エイプリルフール
それはひとつの嘘から始まった。
「俺さ実はゲイなんだよね」
笑いを堪えながら平静を装って言うと、鷹尾は読んでいた漫画から目を離してこっちを見た。狼狽えた、驚いた、慌てたような、でも決して蔑みや軽蔑の表情ではなかった。
「だからもうさ、お前と二人っきりでいるだけでムラムラして堪んないんだよ!」
後半はもう込み上げる笑みをこらえきれていなかった。だって鷹尾があんまり真剣な顔でこっちを見るから。信じすぎだろう。こんなの冗談に決まってるのに。あんまりにも面白いから、もう嘘をつくのも耐えられなくなって、ネタばらししようと口を開くと「ちょっと待って」と鷹尾に先を越された。流石に気付いたかと思っていると「俺もなんだ」と、真剣な表情でこっちを見たまま鷹尾は言った。
「俺もゲイなんだ」
一瞬、思考が停止した。
なにを言っているのか、分からなかった。
鷹尾の目があまりに真っ直ぐで、真剣で熱くて。
驚いて言葉がでなかった。
「信じられない。お前もそうだったなんて。でも嬉しい。すげえ嬉しい」
俺の嘘に乗っかってきたんだよな。エイプリルフールの冗談だよな。それにしちゃ上手すぎるけど。実力派俳優も吃驚だけど。
「ずっと好きだったんだ」
嘘だって、いえよ。
冗談だって笑えよ。
そんな目で俺を見るな。
言葉にならない想いが喉元で燻った。
さっきまでの威勢は何処にいったのか、鷹尾の迫力に圧倒されて呼吸すらままならない。
口を開けば、崩れてしまう気がした。
俺たちの関係が、この距離が、空気が、全てが。
変わってしまう。
だからお前ももうなにも言うなと願うのに、鷹尾は止まってはくれなかった。
「すきだ、優」
嘘だ、と思えたら。そう冗談にしてしまえたなら、どんなにいいだろう。
鷹尾は本気だ。目を見れば分かる。
そのくらい俺たちは長く一緒にいた。
だからこそ、鷹尾だって本当は気づいたはずだ。俺が嘘をついてるって。エイプリルフールだから、ゲイだなんて言ったんだって。その上で知らない振りをして、利用したんだ。
固まる俺の頬に触れながら、鷹尾は少しだけ表情を和らげた。最早それは、古くからの友人に向けるものではなくなっていた。
今さら何を言っても、もう友情は戻らないと思えた。
あの心地いい関係はもうなくなってしまったんだ。
捨てたんだ。捨てても平気なんだ。
そう思うと目頭が熱くなった。格好悪く惨めだった。
鷹尾はもう友人としての俺はいらないんだ。
いらないんだ。
「優も同じ気持ちだったんだよな。」
ここで否定したらどうなる?
惑う心にとどめをさすような完璧な笑顔で、彼は言った。
「嬉しいよ」
俺は全部の言葉を飲み込んで息さえも止めるしかなかった。
お前とは友達のままでいたいんだって、変わりたくないんだって、そんなこと言ったって離れていくだけだろう。それだけは嫌なんだって思ってることもきっと解っていて、あるかも分からない逃げ道すら封じられて、気づけば彼に手綱を握られている。こっちに来いと引っ張られる。ずるずると引きずられた先にあるのは、甘い褒美なのか、地獄かもしれない。
鷹尾、俺ーー、
やっとの思いで絞り出した声は、彼のその唇で、強引に飲み込まれた。
いやだ、と体が抵抗する。それさえも押さえ込まれて、口淫に脳は服従する。
それはまさに甘い褒美だった。
もう考えるのも億劫だ。
抵抗も無駄だ。
地獄じゃないならいいじゃないか。この蜜を味わい尽くせばーー。
その、先はーー。
嘘みたいな楽園かもしれない。