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過去

オレが戦死するなんて、おかしい、おかしい、ありえない、ありえない……。俺は信じてる。戦死なんか。



 「まただ。こりゃあ、馬鹿馬鹿しい。」

 日下部が無造作に足元の戦友を睥睨する。とはいえ、もうすぐ死にそうにゆく「戦友」は「英霊」となるのだ。その日下部は戦友の持っていたキャラメルとウィスキーの瓶だけを抜き取り、そのまま口にした。ここがどこか? 地獄の入り口らしい。

 「なあ、鏑谷。いい眺めだな。軍隊だから旅費も無料だ。飯もあるぞ。」

 皮肉が些かききすぎている。いや、そう言いたくなるのも当然か。ともかく、俺たちはこの広大な曠野にいる。

 ――ホロンバイル草原

 それが、俺たちの立っている場所の名前だった。余り聞き慣れない場所だろう。何故かって、そりゃモンゴルの草原地帯なのだから……。ともかく、俺と日下部は哨戒任務にあたっていた。元は靴職人の俺と、寺の次男坊の日下部がこんな辺鄙な場所で兵隊をしているのは、不思議といえば不思議だった。

 俺の場合は、両親のない兄弟世帯を抱えて職人をすることが難しくなった為である。兵隊になれば少なくとも飯を食わせるくらいの金ができたからだ。三男の俺は長男の兄貴に言って家を飛び出し、そのまま兵隊に志願した。折しも中国大陸で物騒なことが起こっている時期だった為に、容易に兵隊になれた。

 「しかしなぁ」呟くようにその辺の大きな石に腰掛ける。

ここ数日行軍続きでだいぶ気が滅入っていた。どうも風景が変わらないということがこんなにも苦痛だとは思わなかった。俺は腰掛けた大きな石から、肩に掛けた三八銃を構え、照準を確かめる為に片目を瞑る。

 「今度の相手は精鋭の露軍とモンゴル軍だとよ。お前は射当てしたことがあるか?」

 「いや、ない。」日下部は気だるげに奪い取った煙草を口に銜え紫煙を燻らす。

 俺はキャラメルを一欠けらほど口に放り込む。草原は、常に激しい風が吹きすさぶ。

 「無駄撃ちするなよ。」

 「するかよ。」

 暫く休息の時間が続く、その場合は大抵強行な進軍が待っている。関東軍の連中は上層部の人間は意思がバラバラなんだなぁ、と日下部がぼやく。が、詳しい経緯なぞ俺には関係がない。俺が覚えているのは、シナ大陸で戦闘をしていた俺が新たな戦地に放り込まれるという事だけだった。兵隊は道具だ。それは戦場でよく身に染みて分かった。馬以下の扱いだーーとぼやく奴もいる。部隊などによっても待遇は違う。俺の場合、徐州攻略の時に負傷して一時戦線を離れたくらいで後は体が機械のように戦闘を継続させていた。俺たちは人殺しであり、人殺されである。決して戦場で純粋に殺人の罪を犯さない奴はいない。俺はいつも強固な軍団にぶち当たる。他の部隊は入城やら、市街地戦をやっているらしい。ドイツの輸入品で武装した国民党軍とやりあった……と、俺が日下部と初めて出会ったときに話した。その時、この男は目を点にしていた。曰く「シナ軍はみんな背中しか見たことがない」と笑っていた。どうやら、後発組の残党狩り部隊のようだった。

 ということは、上海での友軍の屍の山を目にする機会がない幸運な男らしい。

 その俺たちが、こうして座っている。草原を眺めながら。こんな見渡す限りに地平線が広がると、恐ろしくなる。俺たちの故郷はいつだって狭い国土で必死に生きてるからだ。しかし、もし俺たちが元からこの地に居たら、あくせく働く貧乏でもすべての事柄が一瞬、こんな風景に説得されてどうでも良くなるような幻影となるのだろうとさえ思えた。

 「お前はこの風景が好きか?」

 日下部が漏らした。それは、俺が初めて聞いたこの男の本音のこもった声だった。

 「どうだろうな。きっと、働き蟻みたいにあくせくみじめに生きていく俺たちが唯一この地にとどまる方法が思いつくだけだ。」

 日下部が珍しく嫌な顔をして背中を向けた。

 「お前が埋まっても知らんぞ。」

 「ああ、そうかい。俺はお前がどこで埋まっても必ず持って帰るぞ。」

 恐らく、それが骨であるという前提を口にはしなかった。そういわなくても、いつか死ぬと漫然と感じていた。ここまで生きてこれたのが奇跡だ。


「敵だッ、敵が来たぞ!!」

 俺たちの部隊は30メートル先にいた。日下部と俺は大石を飛び降りて、泥濘を踏む。それから轍の深まったところを全力で、中腰になって走る。

 「敵数は?」俺は叫ぶ。すぐさま地面に「大」の字で飛び込む。くそっ、口に泥が入った。

横5メートルほどに居る双眼鏡で確認している偵察兵に問う。

 「騎馬、凡そ50、後方に戦車あり。数、不明。」

 「――おい、不明ってことはないだろ? 多いのか? 少ないのか?」

 日下部が怒鳴る。

 ムッ、とした偵察兵が、

 「稜線にわずかにかかる程度、およそ7台」

 と、やけになって怒鳴り返す。正直、戦車部隊を持たない俺たちにとって、7台はおすぎる。せめてもの頼みの綱は迫撃砲、それと短機関銃、歩兵銃、そして火炎瓶だ。どれも、すばらしい。他の部隊はもう少しマシという程度で俺たちは劣悪だ。理由は分からない。

 「とりあえず、今は撤退しながら臥せれる場所を見つけよう。幸い、地面は昨夜の雨でぬかるんでる。」

 俺の部隊の隊長殿はどこにいるのだろうか? いつもなら腹の底に響くくらいうるさい大声が背後から飛んでくる。前からの砲弾より、この援護射撃のほうが気が滅入るときが多々ある。が、習慣だろう。体が先に命令通り動く。

 俺は、騎馬で丘を駈け下りる集団に向かい、長い銃身を握り、引き金を引く。

 ドン、と低く狼が唸るように余韻を大気に残す。嗅ぎなれた硝煙の薄い匂い。

 その銃声の直後、騎馬の一人が馬上から崩れた落ちた。命中したようだ。腹這いになりながら、俺は泥と一体化して獲物を狙う。馬脚の音が近寄る。そうだ、こい、こい、もっとだ。


 しかし、招かれざる客も馬の後ろから鋼鉄のドレスを身にまとい、舞台に現れた。夕日のスポットライトが妙に不気味だった。

 「日下部、隊長殿は?」

 「奴は死んだとよ。偉そうなやつで、大方軍刀だのを飾り立てた成果が出たんだろうよ。」

 どうやら、本当らしい。戦端がひらかれて尚、言葉がないのはおかしい。つい、勝手に指示し、密集して戦闘を始めたが、通常なら処罰だ。しかし、命令が異様に遅く、また偵察兵の奴すら隊長と一言も言わなかった。混乱を避けるためだ。……つまり、いまの現場の最高指揮官は俺という訳だ。

 周囲を警戒しながら、厳粛に日下部が囁く。

 「昇進おめでとう。鏑谷殿。」

 ……悪ふざけが過ぎる。

 


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