二人だけの鬼ごっこ
「すげえなこの屋敷。オレのすんでいたボロ屋が何個も入りそうだぜ」
「おまえ、でていけといっただろ」
「いいじゃねえか、こんだけ広いんだから。というか、ほとんど使ってない部屋ばっかりでほこりまみれじゃねえか」
「ちっ」
それから、なんとか追い出そうと、怒鳴ったり脅したり、説得したりしたが少年は出て行こうとしなかった。
仕様がないので、わたしは少年を徹底的に無視するようにした。
少年は館に勝手に居座るようになり、自らが居心地のいいように屋敷を掃除して回っていた。
天井に張っていたクモの巣が取り払われ、歩けば足跡が目立つ床が掃き清められていた。
「よう、どうよ。オレってば役にたつだろ」
「……」
ちょうど少年が掃除している場面に出くわし、自慢げにこちらを見てきた。
いら立ちで目の端がピクピクするのを感じながらも、無視して立ち去った。
いつものように、本が納められている部屋で読書をしていると、少年が入ってきた。
「おー、こりゃあすげえな。みてるだけでめまいがしそうだ」
キョロキョロと見回しながら、わたしの方に近づいてきた。
「なあなあ、なに読んでんだよ」
「……うるさい、あっちいけ」
「おっ、ようやく。返事してくれたな」
邪険にシッシッと手を振って追い払おうとしたら、逆にわたしの反応を喜ぶように笑っていた。
「ちっ」
わたしはバタンと音をたてて本を閉じると、部屋から出て行った。
「おい、どこいくんだよ」
「ついてくるな」
それから、少年はわたしにまとわりつくようになった。
わたしの後について、馴れ馴れしく話しかけてきたが、ことごとく無視するようにした。
いつものように本を読んでいると、少年が部屋に入ってきたのを感じ、振り向いた拍子に積んでいた本を崩してしまった。
「くそっ」
自分の間抜けさに嫌気がさしながらも、落ちた本を拾おうとしたら、ちょうど同じ本を拾おうとした少年の手が触れた。
「うわっ、えぇ!?」
少年はびっくりしたように手を引っ込めた。
おおかた、こんなわたしに触れたことに怖気がさしたのだろうと、いやな気分が胸の中に這いよってきた。
「ずいぶん冷たい手をしてんな、寒いのか」
あろうことか、わたしの手をキュッと両手で包んてきた。
他人の生暖かい肌の触感を感じて、ゾワリと肌が粟立った。
「は、はなせっ!!」
綻ぶことのない体と、他人のいない環境にいつづけたわたしにとって、久しぶりに感じた他人の存在はわたしをひどく慌てさせた。
そして、わたしに干渉してこようとする少年によって、自分の内に変化が生まれてようとしていることに怯えた。
それから、少年から逃げるようになった。
逃げて隠れるわたしを、少年が探して見つける鬼ごっこが続いた。
ある日、鬼ごっこは唐突に終わった。
全身真っ黒な装束に身を包んだ人間たちが近づいてくるのに気づいた少年は、窓をのぞきながらわたしに鋭い声を上げてきた。
「おい、あいつら教会のヤバイやつらじゃねーか。早く逃げろ!!」
「……めんどくさい」
「ハァ!? おい、なんでだよ」
やがて、屋敷の玄関扉につけられたノッカーの音が鳴り響き、わたしは扉を開けた。
「なるほど、話どおりの姿だ。あなたには神の名の下に公平な審判を受けることができます。さあ、ついてきなさい」
神父姿の男がわたしの姿をみて驚いた顔をした後、黒装束の男たちがわたしを取り囲んだ。
町の住人から教会に私のことが通報されたらしく、教会から派遣された異端審問官たちだった。
教会の印がついた馬車に押し込められ、わたしは連れて行かれた。
馬車の窓から屋敷の方を振り返ると、少年が物陰からこちらを見ているのがわかった。
ギュッとこぶしをにぎり口の端をかみ締めて、なにかをこらえているような顔をしているのが印象的だった。
(これで、あいつから離れられると思うとホッとできる。おかしなものだ、これからむかうのはおそらく地獄だというのに)
教会に到着すると、異端審問という名の一方的な裁判をうけて、有罪を言い渡された。
この後、贖罪という名の拷問を耐え切ることができれば許されるそうだが、普通の人間ならばまず死んでしまう。
衣服を剥ぎ取られ粗末なものに着替えさせられた後、頑丈な扉で封じられた部屋に連れて行かれた。
その部屋は暗くじめじめとし、血のにおいと死が充満していた。
「このような少女でさえ罪を犯すとは、早く清めなければならないな」
能面のような表情をした男がこの部屋の主人のようで、わたしを手厚く出迎えた。
「まずは、この罪人の証となる焼印をいれることで、そなたの贖罪がはじまる」
男は、真っ赤になった焼き鏝を目の前でみせつけるようにちらつかせてきた。
押し当てられるとジュウという音を立てながら肌が焼け爛れていった。
(熱さを感じはするが、あいつと触れ合ったときの生暖かさのほうがきつかったなぁ)
「ほう、泣き叫ぶと思ったが耐え切るとは、なんという敬虔さであるか!! きっと神もそなたのことを見守っていることでしょう」
それからも男はわたしの体をいじめていった。
はじめは死なないように、なるべく恐怖を与えるようにわたしの体を傷つけていった。
一枚一枚ていねいに爪をはがしていったり、指の骨をポキンポキンと枯れ枝を折るような音を立てながら折っていった。
しかし、まるで動じないわたしに業を煮やしたのか、他人が苦しみ死んでいく様を見せ付けた後、同じ目にわたしを合わせた。
わたしに苦痛というものはなく、他人の苦痛などに特に感じるものはなかった。
どれだけの日にちが過ぎたころだろうか、もうくぐることもないと思えた拷問室の扉から連れ出された。
連れて行かれた先の部屋では、細身の神父と拷問部屋にいた男が立っていた。
「きれいな顔だな。おい、ほんとうにこの娘に試練を与えたのだろうな」
「はい、確かに。しかし、次の日にはケロッとした顔で傷も元に戻っていました。この者は試練を拒絶しているといえます」
「貴様、司祭長の判断が間違っているということか。この娘は見事に試練を乗り切ったのだから、贖罪は完了したのだ」
「め、滅相もございません。すべてはおおせのままに」
「娘よ、そなたは神が課した試練を乗り越え贖罪は成った。これからも神への感謝を忘れず生を全うするといい」
本当に、男の言葉どおりわたしは解放された。
延々と拷問が続くと思っていたが、裁判の結果を忠実に守る裏表のなさは、好ましくさえ思えた。
連れてこられたときと同じ馬車にのせられて、やがて見慣れた屋敷の前にたどりついた。
館に戻り、また前のように一人だけで過ごす日々にもどった。
だが、そんな平穏はつづかず、またわたしの部屋の扉を乱暴に開けて入ってくるものがいた。




