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第107話 旅行

 はい。今なんて?

 目の前でニコニコ笑ってる奴は俺の親友の光太郎。GWになり、光太郎から遊びに誘われて、ファストフード店でハンバーガーを食いながら携帯ゲームを一緒にしていたんだけど、何かを思い出したように光太郎が声を出したと思えば、急に提案された内容に目が丸くなる。


 「だーかーら、旅行に行こうっつってんだよ」



 107 旅行



 「ゑ?旅行?」

 「ゑって……そう旅行。本当は家族で行くつもりだったんだけどさ、親父もお袋も急にお偉いさんの会食に呼ばれて行けなくってさ。兄貴も本当は友達と旅行に行きたかったらしくて、親父がキャンセルするんなら自分もとか言い出して……そんで三人キャンセルなったから一緒いかね?キャンセル料勿体無いじゃん。もーホテル予約してたし。親父の分をお前が使えばいいしな」

 「え、でも……」


 そんなことしていいのか?だってこれじゃタダ旅行じゃん!いや嬉しいけど!!決して断りたいわけじゃないけど!こんなうまい話ってあるんだろうか?ってか光太郎のおじさんとかはOKしてるんだろうか?そんな俺の心配を他所に、光太郎は着々と話を進めていく。


 「お前が来てくれりゃ、後はシトリー誘ってっし。残りはヴォラクでも誘えばいいだろ。中谷が合宿で行けないのが残念だけどな」

 「……後から旅行代請求しねーだろーな」

 「お前俺をそんな奴と思ってんのかよ。悲しいわ」


 光太郎がよよよ……と意味不明な効果音をつけて泣き真似をする。だってねぇ……あまりにも虫が良すぎるじゃんねぇ……

 大体旅行なんて急に言われてもいつ行くかすらもまだ聞いていないし、行けるとしても母さんに言わないといけないし、光太郎の家にお礼の電話とか菓子折りくらい必要だろう。


 「親父もキャンセル料勿体無いから拓也誘ってもいいって言ってたし。二泊三日、楽しいと思うぞー」

 「どこ行くんだ?」

 「大阪。ちなみに明日」

 「明日ぁ!?」


 急すぎるだろ、この展開は!マジでギリギリのキャンセルだったんだな。こんなギリギリなら確かにキャンセル代が発生してもったいないと思うのも無理はない。でも、マジですげえな。


 「だから早く決めろよ。飛行機やホテルの予約、親父からお前に変えなきゃいけないしさ」

 「え?え!?」


 神様……これって俺のご褒美と取っていいんでしょうか!?


 ***


 「あちらさんに迷惑じゃないの?」


 家に帰って早速母さんにこのことを話すと、母さんは少し困ったように眉を下げた。でもどうしても行きたい俺は母さんに丁寧に説明して説得を試みた。元々GWなんて人も多いし、旅行行くにしても値段が高いしってことで俺の所はどこにも行く予定がなく、普段の休日と同じ過ごし方をしていた。

 しかしそれがタダで大阪に行けるのなら話は別だ。光太郎は以前甲子園の応援をしに大阪に行ったときにUSJを回れなかったことを俺が悔やんでいるのを知っており、一日USJに費やしてくれると言っていた。USJに行けるとか最高すぎる!!


 「このままじゃホテルとかのキャンセル料が全額だから勿体無いって。光太郎が飛行機やホテルの予約も親父さんから俺に変えてくれるっつってるし」

 「そこまで言うなら……ちょっと母さん光太郎君のお家に連絡するわね。やっぱりお礼は言っとかなきゃ」


 母さんはそう言って、連絡網から光太郎の家の番号を探し出す。

 そういや俺も光太郎の自宅の番号は知らないな。実家に電話しないしな。


 「あ、広瀬さんのお宅ですか?池上拓也の母ですが……あ、はい。いつも拓也がお世話になっています。今回はご旅行に拓也を連れて行って下さると聞いて……いえ、とんでもない!本当にご迷惑をおかけします。はい、はい。それでは失礼します」


 母さんは電話を切ってこっちに振り返る。話を横から聞いていたけど、どうやら行くのを許してくれそうだ。


 「いい拓也、あんたと光太郎君だけの旅行なんだから、あんまりはしゃぎ過ぎないようにね!光太郎君はあんたと違ってしっかりしてるからいいけど」

 「ちげーよ。シトリーも連れてくよ。中谷は合宿で誘えないけど……あと1人は光太郎がまた連れてくるってさ」

 「え?二人じゃないの?」

 「家族四人で行くはずだったんだって」

 「そうなの。とりあえず迷惑かけないようにね!明日行くんでしょ?早く用意しなさい」


 よっしゃ旅行!大阪なんて甲子園以来だ!なんか滅茶苦茶久しぶりなんだけど!今回こそはUSJに行くぞ!意気揚々と自分の部屋に上がって荷物をつめた。ストラスが本を読んでいる横で鼻歌を歌いながら準備を進めていくと、いつの間にか本を読むのを止めて俺の携帯をいじりながら、こっちをジーっと見ていた。その視線に気づいて俺も何も言わずにジーっと見つめ返せば、少し嫌そうな顔をされた。


 『なんですか見つめないでください気持ちが悪い。ところで私はついていかなくても大丈夫なのですか?』


 え、お前が見つめてきたのにこの言い草……

 ストラスが少し不満げにそう呟き、俺の顔を未だに恨めしそうに見つめている。意味が分らなくて思わず目が点になった俺にもう一度、自分がついて行かなくていいかと聞いてくる。


 「え、何で?」

 『なぜと……悪魔と遭遇するかもしれないではないですか』

「考えすぎだって。っとか何とか言ってさ~本当はただ大阪に行ってみたいだけだろ」

 『…………そんなことはありません』


 図星か、こいつ地味に色んな場所に行くのが好きな奴なんだな。てかお前その本よく見たら父さんの部屋にあった日本のおすすめ名物料理特集本じゃねえか。開かれているのは大阪のページ……こいつたこ焼きとお好み焼きが食べてみたいんだな。

 途中から俺の携帯を触ってるなと思ったら、携帯の画面には大阪の定番であるタコ焼きやお好み焼き、串カツが載っているサイトが映っていた。

 確かに連れてってやりたいけど流石にそれは無理そうだ。あ、待てよ。あれに入れれば連れて行けるかなぁ、あれ何だっけっかなぁ……


 「ストラス、あれに入れば?あれ、あれ」

 『何ですかあれとは。単語が出ないのですか?』

 「そうなんだよ。動物入れる箱っつーか籠?があってそれにお前入れれば連れてけるかも」

 『……私を過去にこの狭い部屋に閉じ込めておいて、また更に狭い所に入れと』

 「人の部屋を……失礼だぞお前!!」

 『むぐっ!何をするのですか!ぷぎゃ!』

 「お仕置きだ!このくそペットめが!」


 思いっきりストラスの体を抱きしめて、腕に力をこめる。ストラスは苦しいのか、羽をばたつかせて抵抗するけど放してやんねーもんねー!

 母さんにドタドタうるさいと怒鳴られるまで、俺はストラスとじゃれていた。


 ***


 「いい拓也。光太郎君にくれぐれもよろしくね。迷惑かけないのよ」

 「わかってるって」


 母さんのお小言と直哉とストラスのお土産コールを喰らいながら、荷物を持って家を出た。空港まではバスで行く予定だ、飛行機は朝の十時四十分。だから俺は八時半のバスに乗って、早めに空港に着くようにした。大阪、そして修学旅行以外で友達とだけで旅行に行くのなんて初めてで、ワクワクしっぱなしだ。

 バス停からバスに乗って四十分くらい経ったかな?バスは羽田に到着した。やっぱGWのせいか……羽田は人で賑わっていた。旅行自体余り行かない俺からしたら羽田は広すぎて待ち合わせ場所がわからない。

 光太郎どこにいるんだろ……俺が先に着いちゃったのかな?辺りをキョロキョロと見渡しながら、その場に立ち尽くす。とりあえず連絡を入れようとした瞬間、パシャッと何かに撮られた。


 「ぎゃはははは!マジでビビッてやがる!うける!」


 横には一眼レフを持って馬鹿笑いしているシトリーがいた。どうやらこいつがフラッシュをたいて、俺をいきなり真横から撮影してきたようだった。相変わらず馬鹿な事しかしないこいつに怒る気力もわかない。


 「何してんだよ」

「え?お前を見つけたからさ、光太郎が呼びに行けってよ。つかこれ凄くね?カメラうけるくね?お前の間抜け面がはっきりと残ってらぁ」


 うけねーよ。心臓止まるかと思っただろ!?そして相変わらず失礼な奴!!

 俺の心の声に気づかないのか、あいつはゲラゲラ笑って人ごみの中にさっさと消えていく。


 「待ってよ!俺荷物あんのに!もうちょいゆっくり歩けよ!」

 「あー?ちんたら歩いてんじゃねーよ。早く来いよ。つか荷物預けろよ」


 あ、そうか。てか飛行機のチケットねーよ!どちらにせよ頑張ってこいつの後をついて行くしかない。


 「チケットなきゃできねーよ。さっさと光太郎のとこ案内しろや」

 「うわ!何その態度!?うっぜー!」


 シトリーが何か言ってるが、そんなの無視して俺は光太郎の席に向かった。


 「よっす拓也!」

 「あー拓也おっせー!」


 どうやら四人目はヴォラクのようだ。随分早く到着していたらしい、どこで購入したかは知らないがソフトクリームを嬉しそうに食べている。皆の荷物が手提げの鞄しか持ってないのを見る限り、皆もう荷物をさっさと預けたようだ。それと同時に疑問が湧きあがった。


 「つかシトリーとヴォラクとかどうやってチケット取ったんだよ。名前とか聞かれるだろ?」

 「そんなの偽名に決まってんじゃねぇか。国内線のチケット取るのに身分証明の提示いらねえし。電話番号さえ言えば予約できるしな。いやー俺としてはセーレに連れて行ってもらうのが一番なんだけどよ、なーにが悲しくて五分もかからずに行けるところを一時間もかけていくんだって感じだけどな。まあ人間の文明の利器を体験するっつーのも面白そうだからよ~」


 いやいや、これって犯罪じゃん。いや、まあそうしなきゃ取れないけどさ。つかシトリーはペラペラなにを一人で言ってるんだ。確かにセーレが連れて行ってくれるのが一番時間かからないけど、今回は旅行なんだから、セーレにお願いする訳にもいかないだろ。

 呆けている俺に光太郎がチケットを差し出す。


 「拓也、これチケットな。早く荷物預けろよ。搭乗は十五分前だぞ」


 腕時計を見ると今の時間は九時半。時間はあるけど、手荷物検査の列は大渋滞で時間がかかりそうだ。さっさと預けてゲート入った方がいいよな。搭乗手続きのカウンターもかなり渋滞しており列ができている。ここにいる人たちが今からどこかしら旅行に行くんだって考えるとすごいことだよな。


 「い、行ってくる!」

 「急げよー結構今込んでるから」


 確かに……皆旅行好きだよね。手荷物を預ける場所には十数人の人が並んでおり、今か今かと並び、荷物を預けて光太郎たちの元に戻った。


 「時間も五十分前だし、そろそろ搭乗口に行くか」


 光太郎が仕切って、俺たちは搭乗口に向かった。荷物を預けたときよりも更に長い列にシトリーが面倒そうな表情をする。そういやこいつら飛行機に乗る手続きとか知ってるのかな。


 「シトリー、ヴォラク、手荷物検査で引っかかるなよ」


 光太郎の言葉に聞きなれない2人は首をかしげた。そして何かを勘違いしたのかシトリーが一人騒ぎ始める。


 「はあ?手荷物検査?身包み剥がされるのか!?」

 「誰もお前の裸なんて見たくねえよ」

 「何だと!?」


 騒ぎ出した俺とシトリーを他所に、ヴォラクが光太郎に質問する。


 「手荷物検査って何?」

 「危ない物を機内に持ち込まないかをチェックすんだよ。大体は金属系かな。金とかポッケに入れんなよ」

 「金属……俺持ってないや!」

 「うん。お前は大丈夫だろうけど、シトリーは携帯とか持ってんだろ?ベルトとかアクセサリーで引っかかることあるしさ」


 これがフラグになることを後に知ることになる。


 機械のランプが赤く光り、スタッフに通過を止められたシトリーは何が原因か分からず、大声を出した。


 「え、嘘!」


 皆の視線が一斉にこっちに向き、中には急いでいる人もいるんだろう、眉間にしわを寄せて睨んでいる人もいる。


 「すみませんが、こちらに来てください」


 検査官がシトリーを隅っこに案内するが、突然の事態にパニックになったシトリーは手足をばたつかせて抵抗する。おいおい、警備員来るぞ……


 「あってめ!何だよ!?離せこのやろー!」


 シトリーの暴言に検査官が何だと!とでも言うように顔をあげ、ちょっとした騒ぎに発展してしまった。

 そんなシトリーのフォローに光太郎が慌てて回り、先にゲートを通過していた俺とヴォラクは戻ることができずに黙って見守るしかない。これは光太郎可哀想に……知り合いと思われたら恥ずかしい。まあ、ここは契約者でもあり保護者の光太郎に任せよう。


 「馬鹿シトリー!すいません。こいつ飛行機乗るの初めてで……お前そのベルト取れって言っただろ!それに反応したんだって絶対!なんで携帯をポケットに入れたまんまにしてんだよ!ゲート入る前に確認されただろ!?」

 「えーあれって協力してくださいって意味で強制じゃねえと思って、無視していいと思ったわ」

「……お前本当に馬鹿な挙句、自分勝手だな」


 シトリーはとるのが面倒くさいのか渋っていたが、従わないと先に進めない訳で……ただでさえ混雑しているのに、こんなとこで時間取ったらいけねーだろ。光太郎の説教にムスッとしながらも、シトリーは携帯や財布をポケットから出してベルトも外し、それで何とか手荷物検査を終えた。そんなこんなで時間はいつの間にか二十五分前になっており、俺たちはゲートに少しだけ急いだ。


 ***


 「これが飛行機!?やべー!すげー!かっけー!大きい!俺が思ってたより大きい!!」


 無事に搭乗もできて、飛行機に乗ったヴォラクが窓から外を見て感動している。見た目が子供のヴォラクの興奮は微笑ましいのか、後ろの席の老夫婦がくすくす笑っている声も聞こえてくる。ヴォラクは初めての飛行機に随分感激してるようだった。その横のシトリーはと言うと……


「おい、こんな鉄の塊が本当に空飛べんのかよ……落ちたら死ぬくね?これ、どこに飛べる要素あるの?ウイングとか言ってっけど、ウイングじゃねえじゃん。鉄をつけてるだけじゃん。非常口の確認をしとこう」

 「縁起でもねえ事言うんじゃねえ!」


 突っ込みも余所に相当不安気な表情を浮かべた。確かにシトリーにとっちゃ少し怖いかもしんないけど。ぶっちゃけジェダイトに乗ってる方がきっと怖いんだぞ。だって乗馬している状態で空を飛ぶんだから。ベルトとかもないし、あれこそ落ちたら即死じゃんか。

 まあ、俺はセーレを信用してるから怖くねーけどな!


『まもなく離陸いたします。シートベルトを再度、ご確認してください。また、今から非常用設備のご案内をいたします。画面をご覧ください』

 「シトリー、ヴォラク、飛ぶぞ。シートベルト閉めとけよ」

 「はーい」

 「おい黙れ。非常用設備のご案内はいるぞ」


 シトリーお前マジで怖いのかよ。普段の人を小ばかにしたような態度が嘘のように余裕がない。

それから数分後、飛行機が動き出した。


 「わっわっわ!すっげー揺れる!」

 「あ゛~~~!もう駄目だ、こんな所で死を予感するなんて~~~!」


いやいやシトリー、マジで大げさですから。その光景を見て、俺と光太郎は笑いを堪えていた。そして飛行機が浮いたときのシトリーの顔といったら!ヴォラクは興奮してたけど、あいつの顔はまさしく死人だった。もう顔真っ青。シトリーは大阪に到着するまで、その顔だった。


 ***


 「あー帰りもこの恐怖を体感するのか。人間っつーのは恐ろしーモンを開発するぜ。俺、セーレに迎えに来てもらおうかな」

 「そう?俺は楽しかったけど。俺また帰りも窓際ね!」

 「はいはい、好きにどうぞ」

 「あ、ばいばーい!飴ありがとう!」


 後ろの老夫婦に飴をもらって上機嫌のヴォラクとは正反対でシトリーはぐったりした顔で荷物を手に持っている。自分で空飛べるくせになんで飛行機が怖いのかわからない。ヴォラクが飴をくれた老夫婦に手を振って別れ、光太郎の後を着いていきながら俺たちはホテルに荷物を置きに向かった。


 「うわーなにここ」


 着いた場所はものすごくでかくて格式高そうなホテルだった。勿論こんなところ泊まったことない。本当にここ、俺達一切お金出さないで泊まっていいのかよ!?光太郎の家ってどんだけ金あるんだよ!?意味わかんねえよ!!

 ただでさえ高そうなのに、GW価格でやばいことになってるだろ絶対に。


「何やってんだよ。早くチェックインしようや」


 多分こいつ初めてじゃないな、この慣れ方は何回も泊まっている感じだ。恐るべし光太郎……


 「すごすぎマジで……」

 「きれーだねー」


ロビーは綺麗で広くて、俺とヴォラクは辺りをキョロキョロと見渡した。チェックインは光太郎とシトリーがしてくれており、やることのない俺たちは少し離れた場所で、その様子を眺めていた。


 「すげーとこ来ちゃったな」

 「どのくらい凄いか知んないけどシャンデリアがあるから凄い。多分ここは貴族が住んでいた宮殿をアレンジして作ったに違いない」


 ヴォラクの久々の貴族発言に思わず笑ってしまった。ここ日本だから貴族が建てたとしても、こんな洋風な建物にはならないだろう。でも確かにシャンデリアすげえ。

 心の中の突っ込みを表には出さずにその場で呆けていたが、何かがぶつかってきて現実に引き戻された。

相手は小さな少女で対格差もあるせいで自分は少しよろめいただけだったけど、その子はその場で尻餅をついてしまった。


 「うおっ!あ、ごめんな!」


女の子はヴォラクと同い年くらいかな?十歳くらいの女の子だった。


 「優里の鏡が!」

 「え?」


 女の子は俺を押しのけて落としてしまった手鏡を慌てて拾った。酷いこの子!

 手鏡は可愛らしいデザインが施されており、如何にも小さい子が好みそうな物だった。女の子はそのまま鏡を握り締めて、安堵のため息をつく。割れてないのは良かったけど、てか割れるわけがない。床は絨毯が敷かれているんだから。なんだか視界にすら入れてもらえてないけど、これは大丈夫だと思っていいんだろうか?


 「俺、どうすればいい?」

 「知んないよ。それよりぶつかってきたのあいつじゃん。何で拓也謝ってんの?そんなんだから舐められるんだよ」


 はあ!?なんでヴォラクからも怒られるんだよ!?こんな小さい子に舐める舐められないとかないから!


 「優里!」


 女の子を呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、綺麗な女の人がこっちに向かって走ってきた。

 お母さんかな?すっげー綺麗な人だな。女の人は優里と呼ばれた女の子を起こす。


 「貴方何してるの。走ったら駄目と言ったじゃない」

 「だってこの人が優里の前に立ってるから……邪魔だったから悪いんだよ」

 「優里!またそんな事を……」


 なんか険悪な不陰気なんですけど。優里ちゃんは俺に謝りたくないのか、お母さんが頭を下げろと言っても首を横に振る。別にいいけどさ、ちょっと育て方間違ってんじゃない?

 でも巻き込まれたくもないので、会釈して少し距離をとる。そのまま離れてくれたらいいのに、まさかの親子喧嘩が勃発して周囲の視線が集中する。


「優里悪くない!あの人が悪いんだもん!」

 「いい加減にしなさい。早く謝りなさい!」

 「いや!優里の鏡も落としちゃったんだよ!あの人のせいだもん!」


 え?やめてよもう。謝んなくてもいいからさ、喧嘩しないでよ。周りの人見てんじゃん。ヴォラクなんかさりげなく俺からも距離とってるし、チェックインを終わらせた光太郎とシトリーもこの状況を驚いた様子で眺めている。でも俺の目の前で親子の言い合いはヒートアップしていく。


「いや!早く遊びに行こう!早く早く!!」

 「いい加減にしなさい!いつも言ってるでしょう。礼儀をわきまえろと」

 「優里は悪くない!何にも悪くない!!」

 「……優里!!」


 乾いた音がロビー内に響き渡り、目の前の光景に思わず目が丸くなる。

 お母さんに頬を叩かれた優里ちゃんは大声で泣き出した。


 「うあああぁあぁぁぁあ!」

 「貴方という子はいつもいつも……!いい子にすると言ったから、そんなくだらない玩具も買ってあげたのに!」


お母さんの怒声に優里ちゃんは泣き声を更に大きくする。それが頭に来てお母さんの怒声も大きくなっていく。

 ちょ、これはやりすぎなんじゃ!ヴォラクたちもこの光景に驚きを隠せない。


 「あの、別にそこまでしなくても……ほら、俺も気づかないで避けなかったのも悪いんだし」


 助け舟を出そうと、俺は優里ちゃんのお母さんに恐る恐る声をかけた。


 「そう言う訳にはいかないの!」

 

 うわあぁぁああ、怖い!なんで俺まで怒られるの!?

 お母さんは優里ちゃんを俺の前に連れてきて、頭を掴む。しかし泣いている優里ちゃんはとてもじゃないけど、母親の言うことを聞ける状態ではなかった。


 「謝りなさい!」

 「うああぁぁあ!ひっく、うえぇええぇぇ!」

 「謝りなさい!」


 お母さんは無理やり優里ちゃんの頭を下げさせ、もがいていた優里ちゃんだったけど、最後は諦めて大声で泣きながら謝ってきた。


 「ごめんなさいぃ……ごめんなさいぃぃ!」


 その言葉は俺に向けてか、お母さんに向けてかはわからなかった。お母さんは優里ちゃんを謝らせて満足したのか、優里ちゃんの腕を掴む。その表情からは険しさがとれており、仕切り直しだとでも言うように引っ張っていく。


 「折角貴方が行きたいと言ったから連れてきたのにママを苛々させないで」


 優里ちゃんは泣いたままお母さんに引っ張られていき、俺はポカーンとした表情をしていた。周りの客もざわつき今の親子の話題で持ちきりだ。流石にやりすぎじゃないか?とか、そんな声が聞こえてきて、側にいた家族連れの男性が災難だったね。と声をかけてくれた。


 「おい、お前平気か?」


 口を開けて呆けている俺の肩をシトリーが軽く叩き、それで現実に引き戻された俺は何度も瞬きをした。


 「あ、うん……ってかあの子」

 「ありゃ相当きてるな。虐待一歩手前じゃね?いくら躾っつってもなぁ……あんなにぶつことねーだろうに。でもあの餓鬼も相当だったな」


 確かに……今思い出してもゾッとする。自分の母親がああいう人じゃなくてよかった。母さんは俺のこと殴ったりとかしないし、喧嘩をすることはあっても、あそこまで激しいのは俺が子供の時ですらない。直哉だってあんなにならないだろう。


 「気ぃ取り直して、俺たちも荷物置いて行こうぜ」

 「あ、うん」


 光太郎たちは俺たちに目配せをして、ヴォラクとエレベーターがある方に進んでいく。

 俺たちはその後をゆっくり付いていった。


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