第104話 猫かぶり
真理子side ―
「まったく絵里子は何してるのかしら!」
母さんが時計を見てため息をつくのが見える。それに相槌を打つのが普段のあたしの日課だけど、今日は素直にできそうもない。初めて本音で相手の主張を聞いた。今まで斜に構えていて、自分を馬鹿にしてきていた姉の本心に、自分の今までの行いを悔いた。
104 猫かぶり
思えばお姉ちゃんが変わったのは高校受験を失敗してからだった。それまでのお姉ちゃんは妹のあたしから見てもキラキラしてたように思える。部活ではレギュラーを取って、勉強も頑張って、両立してるように見えたし、そんなお姉ちゃんに母さんは期待をかけてた。西舘高校にも入れるって。
でも結果は不合格。
もちろん母さん達の落胆は半端じゃなく、お姉ちゃんは母さんにすごく怒られていた。そして母さんはあたしに期待をかけるようになった。お姉ちゃんの存在をまるで無視するかのように。いつしかあたしもそれが日常になって、お姉ちゃんがどんどん変わっていくのに辟易しだした。
それからか、あたし達が仲悪くなったのは。それまでお姉ちゃんが教えてくれてた勉強が塾の先生に変わり、会話する時間全てが友達との会話に変わった。遊んでた時間全てが勉強に変わった。
思えばお姉ちゃんとまともに会話したのすらここ数カ月ない気がする。その間、お姉ちゃんがどれだけ肩身の狭い思いをしてたか、気まずかったか。こうやってじっくり考えてみてやっとわかった。
あたしは最低だ。
お姉ちゃんに落ちこぼれなんて一番言っちゃいけない言葉だった。それを当然のように言い続けて、お姉ちゃんを傷つけてきた。だから嫌われたんだな。どうしてあの時、泣いていたお姉ちゃんに寄り添わなかったんだろう。受験に失敗したからなんだと言うんだ。あたしだって西舘に受かったはいいけど、順位は中の上でトップ争いなどできはしない。上には上がいるのに、どうしてこんなちっぽけなことでマウントを取って勝った気になって相手を傷つけてきたんだろう。
母さんがイライラしながら文句を言う中、あたしは見えないように溜息をついた。
***
パイモンside ―
「間違いねえな。昨日もこの場所で確認できた。ヤる相手探してるみたいだな。貴重な女子高生がこんなことで体を酷使していただけないね~」
「お前買ってみたらどうだ?相手と近付けるチャンスだ」
「……お前本気で言ってる?俺そこまで節操ねえ奴と思われてんのガチめにショックなんだけど」
シトリーがパソコンで開いた地図の上を指差す。今開いているのはGoogleの地図で、そこでシトリーに自分が見たという場所を探させていた。昨日もいたと言う辺り、かなりの高確率になるが。毎日のように出没しているとは限らない。しばらくはこの場所で一定時間見張るしかないだろうな。
「今日はいると思うか?」
「さあな。二日連続だし、いない可能性はあるかもな。でも金曜の今日までならいる可能性高いかもな。休日はいないと思うぜ」
「そうか、急いだ方がいいだろうな。今朝ニュースで言っていた。この区内で死者が出たそうだ。死因は窒息死らしいが、司法解剖の結果、感電してからの痙攣で舌が喉に詰まって死亡したらしい。警察は電気の漏れを調査しているみたいだが、お前がフルフルを見つけたというのなら犯人は明確だからな」
「ついに命令しちゃったか……フルフルみてーな奴と契約するなんて気が知れねぇな。あいつは天使の皮を被った悪魔って単語が相応しい奴だぜ」
場所も分かったことでパソコンを閉める。確かにフルフルとなると、こちらもまた気合いを入れなければならないだろう。特に主達のような人間がフルフルの雷などを喰らったら一発でお終いの可能性もあるしな。人間は雷に対する耐性が未だに全くないらしい。数万年の時を進化してきた人間でも、雷に対する進化はないようだ。
「とりあえず主に報告だ。フルフル相手なら戦力が必要だな。ヴォラクとヴアルは連れて行く。今回は都内だ。中谷と光太郎は確認を取るだけでいいだろう」
「付いて行くかもよ」
「くる必要がない。さした戦力にもならないし、中谷は表面では平気なふりをしているが、ザガンの時の戦いを引きずっているのが明確だ。無理じいをさせる必要はない」
「そうだけどさ」
皮肉なもんだな……シトリーはそう言って笑う。押し黙ったシトリーに視線を送る。何かを言いたいのか少し口をもごもごさせているシトリーに早く言えと言いかけた時、シトリーが口を開いた。
苦虫を噛み潰したような、悔しそうな悲しそうな……何とも言えない表情をしていた。
「同じ契約者なのに拓也は強制で中谷達は強制じゃないって言うのがさ。俺は見てないから知らないけど、かなり悲惨な状況だったんだろ?心境が複雑なのは拓也も同じじゃないか?都内なら拓也いなくてもお前らだけでいけるんじゃねえか?距離は問題ねえだろ」
かなり悲惨な状況……それを指している物が何かはすぐに分かった。確かに悲惨としか言いようがない状況だった。励ましの言葉も全く出ない程の悲惨な状況。普通ならトラウマになってしまうのではないかと思うほどの状況だった。
心の傷は中谷も主も同じ、なのに主だけが耐えなければならない状況がシトリーは気に食わないんだろう。
「そうだな。距離は問題ないが、正直悪魔達が全て単体で活動しているとも思っていない。俺たちがフルフルと戦っている間に他の悪魔が主を狙う……等ということもあり得ない話ではない。そういう意味ではできるだけ近くに置いておきたい」
「まあ、そうなんだけどよ。お前の側が一番安全ってことくらい俺も分かってるよ。でも昨日もなんだか偉くやる気なかったし。結構きてんのかもよ」
言いたいことはわかるがな……確かにあの状況でピンピンしていたら感性を疑うが、意気消沈されても困る。しかし俺は他人の気持ちを読むことはできるが、心の傷を取り除くのは苦手だ。それこそ打ってつけの奴がいるじゃないか。
「主にはストラスがいる。大丈夫だ」
俺の言葉にシトリーは納得したようだ。
「あー拓也の奴、偉くストラスを気に入ってっからなぁ。ストラスも拓也にはなついてるし」
「信頼関係が出来てるんだろう。そう言う意味ではお前も見習うべきだ。ヴォラクと中谷の信頼関係もあついぞ」
「はいはい。心配しなくてもいざって時はちゃんと守るさ。命に代えてもね」
簡単に言うから嘘臭く感じるが、こいつは実際その時が来たら本当に実行してしまうから困った奴だ。
「主に発言した際、かなりの圧力がかかった事から現代の人間はその表現を嫌う。光太郎の前で軽々しく命に代えても等と言わない方がいいぞ」
「難しいな扱いが……どうすりゃいいんだよ?」
シトリーの質問に俺は答えず、ソファを立ち上がった。今の時間は昼の十五時半。
そろそろ主達が来てもいい時間だな。
***
拓也side ―
『拓也、マンションに行かないのですか?』
腕の中からストラスが顔を出して聞いてくる。家に帰ってすぐにストラスを抱き枕よろしく抱えてベッドに横になったままだからだ。時計の針ももう十六時二十分を指しており、ストラスが急かすのも無理はない。でもなんだか脱力感が襲い、自分の体なのに上手く動かせない。また、行かないといけないのかと思うと縫い付けられたように足が動かなくなった。
『拓也、パイモン達は待っていますよ』
わかってるよ、パイモンが俺達のために悪魔を探してくれてるのも。でも、怖いんだよ。
「辛いんだよ、またあんなの目の当たりにしたらって思うと行きたくなくて……」
『拓也……』
本音を打ち明ければ、ストラスの表情が歪み声も悲痛そうなものに変わる。胸を痛めてくれているんだろう、申し訳ないけど少しだけ嬉しい。あの光景は恐ろしかった。全身の血液が抜かれるように力が抜けて行った。皆、偽物とはいえ死んだんだ。
「血がさ、ブシャーって出てさ、偽物の俺だけどさ、俺まで心臓抉られたように痛くって……下手したらあんなになっちゃうのかなって考えると、なんか居てもたってもいられなくて……ストラス、行きたくねえよ……」
どうせ本当に逃げることなんかできない。でも、声に出すことで安心があるのかもしれない。少しだけ胸の内が軽くなり、ストラスからの返事を待つ。
『拓也、貴方の気持ちは最もです。しかし貴方は行かなければならない』
そうだよね、自分でもそう思う。逃げたらいけないことも。でも納得いかなくてどうしてか問いかけた。
『指輪に選ばれたから。理由はそれだけ』
「そんなの形だけだよ。上手くなんて使えないんだから」
『形という物がとても大切で重いのです。形だけだとしても貴方は継承者として狙われているでしょう。貴方は確かに強くなっています。昔と比べれば歴然ですよ。いいのです。弱音を吐いて、泣いてもいいのです。しかし泣いた後はまた前を向かなければなりません。拓也、共に止めましょう。最後の審判を、人類の滅亡を』
その名前出すってずるい。審判を出されたらどうしようもない。ストラスはずるいやつだ。俺も何も知らない一般人になれたらよかったのに。こんな指輪、誰かに擦り付けて他人が助けてくれるのを知らずに待っているだけの存在になりたかった。
起き上がった俺にストラスがすり寄った。ふわふわの羽が温かい。最後までいてくれよな、俺が倒れてしまう前に支えてほしい、死んでしまうときには隣にいてほしいし、できれば追いかけてきてほしい。
「ストラスは俺の側から離れないよな」
『貴方が望まなくても最後まで付き合いますとも』
うん、そうだね。お前は最後まで俺と一緒にいてくれるだろう。
「もう一つだけ、わがまま言っていいか?もしさ、今年の十月までお前がまだここに居たら、俺の決意が揺らいでなかったら……シャネルに会いに行きたいんだ」
なぜその名前が出てくるんだとストラスが首をかしげる。
中谷と話した時に決めた、シャネルのために頑張るって。だから、会いに行きたいんだ。既に死んでいるシャネルに直接会えるわけじゃないけど、彼女を殺めてしまったあの場所で、もう一度あの子に訴えたい。
「そこで言いたい。ごめんなさいって……そんで頑張るって」
『そうですか。拓也は偉くあの少女を気にしているのですね』
そうだな、だって俺が殺してしまったんだから。年が同じくらいで、でも想像できないくらい辛い境遇を生きてきて、全てに絶望してしまった子。記憶に残らない方がおかしい。できれば救いたかった、幸せになってほしかった。それが俺のせいで全てなくなってしまったんだ。
「笑ってほしかったって思うよ。シスターとして生きてほしかったって思う。あの子が何を思ってたかなんて最後までわからなかったけど。救えるなら救いたかった。俺の力で笑わせれるのなら笑わせたかった。やっぱさ、俺と同い年くらいの女の子があんなになってるってのに衝撃受けてんのかも。それに俺が殺してしまったのも相まって今でも鮮明にあの子の顔を覚えてるのかも」
俺ごときが救えるなんて考えていない。でも救う手助けをしたかった。
それができなかったから、せめてあの子がいた教会の前で、せめてもの祈りを捧げたいんだ。
***
「お、来た来た!」
ストラスに心の内をぶちまけたら、幾分か気分がすっきりしてマンションに向かう。到着した俺を見てヴォラクが声を上げた。そんなヴォラクにパイモンがいつもの小言を言う。
「騒ぐなヴォラク。主、今回は私とヴォラクとヴアルがお供させていただきます」
「よろしくね拓也!」
戦える三人が全員来てくれるのはいいことだけど。
「シトリーとセーレは?」
「わりーが今回はパスだ。まぁ何とかなんだろ」
「俺も。ごめんね」
セーレは軽く手を出して頭を下げ、シトリーに至っては携帯から視線すら上げない。なんなんだこいつは。でもセーレが一緒に来ないなんて初めてじゃないか?俺と契約してるのに。場所が都内だからかな?それでも今までは一緒に来てくれていたのに。
「いや、いいけどさ。じゃあ……行く?」
「そうしましょう」
パイモンが頷いたから、そのままマンションを出ようと思ったのにストラスが急に俺の肩から離れた。何してんだよ、行くぞ。そう目で訴えているのにストラスは動かない。
『拓也、私は少し調べたいことがあるので、マンションに残ってもよろしいですか?』
「え?あ、うん」
『一人で平気ですか?』
「馬鹿にすんな」
行かないのかよ……ストラスは俺の返事に軽く笑って、シトリー達の所に飛んで行った。
「主、行きましょう」
「うん」
軽く頷いて、パイモンの後を付いて行った。
「行ったな。俺達も行くか」
「うん。けど大丈夫かな?契約石のエネルギー持つと思う?」
『一~二時間程度ならば大丈夫でしょう。戦いに行くわけではありませんからね』
「それもそうだね」
「おーさっさとしようぜ」
***
「え、ここ?」
「そうですが。どうしました?」
「あーいや……」
パイモンの後を付いて行って、たどり着いた場所はネオン街だった。ホストとかキャバ嬢とかが普通に歩きまわってるし、ラブホもいっぱい立ち並んでいる。はっきり言ってこんなとこ来た事がない。
事前に話を聞いておくべきだった。確かにこんな場所にストラスを連れてこれるはずもない。
「マジかよ」
「やだ拓也緊張してるのー?かわいいー」
固まってる俺を見て、ヴアルが茶化す。なんでお前ら平気なんだよ。意味わかってんのか?ここら辺に立ち並んでいるホテルはただのホテルじゃないんだぞ!見ろよあのピンク色のネオンを!いかがわしい空気しか出てねえよ!
「いやいや、だってネオン街とかねーだろ……ラブホいっぱいあるし」
あ、今おっさんが女の人連れて入ってった!うわーうわー!!やばい、ああいうのって堂々と入るんだ!
思わず顔を赤くしてしまった俺にヴアルが首をかしげる。
「なあにー?ラブホってなあにー?」
「……自分で調べて」
そうだよな、地獄にラブホなんてねーよな。ヴアルは単なる好奇心で聞いただろうけど、それを詳しく解説する勇気は俺にはない。
だって、ねぇ……それより。
「ここで張り込みすんの?」
俺達がたってる場所は、ネオン街の中でも少しだけ開けた場所だった。周りには制服を着た女の子や、若い女の人が立っている。ここって……
「そうです。今回の契約者はどうやら売りをやっているらしく、ここに悪魔を連れてよく来ているみたいです」
俺の中で何かが固まった。
「そう言う訳なので主、悪魔は私たちに気づいてこの場に現れないかもしれません。私達は少し離れたとこから監視しますので、この場はお願いします」
「え!?ちょっ!!」
「行くぞ」
待って!置いて行かないで!!
俺の心の叫びも空しく、パイモンはヴアルとヴォラクを連れてさっさと離れて行ってしまった。
え、どうすんのこれ……なんか周りの女子がすっげー俺を見てんだけど。つか目がマジきもーって物語ってんだけど。こんなとこ一人なんて嫌なんですけど。しかも一人で何をすんの?大体誰が契約してるとかもわかんないんですけど。えーマジでこれって最悪じゃない?
「あれ、あんた」
急に声をかけられて、俺は慌てて振り返った。そこには見覚えがあるようなないような女性が立っており、少なくとも自分の友人ではなかった。
首をかしげて返事をしない俺に女性は肩を叩いて笑っている。
「あーやっぱ真理子の合コン相手じゃーん!何してんの?」
あ、真理子姉!!!なんでここに!?つか普通話しかけなくない!?お互い気まずくない!?なんでなんで!!??
「あーいやー、えーっと……なんでここに?」
「何でってね……ここじゃやること一つでしょ。何?あんた普通そうな顔しててヤバい趣味持ってんのねー。二万でやらせたげよっか?可哀想に、彼女作んなよ」
何言ってんのこの人!!??誰も買うとか言ってないし!!俺には、心に決めた相手がいるんだから!金つまれたってあんたなんかお断りだわ!なんで俺が買う側になってんだよ!
「あの、俺、そういうつもりで来たわけじゃなくて」
「はー?あんたここが何する場所か分かってないの?ここ、有名だよ。あんた何しにここに来てんの?空気だけ味わいに来てんの?マジきもいよ」
くっそー……言いたい放題言いやがって!本当なら俺だってこんなとこ来たくねぇよ!家に帰って飯食ってゲームやりてーのに!!
そんな俺の気持ちとは裏腹に真理子ちゃんのお姉さんはため息をついて、俺を見つめた。
「マジで金ないなら帰りなって。あんた不細工じゃないんだからさー食われるよ」
「あのー」
「あーあ、こっちは早く捕まえたいのにとんだ時間のロス。じゃーねー」
好き放題言って暴言吐かれただけだ。絵里子さんは立ち上がって手をひらひら振る。
「え、えぇ?」
「待て」
「何あんた」
パイモン!え?何どういう事!?何でそんなに怪訝そうな顔してんの?
いきなり話に入ってきたパイモン達に?しか浮かばない。そのまま話には入れない俺を余所に話はどんどん進んでいく。
「フルフルはどこだ?」
フルフル……え?なんのこと?やばい、マジで説明もされないままついてきたから、今回の悪魔が特定できていた事すら知らないんだけど。
「拓也ーお前知り合いだったのかよ」
ヴォラクが少し意外そうに声をかけるもんだから、そのまま聞き返してしまった。
「何?つか話見えないんだけど。ヴォラク説明してよ」
「今回探してる悪魔はフルフルって奴なんだよ。あれ、契約者」
この人が契約者!?真理子ちゃんはこのこと知ってんのか!?
固まってる俺を余所に、真理子ちゃんのお姉さんはパイモンの話を聞いて顔をしかめた。
「は?マジなんな訳?ちょーうざいんですけど。あんたあたしに喧嘩売りに来たわけ?」
いや、そんなんじゃないんだけど……お姉さんはパイモン達に囲まれて、きまずそうにしている。この光景を不思議に思ったのか、周りの人もこっちに視線を送っている。やばいよこれ、やばすぎるよー!あたふたと慌てている俺を見て、真理子ちゃんのお姉さんは何かを感づいたみたいだ。
「あ、その指輪……あんたもしかして継承者?」
継承者って……この人はわかんのか?真理子ちゃんのお姉さんは指輪をジーッと眺めている。ってことはある程度は状況がわかってるってことだよな……お姉さんは少し気まずそうな顔をして、ついて来てとだけ告げて腕を引っ張る。
「え?ちょ……お姉さん!」
「絵里子、お姉さんなんて呼ぶなよ。気持ち悪いなぁ」
酷くない?俺たちの後をパイモン達も頷きあってついてくる。
まさか俺を連れだしてぼころうとしてんのか!?
連れて行かれた場所は公園だった。
公園には誰もおらず、俺達は微妙な空気に包まれていた。
「あのー絵里子さん?」
恐る恐る話しかければ、恵理子さんは手を放しグルっと俺に振り返った。その表情は切羽詰まっていて、早口で放たれた次の言葉に目が丸くなる。
「あんたさー悪魔地獄に返してんだよね?フルフルに聞いたんだ。ソロモンの指輪?っての持ってるやつが悪魔を倒してるって。私はよく知らないんだけどさ、その後ろの奴は私が悪魔と契約してるの知ってるぽいし、あんた指輪してるし……てことは、それがソロモンの指輪でしょ!?あー良かった!じゃああんたはフルフルを地獄に返しに来たんでしょ!?さっさとやっちゃってよ!」
今までにないパターンに戸惑うしかできない。ソロモンの指輪を知らないけど、状況だけでこれがそうだと判断したのはすごいと思うけど、なんだってこんなに協力的なんだ。まあ契約者が抵抗するケースよりかはマシなのかな。
黙っている俺を見かねてヴォラクが前に出てきた。
「いきなり何だよ。まず何で契約したかを説明しろよ」
「それは後でしたげるからさ、まずは悪魔を地獄に返してくんない?ね!この通りだからさー」
手を組まれてお願いされて、俺もヴォラクも焦ってしまう。
「感電死事件のことを揉み消したいんだろう?」
パイモンの一言で絵里子さんは目を丸くして顔を上げた。パイモンは何か知ってるのか?でも感電死事件って今朝ニュースでやってた奴だ。歓楽街で中年男性が感電したショックで舌が喉に詰まって窒息死したって奴だよな。
警察が事件周辺の電気の漏れを確認しているから、あの近辺のお店は強制的に今日は休業しないといけないとかテレビで言ってた。それと絵里子さんが関係している?
「パイモン?」
「すみません。主にはまだ報告していませんでしたね。先日、あのネオン街から少しだけ離れた路地裏で男が感電死する事件が起こったのです。その日は天候もよく、近くに電線などは通っていませんでした。私達はその事件を見て、フルフルと契約しているであろうと踏んだのですが」
じゃあそれって……フルフルは電気を操る悪魔だってことなのか。携帯でフルフルを検索するとすぐにヒットし、予想通り、雷を自在に操る悪魔だと言う。
「じゃあ、絵里子さんは人殺しに関与したって言うのか?」
「ふざけんじゃねーよ!」
急に怒鳴られて肩が跳ねる。絵里子さんは顔を真っ赤にして怒りを露わにしており、自分の無罪を訴えてきた。
「適当な事ばっか抜かしやがって!私は殺してない!あいつが勝手にやったんだ!私のせいじゃない!!」
「命令をしてないと言いたいのか?」
「あの親父があたしをレイプしようとしたから……だからそれを拒んで、フルフルに助けを求めたらああなってたんだ!私は何も悪くない!」
悪くないって……なんでそんな……そのおっさんも大概な奴だとは思うけど、いかんせん俺たちはその現場にいないから、どこまでが本当か分からない。ただ、絵里子さんが何かしらフルフルに命令して今回の事件が起こったことだけは確かだ。
「絵里子が裏切ったー」
その時、声が聞こえて振り返ると、公園の入り口に男の子が立っていた。こんな時間に何でこんな場所に?ってか絵里子って……知り合いなのか?
「君は……」
「拓也、注意しな!フルフルだ!!」
な、あれがフルフル!?どう見ても普通の子供じゃねえか!まさか、今までの会話を全部聞いていたのか!?
「絵里子が裏切ったー酷いなー見損なったよー」
フルフルが一歩一歩近づいてくる。可愛らしい顔立ちの少年はニコニコ笑っているが、その笑顔はどこか不気味で、絵里子さんが一歩後ずさる度にフルフルが一歩近づいていく。
「絵里子酷いよ。俺は絵里子の為に頑張ったのに」
「だからって人を殺すなんてやりすぎだろ……」
絵里子さんとフルフルの会話を聞く限り、絵里子さんはフルフルに殺せと命令してはおらず、殺人に関しては間接的に関与はしてしまったが、フルフルが単独で事件を起こしたんだとわかる。そして怯えている絵里子さんに笑いながら近寄って行くこの少年から嫌な空気を感じた。
「それは絵里子の為だったのに……絵里子は俺のこと嫌いになっちゃったの?だから俺を地獄に返そうとするの?」
言葉に詰まってしまった絵里子さんをみて、フルフルの瞳が悲しそうに揺れる。もしかしたら悪い悪魔じゃないのかな?だってこんなに悲しそうにしてて、泣きそうになってて。
「ごめんフルフル。あたし、あんたと契約できない」
絵里子さんがハッキリとフルフルを拒絶した。フルフルは俯いて動かない。大丈夫なのかよ、なんか少し可哀想になって来たんですけど……
「くそが」
え?今舌打ちした?え?え?
困惑している俺と違い、フルフルは不機嫌そうに顔を上げた。さっきまでの愛らしい喋り方とは程遠い、憎たらしい喋り方。さっきまでの可愛らしい表情を作っていた顔のパーツは不機嫌そうな物に変わっていた。
「あーつまんねえ。折角のカモだったのによ。こんなとこでお開きかよ。やっぱ日本は駄目だわ、凶悪犯罪が少なすぎる。俺の力を存分に使用してくれる契約者様ってのに出会えないもんだな」
は?急な口調の変化に俺はただ呆然とするしかない。さっきまでの可愛らしい子どもはどこに?こんな憎たらしい言葉遣いをする奴なのか?呆然とした俺にヴォラクがフォローを入れる。
「拓也、あれが本当の性格だから。あいつ猫かぶりで有名な悪魔なんだよ。あれで地獄でも散々他の悪魔騙してたかったり貢がせたりしてたから」
猫かぶり……ってことはさっきまでのは演技ってこと?それあんまりじゃない?俺、普通に可哀想って思ったんだけど。素を出したフルフルは憎たらしい喋り方を続ける。
「マジで気にくわねえな。継承者に媚売りやがって……自分じゃ何もできねえってか?こういうやり方されたら俺も許せねえよなあ。俺の契約を破棄しようとした罪は重いぜ」
フルフルの体からバチバチと静電気のような電流が流れだす。
「主、フルフルは雷を操ります。私達はともかく、あなたや絵里子は一発でも喰らえば大惨事ですよ」
うん、死ぬ気がする。
このやばい状況をどうしようか。