監禁
ウォルトが目を覚ましたときに、まず目に飛び込んできたものは、ろうそくの光だった。ろうそくはテーブルの上に置かれ、テーブルの周りには二つのイスがあったが、一つはさっきのフードの男が座っており、もう一つは空いていた。
ウォルトは部屋全体を見渡した。窓一つない部屋で、暗く、今が昼か夜かもわからない。そして、かび臭くて、ほこりっぽい部屋だった。
ウォルトは身体を起こそうとしたが、まったく身動きができなかった。どうやら、手足が縛られているらしい。
だんだんと状況がつかめてきた。どうやら、黒の魔導士とバレて捕まってしまったらしい。最悪だ。
ウォルトは焦りと恐怖で、身体がこわばるのを感じた。これから、どうなるのだろうか?
ウォルトがもぞもぞ動き出したことに気づいたのか、フードの男が、ウォルトのほうを向いた。
「やっとお目覚めか、黒の魔導士」フードの男がいった。
ウォルトは、とりあえず、しらばっくれることにした。
「何のことかわかりません。いったいどういうことですか?」
「とぼけるな、黒の魔導士。お前はいま敵に捕まったんだよ」
「そんな・・・」
ウォルトは大げさに驚いたふりをした。
「おれを黒の魔導士と勘違いしているんですか?万が一にでも、おれが黒の魔導士だったとしたら、こんなに簡単に敵に捕まったりはしませんよ。英雄なんですから!」
フードの男は黙って聞いていた。人の話は最後まで聞いてくれるタイプらしい。
「こんなふうに手足を縛られて、無様に這いつくばっているわけがない。こんな平凡な男を黒の魔導士と勘違いするなんて、どうかしてますよ」
ウォルトは自虐的な熱弁をふるった。
フードの男は、ウォルトをじっと見つめ、眉間にシワをよせ何かを考えているようだった。
「言われてみれば確かに、顔も身長も並み以下、おまけに頭も悪そうだ。英雄って感じは全然しないな」
「・・・・そこまで言わなくても」
「なんだ?」
「いえ」
「だが、状況的にお前が一番黒の魔導士の可能性が高い」
「だから、なぜそう思うんですか?」
そこでフードの男はニヤリとした。
「お前、魔力の流れが見えるだろう?」
「はい?」
「おれが誰かわかるか?前に一度会ったことがあるぞ」
「わかってますよ。おれたちがブルク城に向かう途中で襲ってきた魔導士ですよね?」
ウォルトが簡単に答えたので、フードの男はがっかりしたようだった。なぞなぞが好きなのだろうか?
「なんだ、わかってたのか。じゃあ、一から説明する必要はないな。お前、おれがあのクソ生意気な小娘と戦っているとき、魔導士にしか見えない魔力の流れを目で追っていただろう?」
「クソ生意気な小娘っていうとこには賛同しますが、魔力の流れなんて、おれには見えません」
「うそをつくな」
「うそなんかじゃありませんよ。だいたい、あの戦いの最中に、おれが魔力を見えていたなんて確信がもてますか?ただキョロキョロしてただけの可能性もあるでしょう?」
「・・・・」
フードの男はこたえなかった。
「ほらそうでしょう。そんなわずかな疑惑で捕まったとしたら、たまりませんよ」
ウォルトが皮肉たっぷりに言うと、フードの男は顔を赤らめ、ムキになっていった。
「じゃあ、なぜ夜に抜け出した?便所じゃないことはわかっているんだぞ。こそこそ作戦会議でもしてたんじゃないのか?それに、これは何だ?」
フードの男はテーブルの上に置いてあった青白く光る魔法石を手に取ると、ウォルトにも見えるように上にかかげた。リナがウォルトに渡してくれた通信用の魔法石だ。気を失っているあいだに取られたらしい。
「こんな希少なものを、なぜお前が持っている!」
魔法石は数がとても少なく、普通は魔導士のなかでも限られた者しか持つことはできない。
「それは・・・そこまで知られたら、言い訳はできませんね」
ウォルトは諦めたようにいった。
「たしかに、昨夜は便所になんて行っていませんでした」
「そうだろう!」
フードの男は勝ち誇ったような顔をした。
「実はある女性と逢い引きをしていたのです」
「なに!」
「許されない恋だとはわかっています。おれと彼女とでは身分が違う。ただ、彼女はもうすぐ戦いに行ってしまう。その前にどうしても会っておきたかった。ほら、相手はあなたと戦った赤い髪の女性です。お互いに本当に愛し合っていて、その魔法石も彼女から貰ったものです。ですが、親同士が猛反対しているので、ああやって隠れて会うしかないのです」
実際は親同士が賛成しているのだが・・・。六割くらいは真実を言っているのではないかと、ウォルトは自己評価した。
ウォルトの愛の告白を聞いて、フードの男の眉間のシワがますます中央によった。
「お前さっき、あのクソ生意気な小娘って賛同してなかったか?」
フードの男が、なかなか鋭い指摘をした。
「ええ、あのクソ生意気なところがいいんですよ」
「理解できんな」
「わかってくれる人は、残念ながら多くありません」
フードの男は、ウォルトの言っていることが真実かどうか判断がつかないのか、しばらく難しい顔をしていたが、やがて諦めたように深いため息をついた。
「まあいい、お前がウソをついているかどうかは、すぐにわかることだ。もしウソだった場合、覚悟しろよ」
「そんな、じゃあ真実だった場合は慰謝料くらいくださいよ」
「いや、真実だった場合は、お前を殺す」
ウォルトもさすがに絶句した。それを見て、フードの男は意地の悪い笑みを浮かべた。
「そんなに心配するな。できるだけ苦しまないように殺してやるから。それに黒の魔導士だった場合は生かしておいてやる。この中ではおまえが一番可能性が高いしな」
何が心配するなだ!ウォルトは頭にきたが、今の言葉に少し気になるところがあった。
「この中で、とはどういうことですか?」ウォルトはきいた。
「まわりをよく見てみろ」
ウォルトは疑問に思いながらも、もっとよく周りを見ようと首をまわした。しかし、首だけだと限界があったので、身体をひねり二度転がって、後ろのほうを向いた。
すると、そこには男二人と女一人が、ウォルトと同じように手足を縛られて壁際に座っていた。三人は恐怖で怯えた表情でウォルトを見つめていた。
男二人は農夫っぽい格好をしているので、ウォルトと同じように近隣の村から来たのかもしれない。背の高い男と、小さいが太った男たちだった。
もう一人の女性のほうは、なんと食堂のおばちゃんだった。ウォルトと父の食器を片付けてくれた、あの人のよさそうな顔が、今は恐怖で染まっている。
ウォルトは唖然とした。なぜ、食堂のおばちゃんが捕まっているのだろうか?
ウォルトはぽかんとしながら、また身体をひねって二度転がり、フードの男のほうを向いた。
「つまり、この中の誰かが魔導士ということですか?」ウォルトはいった。
「そうだ」
バカじゃないのかこいつ、と一瞬思ったが、本物も当てているので完全にそうだとは言い切れなかった。
「でも、どうしてこの中に黒の魔導士がいるなんて断言できるんですか?」ウォルトはきいた。
「お前、よく質問するやつだな」
フードの男は少しめんどくさそうにいった。
「性分なんです」
「まあいい、どうせ暇だからな。この城に潜り込ませていたスパイによれば、この城の魔導士のなかで黒の魔導士はいないことがわかった。だから魔導士以外の、お前たちのように外からくる人間の中にいるだろうと目星をつけておいた。その中であやしいと思われたのがお前たちだったわけだ。それにな、黒の魔導士が戦いに出てこなかった。これもスパイからの情報だが、黒の魔導士が戦いに参加してくるのは確実だった。それが無かったということは、お前らの中の誰かが黒の魔導士って可能性が高い」
リナが言っていたように、スパイがいたのだ。もっと忠告をきいて警戒しておくべきだった。それに、フードの男はもう戦いは始まっていると言わなかったか?
「おれはどれくらい気を失っていたんですか?」
「お前は一日半眠っていた。聞こえないか?敵はもう近くまで来ているぞ」
ウォルトは耳を澄ませた。すると上のほう、天井の奥から、かすかに人の叫び声や、物をたたく音、大勢の人間が歩き回るような音が聞こえた。
ウォルトは焦ってきた。どうやら状況はかなり悪いらしい。敵が攻めてきているということは、ここはブルク城の中なのだろうか?そういえば、この部屋は、おとといの晩、リナに連れられて行った隠し部屋に似ているとウォルトは思った。
「余計なことは考えるなよ」
ウォルトがキョロキョロしているのを見て、フードの男がいった。
「抵抗しようとか、逃げ出そうとか思うなよ。この部屋は結界がはってあって魔法は使えん。もちろん、黒の魔法も使うことはできない。それに、この部屋からは出られないからな」
さらさら、こんなところで黒の魔法なんか使う気はないが、警戒はしているらしい。そして、フードの男の言うとおり、この部屋には扉らしきものがなかった。全面ごつごつした石の壁でできていた。もしかしたら、小さい穴があってネズミくらいなら通れるかもしれない。
ここも隠し部屋なのだろう。一昨日の晩と同じように、壁を通り抜けるに違いないと、ウォルトは思った。
手足は縛られ、魔法は封じられ、出口はなく、相手は魔導士、どうにも打つ手がないように思えた。
「なあ、ところでだ」
フードの男がいった。今までとは、うってかわって親しみのある声だった。
「お前、おれたちの仲間になる気はないか?」
こんな展開は予想してなかったので、ウォルトはとまどった。
「だから、おれは黒の魔導士ではないって言っているじゃないですか」
フードの男はあきれた顔をした。
「まだ言い張るか。まあいい。この戦いが終わったら、魔法でお前の頭の中をのぞくからな。そしたら、すぐにわかる」
そんなこともできるのか!ウォルトは表情には出さなかったが、心のなかでうめいた。
「ちなみになんですが、おれがもし黒の魔導士だったとして、仲間になることを拒んだらどうなります?殺されるんですか?」
「いいや、そのときは、お前の頭のなかをいじくって、何でも言うことを聞く人形にする。黒の魔導士の力は貴重だからな。まあ、殺されたほうがマシのような人生を送るだろうよ」
さらっと、フードの男はいった。手足が縛られていなかったら、飛びかかってブン殴ってやるところだ。
そのとき、上のほうで耳を塞ぎたくなるような爆音がし、部屋全体も揺れて、天井からホコリがぱらぱらと落ちてきた。
フードの男は天井を見上げていった。
「そろそろだな。あと少しでこの城は落ちるだろう。予想より早かったな」
そして、イスから立ち上がると、ウォルトから見れば右側のほうの壁にツカツカと歩いていき、そのまま壁に吸い込まれたかのように消えた。通り抜けたのだ。
どうして、フードの男が部屋から出ていったのか、ウォルトにはわからなかった。もしかして、トイレだろうか?
なんにせよ、チャンスだと思ったウォルトは、軽やかに二度転がって、ウォルトと同じく縛られている三人のほうを向いた。
「あいつがどこに行ったか、わかりませんか?」
ウォルトは三人に聞いた。もしかしたら、知っているかもしれないと思ったからだ。
三人の男女は顔を見合わせた。痩せているが、背の高い男が口を開いた。
「たぶん、あいつは外の様子を見に行ってるんじゃないか?大きい物音がするたびに、同じことをしているから。でもすぐに戻ってくるぞ」
「何分くらいで?」
「だいたい、五分ってところか」
あまり時間はないな、とウォルトは思った。
「すみませんが、この縛っているロープをほどくのを手伝ってもらえませんか?」
三人はぎょっとした顔をした。背の高い男がいった。
「だがよ、バレたらひどい目に合うぜ」
どうやら、三人の中で一番きもがすわっているのは、この男のようだ。太った男と、おばちゃんはオロオロしているだけだった。
「このまま、こうしていても殺されるだけです」
「考えはあるのか?」
「はい。うまくいくかは、わかりませんが」
背の高い男は少し迷っていたが、ウォルトの決意した表情をみて、心を決めたようだった。
「やってみよう」
「助かります。では、縛られている手を、こちらに向けてくれませんか?おれが歯で噛みきってみます」
「いや、それはおれがやってやるよ。そのほうが早いだろう」
ウォルトはその提案に賛成し、イモムシみたいにずりずりと、背の高い男のほうに近寄った。目の前まで来ると、男に背を向け、後ろ手に縛られている手首をできるだけ高く上げた。
背の高い男はかがみこんで、手首のロープにかじりついた。一生懸命噛み切ろうとしてくれているのだが、ときどき男の歯が手にあたったりして、あまり良い気はしなかった。
ウォルトは不安な思いで、フードの男が通り抜けていった壁を見つめた。今にも男が壁から顔をだし、その色白の顔をこちらに向けるのではないかとヒヤヒヤした。
しばらくして、少しづつロープがゆるみはじめ、ついにはほどけると、ウォルトは縛られていた手をほぐすかのようにユラユラとてを振った。
ロープが噛み切られるまでの数分間はウォルトにとって、今まで生きてきたなかで一番長い数分間になった。
ウォルトは後ろを振り向くと、噛み切っってくれた背の高い男に礼をいった。
「ありがとうございます。助かりました」
背の高い男の口からは血がでていた。男は答える代わりに、その血だらけの口を見せつけるかのように、二カっと笑った。
ウォルトは、この人となら親友になれるかもしれないと思った。
手が自由になると、ウォルトは急いで足首の縄も外しにかかった。足首の縄もかなりキツく縛られていたが、指の爪がはがれそうなくらい力を込めたので、そんなに時間もかからずにはずすことができた。
手足が自由になると急いで立ち上がり、壁のほうを凝視した。あとどれくらいで戻ってくるだろうか?
ウォルトはまず、テーブルのほうに駆け寄った。そして、テーブルの上に置かれてあった魔法石をひったくるように手に取った。
「リナ、聞こえるか?おれだ!」
ウォルトは魔法石に向かって、叫ぶように言った。しかし、魔法石は何の反応も示さなかった。魔力が無くなってしまったのか、それとも、この部屋の魔法を使えなくするという結界のせいなのか?ウォルトには、何が原因かハッキリとはわからなかった。
次にウォルトは、フードの男が通り抜けていった壁の前に来ると、おそるおそる壁に手をついた。しかし、ウォルトの手は壁を通り抜けたりはせずに、手のひらにはしっかりと、ざらざらとした石の感触があった。
やはり、壁を通るためには、何らかの条件があるらしい。リナのときは呪文を唱えていたが、フードの男は
そんな素振りは見せなかった。条件はいくつかあるといううことだろうか?
ウォルトは、おとといの晩のことを思い出した。あのとき自分は何もしなかったが、壁を抜けることができた、リナに手を引かれて。つまり、壁を通ろうとしている魔導士に触れていれば、魔導士ではない人間も通ることができるということだろうか?
確証はなかったが、ウォルトはそれにかけてみることにした。
ウォルトは握り締めていた魔法石をポケットにしまうと、壁から一メートルほど離れ、腰をおとし低く身構えた。壁の長さは六メートルほどあったが、ウォルトはフードの男が目の前から現れてくれることを祈った。ただ、どこから現れてもいいように、目だけ動かし注意しておいた。
心臓の鼓動が速くなってくるのがわかった。手にも汗がじんわりと滲みでてくる。
ものすごく恐かったが、それよりも、みんなのことが心配でならなかった。エクセ村のみんな、イーモン、ダスティ、父親、そしてリナは無事なのか?そう考えると、焦ってきていてもたってもいられなかった。
そして、その焦りは次第に怒りにかわっていった。自分たちを苦しめる敵に、特にフードの男には憎しみさえ覚えた。
ウォルトはギリギリと奥歯を噛みしめ、手には爪の跡が残るくらい強く握り締めコブシをつくると、もっと低く構えて、フードの男が来るのを待った。
そんなに待つ必要はなかった。フードの男は一分もたたないうちに現れた。
まずは手が現れ、そのすぐあとに顔がでてきたが、その色白の顔が見えたとたん、ウォルトはフードの男に向かって体当たりをかました。
もしかしたら壁にぶつかるかもしれないと覚悟していたが、そうはならずに、フードの男の腰をがっしり掴むと、そのまま前に倒れ込んだ。ウォルトの思惑どうり壁を通り抜け、二人は一緒に床に倒れ込んだ。ウォルトはすぐさま、馬乗りになるように男の上にのしかかると、そのぼう然とした顔にコブシを叩き込んだ。
ウォルトは焦っていた。相手が魔法を使ったら、まず自分に勝ち目はない。相手がまだ状況を理解できずにぼう然としている今しかチャンスはないと思っていた。
ウォルトはコブシを振りかぶり、右、左と交互に殴りつけていった。二、三発殴ったあたりから、フードの男も抵抗してきたが、ウォルトはそれを押さえ込み、呪文を唱えられないよう、たてつづけにコブシを見舞った。
何発殴ったのか、自分でもわからなくなったころ、ウォルトはフードの男がぴくりとも動かなくなったことに気づいて殴るのをやめた。
フードの男は顔中血まみれになって気を失っていた。ウォルトは握りしめていた自分のコブシを開いて
その血まみれの手を見た。人を殴ったのは初めてだった。指と手首の関節が痛くて、指先が震えていた。
血まみれの男の顔と、その血がついた自分の手を見比べ、気分が悪くなった。
ウォルトは大きく息を吸い込んで、ゆっくりとはいた。どうやら、いつのまにか息を止めていたらしい。しばらく荒い呼吸をしていたが、それが次第に整ってくると、ウォルトは顔をあげ、周りを見渡した。
ここは細長い通路だった。ところどころ壁に埋め込まれた魔法石が青白く光り通路を照らしていたが、どこか不気味な感じがした。湿気が多く、見るからにうす汚れた通路はまともに使われているところではないことを示していた。
特に気になるのが匂いだった。汗、おうと物、ふん尿、そして血の入り混じった臭いがした。
ここはどこだ?ウォルトは、もしかしたら、すでにあの世の入口に来てしまったのではないかと思い不安になった。
よく見ると、通路の奥のほうに、うっすら階段らしきものが見えたので、ウォルトはゆっくりと立ち上がった。上のほうでは戦いによる音が響いていたが、ここはとても静かに感じた。まるで生き物の気配がない。この場所ではネズミまでが息をひそめるのだろうか?
ウォルトは階段に向かって歩きだした。そして気がついた。この通路の左右にはいくつもの小さい部屋があった。ちょうどウォルトがさっきまで閉じ込められていた部屋と同じくらいの広さの部屋だ。ただ違うのは、ちゃんと扉があり、そしてその扉は鉄格子でできていた。
牢屋だ。
囚人はいないようだったが、ウォルトは背筋が冷たくなった。
「ウォルト!」
ビクビクしながら歩いているときに、突然かん高い声に呼ばれたので、ウォルトは飛び上がり、心臓が飛び出すかもしれないと思うほど驚いた。
「ウォルト、近くにいるの?」
リナの声だった。ウォルトはポケットをまさぐり、魔法石を取り出した。魔法石からは、ウォルトの名前を呼ぶ、リナの必死な声が聞こえてくる。どうやら魔法石は、さっきまで閉じ込められていた部屋にあったために使えなかっただけらしい。
「リナ、おれだ」
「本当にウォルトなの?あんたいったい今どこにいるの?」
「すまん、敵に捕まるという貴重な体験をしてたとこだ。ここは、たぶんブルク城の牢屋だと思う」
「牢屋?地下にある?・・・灯台下暗しね。敵はどうしたの?逃げることができたの?」
「隙ををみてぶちのめしてやった。今はそこに倒れているよ」
「へえ、意外とやるじゃない」
「やるときゃやる男さおれは。そうそう、敵はリナもよく知っている男だったぞ」
「私も知っている男?いったい誰なの?」
「ああ、それは・・・」
言いかけたが、ウォルトはそこで、ただ何となくフードの男のほうを振り返った。もしかしたら、わずかな空気の動きを感じたのかもしれない。
亡霊・・・振り返ったウォルトの頭に浮かんだ言葉だった。
フードの男は、あれだけ殴られたのにもかかわらず立ち上がり、鬼の形相でこちらを睨んでいた。血だらけの顔と合わさって、まるで化物に見えた。
フードの男は、すさまじい怒りを込めて雄叫びをあげた。何と言っているのかまったくわからないが、気持ちは伝わってくる。どうやら嫌われてしまったらしい。
その憎悪に満ちた叫びをを聞いて、ウォルトは死が目前にせまっている恐怖におそわれた。
ほとんど反射的にウォルトは男とは反対方向、上へと続く階段に向かって走り出した。もしかしたら、これまでの人生のなかで一番速く走れたかもしれないウォルトだったが、フードの男が腕を上げ、相変わらず怒った声で呪文を唱えると、ウォルトは階段にたどり着く前に背中にあたった衝撃によって、おもしろいくらいに前方に吹っ飛び、階段の横の壁に激突した。
頭からまともにぶつかったウォルトは、そのまま床にくずれ落ちた。もうろうとした意識のなか、必死に立ち上がろうとしたが、手足にうまく力が入らず、壁に寄りかかりながら上体を起こすことしかできなかった。
フードの男が、コツコツと足音をたてながら近づいてきた。ウォルトには、それが死神の足音のように聞こえた。
死神が、また呪文を唱えた。ウォルトの体にさっきと同じように衝撃がはいり壁とはさまれるようなかたちで打ち据えられた。胸を強く打たれ。肺のなかの空気を全部吐き出し、しばらく呼吸もできなかった。
ウォルトは胸をおさえ、フードの男のほうを見た。男は笑っていた。とても嬉しそうに。ああ、なぶり殺しにされるんだろうなと、ウォルトは思った。死にたくはなかった。
今までの思い出が、父や、村のみんな、メアリおばさんや、リナの顔が次々と頭に浮かんだ。これが死の間際に見るという走馬灯というやつだろうか?いよいよ最後の瞬間が近づいてきているようだ。
「ウォルト・・・バカ・・・聞きなさい!」
幻聴まで聞こえてきた。本当にリナがそばで話しかけているかのようだ。しかし、最後の最後にバカとはなんて色気がない。どうせなら、やさしい言葉でもかけてくれればいいのにと、ウォルトはがっかりした。
「ウォルト、このアホ!聞こえてんの?魔法石を相手に向かって投げなさい!」
今度ははっきりと聞こえた。どうやら幻聴ではなかったようだ。
ウォルトは、いつのまにか握り締めていた手をひらいた。手のひらには魔法石があった。よく落とさなかったものだ。
「ウォルト、早く魔法石を相手に向かって投げなさい」
リナは同じことを、せっぱつまった声でまくし立てるようにいった。
ウォルトはぼんやりと、こんな小石を投げたところでどうなるものだろうと思った。当たりどころがよければ虫くらいは殺せるかもしれないが、目の前の死神に効果があるとは思えなかった。
しかしウォルトは深く考えるのが苦手なほうなので、痛みをこらえながら、腕を振りかぶった。死神はもう五メートルくらいのところまで近づいてきていた。
ウォルトは魔法石を投げた。しかし弱々しく、やっと相手に届くか届かないというくらいだった。フードの男も気がついたらしく、飛んでくる魔法石を見て身構えた。
次の瞬間、魔法石は空中で目もくらむような光をはなつと、バキン、という音とともに粉々に砕け散った。ウォルトはかすかに、リナが呪文を唱える声が聞こえたような気がした。
そのあとにフードの男の、わあっという叫び声が聞こえ、どさっと人の倒れる音がした。
光が消えると、ウォルトはフードの男が十メートル以上先にあお向けで倒れているのを見た。おそらく、リナの魔法だろう。どういう理屈かは、さっぱりわからないがリナが魔法石を使って助けてくれたのだ。
助かった。
「・・・はあ、やれやれ」
ウォルトは、安堵のため息をついた。しかし、魔法というものは本当に何でもできるのだなと、あらためて感心した。
そしてウォルトは助かった安心感で気が抜けたのか、だんだんと目の前が暗くなり、そのまま気を失ってしまった。
次に目を覚ましたとき、ウォルトは最悪の気分だった。
あんなに怖い夢を見たのは久しぶりだった。血だらけの死神に永遠と追われ、なぶられ、痛めつけられた。目覚めて、それが夢だったと分かったとき、ウォルトはつかの間安堵したが、目に飛び込んできた汚らしい天井を見上げていると、現実もそう変わらないこと思い出し、また気分が悪くなった。
目だけ動かして周りをうかがうと、リナの横顔が見えた。リナの前にはメアリおばさんもいる。
ウォルトは仰向けに寝ていて、左右に二人がしゃがみこみ、ウォルトの胸のあたりを見ながら、何かぶつぶつと会話していた。
ウォルトは起き上がろうとして力を入れたが、その瞬間全身にひどい痛みがはしり思わずうめいてしまった。
「うう・・・」
特に胸のあたりが痛かった。ウォルトのうめき声を聞いて、リナはハッとして顔をのぞき込んできた。
「ウォルト目が覚めたのね。気分はどう?」
「最悪だ」
「そうでしょうね。どこか痛みはある?」
「全身が。特に胸が痛いんだけど」
「ろっ骨が三本も折れているんだもの、痛むはずよ。いま治癒魔法で応急手当をしているわ」
「すぐに治るもんなの?」
「それは無理ね。とりあえず今できることは骨をもとの位置に戻して固定することだけ」
どうやら魔法も万能というわけではないらしい。
「痛みを鎮める薬があるわ。これを飲めば、だいぶん楽になるはずよ。支えてあげるから、少し上体を起こせる?」
ウォルトは、わずかでも体を動かすのは嫌だったが、リナに支えてもらいながら、何とか上体を起こした。
リナにコップに入った緑色の液体を飲ませてもらったが、一口飲むとウォルトは盛大に咳き込んでしまった。あまりに不味かったのだ。咳き込んだひょうしに胸にも痛みがはしり、ウォルトはまたうめいた。
「我慢して全部飲みなさい」
リナが小さい子供を叱りつけるようにいった。
「いっつも思うけど、おいしい薬ってないの?」
「良薬口に苦しって言うでしょ。もう一気に飲んでしまったほうがいいわ」
ウォルトは、ため息をついた。
「はあ、わかったよ」
ウォルトは決死の覚悟をきめ、ドブの水のほうがいくらかマシなんじゃないかと思われる液体を一気に飲み干した。苦味が口の中全体に広がる前にのどの奥に流し込んだが、それでも飲み終わったあと戻しそうになり、必死でそれを我慢した。
「よくやったわね。初めてあんたを見直したわ。すぐに薬が効いてきて楽になるはずよ」
余計気分が悪くなったのは気のせいだろうか?
ウォルトは起こしていた上体を下げていって、もう一度あお向けに寝て、体の力を抜いた。少し落ち着いてくると、ウォルトは気になっていることを聞いた。
「今どんな状況なんだ?」
ウォルトの質問にはメアリおばさんが答えてくれた。
「私が説明しよう。リナ、治療の続きをやっておくんだ」
「はい」
リナは返事をすると、ウォルトの胸に手をかざし、ブツブツと呪文を唱え始めた。
「ウォルト、状況は最悪だ」メアリおばさんがいった。
ある程度は予想していたが、メアリおばさんの口から聞くと一気に現実味が増し、危機感がつのってきた。
「すでに城門は破られ敵が城内に侵入してきている。我々は建物の中に立てこもり魔法で障壁を何重にもはり抵抗しているが、戦力が違いすぎる。破られるのは時間の問題だろう」
ウォルトはメアリおばさんが冗談を言って自分をからかっているだけだろうと期待したが、ウォルトの知るかぎり、メアリおばさんが冗談を言ったことは一度もなかった。
「本来なら、こんなに簡単に攻められることはなかった。敵のほうが多いとはいえ、ろう城戦は守るほうが有利。援軍が来るまで持ちこたえてみせるはずだった。だが、予想外のことが起きた。敵にも特殊な魔法を使える者がいたのだ」
「おれと同じようにですか?」
「系統はまったく違うが、珍しさでいったら同じくらいだろう。浮遊魔法、私もはじめて見たよ」
「浮遊?鳥みたいに空を飛ぶことができるんですか?」
「鳥以上だな。浮遊魔法を使えるものは、風の魔導士と呼ばれ、大気の全てを支配できると聞く」
「へえ、それは楽しそうですね」
「敵にすると、この上なくやっかいだ。風の魔導士が、はるか上空まったく警戒していなかったところから現れ、城門に攻撃を仕掛けた。我々も反撃したが、見事にほんろうされた。敵ながら、すごい魔導士だった」
メアリおばさんにここまで言わせるとは、風の魔導士はとんでもないやつらしい。
「それで城門が壊されて、敵が攻めてきた、ということですね」ウォルトがいった。
メアリおばさんは首を横に振った。
「城門や城壁は、そんなに簡単には壊れない。門や壁全体を魔法で強くしてあるし、魔法に対する耐性も高い。城門が突破されたのは、裏切り者がいたせいだ。混乱に乗じて城門を開け放ち、それを待っていたかのように敵が流れ込んできた。してやられたよ」
そこでメアリおばさんは、通路の奥で倒れたままになっているフードの男を指さした。
「おそらく、お前を閉じ込めていたあの男も、城門を開け放った裏切り者が手引きしたのだろう」
メアリおばさんの説明を聞いてなんとなく状況がわかってきた。まとめると、かなりヤバイってことだ。
「何か打つ手はないんですか?」ウォルトはきいた。
「さっきまでは無かったが、今はわずかに希望がある。ウォルト、お前の力があれば、何とかなるかもしれない」
「それを聞いて安心しました。何をやればいいんです?」