
「俺言ったじゃんシトリーからって……渡しといてって頼まれたんだよ」
「ふざけんなてめえ!金返せ!あんなキャラメルでも700円したんだぞ!」
そういえば光太郎がキャラメルくれたな……あんまり話聞いてなかったからだ。マジで悪いことした……俺お土産もらっといて会った時にお礼も言わない奴になってたってことか!?でもシトリーの奴、よく今まで言わなかったな。俺だったらお礼言えって言っちゃいそう。しかしバイトの友達と行ったんだろうけど、こいつ意外とバイト仲間とよくどっかに行ってるな。でも確かにヴォラクの枕がプーさんのクッションになってたし、ヴアルもティンカーベルのヘアピンとミニーのネックレス持ってた気が……
シトリーの話を聞いて、思い出したようにヴォラクが顔を上げた。
「ディズニーのね!エレクトリカルパレードがシトリーいわく凄いんだって!」
シトリーもエレクトリカルパレードは面白かったのか途端に表情が華やぐ。
「おう!あれはマジで一回は見とくべきだな!ピカピカしててすげかったぞ!今度平日に連れてってやるよ!」
行きたくないとか言ってたくせに、ヴォラクが目を輝かせて言うと、すぐに連れていく発言をしたシトリーに本当に!?と言うヴォラクの表情は華やいでいる。やっぱシトリーってなんだかんだ言って面倒見いいんだよなー。
飯を食った後、俺たちはまた少し梅田をぐるりと回ってホテルに戻ることにした。
***
「あーこのホテルいいね。綺麗だし、街に近いし」
梅田を回りつくして、ホテルに戻った俺はベッドにボフッと横になってゴロゴロ転がった。ふかふかのベッドはとても気持ちいい。ホテルの部屋はツインが二つだ。という訳で俺と光太郎、シトリーとヴォラクに分かれている。隣の部屋で何をしてるか知らないが、多分ヴォラクもベッドでゴロゴロ転がってそうだ。
「拓也、喉渇いたからコンビニいかね?」
「おー行く行く」
光太郎がベッドから行きあがり、財布と鍵を手に持つ。前にコンビニがあるため、ついでに何かお菓子でも買うかーと雑談をしながら部屋を出る準備をする。
母さんにホテルに着いたという文章と今日撮った写真を一枚送信して、俺も財布を持って光太郎の後を付いていった。
「いやーしかしこのホテルすげーな……俺もう二度とこんなすげーホテルに泊まる日なんて来ない気がするわ」
「大げさだなぁ」
いやいや、お前が凄すぎるだけだからね……これだから金持ちの感覚はすごい。一泊いくらするんだと聞いたけど、光太郎ははぐらかして教えてくれない。多分その時点ですごい値段なんだろう。
光太郎と軽く談笑しながら、エレベーターまで向かう。
「いい加減にしなさい!」
廊下に響き渡ったヒステリックな声。この声って聞き覚えが……
少しだけ気になって角から覗き込むと、そこには今朝俺にぶつかって大喧嘩してた女の子とその母親が立っていた。女の子は腕を強く掴まれて少し痛そうだ、また何かやらかしたのだろうか?
部屋まで我慢すればいいのに、母親は恥ずかしくないのか、廊下で大声を出す。
「貴方は……どうしてままとの約束を何で守れないの?いい子にするといったでしょ!ここまで来てこんな大恥かいて……続きは部屋で話しましょう。来なさい!!」
「やだやだ!痛い痛い!」
「うわ、あの親子だ」
同じ階なのかよ……と光太郎が少しげんなりした様子で呟いた。確かに嬉しくはないニュースだ。あんなうるさい親子が万が一隣の部屋だったら、夜中騒がれるかもしれないし迷惑だな。
女の子は腕を掴まれて引きずられてる状態で痛そうな顔をしている。でも泣き叫んでも逆効果なのか、母親の表情もイラついている。またあの子が何かしたんだろうけど、何であそこまで怒る必要があるんだよ。エレベーターはその先にあるため、中々俺と光太郎は出るタイミングが分からず、その間にも言い合いはヒートアップしていく。
「優里、自分の足で歩きなさい!」
「うああぁぁあん!」
「泣くんじゃない!みっともない!!」
泣き止まない女の子に母親が手を上げる。また……何でそんなにすぐ手を挙げるんだよっ!可哀想じゃねえか!女の子は痛さからか、更に大粒の涙をボロボロ流し、その場にうずくまろうとするが、それを母親が無理やり引っ張っていく。
どうしよう。すっげー出にくい……ってかその先にエレベーターがあるんですけど。完全に出て行く機会を逃した俺たちは、不審者よろしくその場に顔を覗かせていた。なんで自分たちの部屋まで我慢できないかな。
「ままは貴方の為を思っているのに……貴方は何でままの気持ちを汲み取ってくれないの!いつもいつも自分ばかりを優先させて……そんな我儘もう通用しないのよ!」
「ひっく……うあああぁぁん!」
女の子は手をブンブン振って、何とか母親が握る腕を放そうとするが、それが癇に障ったらしく、握りしめる手はどんどん強くなっていっている。
「優里……っこの期に及んで、まだままに反抗するの!?」
「もうヤダ、ヤダー!!ママなんて嫌い!」
女の子の一言で母親の目が見開かれる。母親は女の子の腕を乱暴に放し、優里ちゃんを突き飛ばした。小さく悲鳴を上げた女の子を母親は黙って見下ろす。さっきまで癇癪を起していたのに、何も言わない空気が何だか怖い。しかし母親は拳を強く握りしめ、震える唇で女の子に言い放った。
「何が嫌いよ。何でも許されると思って……私がどんな気持ちでいるかも知らないで勝手な事ばかり……ままだってね、あんたみたいな子、大嫌いなのよ!!」
女の子は泣いていたのもピタリと止まり、ただ母親に目を向けていた。完全に目を見開いたままの女の子に追い打ちをかけるように、母親は更に女の子に今まで耐えてきた部分を露呈していく。
「ままがあんたのせいでどれだけ恥をかいてきたかわからないの!?有名な小学校に入っても、友達一人できないで成績も悪くて……通知表には協調性がありません。とまで書かれてたのよ!?おまけに苛めにまで遭って転校して、転校先でも同じで!あんたのお兄ちゃんは手の掛からないいい子なのに……なんであんたはそうなのよ!?」
「ひっ……!」
「家の跡継ぎにもならないし、あんたなんて産むんじゃなかったわ!ずっとそこでそうしてなさい!」
母親は言いたい事だけ言って、女の子をその場に残して、さっさとこっちに歩いてくる。
このままじゃ俺ら盗み聞きしたってばれちまう!
「え……やべえ!」
「拓也!逃げよう!」
「どこに!」
ヒソヒソ話をしている俺たちの目の前を何事もなかったかの様に、母親が通り過ぎていく。俺たちに見られて、恥ずかしいとか申し訳ないとか、そういった挨拶も会釈も一切なしで足早に去っていったが、母親の顔が見えて驚いて固まってしまった。
「行っちまった……拓也?」
何であんな悲しそうな顔をしてたんだ?すっげー泣きそうで、悲しそうな顔を……
何も言えずに母親が歩いて行った先を見つめていたら、光太郎の言葉で現実に戻された。
「なぁ拓也、あの子どうすんの?」
「え?」
光太郎が指差した先には優里ちゃんの姿。置いて行かれた女の子はその場で蹲って泣いており、動く気配はない。そのまま横を素通りするのも気が引けて、どうしていいかわからず立ちすくむ。
「どうするって……どうしようもないじゃん」
「俺らの部屋に連れてく?」
「でもお母さんがすぐ来るかもだろ。そしたらいなくなってましたーって事件になったらどうすんだよ」
「えー?そんなすぐ来るかな。あのおばさん」
光太郎は思い出したのか、顔をしかめている。確かにそうかもしれないけど……俺達がグダグダしている間に女の子はグスグス泣きながら立ち上がり、ゆっくり歩いてきて俺たちをジッと見上げ、そのまま沈黙。
やばい!なんて言えばいいんだ!?
「あの……腫れてるけど大丈夫?」
空気に耐えかねて光太郎がしゃがんで優里ちゃんに話しかけると、殴られた頬をさすって優里ちゃんは頷いた。
「大丈夫。少し痛いけど……」
「俺らの部屋来る?水で冷やさないともっと腫れるよ」
その言葉に相手が頷いたのを見て、光太郎が背中を押した。おいおい、連れて帰る気かよ。母親が戻ってきたときに、この子がいないってなったら誘拐事件みたいに扱われるかもしれないぞ。母親のいる部屋に連れていくならともかく、俺達の部屋に連れて行くなんて……
「光太郎」
「大丈夫。冷やしたらすぐに帰すよ」
それなら……まあ正直ほっとくのも気まずいしな……俺と光太郎は優里ちゃんを連れて、自分たちの部屋に戻った。
***
「はい」
光太郎が水で湿らせたタオルを女の子、優里ちゃんに手渡すと、お礼も言わずに無言でそれを受け取り、タオルを頬につける。まだ短い時間しか一緒にいないが、既に顔をしかめるような行動を何度かしている少女にしかめっ面をしている俺とは正反対で光太郎が気にしている節はない。
俺的には光太郎がここまでしてあげてるのに礼の一つもないことに不愉快になってしまうのは自分の心が狭いからなのか?なんかこの子、少しおかしな子だな。態度でかいって言うか……俺たちの部屋に入るの時も何も言わなかったし……ベッドに当たり前のように靴履いたまま腰掛けるし、靴でベッド踏もうとするし……それはさすがに光太郎が止めたけど。
見た目が可愛らしい子供なだけ許してしまいそうになるが、やってることは結構ずうずうしい。あの母親が怒る気持ちが少しわかったような気がする。
「優里ちゃん、冷やしたら部屋まで送ってくよ」
光太郎が隣に腰掛けて優里ちゃんに話しかけるも、優里ちゃんは首を横に振る。戻りたくないと言う意思表示に、気持ちは分かるけど、いつまでもこの部屋においてはおけないことを説明するも弱弱しく首を横に振り続ける。
「ままは怖い。だから嫌」
「嫌って……」
「ままは急に怖くなった。数ヶ月前から急に……きっと優里が悪いよ。だけど叩くなんてしなかったのに……きっと化け物がままに取り憑いたんだ」
「取り憑いた?」
おかしな言葉に俺は思わず反応してしまった。
「数ヶ月前、ままが寝室で化け物と話してたの。優里怖くなって逃げちゃったけど……それからままは変わった。ぱぱもお兄ちゃんも信じてくれない」
……それって!まさかこんな形で悪魔なんてことある??
光太郎もわかったのか、小さく頷く。まさか旅行にまで来て遭遇してしまうとは……
「拓也、シトリー呼んできた方が……」
「そうする」
優里ちゃんを光太郎に任せて、俺は隣の部屋に向かった。
「シトリー、ヴォラク!あーけーろー」
「インターホン鳴らせ、この馬鹿が!」
部屋のドアをドンドン叩いていたらシトリーに怒られた。俺はそれを無視して部屋に入り、ドアを閉めた。オートロックのドアは再び鍵が掛かる。案の定、ヴォラクはベッドでゴロゴロ転がりながらテレビを見ており、シトリーは携帯をいじっていた手を止めて、俺に振り返る。
「何なんだよお前。急に」
「あのさ、今日俺にぶつかってきた女の子のお母さんいたじゃん」
「あの親子か」
「うん、あのお母さんが悪魔と契約してるんじゃないかって……」
「はぁ!?」
シトリーの大声が耳に入ったのか、俺が入った事も無視してテレビを見ていたヴォラクが振り返る。なぜそのような状況になったのか全く分からないシトリーは説明を求めているけど、上手く説明できない。
俺だって突然のことで理解が追い付いてないんだ。
とりあえず自分にわかる範囲で、あの女の子に聞いたことを全て説明した。化け物と話していたこと、それを目撃してから母親の態度がおかしくなったこと、暴力を振るうようになってきたこと。
シトリーとヴォラクは神妙そうな顔をして聞いていた。
「とりあえず、その女の子のとこに行きたいな」
「今俺の部屋に居るんだ」
「なんでお前の部屋にいるんだよ」
「あの子のお母さんが、あの子を放って部屋に帰っちゃって……まあ匿ってんの」
シトリーとヴォラクを連れて俺は自分の部屋に向かった。カードを差し込んで部屋の鍵を開けて部屋の中に入ると、優里ちゃんが光太郎と話していた。
「優里ちゃん。お母さんはなんて言ってたの?」
「ままは知らないって。優里はやっぱり頭がおかしいんだって……でも見間違いじゃない!あれは化け物だった!」
「お、落ち着いて」
「光太郎」
俺が戻ってきたことに光太郎は安堵の息をついて、後はこっちに任せるように立ちあがる。それを見て、シトリーとヴォラクが変わるように優里ちゃんの前に立った。優里ちゃんは見知らぬ男と子供に見下ろされ、所在なさそうにしているが光太郎が大丈夫だよと告げると頷いて大人しくしている。
「何か聞けたのか?」
「ある程度は。後は悪魔の容姿を聞くだけなんだけど……化け物としか言わなくて……」
「化け物ねぇ……」
それだけじゃ分からない。どんな悪魔なのか、もしかしたら悪魔じゃないのかもしれないし、特徴を教えてくれないと困る。シトリーが頭をボリボリ掻いて、優里ちゃんの前に膝をついた。
「おめーもっと具体的に説明しろや」
「シトリー!」
「任せとけ」
光太郎が慌ててシトリーに声をかけるが、シトリーは手をヒラヒラ振って優里ちゃんを問い詰めていく。
「大丈夫だって光太郎。いざって時はシトリーの力使って吐かせりゃいいんだからさ」
いやヴォラク、そこは平和的に行こうよ。光太郎はため息をついて様子を見ることにしたらしい、ベッドに腰掛けた。優里ちゃんはシトリーの目をじっと見つめる。
「……優里が見たのは化け物だったの」
「だからその形を聞いてんだ。おめーの想像する化け物と俺の想像する化け物はちげーだろ。見た目を細かく言え」
「だから化け物、化け物なの!」
「あーもー言葉通じねえなぁ。もっとあんだろ。耳が尖ってたーとか、尻尾生えてたーとか」
「そんなの思い出せないよ……」
優里ちゃんが弱弱しく呟く。相手はこれしか言わず、シトリーも諦めたように母親に直接問いかけた方が早いかもしれないと言っている。シトリーの力を使えば、確かにそれもできるのか?違ってたとしてもシトリーが力を使っていれば、何とかなるんだろうし。
「優里、怖くなって逃げちゃったから、そんなのハッキリなんて……でも、頭が三つ……三つあったの!それで何かに乗ってた!」
「頭が三つ、何かに乗ってた……頭が三つ……あー、それは人の姿をしてたか?」
「わかんないよ。でも腕とかはあったと思う……」
シトリーは何かを感づいたのか、考え込んでいた顔を上げた。
「わかったのか?」
「多分。ヴォラク、お前はどうだと思う?」
「三匹……ね。でも人の姿って言うのなら二匹か」
何か難しい話してるぞ。でも二人的には大分的が絞れてきたようだ。二匹まで絞れているんならあともう少しか?シトリーは再び優里ちゃんに問いかけた。
「お前の周りで、火災とかは起きてねぇか?」
「火災?」
「火事のことだ。誰かが焼け死んだとかは?家が燃えたとか」
「そんなのないよ」
「そっか。よし……」
シトリーは優里ちゃんと同じ目線にするためにしゃがんでいた腰を上げた。悪魔が特定できたんだろうか。二人は納得したように頷きあう。多分お互いに予想した悪魔は同じっぽい。
「シトリー?」
「待ってろ。ヴォラク、今度はどうだと思う?」
「一緒じゃないの多分ね……火関係の事件が起きてなく、人の形で頭が三つ。考えるのは一匹しかないでしょ」
「やっぱりな」
何なんだよ。俺にもわかるように話せよ。答え合わせをしたシトリーはヴォラクと自分の答えが同じだったことに確信を得て、俺たちに振り返った。
「拓也、光太郎、今回の悪魔はおそらくバラムだ」
「バラム?」
「ああ。雄牛、人、尾羊の三つの頭を持ってて、腰に蛇尾が付いてんだよ。契約者の前に現れる時は、凶暴な大熊に跨って現れる」
何その悪魔!?怖い!!しかも熊に乗ってくるって危険にもほどがある!馬よりはるかに狂暴じゃねえか!
怖がってる俺たちとは対照的にヴォラクはいたってのんびりだ。
「見た目はおっさんの姿なんだけどねー。優里が言ってた三つの頭は多分それでしょ。そんで何かに乗ってたってのも熊のことだろうねぇ」
「他にはどんな悪魔だと思ってたんだ?」
光太郎の問いかけにヴォラクは丁寧に答えてくれた。
「頭を三つ持つのは他にナベリウスとアイムがいるんだよ。ナベリウスは頭を三つもつ鳥だから人の姿じゃないし……だからアイムかバラムなんだよね。アイムは猫、蛇、人の頭を持ち、大蛇に乗って現れる戦闘狂さ。殺戮が大好きな無法者で火を操る。つまり火災事件とかが多いわけ。でもそれが起こってないって事は、多分バラムだろうね」
いっぱいまだいるんだな悪魔って。俺もネットで調べているから何となく名前だけは覚えたけど、どの悪魔がどんな能力を持っているとかまでは覚えていない。とりあえずバラムって奴を俺も調べてみるかな。
「じゃあバラムの能力は?」
「過去と未来の透視。恐らく何らかの形で自分たちの未来でも見たんじゃないの?不利益を被らないために優里に厳しくあたってんのかも」
ヴォラクの言葉に妙に納得がいった。じゃなきゃ自分の娘にあんな酷いことできるはずがない!
それにすれ違った時の悲しそうな表情。あれは、嘘じゃないと思うんだ。本当はあんなことしたくないんじゃないのかな。
「問いただしてみるかな……おい、お前部屋何番だ」
「……1432」
優里ちゃんはポツリと呟き、討ち入り準備に入ったシトリーに俺とヴォラクがついて行く。一応セーレに連絡しておいた方がいいかな。ヴォラクがいるけど、念のために。
「そいつどうすんだ。連れていくか?」
シトリーは優里ちゃんを指差す。確かにこの子をどうしよう、母親の所に返した方がいいのは分かるんだけど、相手が悪魔と契約しているとなったら危険だし……まだここに残しておくしかないだろうな。
「いいよ。俺がいるから」
「光太郎、じゃあ頼むな」
俺たちは光太郎を残して、母親の部屋に向かった。
***
優里side ―
ママの所に怖いお兄ちゃんたちが行って、優里と一緒にいたお兄ちゃんがジュースを買いにいき、少しだけお留守番。お兄ちゃんは優里の分も買ってくれるって言っていた。多分、あの人は優しい人。
あのお兄ちゃん達は優里の言う事を信じてくれた。もしかしたらままを……
ガチャガチャ……
「お兄ちゃん?」
ドアを開けようとする音が聞こえて、思わず問いかけてしまった。どうしてだろう?お兄ちゃんは鍵を持っていってたのに……それに戻ってくるのも早すぎる気がする。自販機が下の階にあるのは知ってるけど、それでも早いと思う。優里は恐る恐る近づいてドアを開けた。
「いない」
ドアの外には誰も立っていなかった。シンと静まる廊下が少し怖くて急いでドアを閉めた。
「何だったんだろう……ひっ!」
ドアを閉めて再びベッドに腰掛けようとして振り返ったら、あの化け物が立っていた。
何で?どうして!?ままと話してたあの化け物が!
「ひっ!きゃ……」
『大声を出せば殺す。何も語るな』
そいつの持っていた斧が、優里の首元に向けられる。恐怖と恐ろしさにもう声も出ない。初めて斧というものを見て、それが自分の首に当てられて目の前がちかちかする。こういう場面ってアニメで見たことあるけど、まさか自分の身に降りかかるなんて思わなくて……声が出ないのに目から涙だけは溢れて、震えが止まらなくて、震えたら斧が首に当たって、怖くて、どうにかなってしまいそう。
『わしはお前に忠告に来ただけじゃ。わしはお前の母親と契約しておる』
ままと契約?何のこと……?契約って何?ままがこんな化け物を飼ってるの?
何が何だか分からない優里に化けものは丁寧に自分の力を話していく。
『わしは未来を見据える力がある。近い将来、お前の母親がお前を殺すであろう』
信じられない事実に目を見開くしかできない。ままが優里を……?
『わしはそれを忠告に来た。あの母親はお前を愛してはいない。お前はただの使い捨ての玩具なのだ』
「おも、ちゃ……」
目から涙が零れた。ままは化け物に取り憑かれてたんじゃない、本当に優里のことが嫌いだったんだ。だからあんなに叩いてくるんだ。優しかったのに……ままのことが大好きだったのに、そう思っていたのは優里だけだったんだ。
『どうするのだ?お前はそれを受け入れて、大人しく殺されるのか?』
化け物はニヤリと笑い、優里に何かを手渡してきた。それは小さいナイフだった。ナイフなんて危ないからと触らせてもらった事すらないのに、受け取れと言われ、恐怖で従うしかない。
小さいナイフなのに手に取った瞬間、ズシリと重くて腕が震えた。
「これ……」
『これをお前に渡しておこう。もしものときは使うがよい』
「ま……待って!」
化け物の姿がだんだん消えて行き、その場に優里は取り残された。
優里はナイフを慌てて鞄の中に入れていると、お兄ちゃんがジュースを持って帰ってきた。
「ごめんなー。ファンタでいい?」
「う、うん」
どうしよう、お兄ちゃんの顔が怖くて見れない。優里のすぐ横にある鞄、その中にナイフが入ってる。そして化け物の言葉……
“わしは未来を見据える力がある。近い将来、お前の母親がお前を殺すであろう”
ままが……優里を殺す。その言葉だけが重りのように、優里の心にのしかかる。そんな優里の心境を知らないでか、お兄ちゃんは優里にファンタを差し出してきた。そしてままのところに行って、未だに帰ってこないお兄ちゃんたち。
ままを説得なんてできないよ。だってままは自分の意思で優里のことを嫌ってる。
「優里ちゃん?」
流しきった涙はまた溢れ、優里の頬を濡らしていく。この人に相談してもいいんだろうか、あの化け物がナイフを渡してきたって。でもあいつの言うことが本当なら、優里はままに殺される。このナイフを取られるわけにはいかない。
「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
「ままのとこに戻っていい?」




